茶番
北東街区は北部街区とも南東街区とも接する、ケテルの中でも独特の雰囲気を持った区画だ。北部街区が成功者の、南東街区が敗北者の居場所なら、北東街区はまさにその中間、これから成功者たらんとする商人たちがしのぎを削る場所。誰を相手に、何で勝負するか。ライバルを出し抜く方法はないか。誰も見向きもしないガラクタに価値を付けることはできないか。アイデア次第で一攫千金、でも明日には一文無しにもなる、夢と絶望が同居する場所なのだ。
そんな北東街区の一角の、とある商人の店舗兼自宅の中に、今、俺はいる。もっとも中にいるのはおよそ商人と呼びたくないような、いかにもガラの悪い数人のチンピラたちだ。その中にはシェスカさんから金を騙し取ったチャラ男もいる。チンピラたちは机の上に乗りきらないほどの金貨、銀貨をぶちまけて、ゲスな歓声を上げていた。
「こんなにうまくいくなんてな。世の中、ホントバカばっかりだぜ」
「まったくだ。どいつもこいつも、間抜けヅラ下げて『よろしくお願いします』だってよ! 笑かしてくれるわー」
チャラ男が机の上の金貨の山に手を突っ込み、空中に放り投げた。金貨が机に降り注ぎ、澄んだ音を立てる。チンピラどもがはしゃぎたて、耳障りな笑い声が広がった。こんな奴らのクソみたいな会話なんて、ずっと聞いていたいもんじゃないな。たぶん、そろそろだと思うんだけど……
「いい『商売』教えてもらったぜ。なんつったっけな、あの怪しいおっさん。確か、ヘ――」
――ズガァァァァンッッッ!!!!!
チンピラの会話をさえぎり、すさまじい轟音が響く。建物が大きく揺れ、もうもうと砂埃が室内を覆った。ようやく来たか。何が起こった理解できず、ポカンと口を開けているチンピラどもの視線の先には、壁に大きな穴を開けて顔をのぞかせるトラックの姿かあった。
「こらー、お前、なんてことするんだー」
「一般のお宅に突っ込むなんて許されんぞー。おとなしくしろー」
トラックの背後からは、とてつもなく棒読み感満載の声が聞こえてくる。声の主はイヌカと、そしてケテル衛士隊の皆さんだ。トラックは声に逆らうように強めのクラクションを鳴らすと、アクセルを踏み込んで一気に室内に突入した。
「て、てめぇ、いったい何だってんだぐへぇっ!」
ようやく事態が飲み込めたのかトラックに向かって怒鳴ったチンピラAが、トラックの体当たりを受けて吹き飛ぶ。壁に激突して気絶したチンピラAの頭を、手加減の文字がぺちぺちと叩いた。チンピラたちの顔が引きつる。トラックは室内をデタラメに走り、机を、椅子を、棚を金庫をなぎ倒し、踏み潰していく。棚に入っていた書類が宙を舞い、机の上にあった金貨銀貨が床にまき散らされる。チンピラたちが哀れな悲鳴を上げて床に這いつくばり、両手でそれらをかき集めた。
「おのれー。なんてひどいことをー」
「これは我々も中に入って奴を取り押さえるしかー」
衛士隊の面々が言い訳のようにそう言いながら、トラックの開けた穴から室内に入ってくる。イヌカを筆頭に、ギルドメンバーらしき何人かも室内に押し入った。
「お、おい! てめえら、何勝手に入って――」
チャラ男が顔を上げ、衛士隊に抗議の声を上げる。衛士隊の隊長らしき男がトボけた顔でチャラ男に答えた。
「いやいやまったく申し訳ない。すぐにこの不法侵入者を取り押さえますので、どうかご協力のほどを」
隊長の言葉とは裏腹に、衛士たちやギルドメンバーの面々はトラックに目もくれず床に散乱した書類を拾い、中身に目を通す。
「おい何やってる! オレたちは商人ギルドの組合員だぞ!? 勝手にこんな、許されると思ってるのか!」
チャラ男が慌てた様子で叫ぶ。ここにきて、ようやくこちらの意図を理解したのだろう。チンピラたちが書類を奪い返そうと衛士たちに掴みかかった、その瞬間。
「あったぞ!」
イヌカが一枚の書類を手に鋭く叫んだ。その書類には、詐欺被害に遭った人たちの名前と住所、資産状況、そして騙し取った金額が事細かく記載されていた。衛士の一人がイヌカに駆け寄り、肩越しに書類を覗き込んで、これ以上ないほどの棒読みで言った。
「お、おれはケテルで起きている連続詐欺事件も担当しているんだが、この書類に書かれている内容は詐欺事件の内容とぴったり一致しているぞー。これはいったいどういうことだー」
「な、なんだってー」
イヌカは衛士の言葉にわざとらしく驚きの声を上げると、チャラ男に顔を向け、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「暴走トラックを追いかけていたら、とんでもないものを見つけてしまった。どうしよう?」
ケテルには治安組織として、衛士隊と呼ばれる組織がある。要するに警察なのだが、有事の際にはケテルを守る戦力となるよう訓練されており、イメージ的には警察と軍隊を足して二で割ったような性格をしている。
もっとも、地道に捜査をして真相を突き止める能力と敵と戦って勝つ能力はまったく別物なので、実際には組織の中で捜査担当と戦闘担当は分けられているようだ。今回の詐欺事件の捜査は衛士隊の捜査チームと冒険者ギルドの調査部との合同作戦だったらしいのだが、捜査手法としてはもちろんアウトで、形式的には「町中を暴走していたトラックを追跡していたら偶然とある商人の家に突っ込み、トラックを捕まえるために止む無く商人の家に踏み込んだら偶然に詐欺の証拠を見つけてしまった」という体裁にしなければならない。つまり、実際の経緯はどうあれ、トラックは暴走や不法侵入や器物損壊で捕まらなければならない。
