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幕間~ダメ~

 冒険者ギルドに併設された酒場は、普段の喧騒が嘘のように落ち着いた雰囲気に包まれていた。外では昼夜を問わず祝いの宴で盛り上がっており、今はむしろそういった騒々しさに疲れた者たちが静けさを求めてここを訪れている。日はすでに落ち夜が優しく腕を広げる時刻に、カウンターに座って二人の女性がグラスを傾けていた。


「で、どうだったの? デートの成果は?」

「デ、デートというわけでは。ミラも一緒でしたし」


 琥珀色の液体を弄ぶように揺らしながら、イーリィは好奇の目をセシリアに向ける。不自然に視線をさまよわせてセシリアは柑橘の果汁の入ったグラスを両手で握る。イーリィはほのかに赤みの刺した顔でいたずらっぽく笑った。どうやらすでに酔っているらしい。


「でも、キスのひとつくらいはしたんでしょ?」

「だ、だから、そういうものでは!」


 からかわないで、と非難めいた視線をセシリアはイーリィに向ける。イーリィはあからさまに不満を顔に示して口を尖らせた。


「えー、つまんない」

「いいんです、つまらなくて」


 感情を整えるように息を吐き、セシリアはグラスに口を付ける。イーリィは納得いかない顔で言い募る。


「じゃあなに? 屋台を巡って、中央広場で音楽聞いて、それで解散?」

「ミラをあまり遅くまで連れまわすわけにもいきませんし」


 そもそもミラが屋台が楽しみだと言ったから三人で出かけたのだ。主役はミラであって自分ではない、と少し早口にセシリアはまくしたてる。まるで信じていない様子でイーリィは目を眇めた。


「ミラをダシにしたんじゃなかったの?」

「違います!」


 思わずといった風情で上げた大声は思いのほか酒場内に響き渡り、セシリアは周囲を見渡して身を縮めた。普段なら気にするほどの声量ではないが、今日の客は心地よい静寂を求めてここにいるのだ。無言の非難がセシリアの背に刺さる。イーリィはグラスを揺らせた。中にある氷がカランと音を立てる。


「つまんない」


 掲げたグラスを半眼で見つめ、再びイーリィがつぶやく。落ち着きを取り戻したセシリアが小さく首を横に振る。


「つまらなくはありませんよ。お祭りの様子を見て、改めて思いました。私たちは間違いなく理想に近づいている」

「理想?」


 イーリィがセシリアに顔を向けた。セシリアは小さく頷き、その目が遠い時間を見つめる。


「百年前、ケテルを造った英雄たちは『種族融和』という理想を掲げて戦いました。それは『種族浄化』を掲げる者たちとの剣による戦い、だけではなく、種族という変えることのできないもので生の多くが制限される理不尽との戦いであったのです。『種族融和』は英雄たちの最終目標ではなかった。英雄たちが思い描いていた未来は、『自由な世界』だった」


 種族も、性別も、年齢も出自も能力も財力も権力も、なにひとつ幸福な生を阻む要素足り得ない。誰もが望むままに生きる自由な世界こそが英雄たちの望みだった。そのために英雄たちは多くの時間を対話に費やしたのだという。人とエルフは違う。人とドワーフは違う。男と女は違う。金持ちと貧乏人は違う。王と民は違う。違う違うと言い募り、違いを探して内と外を区別したがる心を解きほぐし、違ってもよいのだと、違っても敵ではないのだと認識を変える。それは剣で敵を討つことの何倍も困難なことだった。世界の全てを変えるには人の生はあまりに短い。ゆえに英雄たちはケテルを造ったのだ。自分たちの理想を未来につなぐために。


「誰もが不可能だと切って捨てたゴブリンとの融和が叶った。そんなことができるなんて思ってもいなかった。でも今、そんな夢物語が現実になった。そして、それをもたらしたのは、トラックさんです」


 何かを思い出したのか、セシリアはふっと表情を緩めた。


「……きっと、トラックさんはとても耳がいいのだと思うのです」


 同意できない、と言うようにイーリィが眉を寄せる。


「けっこうあのひと、話聞いてないわよ?」


 そうですね、とセシリアは苦笑いを浮かべると、でも、とつぶやき、両手で包むように持ったグラスをじっと見つめた。


「……声にならない誰かの『助けて』を、聞いている」


 抑圧され、かき消される小さな声。心の中で押し殺してしまうかすかな声を、トラックは聞き逃さない。他の誰が気付かなくてもトラックだけはその声を聴くのだ。そしてトラックという男が彼に届いた『助けて』を無視することは絶対にない。


「それはさぁ」


 グラスの酒で口を湿し、イーリィは意地悪な表情になる。


「惚れた欲目ってやつじゃないの?」

「なっ!?」


 セシリアが勢いよく顔を上げてイーリィを見る。ニヤニヤとからかうような視線を否定するように、セシリアはしどろもどろに釈明する。


「だから、そういうことではなく! 私は、だから、共にケテルに住まう者として、トラックさんを尊敬しているのであって、その」


 要領を得ないセシリアの言葉に「ふぅん」と気のない返事をして、イーリィはセシリアから目を逸らした。


「じゃあ、さ」


 イーリィはグラスを灯りに透かせる。


「私がもらってもいい?」


 え? とセシリアは言葉を失った。イーリィはどこか虚ろな瞳をして、その表情からは感情が読み取れない。冗談とも本気ともつかない彼女の横顔をセシリアは呆然と見つめる。ざわめくような沈黙が降る。


「あ、の……」


 意味を為さない音がセシリアの口から洩れる。冗談よ、と笑ってくれることを待っている。しかしイーリィは顔を向けてもくれない。うつむき、両手の拳を握って、そして――


「……ダメ、です――」


 顔を真っ赤にして、イーリィの袖を掴んで、消え入るような声で、セシリアは言った。イーリィは目を見開いてセシリアを凝視し、


「可愛いっ!」


と叫んで腕を広げ、勢い良く抱きしめる。


「ごめん、冗談! からかっただけよ、ごめんね!」


 ほっとしたようにセシリアが息を吐く。同時に両目から涙がこぼれた。イーリィはセシリアの背中をさすりながら、何度も「ごめん」と繰り返した。




 閉店時間が近づき、イーリィは独り、カウンターでグラスを傾けている。すでに日付をまたぎ、セシリアは先に帰らせている。泣かせてしまった気まずさもあるが、何より今は独りで飲みたい気分だった。


「……そっか」


 何杯目かのグラスを空けて、イーリィはつぶやく。タン、とカウンターにグラスを置く音がやけに大きく響いた。


「ダメ、か……」


 どれほど杯を重ねても、今夜は酔えそうにない。小さく息を吐き、イーリィは席を立った。

一応確認しておきますが、トラックはトラックですからね。車両ですからね。

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[一言] トレンディドラマになってきた( ˘ω˘ )
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