切り札
――ヒュッ
鋭く空気を切り裂き剣士の【なんでもない剣】がイヌカに迫る。イヌカは半身を引いてかわし、カトラスを突き出した。剣士が剣を跳ね上げて突きを弾く。イヌカは後ろに下がって体勢を整えると、身を低くして一気に踏み込んだ。剣士の牽制の斬撃をかいくぐって懐に入り、イヌカは剣士の胴を薙ぐ。剣士の顔が己の失策に歪み、カトラスが鎧を断ち切――る直前でピタリと止まった。
「俺の勝ちだな」
イヌカが得意そうな笑みを浮かべる。剣士は大きく息を吐いた。戦いの構えを解き、ふたりは手拭いで汗を拭った。
「集中できてねぇな。いい歳してお悩み中か? 遅れてきた思春期ですか?」
「やかましい」
からかうようなイヌカを軽く睨み、剣士はまた息を吐く。彼の手にはなんの変哲もないただの長剣がある。使用者の意思によっていかようにも形を変えるという剣【白紙】。しかし未だその姿に変化はない。
剣士は迷っているのだろう。これからの自分の在り方を。悪魔の力を失い、しかしこれから力が必要な場面は増えるはずだ。だからといっていたずらに力だけを求めれば、悪魔の力に頼っていたころと何も変わらない。惰眠王が言っていたように、強い力は呪いと同じ。悪魔も魔剣も本質は変わらないのだとすれば、剣士の進むべき道は力とは別のものでなくてはならないはずだ。刃に自らの顔を映し、剣士は口を引き結んだ。
内乱の収束を告げる報せから一週間が経ち、ケテルを覆う湿度の高い不穏な空気はその濃度を増して徐々に息苦しさを強めている。冒険者ギルドでもあちこちでギルドメンバー同士の戦闘訓練が行われていて、まだ何も知らされていない市民ですらそのものものしさに不安を感じているようだ。個人プレイが基本の冒険者が集団戦の訓練をしている、という事実が彼らの抱く危機感を伝えている。戦争は、ただ剣の腕が立つだけでは勝てないのだ。
――プァン
労いのようにトラックはクラクションを鳴らす。イヌカは軽く手を上げてそれに応え、剣士はじっと剣を見つめたままだ。悩んでるねぇ、青年。まああんまり思いつめないようにね。
「トラック」
イヌカがトラックに近づき、キャビンに顔を寄せて声を落とした。
「……議長から聞いてるか?」
なんのこと? とばかりにトラックは疑問形のクラクションを鳴らした。イヌカの顔に深刻な影が差す。
「ケテル評議会の名で他種族にクリフォトへの共闘を呼び掛けたろ? だが、どうも返事が芳しくねぇみてぇでな」
諸族の誰もが物質的な協力については約束をしてくれた。だが、兵を提供して直接クリフォトと戦うことを確約してくれる者はほとんどいなかったそうだ。クリフォトという大国を直接敵に回すことをためらっている。「危機感が足りねぇのさ」とイヌカは吐き捨てた。
「エルフは『妖精の道』を閉ざせば安泰と高を括ってる。ドワーフは迷宮のような坑道の奥に逃げ込めばどうにかなると思ってる。獣人たちは森で自分たちが人間に負けるはずがないと自信を持ってる。わざわざケテルを守るために自分たちのテリトリーを出る気はないってことだろうぜ」
唯一の例外はつい先日に友好関係を築いたゴブリンたちで、アフロ王からの返信には「三ラウンドでKOしよう」とはっきり記されていたという。……事の重大さを認識しているのかいささか疑問だが、後ろ向きな様子が微塵も感じられないところは非常に心強い。つい先日まで敵対していた彼らが真っ先に協力を申し出てくれたのは皮肉だが。
「三十年前、魔王が復活したときも諸族の意見は割れたって話だったな。平時には手を取り合っても、いざ事が起こればケテルと他種族の関係はこうも脆い」
魔王が三十年前に復活すると予言された時もケテルは諸族に呼びかけて対策を協議したが、その時も意見がまとまらず、結局魔王の復活を座視した形になった。魔王復活が現実のものとなってからようやく意見はまとまり、魔王討伐隊が編成されたが、魔王の圧倒的な力の前に立つことができたのはマスター、シェスカさん、ジンゴの三人だけだった。
「クリフォトは種族浄化を国是とする国だ。ケテルを落とした後にそのまま兵を退くはずはねぇ。そしてケテルが落ちれば諸族をつなぐものはなくなる。各個撃破されて人間以外の種族は根絶やしにされるぜ。それを、どうやったら伝えられるのか」
大きくため息をつき、気持ちを切り替えたように顔を上げてイヌカは言った。
「愚痴ってもしゃあねぇ。説得できなきゃ未来はねぇんだ。ケテルも、他種族もな。お前にも働いてもらうぜ特級厨師。オレたちじゃ無理でも、お前の声なら届くことがあるだろ」
イヌカはこつんとトラックのキャビンを叩いた。カチカチとハザードを焚き、トラックはどこか複雑な感情を込めたクラクションを返した。
翌日、トラック達は評議会館に集められていた。ルゼの顔には疲労と焦燥がある。コメルは見た目平然としているが、実際はほとんど寝ることもなく走り回っているようだ。ケテル内の意思統一から他種族との折衝まで、実務的な一切をコメルが取り仕切っていて、今彼が倒れたらおそらくすべてが崩壊する。ちゃんと寝なさいよ? 自分一人の身体じゃないんだからね?
