悪者
なんだかんだで、今日も穏やかな午後が過ぎていく。大事件なんてそうそう起きるはずもなく、そもそもそんなものがしょっちゅう起きても困る。ギルド併設の酒場のカウンターで、イーリィとセシリアは他愛ないおしゃべりに花を咲かせている。
冒険者の日常は決して華々しいものではなく、Aランクのパーティだって生活のためにC、Dランクの仕事をこなしたりする。剣士も現在Cランクだが、そろそろ宿代を清算しないといけない時期なので、Dランクの仕事で隣町までお出かけ中だ。セシリアも今日はのんびりしているが、普段はケテルの施療院を手伝ったりして生計を立てている。
トラックはセシリアたちの後ろでぼーっと停車していた。たぶん退出するタイミングを失ってしまったのだろう。若い女の子同士の会話に入ることもできず、ただその場にいるだけの所在なさよ。やがて一時間ほどが経ち、トラックは意を決したように、なるべく音を立てないようにそっとその場を離れ、ギルドの外に出た。ケテルの教会の鐘が時を知らせる。時刻は午後二時になっていた。深呼吸をするように、トラックはプォーンと小さく長いクラクションを鳴らした。
「トラックさん?」
不意にトラックの右手側から声が掛けられる。声の方に目を遣ると、そこにはこの間トラックが家まで送ったお婆さんがいた。確か、シェスカさんって名前だったかな。トラックはシェスカさんにプァンとクラクションを返した。
「ええ。ギルドに古い知り合いがいて。ちょっと話を、ね」
お婆さんはそう言って小さく微笑む。心なしか元気がない気がするな。何かあったのだろうか。トラックがプァンとクラクションを鳴らし、助手席のドアを開けた。シェスカさんは少しの間、考えるような顔をしていたが、やがて弱々しく笑って言った。
「……お言葉に甘えさせていただくわね。ありがとう、トラックさん」
トラックは西部街区への道をゆっくりと走る。あまり揺らさないように気を遣っているのだろう。下町の道は北部街区と違ってむき出しの地面だ。人間や馬が通るのに支障がない程度には均されているが、車が通りやすい道とは言い難い。
シェスカさんは助手席に座り、うつむいたまま何もしゃべろうとはしない。トラックも何も言ったりはしなかった。無言のまま、景色だけが流れていく。
「……歳を取るっていうのは、情けないものね」
ずっと黙っていたシェスカさんは、うつむいたまま、ぽつりとそう言った。トラックは聞いているのかいないのか、何も反応を返さずに走り続ける。シェスカさんもまた、独り言のように言葉を続けた。
「私ね、騙されてしまったみたい」
シェスカさんには息子が一人いて、ケテルで商人をしているそうだ。北東街区に小さな店を構え、一生懸命働いている。しかし商売は甘いものではなく、生活は苦しいのだという。シェスカさん自身は西部街区の家で暮らしているため、商売がどの程度苦しいのかは知らなかったが、いつも息子の生活を心配していたらしい。そんなある日、シェスカさんの前に見知らぬ若い男が現れてこう言った。
「あなたの息子さんが商売に失敗し、大きな借金を抱えてしまった。このままでは商人ギルドの組合員資格をはく奪されるでしょう」
冒険者に冒険者ギルドがあるように、商人には商人ギルドというものがある。商人たちは互いに少しずつ資金を出し合って、個人ではとても買えない高価な機材を共有したり、不測の事態による資金繰りの悪化に備えたりするらしい。組合員資格は商人ギルドに資金を供出している証で、資格をはく奪されるということはケテルの商人たちから「お前はもう身内ではない」と宣告されるに等しい。
男の言葉を聞いて、シェスカさんはひどく狼狽し、男にどうにかならないかと頼んだ。組合員資格を失えばケテルで商売を続けていくのは難しくなる。男は神妙な顔で頷くと、一つだけ方法があると告げた。
「保証金を支払えば当面の間、はく奪を免れることができます」
保証金の額は大金だったが、全く用意できないというわけでもなかった。資格をはく奪されてしまえば手遅れだと支払いを急かす男に、シェスカさんは自分の持つ家財を売り払って金を工面し、そして男に渡したのだ。あの日、トラックがシェスカさんを送り届けた日に。
しかし翌日、息子がシェスカさんの家を訪ねてきて、男の言葉が嘘だということが発覚した。息子は商売に失敗していないし、ギルドの組合員資格をはく奪されるような状況にもない。そもそも商売に失敗して借金を負ったことを理由に組合員資格がはく奪されることはない。むしろ失敗の内容が前向きなものであれば、資金調達を支援してくれたりもするのだ。
……
あの男か! あのチャラい商人風のアイツか! アイツ詐欺師だったんか! やっぱり、なんか怪しいと思ってたんだよ! あれ、じゃあもしかして、トラックがシェスカさんを中央広場まで連れて行かなかったら、もしかして被害に遭わずに済んだ? もしかして余計なことしちゃった? いやでも、あの時はそんなの分からなかったし、間違ったことはしていないはず! ああ、俺がもっとあのチャラ男を疑っていたら! いや俺が疑ってもどうしようもないんだけど、こう、超能力的な何かでトラックに伝えられていたら! ええぃ、都合よく目覚めろ、テレパシースキル!
