幕間~失格~
議場から関係者を見送り、ルゼは固く目をつむっている。傍らのコメルが冷静な声音で声を掛けた。
「おとなしくしていると思いますか? あの男が」
「しないだろうな」
ルゼは大きく息を吐いた。
「他者の痛苦を座視するという態度とは最も遠い位置にいる男だ。我らが何と言おうが止まることはあるまい」
ルゼは目を開ける。その瞳に悔しさが滲んだ。
「そして、それこそが我らの希望でもある」
コメルが満足そうにうなずく。ルゼの現状認識が正しいことを理解したのだろう。ルゼは苦いものを含んだ声で言葉を続ける。
「会議ではああ言ったが、猫人が滅べばケテルが他種族の信用を取り戻すことは二度とできまい。クリフォトに対抗するために手を握ることはあっても、それは信用とは別のものだ。その程度の関係性は状況が厳しくなった時にあっけなく崩壊する」
だからといって、ケテル内部の不安を無視して他種族の救援に向かえば、こんどはケテルが内側から崩壊する。自分たちは助かろうと内部情報を持ってクリフォトに投降しようとする者や、クーデターで現評議会を打倒し、権力を掌握して後、クリフォトに降伏しようとする者も現れるだろう。まずは己、そして己の家族や友人が大切なのは誰も同じ。それらが満たされて初めて人は理想や未来のために戦うことができる。
ケテルは今、内部の動揺を抑えるため、猫人の救援に向かうことはできない。しかしケテルの未来のためには猫人を救わねばならない。ケテルが生き残るためには、猫人を救ってはならないし、救わねばならない。
「……ゆえに、あの男が必要なのだ」
トラックは猫人を救いに向かうだろう。特級厨師というケテルでも重い立場にあるあの男が向かった、ということ自体に意味がある。それだけの立場にある者を向かわせたという言い訳が立つ。たとえ結果的に猫人を救えなくても。
「生贄の羊、ですか?」
「それを望んでいるわけではない!」
ルゼは声を荒らげる。コメルは口を閉ざす。コメルがルゼの内心を理解していないはずはあるまい。コメルはルゼに心の内を吐露させるために話をしているのだろう。
「トラックが猫人を救えば、あの男を核としてケテルと他種族はつながりを保てる。それだけがケテルの、そして他種族を含めた我らの未来への希望だ」
よしんばトラックが敗れ、猫人が滅んだとしても、トラックは悲劇の英雄となり、その名の許に他種族を糾合する。ルゼの構想にはその未来も含まれているはずだ。ルゼは理想家であり冷徹な現実主義者でもある。その両立が当人の心を引き裂くとしても、ルゼは己の役割を放棄しない。コメルは労りの眼差しをルゼに向けた。コメルの今の役割はルゼを支え、その行き先を見守ることだ。
「……私は」
自虐の笑みを浮かべ、ルゼは独り言のようにつぶやく。
「権力者失格だな。個人の善意に頼らねば何一つ守ることもできない」
常になく気弱なルゼの言葉に、コメルは首を横に振った。
「あの男がむざむざ殺されるとは思えません。今は、彼を信じましょう」
己の罪を内に深く沈めるように、ルゼは大きく息を吸って再び固く目を閉じた。
議長はつらいよ(二回目)。




