誓い
トラックはセシリアと剣士を乗せ、【フライハイ】でケテルの外壁を越える。ルルの面倒についてはセシリアが出発の前にイーリィに頼んでいた。本来なら猫人の村長の娘であるルルは賓客扱いでもおかしくないのだが、猫人の救援には向かわないと決めた評議会はルルの扱いを何も決めてはいない。いわば無視した形で、そうすると評議会も商人ギルドもルルに関しては何もしてくれないだろう。冒険者ギルドも公式に対応するのは難しく、結果、セシリアの私的な頼みとしてイーリィにお願いするしかなかったのだ。
時刻は夕暮れ時を迎え、太陽が逃げるように山の端に姿を隠そうとしている。空は大半が雲に覆われ、夏だというのにどこか寒々しい雰囲気が漂う。かといって気温が低いわけでもなく、湿度を伴った温度が肌に絡んで不快さを演出していた。すっきりしない、不吉な予感だけが肥大していくような、嫌な空気だ。
トラックはふわりと地面に降り立ち、プァンとクラクションを鳴らす。セシリアと剣士がトラックを降り、周囲を見渡した。
「急ぎましょう。ルルが言っていた監禁場所まではまだ少し遠い」
セシリアが闇に包まれゆく森を見据える。猫人の集落はケテルの北西、ドワーフたちが住む山岳の麓に広がる森に点在しているのだ。『屠龍』はそれらの集落を掃き清めるように南西から襲い、猫人を捕縛して一か所に集めているらしい。トラックに乗ったまま空から急襲して人質を救う、という方法も考えられなくはなかったのだが、敵の規模も監禁場所の構造もわからない状態でそれをするにはリスクが高すぎる、ということで却下され、離れた場所に降り立って情報収集をしつつ近付く隠密作戦になった。こういうときにイヌカがいると心強いんだけど、今回は奴を頼れないんだよね。なんせトラックたちは評議会の意向もギルドの立場もぶっちぎってここにいるからね。猫人を無事に助け出したとしても処分は免れない。そんなのに巻き込むのは忍びないってことで声を掛けなかったのだ。後で怒られる気がするけど。
「待て。どう動くかはよく考えたほうがいい」
歩き出そうとするセシリアを剣士が制する。セシリアが形の良い眉をひそめた。
「しかし、急がねば事態は悪化するばかりです」
「セシリア姉ちゃんの言うとおりだぜ。早く助けてやらなきゃ!」
気が急くのだろう、ルーグは語気を強めて剣士に詰め寄った。剣士は首を横に振り重ねて自制を促す。
「敵の数も配置も分かっていない。監禁されている猫人の数も不明だし、そもそも監禁場所が一ヶ所かどうかも分からない。ルルの話だけで闇雲に突っ込んでいって猫人を助けたとして、別の場所にいる猫人が処刑されたんじゃ意味がないだろう」
うっ、とセシリアとルーグが言葉に詰まった。代わりにミラが助け船を出す。
「精霊に聞けばある程度のことはわかるよ。森の木々は私たちに味方してくれる」
なぜか自慢げに胸を張り、ナカヨシ兄弟が大きくうなずいた。
「うむ。ミラ殿がそう言うなら心強い」
「剣士殿の言うことも理解できるが、今はとにかく時が惜しい。動きながら探りながらでやるしかあるまい」
ルーグが意を強くしたように身を乗り出す。
「そうだぜ! おれたちが行かなきゃ猫人たちは死んじまうんだろ!」
「そんなの、絶対にダメ」
「我ら兄弟、猫人には負い目もある」
「おうよ。此度はそれを償う機会と心得ておる」
四人は剣士を囲むように詰め寄った。剣士は気圧されたように一歩引いて――
……
なんでお前らがここにおるんじゃぁーーーっ!! 当然のように話に入り込むから思わず普通に受け入れちまいそうになったわ! トラックがプァンとクラクションを鳴らす。きょとんとした表情でルーグが言った。
「いや、普通にアニキに乗って」
……トラック、お前荷台に誰か乗ってたら気付けよ! 言ってみればお前の腹の中に入ってきたようなもんだろうが! あれ、でもよく考えたら、自分の腹の中に誰か入ってきたら俺はそれに気付くことができるんだろうか? いや、気付くよな? ……気付くかな? 気付けるといいな? んん? そんなんでいいんだっけ?
