迷い夜
光射さぬ夜の森を剣士は身を低くして進む。周囲にはたいまつを持った『屠龍』の傭兵が剣士を捜していた。哨戒中の敵部隊と遭遇し、剣士は今、追撃を受けているのだ。
「捜せ! 絶対に逃がすな!」
敵の怒声が聞こえる。すでに数人の仲間を戦闘不能にされ、相当頭にきているようだ。夜闇と森の視界の悪さを味方にして、剣士は歴戦の傭兵を一人ずつ処理していく。
「くそっ! ふざけやがって! 絶対に殺してやる!」
興奮した様子で一人の傭兵が近付いてくる。剣士は木の陰に隠れて息をひそめる。傭兵が剣士に気付いた様子はない。傭兵はそのまま脇を通り過ぎ――
――ガツッ!
剣士は音もなく『なんでもない剣』を抜き、背後から傭兵を斬りつけた。『なんでもない剣』の刃は今は漆黒に染まり、敵のたいまつの火を反射することもない。そして、本来なら敵の骨肉を断つはずの剣は、なぜかまるでなまくらの、切れ味のひどく鈍いものに変化していた。
声もなく、傭兵は崩れ落ちて倒れた。素早く敵が持っていたたいまつを消し、剣士はすぐにその場を離れる。じっと留まっていては他の敵に見つかってしまうのだ。
移動して再び木陰に身を隠し、剣士は手の『なんでもない剣』を見つめる。この剣は振るう者次第で形を変える、らしい。刃が黒くなっているのも、なまくらになっているのも、おそらく剣士の意志を反映してのことだろう。なまくらが剣士の意志、ということは、剣士は殺すことを拒んでいる、ということになるだろうか。しかしそれにしては、『なんでもない剣』は剣のまま、劇的な何かに変わった様子はない。剣士の迷いがそこに現れているかのようだ。
――ピィーッ
遠くで笛の男が聞こえる。傭兵たちは笛で連絡を取り合っているようだ。剣士が気絶させた傭兵がどこかで見つかったのかもしれない。剣士は『なんでもない剣』を鞘に納め、複雑な表情のまま移動を始めた。敵の人数も不明の今の状態では、ひとつところにとどまるのは自殺行為だ。気が付けば囲まれていた、ということを防ぐには動き続ける必要があるのだ。
やがて剣士の視界に、暗闇の中でぼうっと浮かび上がる村の姿が入った。かがり火に照らされた村は、しかしどこかひどく寒々しい。武装した傭兵たちがピリピリした様子で行き交っているものの、それは本来この村にあるべき光景ではなく、その日常性の欠如が景色を寂れたものにしているのだろう。本当ならばここには、猫人たちの穏やかな生活が、日々の暮らしが、ささやかな幸せがあったはずなのだ。軍靴が踏みにじる村の道を剣士は見つめた。
「……数が多いか」
森の中で敵と出くわしてしまったことで、村に駐留する敵部隊も警戒を強めているようだ。剣士がここまでたどり着いたことは気付いていないだろうが、奇襲をかけられるほど油断してくれてもいない。村にいる傭兵の数は十人を超えていそうだし、森にいる傭兵たちもやはり十人以上いる。一人で龍を屠るという『屠龍』の傭兵を相手に、闇雲に剣士が飛び出していったとしても勝算は薄いだろう。もっとも、あまりぐずぐずもしていられない。森にいる奴らが村に戻ってきたらますます状況は悪くなる。
「『悪魔』の、力があれば――」
ぽつりとつぶやき、剣士は首を横に振る。生まれながらに持っていた力、ギフトと呼ばれる異能。剣士を苦しめ、剣士が縋ってきた力だ。惰眠王が支配する『無限回廊』で剣士は自ら悪魔の力と対峙し、決別した。それは自らの生を取り戻すことであり、同時に人ならざる力を失うことでもある。剣士はただの人間になったのだ。特別でも何でもない、ただの人間に。
「……成長しないな、バカか」
自嘲するように剣士は笑い、村の奥のほうへと視線を向ける。その先に、おそらく猫人たちが捕らえられているはずだ。
「何のためにここに来た? 助けるためだろう? 今さら怖気づいてんなよ」
剣士は『なんでもない剣』を握る手に力を込める。
「トラックの奴ができることを俺にはできないと泣いてちゃ、仲間だと胸を張れないよな」
つぶやき、自嘲を振り切って表情を改める。ふっと強く息を吐き、覚悟を決めた瞳で、剣士は地面を蹴って森から飛び出した。
【加速】で一気に距離を詰め、剣士は手近な傭兵に剣を叩きつけた。反撃の暇もなく傭兵はその場に崩れ落ちる。周囲にいた傭兵が驚き慌てながら武器を構えた。