「忙しいところすまない。だが改めて、皆に私の意思を示したい」
『存在しない部屋』で集まったメンバーを見渡し、ルゼは真剣な面持ちで言った。この部屋に皆を集めた、ということは、単に決意表明ということではなく、話の中に機密に関する情報が含まれているのだろう。ギルドマスターグレゴリ、特級厨師トラック、衛士隊長イャート、評議員たち、そしてグラハム・ゼラーとリェフ。皆がそれぞれにルゼを見つめる。
「ケテルは百年前、三人の英雄によって造られた町だ。当時、この地は人と他種族が相争う戦乱の最中にあった。互いの血によって育まれた憎しみは言葉の意味を失わせ、相手の命を奪うことが喜びとなるような世であったという」
それはついこの間までの人とゴブリンの関係と似ている。百年前はそれが、人と獣人、人とドワーフ、人とエルフにも当てはまったということだろうか。ちょっと想像がつかないけど。白米大好きエルフとか酒の誘惑に簡単に篭絡されるドワーフとか見てると全然そんな感じないけど。
「そんな世に現れたのが三人の英雄だ。ひとりは獣人族、猫人の娘マリット。ひとりは当時南部の小国に過ぎなかったセフィロト王国の王女ディアーナ。そして、最後のひとりが――」
ルゼは畏敬を込めてその名を口にした。
「筋肉ヒゲ紳士コングロ」
……きんにく、ひげ、しんし?
「そのカイゼルヒゲはあらゆる困難を切り裂き、その筋肉はあらゆる攻撃を弾き、そのポージングは十万の兵を潰走させたという。運命の導きによって彼らは出会い、数多の試練を乗り越え、ついには長い戦乱の歴史に終止符を打った」
ポージングで!? どうやって!? 「あの筋肉には勝てない」って十万の兵が逃げ出したの!? どんな筋肉なん!? 暗黒武術会の優勝者なん!?
