古巣
鬱蒼とした夜の森をミラとヨシネンは走る。ほとんど光も差し込まないというのに二人は迷いもためらいもなく、走るスピードが緩むこともない。なんか忍者っぽいな。ミラは精霊の導きによって正しい道を把握しているようだが、ヨシネンにそんな力はないだろうに、きちんと木を避け、ミラに遅れずに後ろをついていっている。
「待て」
抑えた声でヨシネンがミラを制し、足を止める。ミラは駆ける勢いを止めることができず、つんのめって前に倒れた。ガサガサと付近の木が動いて枝葉でミラの身体を受け止める。木々に小さく礼を言ってミラはヨシネンを振り返った。
「どうしたの?」
ヨシネンの厳しい表情があまりよくない未来を伝える。視界のきかぬ夜の森の向こうをヨシネンはにらんだ。
「『屠龍』の部隊が近くにいる。このままでは鉢合わせてしまうぞ」
ミラは驚いたように目を見開く。
「そんな気配は……」
ヨシネンは身を固くしてじっとしている。
「『屠龍』には森での戦闘に特化した部隊がいてな。そやつらの隠形は精霊さえ欺く」
断言口調のヨシネンにミラは不可解そうな表情を浮かべた。
「どうして、そんなことを知っているの?」
おっと、と小さく呻き、ヨシネンはごまかすような笑みを浮かべてミラの頭を撫でた。
「ミラ殿。あなたは北側を迂回して村に向かってくれ。私はここで敵部隊を食い止める」
ミラがはっとした様子で息を飲んだ。どうやらようやく敵部隊の気配を感知したらしい。ミラは小さな声で言った。
「戦うならふたりがいい。足手まといにはならない」
そうではない、とヨシネンは首を横に振る。
「あなたを侮っているわけではない。『屠龍』は、勝てぬ相手ではないが、手強い相手だ。戦えば時間を取られる。そうなれば猫人を夜明けまでに救うことはできん」
でも、とミラは納得のいかない様子だ。ヨシネンが自分を戦わせないために噓を吐いていると思っているのだろう。ヨシネンは諭すように告げる。
「目的を見失ってはいかん。ミラ殿は猫人を助けに行く。私は敵を食い止めてその時間を稼ぐ。これは役割分担なのだ。猫人たちを救うために最も確率の高い方法を選ぶのだ。それとも――」
ヨシネンはからかうようにミラの目をのぞき込んで笑った。
「――やはり、ひとりでは恐ろしいか?」
ミラはむっとした様子でヨシネンをにらむ。
「そんなわけない」
「うむ。それでこそミラ殿だ」
ヨシネンは大きくうなずく。言いくるめられたような、釈然としない思いを振り払うように首を振り、ミラは表情を改めた。
「行け。振り返ってはならん。猫人を救うのはあなたしかおらぬゆえに」
うなずきを返し、ミラは身を翻してひとり駆け出す。どこか安堵した様子でヨシネンは息を吐いた。
……
また別れたーーーっ!!
二手に別れたーーーーっ!!!
くっそう、もう五分割も六分割も同じじゃい! いくぞ【視点分割】! あぁもう、泥酔して景色が二重にも三重にも見える状態によく似たこの酩酊感よ! 待ってミラ! おっちゃんもついていくから!
