表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
216/290

要請

11年一緒に頑張ってくれた私の相棒PCが昨日永眠いたしました。

心からの感謝とともに、どうか安らかな眠りを。

お疲れさまでした。

 超次元要塞の中央指令室から戻り、トラックはギルドに帰った。コメルは三万匹のハムスターに提供するヒマワリの種を確保するのに苦労しているらしく、これからまた調達先の開拓に向かうのだそうだ。ハムスターたちの心意気はありがたいんだけども、いろいろ間違ってんじゃないかな。ヒマワリの種を確保する労力を別のところに振り分けたほうが最終的には得なんじゃないかな。


「マスター! トラックも一緒か」


 帰るなり声をかけてきたのは、どこか焦りの表情を浮かべたイヌカだった。嫌な予感を顔に表しマスターがイヌカを振り返る。


「どうした?」


 イヌカはマスターに駆け寄り、顔を寄せて声を潜める。


「……クリフォトに潜ってる調査員から連絡が来ました。奴らが動き出したらしいと」


 マスターの顔が青ざめ、声に隠せない焦燥が滲んだ。


「どこだ。アディシェスか? カイツールか!?」


 ルゼが言っていた、初戦はアディシェス、エーイーリー、カイツールのいずれかになるという言葉が残っているのだろう、敵となるべき相手の名をマスターは問うた。しかしイヌカは首を横に振る。


「アディシェス、エーイーリー、カイツールいずれも、まだ戦支度が整っていない。侵攻はまだ先になるはずです。おそらくその準備が整うまでの時間稼ぎに、奴らはケテルに傭兵を差し向けようとしてるらしい」

「傭兵?」


 マスターの顔に強い嫌悪が浮かぶ。一般に冒険者と傭兵は混同されがち――ならず者予備軍という意味で――だが、両者は互いに互いを激しく嫌っているらしい。冒険者からすれば傭兵は戦争に寄生して利益を貪り、一般人も区別なく奪って殺す下衆の極みであり、傭兵からすれば冒険者は金のためならドブさらいから殺し合いまで何でもする、矜持を持たない半端なクズ、ということになる。どっちもどっちだ、という気もするが、冒険者にとっては『殺すことが目的ではない』ということが大切で、傭兵にとっては『殺すために存在する』ことが重要なのだろう。自分たちを何のプロフェッショナルと定義しているか、それが両者に埋めることのできない溝を作っている。イヌカは苦々しい様子で言葉を続けた。


「『屠龍』が、こちらに向かっていると」

「なんだと!?」


 マスターが思わずといった風情で声を上げ、慌てて周囲を見渡して声を落とした。


「……よりによって『屠龍』か!」


 吐き捨てるようにそう言ってマスターはギリリと奥歯を噛む。トラックがプァンと疑問形のクラクションを鳴らした。露骨な嫌悪感を表してイヌカが答える。


「団員数百人を超える、クリフォト最強と呼ばれてる傭兵団だ。内乱でもあちこちで荒稼ぎしてたみてぇだが、一段落したら早速こっちに来るたぁご熱心なこったぜ」


 『屠龍』は末端の団員でも一人で龍を屠ることができる、という意味で付けられた名で、クリフォト建国以来の内乱でその名の通りの実力を戦場で示したのだそうだ。だが同時にその残虐性も余すところなく発揮し、敵味方を問わず恐怖と嫌悪の対象となった。『屠龍』を率いる団長は三十過ぎの男だということだが、楽しげな笑みを浮かべて命を刈り取るその姿から『狂鬼』の二つ名を持つという。


「『屠龍』は女子供も容赦なく殺す外道どもだ。奴らのケテルへの侵入を許せばここは地獄になるぞ。何としてもケテルの外で迎え撃たねばならん」


 マスターが厳しい表情でつぶやき、イヌカも張り詰めた面持ちでうなずく。いよいよ戦争の気配が現実のものとして、ひたひたとケテルに近づいている。命が簡単に失われる世界が間近に迫っている。殺さない、殺させない、その矜持によってトラックは今まで敵と対峙してきたが、本物の戦争の中でもトラックはそれを貫けるのだろうか? こちらを殺そうと向かってくる相手を守って、守るために殺そうとする人たちを制して、誰も人殺しにしない世界を実現できるだろうか? 何を考えているのか、トラックはカチカチとハザードを焚いた。