「今にして思えば、おかしなところはいくらでもあったの」
シェスカさんはぽつり、ぽつりと、まるで罪の告白のように言葉を重ねる。組合員資格のはく奪のこともそう。保証金を払えばはく奪を免れられるという話もそう。支払いを急かされたこともそう。保証金なんて制度はギルドには無いし、通告の翌日が支払期限、なんてどう考えてもおかしいのだ。それでも、息子の窮地をどうにか助けなければ、という思いが、すべての違和感を消し去ってしまった。
「馬鹿よね。夫の、形見まで、処分して……」
両手で顔を覆い、声を殺して、シェスカさんが泣いている。トラックは、少なくとも表面上は、何も聞いていないように無言で、西部街区を走り続けていた。
トラックはシェスカさんを家まで送り届け、そしてギルドまで帰ってきた。日はまだ高く、ケテルの町はふだん通りの顔をしている。この町の端っこでお婆さんがお金をだまし取られたことなんて、ケテルに何の影響も及ぼしてはいないだろう。だけど、さ。
なぁ、俺さ、こういうの、嫌なんだ。こういうの嫌なんだよ。うまいこと言えないんだけどさ、どうにか、なんないのかな。どうすればいいかなんて分からないけど、どうにかしなきゃ、ダメなんじゃないかな。なぁ、トラック。
俺の声はきっと、トラックに届いてはいないんだろう。トラックは普段と変わらぬ様子でギルドの入り口をくぐる。入り口の脇には珍しくマスターがいて、トラックが入ってくるなり手を挙げて挨拶をしてきた。
「おう、トラック。偶然だな。今、帰りか?」
マスターはどこか落ち着かない様子で、声も妙に甲高い。そもそもマスターが入り口付近に『偶然』いるという状況が嘘くさい。さらにはマスターとトラックは「偶然だな」なんて声を掛けられるほど親しくない。つまり、マスターの不自然さハンパない。自覚があるのか、マスターは苦笑いを浮かべて頭を掻くと、
「……偶然、じゃねぇよな。てめぇで言ってて笑っちまうわ。すまん、ちょいと話があるんだ。付き合ってくれや」
そう言ってギルドの奥、ギルドマスターの執務室をアゴで指した。トラックはプァンと承諾の意志を伝える。マスターは「悪いな」と片手でトラックを拝み、執務室に向かう。トラックはマスターの後ろについて部屋に入った。
ちなみにギルドの建物は、すべての扉はスライド式の自動ドアに、天井は高く、廊下は広く改造済みで、トラックが移動するに支障がないようになっている。もちろんセシリアの仕業で、勝手に建物を改造するセシリアを良く思わないギルドメンバーもいたようだが、「何か問題でも?」とにっこり微笑むセシリアに気圧され、結局誰も止めることができなかった。自動ドアは当然のようにトラックしか感知しないため、今でもたまに扉にぶつかって呻き声を上げるギルドメンバーが扉をにらむ光景を見ることができる。ギルドメンバーの怨嗟が建物内に渦巻き、やがて呪いでも生まれはしないかとちょっと心配していたりするのだが、考え過ぎだろうか。
マスターは執務室の机の引き出しからワインとグラスを二つ取り出し、トラックの前に置いた。どっから酒出してんだ。普段から仕事中に飲んでいるのだろうか? トラックがプァンとクラクションを鳴らす。マスターは少しすねた顔をした。
「なんでぇ、かてぇなぁ。いいじゃねぇか、ちょっとくらい」
うむ、いい心掛けだトラック。飲酒運転、ダメ、絶対。マスターはぶつぶつ言いながらグラスを一つ片づけた。そしてもう一つのグラスにワインを注ぎ、一気にあおる。自分は飲むのかよ。昼間っからこのおっさんは。