おお、ミラを追う自分の後姿を見送るこのシュールな絵面よ。もうね、自分が何者なのか見失いそう。いやいや、ここにいる俺はヨシネンを見守らねば。見守るしかできないけど。
ミラが視界から消え、ヨシネンは背に負う大太刀に手を掛けてつぶやく。
「……よもや、このような形で古巣と相見えようとはな。二度と龍の力を使うまいと思っていたが」
留め具を外し、体の前で水平に掲げた大太刀の鞘を払い、ヨシネンの瞳が漆黒に燃える。
「死なせはせぬよ、誰もな。ゆえに――」
ヨシネンは大太刀を上段に振りかぶった。その刃が闇色の炎をまとう。
「――そちらにはここでご退場願おう」
鋭く大気を引き裂き、大太刀が振り下ろされる。刃に宿った黒炎が龍の形をとり、夜の森を蹂躙する。
『アクティブスキル(VR)【黒龍焔刃哮】
闇色の闘気を龍と化せば、その咆哮は万象の一切を焦滅せしむる』
視界を遮っていた木々が瞬時に炭化し、心細げな星明りが森の中に不意に現れた空隙を照らす。放たれた闇色の龍は次々に森を飲み込み――突然にその首を切り裂かれて消えた。同時に森に潜んでいた者たちが姿を現す。【隠形】を解除されたその者たちは一斉に戦闘態勢を取り、そしてその先頭で、おそらく龍を切り払ったであろう女が、ヨシネンの姿を見て驚愕の表情を浮かべた。
「ヨシネン、副隊長――!」
ヨシネンは苦い顔で女に答える。
「……久しいな、リーン」
リーンと呼ばれた女は驚きの表情から徐々に憎しみの顔に変わり、抑えてなお溢れる感情を込めてヨシネンをにらんだ。
「なぜ、あなたがここにいる! 我らを裏切ったあなたが!」
左右に展開しようとする部下を、リーンはヨシネンをにらんだまま制止する。
「下がっていろ。お前たちに勝てる相手ではない」
部下は一瞬不服そうな顔になり、しかし文句を言うこともなく後ろに下がった。年齢は二十を少し過ぎたあたりだろうが、年上の部下を御しているところが彼女の実力を物語っている。手に持つ三日月刀の切っ先を突きつけ、リーンはヨシネンをなじった。
「あなたがたが姿を消してから、我ら『緑雨』がどれほどの辛酸を舐めたか知っているか! 裏切者の部隊と白い目を向けられ、捨て石のように危険な任務を当てがわれ、それでも戦い続けた我らの気持ちが分かっているのか!」
リーンの三日月刀に紅い炎の龍が這う。怒りのままに刀を振るうと、炎龍はその顎を大きく開いてヨシネンに襲い掛かった。ヨシネンは無駄のない動きで炎龍を一刀に切り捨てる。リーンの部下たちがわずかに動揺を見せた。リーンの炎龍の威力を知っているのだろう。
いや、急に過去の人間関係出されても置いてけぼりなんですけど。『緑雨』って何? ってかヨシネンって元屠龍なの? しかも副隊長? もしかしてナカノロフが隊長? 『屠龍』の、えーっと、隊員? 団員? って、確か一人で龍を屠る実力があるって話じゃなかったっけ? その隊長格だったら、実はナカヨシ兄弟ってめっちゃ強いの? そんな片鱗見せたことなくない? クリフォトのエージェントに囲まれて死にかけてなかったっけ? 対集団と対個人で違うかもしれないけど、強さの提示の仕方が場面で都合よくブレブレやろうがぁーーーっ!!
ヨシネンは無言でリーンを見つめる。言い訳さえないその態度に苛立ち、ギリリと奥歯を噛んで、リーンはヨシネンに向かって強く地面を蹴った。
「己の、途方もない罪を悔いて――」
紅い炎をまとった三日月刀がヨシネンに迫る。大太刀で斬撃を受け、黒炎と紅炎が互いを食らいあった。
「――死ね!」
夜の森に鋭い剣戟の音が響き渡る。
力を込めて三日月刀を押し込むリーンはヨシネンへの憎悪を隠そうともせず、その激情をぶつける。ヨシネンはどこか懐かしそうな表情を浮かべた。
「『炎剣』は健在か。激情こそがお前の力の源であったな」
「黙れ! 知ったふうな口をきくな!!」
単純な力比べではヨシネンに分があるのだろう、リーンはいったん後方に下がった。三日月刀に宿る炎が再び龍の姿を形作る。三日月刀を逆手に持ち替え、リーンはその刃を地面に突き刺した。
『アクティブスキル(レア)【紅龍焦天殺】
地獄の底から立ち上る憤怒の炎が
あらゆる存在を焼き尽くし天を焦がす』
ヨシネンの足元から熱風が巻き起こり、地面に顎を大きく開いた炎の龍が現れる。回避の暇もなくヨシネンは龍に飲み込まれた。リーンが得意げな笑みを浮かべる。しかし次の瞬間、炎龍は内側から大きく膨らみ、弾けるように消し飛んだ。リーンが大きく目を見開く。姿を現したヨシネンは黒炎で全身を覆われていた。
『パッシブスキル(レア)【魔黒龍炎鎧】
魔界の邪龍の吐息を鎧と化し、あらゆる炎熱を無効化する』
役割を終えた黒炎の鎧が風に散る。平静な様子のヨシネンをリーンは再び強い憎悪でにらみつけた。
な、なんか派手はスキルが飛び交っとる!? こんな異能力バトル展開、ちょっと似合わないんですけど!? トラックのときは【手加減】がいたからさ、あんまりこう、命のやり取り感がなかったっていうか、いうても安心して見てられたんだけど、これって、一歩間違えば死ぬ奴だよね!? そういうの、ちょっと、お断りしてるんですけど!
