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転換点

 ひどく冷静なコメルの様子とは対照的に、ルゼはどこか落ち着かなさそうに視線を彷徨わせた。アフロ王とノブロを交互に見て、ルゼの顔に苦悩のシワが浮かぶ。


「わ、私もアフロになるべきだろうか?」

「不要です。落ち着いてください旦那様」


 進行表に目を落としたままコメルはルゼを制する。そ、そうか、とうなずき、ルゼは大きく息を吐いた。妖鬼王のアフロ化は完全に予想外の出来事で、ルゼは少々混乱気味のようだ。この上ルゼまでアフロ化したらもはや収拾がつくまい。グッジョブだコメル。この式典のMVPはコメルで決まりだな。


「それでは、開会の挨拶をケテル評議会議長、ルゼ・バーラハより申し上げます」


 ルゼが立ち上がり、アフロ王とゴブリンたちを見渡して言った。


「本日、この良き日を迎えられましたこと、心より御礼申し上げます。ケテルは創建以来、種族融和を掲げ、他種族との交易を通じた深い関係性によって平和を築いてまいりました。しかしゴブリン族の皆様とは言葉の壁に阻まれ、互いを理解することができなかった。長い歴史の中で、ケテルとゴブリン族は不幸にも争い、憎しみを育ててきました」


 ルゼは胸に手を当てて黙祷する。過去の、暗く悲しい歴史の犠牲者に祈りを捧げているのだ。評議会議員の面々がルゼに倣う。アフロ王たちゴブリン側の出席者も目を閉じた。それぞれに複雑な思いがあるのだろう、皆は苦しそうな、辛そうな表情を浮かべた。


「その歴史が今日、変わります。我々は互いを対等なパートナーとして、共に生きていくことを望みました。ケテルはゴブリン族の皆様に多くのものをもたらすことになりましょう。そして、皆さまもケテルに多くのものをもたらしてくださることでしょう。互いの文化が融合を果たした時、新たな価値が、未来が訪れると、信じています」


 黙祷を終え、ルゼは力強く宣言する。周囲の観衆から自然と拍手が起こった。年かさゴブリンが感慨深げにうなずく。その目じりにうっすらと涙が浮かんだ。ルゼは一礼し、席に座る。


「ありがとうございました。では、続いてゴブリン族を代表し、アフロ王様にお言葉を賜りたいと存じます」


 コメルが目でアフロ王に挨拶を促す。アフロ王は立ち上がり、ケテル側の出席者を見渡した。


「スーパーミドル級にはもうマッチメイクできる相手がいない。王座を返上し、ライトヘビー級に階級を上げる」


 おお、と会場がざわめく。ケテルの評議員の一人がごくりとつばを飲み、興奮を抑えるようにこぶしを握った。


「……ついに、二階級制覇へ動き出したか――!」


 隣に座る別の評議員が訳知り顔でつぶやく。


「遅すぎるくらいだ。去年の段階で噂は出ていたからな。誰かを待っているって話もあったが」


 アフロ王はノブロに目を遣る。ノブロは悔しそうに口の端をゆがめた。


「……どんどん先に行きやがる」


 奥歯を噛んで睨むノブロを、アフロ王は挑発するように見つめ返す。どうした、早く来い。頂点まで昇ってこい。その目がはっきりとそう告げていた。


「はい、ありがとうございました。それでは次に参りたいと思います」


 進行表に従ってコメルが会場の雰囲気をバッサリと切り捨てる。アフロ王は何事もなかったように席に座った。ルゼが不安そうにコメルを見る。


「……私もボクサーライセンスを取得すべきだろうか?」

「不要です。しっかりなさいませ旦那様」


 コメルに窘められ、う、うむ、とルゼは背筋を伸ばした。


 ……


 なんだこれ。




 式典は順調にプログラムを消化し、ルゼの説く交易の意義に拍手が起こったり、アフロ王のシャドーボクシングにケテル市民が見惚れたりしながら、いよいよクライマックスを迎えた。すなわち、ルゼとアフロ王が合意文書に署名し、正式に通商条約が発効するのだ。それはケテルとゴブリン族が正式に互いを友好勢力と認定するということを意味している。この先、ケテルの民はゴブリンを傷づけ、奪い、殺せば罪に問われる。ゴブリン族もまた人を襲えば罰せられる。この儀式はそれを知らしめるためのものでもあるのだ。

 まずルゼが、ケテル評議会が認定する討伐対象モンスターの一覧のゴブリンのページを破って燃やした。それに応え、アフロ王が『血の誓い』と呼ばれる石板を叩き割る。『血の誓い』は人に殺められたゴブリンの遺族が、恨みを決して忘れぬよう石板に刻んだというものらしい。その思いを叩き割った、ということの意味を、重みを、ルゼは真摯に受け止めているようだ。


