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予言

 夕暮れの西部街区の、もう見慣れた風景の中をトラックは今日も走っている。ごく普通の人々のささやかな日常を支え、あるいは彩るものを届ける。荷物を受け取った人の驚いたり嬉しそうだったりする顔は、なんだか見ていてほっとする。やっぱり、こういうのがいいよ。誰かが泣いてるより、ずっと。

 今日の仕事を終え、トラックは西部街区の端にタイヤを向けた。仕事は終わったが、お届け先はまだ残っている。視界から見える家々は徐々に数を減らし、やがて粗末な一軒の家が姿を現した。トラックは家の前に車体を付けると、プァンと穏やかにクラクションを鳴らした。


「はぁい。ちょっと待ってね」


 家の中からそう返事が聞こえ、しばし。中から現れたのは一人の老婆――シェスカさんだった。


「トラックさん?」


 シェスカさんはトラックの姿を見て驚いているようだ。以前より少しやつれた気がする。きちんと食べているのだろうか。トラックは再びクラクションを鳴らす。


「お届け物? 私に? 誰からかしら」


 トラックは助手席の窓を開け、ダッシュボードからお届け物を取り出してシェスカさんに渡した。それは、銀鎖に通された二つの指輪だった。指輪のデザインはどちらも同じだが、片方はもう片方より一回り大きい。そして指輪の中央に嵌められているのは宝石ではなく、良く磨かれて美しく輝く貝殻だった。

 留置場から出た後、トラックはその足でケテルの質屋や古物屋を巡り、シェスカさんが処分したものを探し回った。根気よく聞き込みを続けた結果、ようやくシェスカさんから家財を買い取ったという古物商を見つけたトラックは、それを買い戻してここに届けに来たのだ。もっとも全部を買い戻す金はないので、悩みに悩んで形見っぽいものを選んだ。もし形見がこれじゃなかったら相当気まずいんだけど、どうなんだろう。うわー、どきどきする。

 掌の上に置かれた指輪を、シェスカさんは食い入るように見つめる。


「これは……どうして?」


 トラックはそらっとぼけた感じで短くクラクションを返した。シェスカさんの顔が微笑みを形作る。その目尻には涙が浮かんでいた。


「私ね、トラックさん。夫の形見を処分したことは、あなたにしか言っていないのよ。息子にも、言えなかったの」


 シェスカさんの目から涙があふれる。シェスカさんは指輪を大事そうに、本当に大事そうに両手で握り締めて、


「ありがとう、トラックさん。ありがとう……」


 何度もそう言った。何度も、何度も。

 よかった。あってた。よかった、うん、よかった。よかった、よかった。

 ……ぐすっ




 シェスカさんの涙が止まるのを、トラックはじっと待っていた。やがてシェスカさんは手で涙を拭い、少し気恥ずかしそうに微笑んだ。トラックはプァンと、シェスカさんに何か言った。シェスカさんは驚き、そしてどこか複雑な顔をした。


「……そう。捕まったの。ありがとう、教えてくれて」


 シェスカさんの様子を不思議に思ったのか、トラックが再びクラクションを鳴らす。シェスカさんは表情を変えないまま目を伏せた。


「私は人の弱さや愚かさを笑えないの。私も、弱くて愚かだったから」


 トラックは訝るようなクラクションを返す。シェスカさんは「グレゴリから聞いたの?」と顔を上げると、どこか自虐めいた微笑みを浮かべた。


「『魔王殺し』なんて、作り話よ。私たちは確かに魔王と戦ったけれど、魔王を滅ぼすことなんてできなかった」


 はるか遠い、ここでない場所を見つめて、シェスカさんは英雄譚の真実を語った。




 今から三十年前、ケテルの教会の神官が一つの託宣を得た。はるか神話の時代に封じられた魔王の復活が間近に迫っている。もはや古びて綻びかけた封印を解き、まどろみの中にいる魔王を滅ぼせ。託宣は神官にそう告げたという。託宣はすぐさまケテルの評議会と他種族の族長たち、そして冒険者ギルドに伝えられた。