「出たぞ!」
傭兵の誰かが叫んだと同時に、剣士は鋭い突きを放って別の傭兵の一人を吹き飛ばした。『なんでもない剣』は剣士の意を汲んでいるのだろう、その突きは敵に突き刺さることなく、その斬撃は敵を切り裂くこともない。一撃で昏倒させているのは剣の力でも特別なスキルでもなく、剣士の技量の賜物なのだろう。
「手加減してくださるってか!? なめやがって!」
怒りを喚きながら大柄な傭兵が斧を振り上げて襲い掛かってくる! 剣士は強く踏み込み、【筋力強化】を使った横薙ぎの一撃で敵の持つ斧の柄を切断した。おお、『なんでもない剣』は生物相手じゃない場合はきちんと切れるんだな。信じられないというように目を見開いた傭兵に向かって、剣士は素早く剣を翻して側頭部を痛打した。ぐらりと身体が傾き、大柄の傭兵は地面に倒れた。
「てめぇ、やりやがったな!」
二人の傭兵が左右から同時に襲い掛かってくる。剣士は【跳躍】で空に逃れ、敵の攻撃範囲の外に着地した。
剣士はずっと、派手なスキルを使わずに強化系のスキルばかりを使っている。しかも、【加速】は初速を得るためだけに、【筋力強化】は斧の柄を断ち切るその瞬間だけに、限定して発動しているようだ。強力なスキルを惜しげもなく使う、そういう戦い方とは違う方法で剣士は戦っている。敵の数を考えれば消耗を嫌ってそういう戦術を選んだのだろう。三人を昏倒させたとはいえ、今見える範囲でも健在な敵は三人。さらに騒ぎを聞きつけて数が増えるはずだ。それらをすべて倒さなければならないとなると、安易な大技の使用による消耗は愚策なのだ。
「ちょろちょろとウゼェんだよ!」
傭兵の一人が大剣を地面に叩きつける。地を割りながら衝撃波が剣士に向かって奔った! スキルウィンドウが大剣技【地走り】の発動を告げる。一拍遅れて槍を持った傭兵が気合を込めて突きを放った。【真空突き】は【地走り】とは微妙に射線をずらして飛び、剣士の右への動きを遮る。左に身をひねって【地走り】をかわした剣士にもう一人の傭兵の弓が狙いを定めた!
「死ね!」
放たれた矢が剣士に向かって飛ぶ。同時に大剣を持つ傭兵と槍を持つ傭兵が剣士との距離を詰めた。矢を避ける、あるいは迎撃する、いずれを選択しても剣士は迫る二人の傭兵に対処できない! 傭兵たちの顔に勝利の確信が浮かぶ。しかし――
『パッシブスキル(ノーマル)【矢盾】
弓での攻撃を無効化する』
剣士は飛来する矢を完全に無視して、大剣を持った傭兵を迎え撃った。矢は剣士に突き刺さる直前にその向きを変え、あさっての方向に飛んで森の木に刺さった。想定を狂わされた傭兵の動きにためらいが生まれる。その隙を逃さず、剣士は首を打ち据えて大剣を持った傭兵を崩し、蹴りを入れて槍を持った傭兵にぶつけた。二人の傭兵はもつれるように倒れる。まだ意識のある槍持ち傭兵の腹を踏み抜いて動きを封じた後、剣士は動揺する弓持ち傭兵に向かって剣を振った。
『アクティブスキル(ノーマル)【飛剣】
斬撃を飛ばして敵に当てる。距離が離れるほど威力は落ちる』
斬撃は弓持ち傭兵を正確に切り裂き、傭兵は膝から崩れ落ちる。剣士の【手加減】が厳しい表情で剣士を見つめた。本当に手加減し続けていいのか、し続けられるのか、その目が問うていた。殺さないということは、目が覚めれば再び敵として目の前に現れるということなのだ。【手加減】の視線を振り切るように剣士は大きく息を吐いた。
「やってくれたな」
休息の暇もなく新手が現れ、剣士は声のした方を向いて、驚きの表情を浮かべた。そこにいたのはルーグとそれほど変わらない年齢の少年だった。身長に不釣り合いな長柄武器、ハルバードと呼ばれる斧と槍と鉤を組み合わせたような形状の武器を持っている。
「『屠龍』の『巨礫』隊員を一人でこうも簡単に倒されちゃ、隊長としての面目が丸つぶれだ」
少年はハルバードを軽々と片手で持ち上げ、その先端を剣士に向かって突きつける。隊長として、ということはこの少年が『屠龍』の『巨礫』部隊とかってのの隊長ってこと!? 巨礫どころかお人形さんみたいに整った美少年ですけども? 武器とかあんまり似合いませんけど?
