必然
猫人からの救援要請を受け、ルゼ以下評議会議員とマスター、トラック、イャートにコメルなど関係者全員が緊急招集され、対応を協議することになった。ルルはトラックに猫人の窮状を訴えた後に気を失い、今はセシリアが付き添っている。
「事態は深刻と言わざるを得ない」
ルゼが重苦しい口調で言った。
「猫人の集落を『屠龍』が襲撃した。いくつかの集落はすでに壊滅したとのことだ。このままではケテル周辺の猫人は――全滅する」
全滅、という言葉に議場がざわめく。まさか、という思いと、『屠龍』ならやりかねない、という思いが交錯する。議員の一人が不可解そうに言った。
「なぜ『屠龍』は猫人を狙った? 猫人がクリフォトにとって特別な脅威とも思えんが」
腕を組み、難しい顔をしたイャートがぽつりとつぶやく。
「……嫌がらせ」
コメルが同意するようにうなずいた。
「ええ、そういう表現が適切でしょうね。敵の目的は『分断』です」
敵が猫人を狙ったこと自体には大きな意味はないだろうとコメルは言った。地理的な、襲撃が比較的容易な場所に猫人がいた、という程度の意味だろう。敵が狙ったのは猫人なのではなく『他種族』なのだ。エルフでもドワーフでも犬人でもよかった。重要なのは誰を襲うのかではなく、襲われた誰かをケテルがどうするのか、ということなのだ。
「猫人をケテルが助けるのかどうか、クリフォトはそれを他種族に見せようとしているのでしょう。もしケテルが猫人を見捨てれば他種族の心は一気に離れる」
「見捨てるって選択肢があるのか? ケテルは他種族の力を結集してクリフォトに対抗しなきゃならんはずだ。すぐにでも救援に向かわにゃ他種族の無用な疑心を招くことになる」
マスターが当然だという顔で皆を見渡す。しかし他のメンバーの反応は一様に鈍い。
「……だが、救援に戦力を割けばケテルの守りが薄くなる」
評議員の一人が苦しそうな声で答えた。マスターが身を乗り出して何か言おうとして、他の幾人かの評議員がうなずく様子を見て口を閉ざす。
「そもそも、ケテルがクリフォトとの共闘を呼び掛けたときに猫人は協力を確約しなかった。自分たちが危機に陥ったら助けてくれとは虫のよい話ではないか」
評議員たちの顔に強い不信が滲む。協力してくれると思っていたのに裏切られた、という思いが拭えないのだろう。マスターは感情を抑えるようにこぶしを握る。
「ここでケテルが猫人を見捨てれば、ケテルはもはや『種族融和』を掲げられなくなる。クリフォトに対抗する大義が失われてしまう。そうなれば諸族を結集してクリフォトと戦う今の構想が崩れるぞ。協力を申し出てくれているゴブリンたちまで考えを改めかねん」
マスターは評議員を厳しい表情で見据えた。気分を害したように評議員がマスターをにらみ返す。
「クリフォトの正規軍がいつ攻め寄せるかわからぬこの状況でケテルの防衛を手薄にするわけにはいかん! ケテルが滅べば大義も何もない!」
「諸族を結集しても総力戦になれば勝てん! ましてケテル単独でクリフォトに勝つことは不可能だ! 今の臆病さは未来の破滅だぞ!」
バン、と机を叩いてマスターが強く反論する。評議員は気色ばんで叫んだ。
「わ、私を臆病だと言うのか! この、冒険者風情がっ!!」
「やめよ!」
ルゼの鋭い叱責が飛び、両者は納得しないまま口を閉ざした。コメルが諭すように告げる。
「ここで私たちが対立すれば敵の思うつぼ。クリフォトが分断したいのはケテルと他種族だけではなく、ケテルの内部も、なのですから」
ケテルが猫人を見捨てれば他種族との関係に大きな亀裂が入るだろう。だが助けようとすればケテルの負うリスクも大きい。一度助ける姿勢を見せれば、猫人以外の種族からの救援要請も断ることができなくなる。そうするとケテルは他種族の救援でじりじりと戦力を削られ、クリフォトの正規軍との戦いに耐えられなくなるかもしれない。そう考える人間がケテルにいれば、猫人を見捨てよという意見も当然出てくる。他種族との関係を優先するか、ケテルの存続を考えてリスクを取らない選択をするのか、ケテルは二分される、というのが敵の構想のひとつ、ということなんだろう。内部に不和を抱えては勝てるものも勝てない。
「『屠龍』の動きが鈍いのは、そういうこと、かな?」
イャートがコメルに顔を向ける。コメルはうなずきを返した。
「我々を誘っている。同時に、猫人が現在進行形で襲撃されている、ということを他種族に周知している、というところでしょう」
すでに滅んだ、ということであれば間に合わなかったのだと言える。しかし敵はあえてゆっくりと進軍し、ケテルが助けに来る時間的余裕がある状態を作り出している。これでケテルが何もしなければそれは『助ける意思がない』とみなされるような、そういう状況を作っているのだ。こう言ってはなんだが、ルルが生きてケテルに辿り着いたのも運や偶然ではなく、ケテルに助けを求めさせるためだろう。
皆の視線がルゼに集まる。結局のところ、決断するのはルゼしかいない。ルゼは目を閉じ、大きく息を吐くと、目を開いてはっきりと告げた。
「……猫人の少女はケテルではなく特級厨師に助けを求めた。ならばケテルが猫人の救援に兵を割く必要はない」
マスターが小さく呻き、評議員たちがほっとしたようにうなずく。イャートは無言のままで、コメルは無表情を貫いている。トラックがプァンとクラクションを鳴らした。しかしルゼは答えない。