「た、大変です!」


 暗く沈む雰囲気を助長するような慌てふためいた声にマスターとイヌカは顔を上げた。息を切らせて走りこんできたのはギルドメンバーの一人、おそらくイヌカの同僚だろう。つまり調査部の誰か。ぜいぜいと息をしながら、呼吸を整える暇さえ厭うように調査部員は言った。


「正門に『屠龍』の旗を掲げた男が現れ、内部の侵入を許した模様!」

「なんだと!?」


 マスターとイヌカの顔から血の気が引く。『屠龍』の侵入は絶対阻止しなければケテルは地獄になる、と言ったばかりだというのに、すでに侵入を許してしまった。ちょ、ちょっと、それってマズくない? もしかして正門付近地獄絵図? そんなんやめて! ほら、トラックすぐ行ってどうにかしろっ!!


「動けるメンバーを正門に集めろ! これ以上の侵入は絶対に阻止する!」


 イヌカと調査部員にそう叫び、マスターは正門に向かって駆け出す。イヌカはギルド内にいるメンバーに呼びかけ、調査部員は外のメンバーに伝えに走った。トラックはマスターを追ってアクセルを踏み込み、ギルドの建物を飛び出した。




 正門前に到着し、マスターとトラックは茫然と立ち尽くしていた。呼びかけを受けたギルドメンバーは続々と集まってきており、正門前広場はピリピリとした緊張感に包まれている。トラックの前を、商人たちが不思議そうな不安そうな顔で冒険者たちに視線を向けつつ何事もなく通り過ぎて行った。ケテルの正門前は普段と何も変わらない――いや、一つ違いがあるとすれば、道の脇で厳めしい顔をして腕を組む一人の男の存在だろうか。男は旗、というか幟を掲げ、通り過ぎる人々に挑むような視線を向けている。幟は赤の地に金で染め抜かれた文字でこう書かれていた。


『元祖 ラーメン 屠龍』


 ラーメン屋じゃねぇかーーーーっ!! 屋台のラーメン屋じゃねぇかぁーーーーっ!! 食べる順番とか守らないとラーメン食う前に帰らされそうなちょっとめんどくさい感じのラーメン屋じゃねぇかぁぁぁーーーーっっ!!! トラックは店主にプァンとクラクションを鳴らす。店主の親父は不敵な笑みを浮かべてグッと親指を立てた。


「ウチのラーメンをひとくち食ったら、ドラゴンだってイチコロよ!」


 やかましいわっ! 無駄に白い歯を光らせてんじゃねぇよ! 確かにラーメン屋さんって名前に龍がついてることが多いような気がするけども! 集まってきたギルドメンバーたちもいったい何が起こっているのか理解が追い付かず互いに顔を見合わせている。セシリアと剣士がトラックに近付いて話しかけてきた。


「何事ですか? ギルドメンバーはすべての依頼の遂行を中断して正門前に集まれ、などただ事ではないと思いますが」


 剣士も緊張した様子で周囲を見渡すものの、普段とほとんど変わらない正門前の光景に戸惑いを隠せないようだ。まあそうだよね。ケテルにラーメン屋台が来ただけだもんね。ほぼ何事もないってことなんだけど、『ラーメン屋と傭兵団を間違えました』なんて言えるはずもないよなぁ。今まで積み重ねてきたギルドマスターとしての信頼とかそういうものがすべて瓦解しかねないもんねぇ。マスターがわずかに視線を落とし、トラックがプァンとクラクションを返し――


「大変です!」

「今度はなんだ!」


 やや八つ当たり気味のマスターにビビりながら、また調査部員が走ってくる。さっきの調査部員とは別の人みたいね。調査部員はマスターの前で膝をつき、固く震える声で言った。


