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愛弟子

 評議会館の厨房はまさに戦場のような忙しさの中にある。ケテルを代表する料理人たちが自らのプライドをかけてゴブリンたちをもてなす料理を作っている様は、二週間前、ゴブリン使節団を初めて迎えた日と比べれば大きく変わっていた。無論、すべての人がゴブリンを受け入れているわけではないのだろうが、少なくともここにいる料理人はゴブリンに料理を振る舞うことを拒まなかった者たちだ。その意識の変化はこの二週間でのルゼやゴブリン使節団の努力の結果なのだろう。

 そんな、皆が慌ただしく動いている中で、サバみそ職人の男だけは青い顔をしている。サバみそはすでに作り終えており、皿に盛りつけられて運ばれるのを待っていた。味噌のいい匂いが厨房に広がる。思わずよだれが出そうだが、サバみそ職人の男は少し震えていた。

 厨房にはおかみさんの姿はない。トラックは【キッチンカー】を発動することなく、邪魔にならないように【ダウンサイジング】で小さくなって厨房の片隅にいた。結局サバみそ職人の男はなんとか自分を奮い立たせてサバみそを作ったようだ。立派に役割を果たしたというのに、男はひどく所在なさげだった。サバみそ職人の男はトラックが振る舞ったサバみその味に感動して独学でサバみそを作ってきたので、料理に関する知識も技術も、基礎というものがない。サバみそについてはおかみさんに習って形になった、とはいえ、料理人としての実績は何もないに等しい。この厨房にいるのは、彼を除けばケテルで一流と呼ばれる料理人ばかりだ。それなのに素人同然の自分がメインディッシュを作るなんて、と、どうも気後れしているらしい。いや、気持ちはわかるけどね。世界陸上の決勝になぜか急に俺が呼ばれたら、間違いなく逃げ出すよね。だから、逃げ出さないできちんとサバみそを作った、その時点で充分に凄いことだから、もっと自信持って!


「メインをお願いします!」


 給仕係が厨房に駆けてきて叫んだ。サバみそ職人の男の肩がびくりと跳ねる。男の様子をまるで無視して、給仕係はサバみそを台車に乗せ、厨房を出て行った。




 会場は落ち着いた照明で統一され、机には複雑なカービングを施された果物が並ぶ。中央には氷から削りだされた龍が鎮座し、夏の夜に涼を演出している。大皿に盛られた、丁寧に根を除いたもやしで作られた鳳凰が翼を広げ、ゴブリンたちが感嘆の声を上げた。酒杯をあおるアフロ王も満足げだった。


「失礼いたします。本日のメインディッシュでございます」


 給仕係がアフロ王の前にサバみその皿を置く。味噌の匂いが立ち上ってきた。ああ、白米が食いてぇ。アフロ王は初めて見るサバみそにじゃっかんの戸惑いを見せた。ルゼが自信ありげに胸を張る。


「ケテル自慢の一品にございます。必ずお気に召すものと」


 うむ、とうなずき、アフロ王はサバみそを箸でつまむと、ひとくちで平らげた。豪快だなー。表情を変えないままもぎゅもぎゅと咀嚼して飲み込む。あれ、リアクションが薄いな。あんまり好みじゃなかった?


「シェフを」


 アフロ王は給仕係を振り返り、短くそう言った。どこかただならぬ様子に会場の空気が張りつめる。給仕係が「た、ただ今!」と慌てた様子で厨房に走る。ルゼが何か言おうとして身を乗り出し、コメルに止められて口を閉ざした。コメルはアフロ王をじっと見ている。


「わ、わたくしが、これを作った者ですが……」


 給仕係に連れられ、サバみそ職人の男がおずおずとアフロ王の前に進み出る。その顔は蒼白で、もう手打ちにでもされると思っているような勢いで怯えていた。少し背を丸めた男より頭一つ分ほど高いアフロ王の顔は、ひどく険しい――あるいは真剣なものだった。アフロ王はおもむろに自らのアフロへと右手を突っ込む。そしてサバみそ職人の男に右手を差し出した時、その手のひらの上にあったのは、黄金色に輝くひよこだった。


 ……ひよこ?


 ぴっぴよーーー


 アフロ王のアフロの中から赤、青、緑のカラーヒヨコが顔を出し、祝福の音色を奏でる。アフロ王はサバみそ職人の男に黄金のひよこを手渡し、両手で包むように握った。


「今度はぜひ、我が城に来てほしい。我が配下の者たちにも食べさせたいのだ」


 サバみそ職人の男はぽかんとした顔でアフロ王を見つめる。不敬と咎められそうな態度を気にする様子もなく、愛嬌のある顔で笑った。


「最高の料理だった」


 実感のこもったその言葉が、サバみそ職人の男にゆっくりと浸透する。じわじわと湧き上がる喜びをかみしめて、男は深く頭を下げた。


「ありがとう、ございます――!」


 自然と周囲から拍手が沸き起こる。アフロ王は大きくうなずいた。




「やったじゃないか」


 大気から滲み出るように、トラックの横におかみさんが姿を現した。その目はアフロ王に頭を下げるサバみそ職人の男を見つめている。トラックが小さくクラクションを鳴らした。おかみさんは首を横に振る。


「あたしは何もしちゃいないよ。あの子は実力でお客様を感動させたのさ」


 愛弟子の成長を目の当たりにしたおかみさんが目を細めた。


「もともとそれだけの実力はあった。努力もしていた。だけど、どうしてもね、自信が持てなかったみたいでね」


 サバみそに出会って、彼はひたすらサバみその道を究めるための修行に明け暮れていた。だが、もとは南東街区で盗んで奪って生きてきたゴロツキだ。料理人として実績があるわけでも、きちんと基礎から料理を習ったわけでもない。その負い目というか劣等感が彼から自信を奪っていた。どうせ自分はって卑屈になって、うまくいかなくて当然だって逃げ腰になって、そんな自分が情けなくて落ち込む。そんな日を繰り返していた。


「だから、知ってほしかったんだ。自分が積み重ねてきたものの成果を。自分自身の価値を。努力が無駄になることはないってことを」


 過去がどうであれ、今、彼はケテル最高のサバみそ職人として要人をもてなし、感動させた。彼の自己否定を否定する客観的な事実を手に入れた。自分自身を信じるための土台を、彼は今、手に入れたのだ。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。おかみさんは自信たっぷりに笑みを浮かべた。


「あたしの弟子だよ? 必ずやり遂げると思ってたさ」


 おかみさんは胸を張る。失礼しました、とばかりにトラックがクラクションを返した。サバみそ職人の男は黄金色のひよこを大事そうに抱えて厨房に戻る。その目尻にはうっすらと涙が浮かんでいた。




 宴はその後も遅くまで続き、ケテルとゴブリン族の関係はずいぶんと深まったようだ。酒を酌み交わし、肩を組んで歌う。ほんの一年前には考えられなかった光景が当たり前のようにここにある。それは確かな、よりよい未来への予感だった。やがてひとり酔い潰れ、またひとりが酔い潰れ、宴は自然消滅に近い形でグダグダに終わった。歴史的な日の夜が明け、ケテルは新しい朝を迎える。

黄金ひよこはアフロ王の下賜する宝物の中でもかなりレアな逸品です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 「どうせ俺なんて……」と、筆を折ろうとしているなろう作家にこそ、読んでもらいたいお話ですね( ˘ω˘ )
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