「我らが最優先に考えるべきはクリフォトとの初戦の勝利だ。勝てる見込みを示せば他種族は必ずケテルを求める。猫人が滅べば――他種族も危機感を持つだろう」
冷淡なルゼの言葉が議場に響く。つまりルゼは、他種族の信頼を失ってもケテルの内部を固めることを優先した、ということなのだろう。失った信頼はクリフォトとの初戦に勝つことで取り戻せる。だが負ければそこで終わりなのだ。
――プァン
トラックのクラクションが静かに広がる。評議員たちが気まずそうに視線をそらせた。マスターがわずかな期待を込めてルゼを見る。ルゼは仮面のような無表情で答えた。
「彼らには彼らの事情があり、守るべきものがある。ゆえに我らは共闘を拒む彼らを非難しなかった。我らには我らの事情があり、守るべきものがある。自己犠牲は美しいが、美しいだけだ。己の美学に酔ってケテルを滅ぼす愚は犯せん」
もはやルゼは決断を下した。何を言ってもそれを覆すことはできない。評議員たちは安堵の表情を浮かべた。マスターは固く目を閉じる。ケテルは今、猫人を見捨てたのだ。
「言っておくが」
ルゼは鋭い目でトラックを見据える。
「勝手な行動は許さぬぞ特級厨師。お前はこのケテルの要だ。自分の立場の重みを自覚せよ」
トラックはカチカチとハザードを焚き、プァンと気のないクラクションを返す。ルゼは不快そうにトラックをにらみ、しかし何も言うことはなかった。
「方針は決しました。クリフォトとの戦に向け、各々の役割を果たされますよう」
コメルは会議の終了を告げ、皆はそれぞれの思いを抱えて席を立つ。議場を出ていく皆の背を見送り、ルゼは深く長い息を吐いた。
施療院の一室でルルは昏々と眠っている。セシリアはベッドの傍らに座って彼女の手を握っていた。魔法でケガは治療しているが、ルルが目を覚ます気配はない。
――プァン
トラックが遠慮がちにクラクションを鳴らす。セシリアが抑えた声量で答える。
「……ひどく疲労しています。身体的にも、精神的にも」
セシリアの声にはルルに対する労りと、彼女を苛んだ者に対する深く静かな怒りがある。壁に背を預けて腕を組んでいた剣士がトラックに顔を向けた。
「議長の話は、面白いもんじゃあなかったみたいだな」
なんと答えていいものか、とトラックはハザードを焚く。セシリアはわずかに目を伏せた。
「ルゼさんには立場も責任もあります。その決断は必然でしょう」
予期していたように、動揺もなくセシリアはつぶやく。しかしその声には隠し切れない失望があった。ケテル創建の英雄の意志を未来につなぐ、そう言ったルゼならば、リスクを顧みずに理想を選ぶのではないか。そう期待していたのかもしれない。でもたぶん、ルゼがそういう決断をしたとしたら、その決断を支持してくれる者はこのケテルには少ないのだろう。だからこそセシリアは『必然』と言ったのだ。
「ルルの話では、敵は猫人を捕らえて、ある場所に監禁しているようです。おそらく他種族にケテルの無力を知らしめるために、期日を定めて処刑するつもりでしょう」
気持ちを切り替えるようにセシリアが話題を変えた。日付と場所を周知したうえで処刑を実行する、ということは、その日までに猫人を救出できるかもしれない、ということだ。その可能性を無視するかどうか、敵はその決断を迫っている。ケテルが座視すれば、すなわちケテルは猫人を、他種族を見捨てたということが証明されてしまう。そうなれば他種族は協調よりも自らの守りを固めて籠るようになるだろう。こうしてケテルと他種族は分断される、というわけだ。ルゼはクリフォトとの初戦に勝てば他種族の信頼は取り戻せると考えているようだが、その『信頼』は損得の結果であって、本来の意味でのそれではあるまい。その寒々しい『信頼』は果たしてクリフォトに抗する力をケテルにもたらすだろうか?
ルルが苦しげに呻き、身をよじった。もう一度強く手を握り、手を放してセシリアは立ち上がる。
「では、参りましょうか」
プァン? とトラックは疑問形のクラクションを鳴らした。剣士は咎めるような目でトラックを見る。
「とぼけるなよ。ひとりで行こうってんなら冗談じゃない」
トラックはちょっと気まずそうに不明瞭なクラクションを返した。セシリアが微笑みを向ける。
「私はかつて約束しました。猫人が困難の最中にある時、私たちは必ずその傍らにいると。その約束を果たさねばなりません。嘘つきになるのは、嫌でしょう?」
トラックは呆れたようなクラクションを鳴らした。そんな理由で命を懸けるなんて、とでも言ったのだろうか。剣士がふんっと鼻を晴らす。
「むざむざ死にに行くつもりはないぜ」
「ええ」
セシリアはどこか確信に似たものを顔に示した。
「勝てる、と思っています。私たちなら」
歴戦の、しかも残虐で鳴らした傭兵団にたった三人で立ち向かう。そんな荒唐無稽な話を真剣に語る二人に、トラックは真剣なクラクションを鳴らした。剣士がニッと口の端を上げる。
「お前に毒された結果だ。あきらめろ」
セシリアはふふっと笑うと、表情を引き締めた。
「猫人は百年前の英雄のひとり、マリットを生んだ種族です。彼らを救うことは単に一つの種族を救う以上の効果を他種族に与えるでしょう。私たちの未来をつなぐためにも、この戦いは必ず勝たねばなりません」
二人の決意の固さを察してトラックは観念したようにクラクションを鳴らす。セシリアと剣士は大きくうなずき、病室を出た。トラックは眠るルルの様子を見つめた後、二人を追って施療院を後にした。
議長はつらいよ。