「戦が終わり、三人はそれぞれの立場で種族融和の理想を掲げた。ディアーナは自らの国に戻って女王となり、他種族との対話を呼びかけた。マリットは他種族を説得し、人との対話に応じるよう駆け回った。そしてコングロは、人と他種族が共存する理想郷たらんとこのケテルを造ったのだ」
ルゼは強い決意を宿した瞳で前を見据える。
「我らは決してクリフォトに膝を折ってはならぬ。それはケテルの自己否定に他ならないのだ。英雄たちの理想を継ぎ、未来に繋げることこそがこのケテルの存在意義なのだ。ゆえに我らは戦い、勝たねばならない」
「言葉を返すようだが」
グラハム・ゼラーがルゼに厳しい視線を向けた。
「勝たねばならぬからといって勝てるわけではない。我らが理想を追求しても他種族はどうだ? 大国を前にして腰が引けているではないか。口でいくら共存を叫んだところで実態が伴わぬでは意味がない。危機に手を差し伸べず傍観する者を友と呼べるものか」
評議員の何人かが同意するようにうなずく。「わかっている」と答え、ルゼは『何もない部屋』の中央にある机を振り返った。
「彼らには彼らの立場があり、守るものがある。理想だけで動きはしない。彼らは確証を求めているのだ。ケテルがクリフォトに抗いうるという確証を。ゆえに――」
ルゼは机の傍らに歩みを進め、その中央に右手を置いた。ガタン、と何かが外れる音がして、『何もない部屋』の床がゆっくりと下降を始める。
「――私は、これを造った」
評議員たちが動揺して周囲をきょろきょろと見渡した。下降の速度は徐々に増し、地上の光がはるか遠くなる。壁に点々と灯る青い明かりだけがトラック達を照らした。
「クリフォトとの戦いを決意されたときから、旦那様は密かに私に命じられました。このケテルの要塞化を。それがついに完成したのです。これでケテルはクリフォトと戦える」
どれほど地下に降りたのか、やがて下降は止まり、プシューと音を立てて壁が自動的に開く。同時に開いた壁の向こうに照明が灯り、中の様子がはっきりと見えた。
「ご覧ください。これが対クリフォトの切り札。超次元要塞ケテルの中央指令室です」
せ、世界観変わったーーーーっ!! 急にSFぶっこんできたーーーーっ!! 異世界ファンタジーどこいったっ!? 部屋の中央には司令官が座る椅子があり、正面には巨大なモニターがケテルの周囲を映している。なんかどっかで見たことあるよ! 機動な戦士がガンでダムな奴の白い基地だよ! どんな技術があればこれが実現できるんだよ!
「ケテルの財力を惜しみなくつぎ込み、超古代文明の技術を解析することでケテルの軍事要塞化を実現しました」
でたな超古代文明! そう言っとけば何でも許されると思うな! この世界に今まで超古代文明があったとか一度も出てきてないからね? 剣と魔法で通してきたからね今まで!
「主砲であるケテル・ハンマーの出力は八億七千万オングストロームジゴワット。一瞬でクリフォトの王城を蒸発させるほどの威力が――、ああ、すみません、分かりにくいですね。分かりやすく言うと、固くて開かなくてもうあきらめていたジャムの瓶のふたを一瞬で十億本消し飛ばす威力があります」
余計分かりにくいわ! なんで兵器の威力をジャムの瓶のふたで表現してんだ!
「おお、それほどの威力が!」
伝わっとったーーーーっ!! ジャムの瓶のふたの比喩が適切だったーーーーっ!! もう一年以上こっちにいるけどケテルの『普通』が俺には分からん!
「これほどの規模の装置をいったいどうやって動かすのだ? 魔法の力か?」
目の前の光景が信じられぬと言うようにグラハムが言った。動力に意識が向くとはなかなか鋭い洞察。まあどうせ魔法かスキルか、なんなら今回初登場の超古代文明の不思議エネルギーでしょうよ。淡く緑色の光を放つ謎の結晶体みたいな?
「いや」
ルゼは首を横に振り、皆に真剣な顔で告げる。
「三万匹のハムスターだ」
ハムスター!? 動力が!? もしかしてアレ? ハムスターが中に入って回す水車みたいなアレ? アレで発電みたいな感じで? それで動くの超次元要塞!?
「ハムスターさんの機嫌を損ねぬようくれぐれも注意するよう徹底してくれ。これはケテルの未来に関わる重大な問題だ」
重大な問題だ、じゃねぇわ。ハムスターに未来委ねてんじゃねぇわ。皆は神妙な顔でうなずく。なんで納得してんだよ。誰か一人くらいおかしいと思わねぇのかよ!
「……これを使う日が来なければよいと願っていた。しかし、もはや戦いは避けられぬ」
ルゼは目を閉じてつぶやく。そして、強い意志を宿した瞳を皆に向けた。
「戦いの初戦はアディシェス、エーイーリー、カイツールのいずれかの軍勢になるだろう。その戦いにケテルは独力で勝つ。そうして初めて他種族は我らに手を貸すだろう。我らは勝てる、その可能性をケテルは示さねばならん」
ルゼは皆に向かって頭を下げる。
「力を貸してほしい。未来をつなぐために。かつて英雄が夢見た世界を、次の世代に引き継ぐために」
議長自らが頭を下げた、その重みに、皆は強い決意と共にうなずく。トラックがプァンとクラクションを鳴らし、ルゼは顔を上げてほっとしたように表情を緩めた。
三万匹のハムスターさんはルゼの心意気に打たれて自主的に集まった義勇の士です。




