幕間~純情~
深夜、アディシェス伯は私室で椅子に座り、険しい顔で腕を組んでいた。ランプの灯りが揺らめき、伯の影の形を複雑に歪ませる。伯の視線の先には一通の手紙――それは王都キムラヌートに潜ませている間者からの報告だった。
――コンコン
入れ、とノックの音に伯は答える。ノックの主もまた遠慮する様子もなく扉を開けた。大きな体を窮屈そうに縮めて扉をくぐるのは伯の嫡男であるウルスだった。
「お呼びでしょうか、父上」
都言葉が鼻につくのか、アディシェス伯は不快そうに鼻にシワを寄せた。いつものことなのだろう、ウルスは気にする様子もなく父親の前に進み出る。伯は目で手紙を示した。
「草からん報せたい」
ウルスは手紙を手に取り素早く目を走らせる。読み進めるにしたがってその表情が強張った。
「シェリダーが、陥ちた――!」
シェリダー伯はセフィロト王国の宰相だったズォル・ハス・グロールが王位を簒奪した後、その正統性を否定して宰相の不正義を鳴らし、武装反乱を起こした男だった。精強で知られる騎士団を擁し、セフィロト王家への忠義厚く、五年以上続くクリフォトの内乱のきっかけを作った男であり、他家を巻き込んで反乱を拡大させた策謀家でもある。当時、早々にクリフォトへの臣従を表明したアディシェスに対して絶縁状を送りつけてきた時には思わず苦笑したものだ。アディシェス伯とシェリダー伯はそれまで親友と言っていい間柄だった。
「むしろよう耐えたちゆべきじゃ。武具も食料も尽き果てとったじゃろ」
クリフォト軍はシェリダー伯とは直接的には戦わず、周辺を攻略してシェリダーを孤立させた後に街道を完全封鎖して物流を断った。麦の一粒の流入も許さぬ徹底ぶりに、しかしシェリダー伯は一年、耐えたのだ。草からの報告に詳細はないが、おそらくシェリダー伯の領内は雑草の根も食いつくす凄惨な状態だろう。
「残党を狩り終えたや、次はケテルじゃ。ほどなく討伐命令ば来っじゃろ。戦支度をしちょけ」
アディシェス伯は冷淡にウルスに告げる。ウルスがためらいを顔に示した。伯は小さくため息を吐く。
「……まだ未練があっとな」
「ちごっ!」
思わずといった風情でウルスは伯の言葉を否定する。伯は不信を込めて目を眇めた。
「あれだけ見事に振られたどん、あきらめきれんとは情けなか」
「じゃっでちごって」
視線を落とし、もごもごと不明瞭にウルスは釈明する。
「……初めてイーリィ様ん肖像画を見た時、なんて綺麗に笑うおごじょじゃろうち思うた。じゃっどん、実際にいっきょた彼女は、寂しげに微笑んだけやった。おいはまだ彼女ん心からん笑顔を見ちょらん」
ウルスは顔を上げ、正面から伯を見つめた。
「おいでなくてよか。笑うちょってほしか。幸せになってほしかち、思うちょいもす」
ウルスの本気を見て取り、アディシェス伯は大きく息を吐いた。心を残したまま次に行くことができぬ不器用さは誰に似たのだろうか? 報われぬ恋心を抱えたままで生きていくのはただ辛いだけであろうに。
「そう思うちょるんなら、おいたちんすべきことは一つぞ」
アディシェス伯は表情を引き締め、ウルスを鋭く見据えた。
「おいたちが他家に先んじてケテルを制圧す。ケテルがアディシェス領になれば、おいたちが守っこともでくっど。そいがおいたちにでくる、最も血に染まん道じゃ」
ケテルが蹂躙されればイーリィも無事では済まない。それにケテルが蹂躙されることでイーリィが苦しまないはずもない。ケテルを守ることはイーリィを、イーリィの心を守ることなのだ。ウルスは覚悟を決めたように頷き、踵を返して部屋を出て行った。
いーい男なんだけどねぇ。報われそうにゃないねぇ。




