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想い

 調印式は無事に終わり、ゴブリンたちは意気揚々とケテルを後にし――たりはせず、相次いで設定された怒涛の交流イベントを必死でこなしている。アフロ王も意外とお祭り好きらしく、ノブロとの公開スパーリングを披露して市民から歓声を受けていた。本来はオーソドックススタイルのべた足ファイターだとセシリアが言っていたが、スパーでは華麗なフットワークでノブロを翻弄してポテンシャルを見せつけ、最後は額が触れるほどの接近戦で観客を沸かせてからの右フック一閃。ノブロはリングに大の字に倒れた。

 子供たちもイベントに一役買ってくれて、アネットがゴブリン語で挨拶をしたり、ガートンが人の言葉で話したりしてみせる会話教室が催された。新たな商機を求めるケテル商人たちが殺到してなかなかの活況を呈したようだ。今までゴブリンは商人にとって積み荷を襲う害獣のようなものだったが、過去のわだかまりはいったん脇に置いて利益を追求するところはケテル商人の強みだろうか。真剣にアネットやガートンに教えを乞う大人たちの姿は、時代が動いていることを人々に実感させた。

 そんなわけで調印式からすでに五日が過ぎた今でも、ケテルはお祭り騒ぎの最中にある。沿道には所狭しと屋台が並び、たこの入っていないたこ焼きやら肉の入っていない焼きそばやら鶏肉でなさそうな何かが串に刺さった焼き鳥やらが飛ぶように売れている。人がひしめき合うケテルの中央通りを、トラックはセシリアとミラと並んでゆっくりと進んでいた。


「屋台、いっぱいだね」


 見るものすべてが珍しいらしく、ミラはキョロキョロと周囲を見渡しながら声を弾ませた。屋台が楽しみだって前に言ってたもんね。嬉しそうで何よりだ。はぐれないようにだろう、セシリアがミラと手をつなぐ。


「手を放さないでくださいね」


 はぁい、と返事をして、ミラはセシリアの手を引っ張って屋台のほうに連れて行く。屋台の店主が愛想笑いを浮かべて声を掛けてきた。


「いらっしゃい。おひとつどうだい? 可愛いお嬢さん」


 可愛い、と言われてミラが分かりやすく照れる。その様子に目を細めて、セシリアは店主に問うた。


「これは何をするものですか?」


 店主は組み立て式の小さな椅子に腰かけており、その前には丸い桶が置かれていて、桶には水が張ってある。水の中には何か小さなものが泳いでいるようだ。金魚すくい、が近い感じだが、そういうのあんのかな、異世界ファンタジーに。店主は「おや、知らないか」と驚いたようながっかりしたような顔で説明を始めた。


「こいつは、たますくいっていうちょっとした遊びだよ」


 たますくい? じゃあ、桶に入っているのは『たま』ということになるのか? たま、ってなんだろ? 泳いでるけど、そういう名前の魚かな?


「どうやって遊ぶの?」


 ミラは興味津々といった様子で桶を覗き込んでいる。店主は「やってみるかい?」と言って、紙を撚って作った紐のようなものをミラに手渡した。


「その紐を水面に垂らして、たま(・・)を引っかけてすくい上げるのさ。やってごらん」


 ミラが緊張しながら紐を垂らす。しかしたま(・・)は怯えるように紐から逃げて桶の端に集まった。「逃げちゃった」と残念そうにミラがつぶやく。店主が「ははは」と笑った。