「おまえさん、シェスカと知り合いなのか?」
応接用のソファに座り、再度グラスにワインを注ぎながら、マスターはトラックに尋ねた。トラックがプァンと返す。マスターは「そうか」と言うと、ワインの入ったグラスを軽く揺らした。
「あの婆さんは、俺の昔の馴染みでね。世話を掛けてるみたいだな。礼を言うよ」
マスターはじっと、グラスに揺れるワインの表面を見つめている。トラックが再びプァンとクラクションを鳴らした。マスターが少し苦いものをその顔に浮かべる。
「ご名答。『風舞い』のシェスカの、あれが今の姿ってこった」
……ああ、聞いちゃったか。ずっと気付かない振りをしてきたのに。同じ名前の別人だって、そう思おうとしていたのに。そうかぁ、やっぱりかぁ。なんていうかなぁ、時間って、残酷だなぁ。
「シェスカから、どこまで聞いてる?」
マスターはトラックに顔を向けて尋ねた。トラックは短くクラクションを鳴らす。マスターは頷き、真剣な表情でトラックを見据える。
「実はな、ここひと月くらいの間に、似たような手口の詐欺が連続して起きてる。衛士隊の要請でギルドも内偵を進めていたんだが、ついさっき、ウチの調査部から連絡が来た。容疑者の潜伏先を突き止めたってな」
ところがその容疑者ってのが問題でな、と、マスターはため息とともにそう言葉を吐き出した。容疑者の潜伏先と思われる場所は北東街区の、商人ギルドの組合員資格を持った正式なケテル商人の家だったのだ。
「知っての通り、ケテルは商人の町だ。商人ギルドの組合員の権利は強く保護される。その辺のチンピラ相手ならとっ捕まえて締め上げりゃ終わりでも、商人相手にゃそれができねぇ。確たる証拠がなきゃ、家に踏み込むことは難しいんだ」
詐欺師たちは巧妙で、どの事件でも決定的な証拠は見つかっていない。今の段階で強引に踏み込めば冒険者ギルドと商人ギルドに無用な対立を引き起こしかねない。ギルドマスターという立場上、そういった政治的配慮は必要なのだ。旧友の涙を目の当たりにしたときでさえも。
マスターは再びワインを飲み干すと、空のグラスを見つめたままで言った。
「今から言うことは俺の個人的なお願いであって、ギルドの正式な要請じゃない。おまえさんにとっては何のメリットもない、むしろデメリットばかりの話だ。おまえさんはこの話を断っていいし、断ったとしても今後、おまえさんが不利な扱いをされることはない。ケテルのギルドマスターとして、それは確実に約束しよう」
ずいぶんと含みのある言い方をするなぁ。マスターの歯切れの悪さは、言いだしにくい、言いたくないことを言おうとしている、ということをはっきりと伝えている。
「おまえさんはDランクで、しかもDランクでの実績が全くない。言わば、ギルドにとって重要なメンバーではないと、外部の奴らから判断される位置にいる。おまえさんが何かしでかしたとしても、ギルドに対する影響は少ないだろう」
マスターが苦いものを無理に口に含んだように顔を歪めた。本来、ランクが低いギルドメンバーは重要ではない、というような物言いをする人ではないのだ。だがそれをあえて言わなくてはいけない。たぶんそれは、マスターの大切な友人のために。
「なぁ、トラック」
マスターはグラスを机に置くと、
「……悪者に、なっちゃぁくれねぇか」
そう言って、トラックをじっと見つめた。
トラックは神妙な声ではっきりと、マスターに告げました。「断る」と。