そんなわけで、トラックは今、ケテル衛士隊詰所の留置場にいた。
「あらら、とっても暇そうだねぇ」
妙に間延びした、緊張感のない声が留置場に響く。声の主は三十代後半くらいの、人の好さそうなおっさんだ。確か詐欺師の潜伏先に乗り込んだ時にいたな。衛士隊の隊長だった気がする。
トラックが入れられた部屋の中には薄っぺらい毛布くらいしかなく、何もすることが無い。本来は取り調べなんかを受けるはずなのだろうが、今回のことは衛士隊もグルなので取り調べられることもない。何もしない時間をトラックが苦痛に感じるかどうかは分からないが、特に暴れることもなく、トラックは大人しく動かないままでいる。おっさんはトラックに見せるように鍵の束を掲げた。
「悪かったね。釈放だ。もう出ていいよ」
おっさんは鍵束をひょいっとトラックに向けて放り投げた。鍵束は器用に鉄格子の隙間を抜け、ちょうどトラックの目の前に落ちる。トラックがプァンとおっさんに向かってクラクションを鳴らした。
「ああ、もう心配いらないよ。あの連中には洗いざらい吐いてもらったから」
イヌカが証拠となる書類を見つけた直後、衛士隊は鮮やかな手並みであっという間にチンピラどもを拘束した。捕まえた奴らは詐欺グループの一部に過ぎず、奪われた金も回収できたのは二割程度だったらしいが、衛士隊はそれも織り込み済みだったようだ。取り調べは迅速に行われ、すでに他の詐欺仲間の情報や奪った金の隠し場所なんかを衛士隊は把握しているそうだ。仕事が早いな。捕まえてから半日くらいしか経ってないのに。トラックが再びプァンと鳴らす。おっさんは一瞬、うーんと考えるような仕草をすると、含みのある笑いを浮かべた。
「まあ、詐欺なんて割に合わないってことがよく分かったんじゃないかな。骨の髄まで、ね」
あんな連中どうなろうと僕の知ったことじゃないし、おっさんはしれっとそう呟いた。鳶色の目の奥に物騒な光が見える。おお、なんか黒い。なんか怖い。見た目は人の好さそうなおっさんだけど、実は切れ者だったりするのだろうか。目的のためには手段を選ばない的な。
おっさんはもう詐欺グループの他の拠点に衛士隊を向かわせていて、明日には事件は解決すると断言した。ウチの部下は優秀だからね、と誇らしげに言ったおっさんは、ふと真顔になって呟いた。
「真っ当に生きる人が泣かされて、他人を足蹴にして恥じない輩が笑ってる世の中は、どうにも気に入らなくてね」
おっさんは真剣な表情でトラックを見据える。
「この事件、実は一つ気になることがある。チンピラどもの取り調べである名前が出てきてね。君も聞き覚えがあるだろう? ヘルワーズって名前を」
ヘルワーズ、って、前の獣人密売未遂事件のときに出てきた奴か。ロジンの元上司の。そう言えば護送中に逃げたんだっけ。なに、性懲りもなくまた悪いことしてんの?
「どうもこの詐欺事件の構図を描いたのはヘルワーズらしくてね。捕まえた連中は手口をヘルワーズから教えられた実行犯に過ぎない。だが、ヘルワーズ自身は詐欺に関与した形跡がない。手口を教えた時にいくらか金を取ったらしいが、そんなものは詐欺で騙し取った金に比べれば微々たるものだ。ヘルワーズという男の目的が分からない」
詐欺の手口を教えただけでは罪に問えない。「空想を話しただけ」「本当にやるとは思わなかった」と言われたらそれ以上追及しようがないのだ。だが、今回の事件の起点がヘルワーズであることは疑いようがない。ヘルワーズを逮捕できないということに、おっさんは納得できない思いを抱えているようだ。
「君には何か心当たりがないか? あの事件で君はあの男と多少なり関りを持ったはずだ。少なくとも僕より君の方が、ヘルワーズという男のことを知っている」
おっさんは期待を込めた眼差しをトラックに向けた。トラックはプォンとクラクションを返す。おっさんは「そうか」とため息を吐き、少しだけ肩を落とした。
トラックは念動力で鍵束を持ち上げ、器用に留置場の扉を開けた。がちゃりと意外に大きな音が響き、軋みながら扉が開く。扉をくぐるトラックに向かっておっさんが、気分を切り替えるように声を掛けた。
「しかしまぁ、君も大したお人好しだよねぇ。起訴されないとはいえ書類上はばっちり残るわけだから、はっきり言って損だよ、君の今回の役回り」
おっさんはあきれているのか感心しているのか、いまいち判別しづらい顔をしている。トラックは素っ気なくクラクションを返した。トラックの返事におっさんは楽しそうに笑った。
「いやぁ、実力があるお人好しって、僕、とっても好きだな」
うわー、利用する気満々なお顔だこと。トラックは何も言わずおっさんの横を通り過ぎる。外へ向かうトラックの背に、おっさんは朗らかに言った。
「僕の名前はイャートだ。また何かあったら、ぜひよろしく頼むよ」
イャートと名乗ったおっさんはにこやかに手を振っている。トラックはイャートに何のリアクションも返さずに、留置場を後にした。
セシリアはバイトの最中、ふと何かに気付いたように顔を上げました。「私、もしかしておっさんに出番を奪われてる……?」