「そんなに簡単にはすくえないさ。たますくいにはちょっとしたコツがいるんだ」


 ミラは、そしてセシリアも、期待を込めた目で店主を見る。小さくうめいて、店主はポリポリを頭を掻いた。


「……まあ、いいか。それじゃあ、よくたま(・・)を観察してごらん。そうだな、この、こっちの端にいる奴がいいかな」


 店主が桶の端にいるたま(・・)を指さした。ミラとセシリアが身を乗り出して桶を覗き込む。たま(・・)が小さく震えた。


「なんか、疲れた顔してるね」


 ミラが心配そうに言った。店主は「おっ」と驚いたようにミラを見る。


「よくわかったね。そう、そういう疲れた顔をしているたま(・・)が狙い目なんだよ。それじゃ、その疲れた顔のたま(・・)に、優しい言葉をかけてみて」

「優しい言葉?」


 セシリアが首を傾げる。店主は大きく頷いた。


たま(・・)は怯えているからね。優しい言葉で心を解きほぐさないと」


 ふぅん、と納得したようなしてないような返事をして、少し考え込んだ後、ミラはたま(・・)に向かって大きすぎない声で言った。


「おつかれさま」


 ぴくり、とたま(・・)はミラの言葉に反応する。店主は「その調子」と小さな声で続きを促す。やや緊張気味にミラは続けた。


「いつも遅くまで大変だね」


 たま(・・)はおそるおそる顔を上げ、ミラを見つめた。


「昨日は、ごめん」


 ミラは少し目を伏せる。


「本当は分かってるんだ。私が悪いって。でも、素直になれなくて」


 たま(・・)が目を見開いてミラを凝視する。


「あのね」


 ミラはわずかに頬を赤くして、たま(・・)の目を見つめ返した。


「パパ、だいすき」


 うおーん、と泣き声を上げてたま(・・)がミラの垂らした紙紐に飛びつく。店主が鋭く「今だ!」と叫んだ。ミラは素早く紙紐を引き上げる! 紙紐が跳ね上がり、たま(・・)がその勢いを得て空に舞い上がった!


「わぁ!」


 ミラが思わず歓声を上げる。舞い上がったたま(・・)は、キラキラと輝きを放ちながら空を漂う。ミラの頭上に光跡を描き、やがてたま(・・)はスゥっと吸い込まれるように天に昇っていき、消えた。


「すごいね、お嬢ちゃん。初めてでたま(・・)をすくうなんて、なかなかできることじゃない。才能あるよ。プロのたますくいヤーにならないかい?」


 店主は驚嘆の顔でミラを見る。ミラは照れたようにうつむいた。店主は空を仰ぐ。


「……頑張っても報われない。誰からも顧みられない。どこにも居場所がない。自分などいったい何の価値があるのか。そう俯いているたま(・・)は多い。でも、意外とね、大変だね、頑張ってるね、ありがとう、だいすき、なんて、そんな言葉でね、案外、すくわれるものなんだよ。笑っちゃうくらい、単純にね」


 店主はどこか神聖さを帯びた表情でミラを見つめた。


「お嬢ちゃんは今、確かに、ひとつの(たま)を救ったんだよ」


 ミラの顔に誇らしげな高揚が満ちる。セシリアが眩しげに空を見上げた。空は青く澄み渡り、遠く入道雲が見えた。


 そうか。この世界では屋台で誰かの魂が救えるのか。ケテルの屋台、ハンパねぇ。




 気が付けば日が暮れ、ケテルの通りも様相を変えつつある。ファミリー層をターゲットにした屋台が姿を消し、酒や料理、あるいはちょっと荒っぽい賭け事を伴う見世物があちこちで始まっていた。ケテルの力自慢がホブゴブリンと腕相撲で勝負し、客は応援と罵声で大いに盛り上がっている。酒が進む味の濃い料理の匂いが立ち込め、威勢の良い客引きの声にふらふらと客が呼び込まれていった。中央広場ではゴブリンシャーマンの楽隊とケテルの楽隊が即興でセッションを行い、人とゴブリンの一体感を演出しているようだ。それはきっと多分に政治的な意図を含むものではあったが、当人たちは権力者の思惑など関係ないと言わんばかりに自らの音楽を追求している。ゴブリンたちが奏でる民族楽器の素朴で力強い音色がケテルのオーケストラとぶつかり、交わり、大きなうねりとなってケテルに響いている。今、まさにここで生まれている音楽が、新時代を祝福する壮大な序曲なのだろう。