「ご報告! 『屠龍』の旗を掲げた男がケテルに迫っている模様!」


 マスターをはじめとするギルドメンバーたちは一斉に門の外を見る。そこには今、まさに門を潜ろうとする一人の男の姿があった。彼は堂々と、赤地に金で染め抜かれた文字の旗を掲げて歩みを進め、ケテルへの侵入を果たした。


『本家 ラーメン 屠龍』


 ラーメン屋じゃねぇかーーーっ!! 先代から暖簾分けしてもらって独立した感じのラーメン屋じゃねぇかぁーーーーっ!!! そして先代が亡くなってから先代の店を継いだ兄弟子と仲が悪くなって店名に本家って書くようになったラーメン屋じゃねぇかぁぁぁーーーーーっっっ!!!!! 先に入っていた元祖ラーメン屋の店主が後から入ってきたほうの本家ラーメン屋の店主を見て表情を険しくした。


「久しぶりだな。まだ潰れていなかったか」

「そちらこそ、しぶとく生き残っていましたか」


 バチバチに視線を交わして、二人は互いを正面に捉える位置で対峙する。


「未だに魚介のみにこだわっているんですか」

「『屠龍』のスープは魚介のスープだ! 魚介豚骨などという邪道とは違う!」


 汚らわしいものを見る目で元祖は本家を睨む。本家はその視線をせせら笑った。


「あなたの言うその邪道が、お客様には大変好評なんですがね」

「そんなものは一過性の流行にすぎん! すぐに飽きられて終わりだ!」


 元祖は憤りを込めた怒声を浴びせる。本家はあきれたように肩をすくめた。


「あなたは先代から何を学んだんですか? 先代はずっと、それこそ死ぬ間際まで、ひたすらうまいラーメンを追求していらっしゃった。もっとうまいスープを、それに合う麺を、トッピングを、一切の妥協を許さずにね。それは変化を恐れないということだ。現状に満足しないということだ。ところがあなたはどうだ。先代の味に固執して、変わらないことに汲々としている。それが『屠龍』の味だって? 笑わせるな! 『屠龍』の味は、先代の志は、挑み続けるその先にしかない! 化石みたいなあんたのスープは、ただの過去の残骸でしかないんだよ!!」

「知った風な口を聞くな!!」


 元祖と本家は厳しく視線で火花を散らす。それぞれがそれぞれのやり方で先代の意志を継ごうとしていて、譲れない思いを抱えているのだろう、が、そういうのは今はどうでもええんじゃぁぁぁーーーーーっ!! 互いに最高の一杯を作って食べ比べ、相手が思う先代の理想を感じて涙し、やがて和解するとかいう展開が待っているかもしれないけどもどうでもぇえわぁーーーーっ!! この忙しいときに紛らわしい名前で出現しおって!! 第一、そういう言い争いはバックヤードでやれ! 客にそういう姿を見せるんじゃない! 純粋にラーメンを楽しめなくなるだろうが! 客への配慮が足らんって意味で、お前ら二人とも先代の足元にも及ばんからな! 先代に会ったことないけど!


「た、大変です!」

「またか!」


 若干うんざりした様子でマスターが報告に来た調査部員を睨んだ。えぇ、なんで!? という理不尽に抗議するような表情を一瞬だけ顔に示し、調査部員は口を開き――


「トラック!」


 聞き覚えのある声が調査部員の話を遮った。トラックはプァンとクラクションを鳴らす。この声は、もう一年近く前、トラックが最初に請け負ったギルドの依頼で会った、ひとりの少女の声だ。


「いや、特級厨師トラック殿! どうか我らを、猫人をお助けください!」


 ケテルの調査部員に肩を支えられてようやくケテルの正門をくぐったのは、全身傷だらけの猫人の少女ルル。服を血に染め、苦痛に顔をしかめながら叫んだ彼女の言葉は、ケテルの空気を急速に不穏の色に塗り替えてトラックたちを打った。

先代の味を守ることも、先代の味を超えようと工夫することも、どちらも素晴らしいことだと思うよ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ???「やれやれ、本当のラーメンを食べたことが無いようだ。明日またここに来てください、本当のラーメンを食べさせてあげますよ」
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