「戻れ! 遊びじゃないんだ!」
剣士がルーグとミラに向けて鋭く怒鳴る。もっとも声を抑えているのであまり迫力はない。案の定、ルーグはひるむことなく反論する。
「遊びで来たつもりはねぇよ! おれだって冒険者だ! 助けを求められてほっとけるか!」
「お前が助けを求められたわけじゃないだろうが!」
剣士とルーグが顔を突き合わせてにらみ合う。ミラが冷静に反論する。
「猫人はトラック個人に助けを求めたわけでもない。特級厨師という冒険者ギルド最高位の立場にいる者に助けを求めたなら、それは冒険者に助けを求めたと解するべき」
そうだそうだ、とあまりよく分かっていない様子でルーグが同調した。剣士は「いや、しかし」と言って言葉に詰まる。なんか論点がずれてる気がするな。
「危険です。子供が関わるべき事案ではない」
そうそう、話の本来の趣旨はそういうことだよね。命の危険があるところに子供を連れていけないよねって話。もっともそれを言ったらセシリアさんも帰らないといけない気がするけど。セシリアの拒絶に対し、ミラはわずかに勝ち誇ったような表情を浮かべた。
「私はあなたより年上」
そうでした。ミラさんは俺より年上でした。八十二歳でした。セシリアは困惑気味に「そういうことではく」とつぶやく。ミラは表情を改めて言った。
「私、役に立つよ」
眼差しに宿る意志に飲まれセシリアは口を閉ざす。しかしその顔には強い葛藤が滲んだ。ミラを危険に晒したくない。しかしミラの力は間違いなく役に立つだろう。始原の光を宿すミラの力は。ナカヨシ兄弟は腕を組んでやり取りを見守っていたが、おもむろに口をはさんだ。
「たった三人ですべてを救えるか?」
「うむ。我らの目的は勝つことにあらず」
剣士とセシリアが厳しい表情でナカヨシ兄弟を見る。ナカヨシ兄弟は泰然と二人を見返した。
「貴殿らなら悪鬼のごとき傭兵どもとてねじ伏せることができよう。だがそれは貴殿らの望みを叶える方法か?」
「いくら無敵を誇ろうとも個人にできるのはせいぜい視界に入る者を守ることくらいよ。だがあなた方は、守ることのできる者だけを守りたいわけではあるまい?」
諭すようにナカヨシ兄弟は語り掛ける。おお、なんか年長者の貫禄? 初めてナカヨシ兄弟が大人に見えたよ。
「ルーグ殿もミラ殿も、相応の覚悟を持ってここにおるのだ。冒険者として、守る者として、理不尽を穿つ牙としてな」
「罪なき者が踏みにじられる世の不条理を斬り伏せんがため、ここに集いし我らは七振りの剣よ。年齢など関係ない。ただその意志によって我らは平等なのだ。過ぎた配慮は侮りであろうぞ」
ナカヨシ兄弟が見せた思いがけない大人力に剣士とセシリアは反論の言葉を見つけ出せずにいるようだ。ミラが真剣な、意志と願いを宿した眼差しをセシリアに向ける。
「お願い、信じて」
「おれたち、なんにもしないで待ってるなんてできないんだ」
ルーグもまた決意を顔に示し、剣士に向かって深く頭を下げる。剣士は渋い表情で口を引き結んだ。
――プァン
静かな、しかし覚悟を問うようなクラクションがミラとルーグの二人に向かって放たれる。ルーグがごくりと唾を飲み、そしてはっきりとうなずいた。ミラはトラックをまっすぐに見据える。
「死なないよ。約束する」
トラックが短くクラクションを返し、ミラとルーグはほっと表情を緩めた。セシリアと剣士は複雑な表情でトラックを見たが、あえて異議を唱えることはしないようだ。ナカヨシ兄弟が破顔し、組んでいた腕をほどいた。
「安心めされよ。お二人は我らが必ずお守りいたす」
「おう。我ら兄弟、命を賭して――」
――プァン!
咎めるようにトラックのクラクションがヨシネンの言葉を遮った。ヨシネンはバツの悪そうな表情になり、ナカノロフが「これは失敬」と言ってピシャリと自分の禿頭を叩いた。
「では」
セシリアが場をまとめるように声を上げる。
「誰も死なず、誰も死なせず。私たちはここに誓う」
その言葉の神聖な響きに皆の表情が改まる。互いにうなずきあい、そして皆は闇に包まれた森を見据えた。ミラの身体が淡く光を帯び、森からこちらに向かって風が吹いた。ミラが森の一角を指さす。
「こっちに、いる」
森の木々に猫人の居場所を聞いたのだろうか、ミラは迷いなく自らが指した方向に向かって歩き始めた。トラックがミラの前に進み出て先導し、セシリアと剣士が左右からミラを挟む。ミラの後ろにルーグが続き、最後尾をナカヨシ兄弟が固めて、トラックたちは敵の待ち構えているであろう暗闇に足を踏み入れた。
祝、ナカヨシ兄弟レギュラー化。