 すぐさま関係者が招集され対応が話し合われたが、諸族の託宣に対する態度には温度差があり、議論は紛糾した。託宣が告げる魔王の封印場所はドワーフが管理する鉱山の奥底で、魔王復活の際に真っ先に被害を受けるドワーフや山岳を棲み処とする獣人たちは諸族の結束と協力を呼びかけ、迅速な対処を求めた。しかしエルフや森に住む獣人たちは協力には否定的で、特に神への信仰心の薄いエルフは託宣の真偽そのものを疑っていた。ケテルの評議会は両者を仲介すべく交渉を重ねたが、溝が埋まることはなく、議論はかみ合わないまま時間だけが過ぎていった。しかし、議論の終わりはある日唐突に訪れた。鉱山の奥で、異常なまでの強い魔力が検知されたことによって。

 魔力が検知されたということは、封印が綻び、いつ魔王が目覚めてもおかしくないということを意味していた。諸族は慌てて討伐隊を組織し、魔王を滅ぼすべく鉱山の奥へと派遣したが、それはあまりにも遅すぎる決断だった。魔王の放つ魔力を前に、諸族から選りすぐられた勇者たちは意識を保つことすらできなかったのだ。魔王の前に立つことができたのはたった三人、冒険者ギルトから派遣されたグレゴリ、シェスカ、そしてジンゴだけだった。まだまどろみの中にいる魔王に対し、三人は各々の持てる最強の必殺技を放った。


「魔王は強かったわ。私たちの心を簡単にへし折るくらいにはね」


 三人の攻撃は魔王に傷一つ付けることができなかった。その攻撃によってゆっくりと目を開いた魔王は、三人の姿を見て楽しそうに笑ったという。三人は自らが持つあらゆる技、あらゆる魔法、あらゆる属性の攻撃を繰り出したが、魔王に顔色一つ変えさせることができなかった。


「たぶん、遊んでいたのね。私たちの攻撃の合間に、バタピーを振舞ってくれたわ」


 ……ああ、そこは事実なんだ。そこは、いやせめてそこだけはフィクションであってほしかった。

 魔王はほとんど反撃することもなく、まるで無防備に三人の攻撃を受けていた。ノーダメージなら避ける必要も防ぐ必要もないのだ。三人にはもう魔王を滅ぼす手段は残っていなかった。ただ、三人の中に一人だけ、魔王を封じる手段を持つ者がいた。


「ジンゴが持つユニークスキル【うわばみ】。あらゆる存在、あらゆる事象を『飲み込む』力。私たちはそれに賭けるしかなかった」


 【うわばみ】を発動するには魔王に直接触れなければならない。それに、飲み込むことのできる『量』には限界があった。その『量』は単純に体積ではなく魔力や霊的な力も含めた『存在の総量』のことで、神話の時代に神と戦った魔王の『量』がどれほどのものなのかは想像もつかない。もし魔王の『量』がジンゴの限界を超えていれば、ジンゴは膨らませ過ぎた風船のように内側から弾けて死ぬ。限りなく成功率の低い賭け。まさに出たとこ勝負の大穴狙いだ。


「ジンゴにしてみれば、死ねと言われるようなものよ。それでも彼はそれを受け入れた」


 グレゴリとシェスカさんが魔王の気を引き、ジンゴが死角から魔王に迫る。もっとも魔王はその場から動きさえしなかったらしい。ジンゴの手が魔王に触れ、その禍々しい魔力によって皮膚が焼けただれる。そしてジンゴはスキル【うわばみ】を発動した。


「目の前にいた魔王の姿が一瞬で消えて、禍々しい魔力の波動も感じられなくなったわ。まるで最初からいなかったみたいに。ジンゴは生きていて、私たちはしばらく、ただ茫然とその場に立っていた」


 戦いを終え帰還した三人を人々は喝采を以て迎えた。禍々しい魔力の消失をすでに感じ取っていたのだ。だが魔王はジンゴの中に封じられただけで、滅んでなどいない。当面の危機は回避されたが、いつ魔王がジンゴの身体を食い破って外に出てもおかしくはない。三人は諸族の長と評議会にそう伝えた。しかしその報告に対する返答は、思いもよらないものだった。


「決して他言するな。魔王は滅んだのだ。そして君たちは『魔王殺し』の英雄だ。彼らは私たちにそう言ったわ」


 実はその時、ケテルの市中や諸族の民の間に、託宣の内容が流出してしまっていたらしい。人々は魔王復活の噂に怯え、浮足立っていた。このままでは暴動が起きかねないほどに、人々の間に不安が渦巻いていた。人々の不安を鎮めるには、魔王は滅んでいなければならなかった。秩序を維持するためには英雄が必要だった。