「ぼ……オレの名はイワオ・ガンセキ! 『岩鬼』の名を持つ『屠龍』の隊長だ! ぼ……オレが来たからには、お前なんか一瞬で終わりだからな! 覚悟しろ!!」
ガンセキイワオさんっていうんだ、この子。そしてすっごく『オレ』って言いなれてなさそう。思わず『ぼく』って言いそうになって慌てて『オレ』に言い直してる感半端ない。ほんとに隊長なん? 無理してない? 似合わないことはやめたほうがいいって、絶対。
「マカロン様! ご無事ですか!?」
森の中から一人の傭兵が飛び出し、ガンセキイワオに駆け寄る。ん? マカロン様? ガンセキイワオは顔を赤くして慌てたように振り向いた。
「ばっ、本名で呼ぶな!!」
怒鳴られた部下と思しき傭兵は肩をすくめて「すいません」と謝る。ぎろりと部下をにらんだ後、マカロン君はおそるおそるといった様子で剣士に顔を向けた。剣士は少し困ったように視線をさまよわせると、ためらいがちに口を開いた。
「えーっと、マカロン・イワオ・ガンセキさん?」
マカロン君の顔が希望を見出したようにぱぁっと明るくなる。
「そ、そうだ! ぼくはマカロン・イワオ・ガンセキだ! ただ、まあ長いからみんなマカロンって呼ぶんだけど! イワオ・ガンセキのほうが正式名称だ!」
自分は嘘つきじゃないぞ、と主張したいのだろうが、言い訳の内容が支離滅裂ですなぁ。なんだろう、ちょっと微笑ましいわぁ。ガンセキイワオって名前が強そうでカッコいいと思ったんだねぇ。マカロンもいい名前だと思うけど、強そうな感じじゃないから嫌だったんだねぇ。そして自分を『オレ』って呼ぶの忘れてる。
「もう夜も遅い時間だぞ。早く寝ないと明日起きられないんじゃないか?」
「うるさい! お母さんみたいなこと言うな!」
本当に心配そうな剣士の表情が気に障ったらしく、マカロン君はバタバタと足を踏み鳴らして怒った。しかし剣士の眼差しは親戚のおじさんのそれのままだ。マカロン君は不満げに頬を膨らませ、仕切り直しのようにハルバードを振り回した。
「とにかく! ここの防衛を任された以上、お前を倒すのがぼく……オレの役目だ! 覚悟しろ!」
やけに声が大きいのは恥ずかしさをごまかしているからだろうか。剣士は毒気を抜かれたように困ったような視線をマカロン君に向けている。その目が気に入らないのだろう、ぐぬぬと奥歯を噛み、マカロン君はハルバードを構え、少し身を沈めた。
「いくぞ」
宣言し、マカロン君が足に力を込める。と、次の瞬間、地面を抉る足跡を残してその姿が消えた。
――ガキィン!
ハルバードの穂先が剣士の目の前に迫り、剣士は辛うじてそれを剣で払った。マカロン君はその小さな体に信じられないほどの力で自在にハルバードを操り、剣士に反撃のスキを与えない。防戦一方の剣士にマカロン君は渾身の一撃を放つ!
『アクティブスキル(レア)【崩山岩龍砕】
岩を砕き山を崩落させる地龍の咆哮を込めた一撃はあらゆるものを粉砕する』
ハルバードと『なんでもない剣』が交錯し、威力を受け止めきれずに剣士の身体が後方に吹っ飛ぶ。マカロン君が得意げに笑った。
「『屠龍』の隊長が、実力以外でその椅子に座ることはないよ」
マカロン君のご両親は都でケーキ屋さんをしています。