 夜闇に抱かれた中央広場の外れで、トラック達は静かに音楽に耳を傾けている。通りの喧騒は遠く、熱気だけが肌に伝わってくる。ケテルは新たなエネルギーに満ち溢れているのだ。それはおそらく未来への希望であり、同時に未来への不安を覆い隠すカラ騒ぎなのかもしれない。トラックがこの世界に来てから起きた幾つもの事件、獣人売買から始まり今回のクリフォト工作員によるテロまで、それらはケテル市民に必ずしも真相を開示されていないが、市民は不穏な空気を漠然と直感している。だからこそ皆はこれほどまでにはしゃぐのだろう。ゴブリンと手を携えた未来が、自分たちに幸福をもたらすと信じて。


「トラックさん」


 商人ギルドのメンバーが会場に篝火を灯した。会場を囲む篝火が音楽を照らし、影が躍る。盛り上がる会場を見つめながらセシリアはつぶやく。


「私、今、とても不思議な気持ちがしています。ほんの一年前まで、こんな日が来るなんて思いもしていなかったから」


 ゴブリンは敵だと、そう信じて疑っていなかった。意思の疎通など不可能だと思っていたと、セシリアは恥ずかしそうに目を伏せた。百年前、このケテルを造った英雄さえも果たせなかったゴブリンとの融和が、今、目の前にある。


「あなたに出会って、多くの変化を目の当たりにしました。私自身も確かに変わった。そしてその変化は、間違いなくあなたがもたらしたものです」


 セシリアはミラに顔を向けて微笑む。ミラも嬉しそうに笑顔を返した。


「生き人形を処分せよと言った私の浅慮をあなたは砕いた。『さみしい』と言った魔王にあなたは当然のように手を差し伸べた。あなたはいつも私たちには思いもつかないことをする。私たちの『当たり前』を軽々と飛び越えて、本当に大切なものを見つめている」


 トラックが軽くクラクションを返す。セシリアは首を横に振り、真剣にトラックを見つめる。篝火が赤くセシリアの横顔を照らした。


「あなたは世界を変えた。これからもきっと世界を変えていく。私はあなたが変えていく世界を、もっと見てみたい。私は――」


 続きをためらい、決意するように息を吸って、セシリアはわずかに身を乗り出した。


「ずっと、あなたと、一緒にいたい」


 遠く音楽が高揚を奏でる。星々が輝きで地上を祝福している。地上にともる火が温かに集う者たちを照らしている。セシリアはじっと、待っている。トラックは――答えない。


「トラック、さん?」


 沈黙に耐え切れずセシリアが声を掛ける。少し震えた声は不安の証明だろうか。ハッと車体を震わせ、トラックはプァンとクラクションを鳴らす。ミラが驚愕の表情を浮かべた。


「聞いて、なかった?」


 セシリアが唖然と口を開いた。聞いてなかった!? この流れで!? そんなんありうる!? これが恋愛シミュレーションだったらエンディングを左右する重大局面ですよ!? 選択次第でバッドエンドが確定する場面ですよ! 最終的に『女々しい野郎どもの詩』を聞くことになるかどうかの瀬戸際ですよ!? それを「聞いてなかった」たぁどういう了見だこの野郎! ちょっとそこ座れ! 正座しろ! 説教だ説教!

 拍子抜けしたような、どこかホッとしたような顔で、セシリアは不満そうに口を尖らせてトラックを軽く睨む。ミラが険しい顔でトラックのタイヤに蹴りを入れた。

この日に催されたゴブリンとケテルオーケストラのセッションが、後のケテルロックフェスティバル・イン・サマーの起源になりました。

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― 新着の感想 ―
[一言] トラックよ、そんなんだといずれセシリアに、「一緒に帰って、友達に噂とかされると恥ずかしいし……」 とか言われるぞ( ˘ω˘ )
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