「魔王を『飲んだ』ジンゴは、力の全てをつぎ込まなければ封印を維持できなかったわ。それは彼の、冒険者としての未来が閉ざされたことを意味していた」


 人々が求めたのは『強い』英雄だった。戦う力を失ったジンゴは英雄たり得なかった。グレゴリとシェスカさんはケテルの冒険者ギルドから『魔王殺し』としてSランクの称号を与えられ、ジンゴはひっそりと冒険者を引退した。


「真に讃えられるべき英雄が忘れられ、私たちは資格なき英雄となった。魔王との戦いはね、トラックさん。私たちにとって、大切な友人を犠牲にしただけの、苦い記憶でしかないのよ」


 がっかりしたでしょう? シェスカさんはそう言って寂しげに微笑んだ。魔王との戦いの後、シェスカさんは英雄と呼ばれることに耐えられず、商人の男性と結婚して逃げるように冒険者を引退した。一方、グレゴリは冒険者を続け、今はギルドマスターとして偽りの英雄を演じ続けている。


「ねぇ、トラックさん」


 シェスカさんはトラックをじっと見つめて言った。


「あなたはとても強い力をお持ちね。そしてこれからもっと強くなる。だから、どうか聞いてちょうだい。あなたよりも長く生きている、愚かな私の愚かな話」


 トラックはプォンとクラクションを返す。シェスカさんは首を横に振った。


「いいえ。どうしようもなく、愚かだったのよ、私は」


 引退後、シェスカさんは夫との間に男児を授かった。息子が五歳になったある日、シェスカさんは息子と手をつないで道を歩いていた。すると背後から若い男が走ってきた。男は前をよく見ていなかったのか、シェスカさんたちを追い越す時に息子にぶつかった。息子は地面に倒れて泣き始めたが、男は謝ることもなく走って立ち去った。シェスカさんは男の背を睨みつけ――


「――殺してやろうと思ったの」


 シェスカさんは男を、遺体さえ残さずに殺す手段をいくらでも持っていた。半ば無意識に手が動き、男に殺意を向けたその瞬間、息子の小さな手がシェスカさんの服を掴んだ。


「我に返って愕然としたわ。こんなことで人を殺そうとした、自分自身に」


 次に同じことが起きた時、今度は本当に相手を殺してしまうかもしれない。シェスカさんはすぐに冒険者ギルドへ向かい、ギルドの魔法使いに頼んで自らの力を封印してもらったのだそうだ。


「だから今の私は正真正銘、何の力もないただのおばあちゃんなの」


 そう言うシェスカさんの表情には深い安堵がある。力を失った代わりに、シェスカさんはいつ人殺しになるかもしれない恐怖から解放されたのだ。


「この先、あなたがもっと強い力を手に入れた時、あなたの意に染まぬ者たちが無価値に見えるかもしれない。力もないのに逆らう者たちを許せないと思うかもしれない。あなたはその者たちを簡単に踏み潰すことができるかもしれない。でも、どうか覚えておいて。それは心を失うこと。あなたの大切な中心を失うこと」


 戸惑ったようにトラックはカチカチとハザードを焚いた。今のトラックに、それほど傲慢になれるような力はない。心を、中心を失うとはどういうことなのか、トラックには想像できないようだった。


「まだ理解できなくていい。ただ、心に留めておいて。危うく心を失いかけた愚かな年寄りの、心からのお願いよ」


 予言者の如く、シェスカさんの静かな瞳がトラックを見据える。……いつか、そんな日が来るのだろうか。トラックが、自らの力と心の間で苦悩する日が。トラックは気圧されたように無言で、ただシェスカさんを見つめ返していた。


本エピソードのヒロインがシェスカさんであることをもって、タグ回収認定員会は「ハーレムをはきちがえた」タグを回収したことを認定いたします。

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― 新着の感想 ―
[一言] シェスカさん……(ブワッ)。 >力を失った代わりに、シェスカさんはいつ人殺しになるかもしれない恐怖から解放されたのだ。 これはある意味真理ですよね。 力を持つということは、良いことばかりで…
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