「強くなったな」
ヨシネンは感慨深げに呼びかける。リーンは不快この上ないというように吐き捨てた。
「いまだに保護者面など虫唾が走る。いつまでも子供と思っているなら、その傲慢を後悔させてやるぞ!」
リーンの三日月刀から炎が噴き出し、それは刃を離れ紅く輝く衣となってリーンの身体を包む。
『アクティブスキル(レア)【紅炎闘衣】
紅龍の炎を衣に変えて纏うことで身体能力を飛躍的に高める』
ヨシネンもまた、己の身体から滲み出るような黒炎を纏った。
『アクティブスキル(レア)【黒炎闘衣】
黒龍の炎を衣に変えて纏うことで身体能力を飛躍的に高める』
スキルの説明が紅と黒以外全部同じだな。これはあれだな、スキルの説明文を作る担当が手を抜いたな。色違いって便利だよね、同じ種類のスキルを量産できるから。……お、スキルウィンドウがちょっと怒っている。
リーンは再びヨシネンとの距離を詰め、力任せに斬りかかる。おお、早すぎて目が追い付かん。対するヨシネンも常人には見えないスピードで斬撃を捌いている。キンキンキンという甲高い金属音が響いた。こ、これが世に名高い『キンキンキン』か。実物を目の当たりにできて感無量だ。
「なぜ、『屠龍』を裏切った」
突き出された三日月刀がヨシネンの頬をかすめる。刃にまとう炎がわずかに肌を焼いた。
「なぜ、隊の皆を置いて姿を消した!」
大太刀の横薙ぎを身を引いてかわし、リーンは鋭い突きを見舞った。炎が刃から放たれてヨシネンを襲う。ヨシネンは大太刀の腹で炎を受け、黒炎が紅炎を食む。
「答えろ!」
リーンは一気にヨシネンの懐に飛び込み、逆袈裟に斬撃を放つ。ヨシネンはさがってそれをかわした。勢いに乗ってリーンは三日月刀を振るい、ヨシネンは避けるのに手いっぱいという様子で後ろにさがり続ける――いや、おそらくヨシネンにリーンを斬る意志がない。リーンを斬れないのだ。
リーンの三日月刀が風を焼き切りヨシネンに迫る。紙一重で避け、あるいは大太刀で弾いて、ヨシネンは攻撃をしのいでいる。リーンの顔が苛立たしげにゆがむ。
「なぜ!」
リーンが三日月刀を上段に振りかぶり、感情を叩きつけるように振り下ろした。その表情に激しい憎悪、だけではない複雑な色が混じる。怒り、悲しみ、憤り、不正義を告発する気持ち、そして――
――キィン
ヨシネンの大太刀が振り下ろされた三日月刀を迎え撃ち、三日月刀は澄んだ音を立てて折れた。刃がくるくると回転しながら吹き飛び、地面に突き刺さる。リーンを包む紅い炎とヨシネンが纏う黒い炎が同時に消えた。スキルの効果が切れたのだ。
「……なぜ、私を捨てたの? お父さん――」
リーンの目から涙がこぼれる。ヨシネンは大太刀の切っ先を下げ、左腕でリーンを掻き抱いた。
「すまん、リーン――!」
リーンは幼い子供のようにぼろぼろと泣く。「今さら、どうして、今さら!」と、意味を成しているのかわからない言葉を繰り返す。ヨシネンは抱く腕に力を込めた。
「私は、ずっと」
――どすっ
「俺たちにゃ」
不意に何かを穿つ音がして、リーンの身体が揺れる。細剣の刃がリーンを背から貫き、ヨシネンの腹を抉った。
「そういうお涙頂戴はいらんでしょう」
リーンの背後にいつの間にか、ひどく冷淡な瞳をした若い男がいた。細剣を引き抜き軽く振るとその刃についた血が散る。リーンが地面に崩れ落ち、ヨシネンの口から血があふれる。片膝をついて若い男をにらみ上げるヨシネンに、くだらないと言わんばかりの顔で若い男は言った。
「俺たちは『屠龍』だ。そうでしょ、副隊長」
レギュラーメンバーになると出番も増えるが背負うものも増える。