「それでは、合意文書に署名を」


 コメルが調印台に開いた状態で置かれた合意文書を指し示す。ルゼは文書の横に用意されたペンを手に取り、ペン先にインクを付けてサラサラと署名すると、文書をアフロ王に渡した。アフロ王も急ぎ過ぎぬ様子で署名を終え、文書の端を持ってルゼに差し出す。ルゼとアフロ王は互いに合意文書の両端を持ち、署名が人々に見えるように高く掲げた。


「今日、この時より!」

「ケテルとゴブリン族は友となった!」


 聴衆から大きな拍手が沸き起こり、「ケテルとゴブリン族の未来に栄光あれ!」と声が上がる。ルゼとアフロ王は手を上げて歓声に応え、そしてしっかりと握手を交わした。様々な困難を乗り越え、まさに今、歴史が動いたのだ。血みどろの争いの歴史から、互いを尊重する共存の歴史への、今日こそが転換点だ。




 式典は無事に終わり、ゴブリン使節団の皆は安堵の表情を浮かべて大きく息を吐いた。ケテルとゴブリン族の新たな関係を構築するという彼らの役割はようやく果たされたのだ。ご苦労様。努力が報われたねぇ。ルゼとアフロ王が並んで会場を後にする。評議会議員とゴブリン使節団も後ろに続いた。これから彼らはケテルの町を歩いて巡り、最終的には評議会館に辿り着く手筈になっている。ケテルの最高権力者とゴブリンたちの頂点が共に並んで歩く姿はケテル市民に時代の変化を実感させるだろう。そう、これからの時代は対立と相克ではなく、ただアフロであると――


「お願いがございます!」


 突然、切実な声が響き、現場に緊張が走る。声の主はルゼたちの進路をふさぐように現れ、すぐさま周囲を警戒するギルドメンバーに取り押さえられた。トラックはルゼとアフロ王をかばうように声の主との間に割って入る。


「お前は……」


 剣士が驚き混じりに言った。地面に伏せ、がっちりとギルドメンバーに取り押さえられていたのは、クリフォトの工作員のリーダーである仔犬だった。額を地面につけたまま仔犬は叫ぶ。


「どうか仲間に、会わせてください! 皆に、どうか!」


 いったい何事かと沿道のケテル市民が戸惑っている。このままではマズいと考えたのだろう、ルゼが「連れていけ!」と命じた。ギルドメンバーは地面に伏す仔犬を無理やりに立たせ――アフロ王が進み出て軽く手を上げ、ギルドメンバーを制した。ギルドメンバーは困ったようにルゼを見る。ルゼは渋々といった様子でうなずいた。ギルドメンバーが仔犬から離れ、仔犬は再び地面に額づく。


「話せ」


 アフロ王が腕を組み、威圧的に仔犬を見下ろした。仔犬は震える声で自らの罪を告白する。自分がクリフォトの工作員であること。ゴブリンとケテルの友好関係構築を阻止しようとしていたこと。ゴブリン使節団を襲撃したこと。企てはすべて潰え、仲間はことごとく捕縛されたこと。


「すべては俺の命令だった! 責めを負うべきは俺だ! この命を、差し上げます! だからどうか、仲間の命はお助けください! そして、叶うならば――」


 仔犬の目から涙がこぼれて地面を濡らす。


「――死ぬ前に一目、仲間に会わせてください」


 ルゼが眉を逆立てて仔犬を睨む。何を都合の良いことを、と強い怒りを感じているようだ。仔犬はもはや言葉を続けることができず、すすり泣く音だけが周囲に広がる。アフロ王はじっと仔犬を見下ろしたままだ。トラックはカチカチとハザードを焚き、そして少しだけ前に出た。


――ぴろりんっ


 おお、なんかちょっとお久しぶりな効果音。スキルウィンドウがちょっと嬉しそうに中空に現れ、新たな力の発動を告げる。


『スキルゲット! アクティブスキル(ノーマル)【めっ!】

 わるいことしたら、めっ! でしょ?』


 ぽかん、とその場にいた誰もがトラックを見る。トラックが何をしたのか、その意味を把握できずにいるようだ。めっ! って、いや、そういう次元じゃないよね? まさかそれで赦そうとしてるわけじゃないよね? そういった雰囲気をありありと感じる。そんな中、アフロ王だけは微動だにせず仔犬を見下ろしていたのだが、やがて組んでいた腕を解き、その瞳に炎を宿して仔犬を睨みつけた。


『アクティブスキル(ノーマル)【めっ!】

 わるいことしたら、めっ! でしょ?』


 お前もか! ふたり揃って何がしたいんだ! ルゼが呆けたように口を開けてアフロ王を見つめる。あ、そうか。トラックはともかく、アフロ王が「めっ!」したことには大きな意味がある。つまり、これはアフロ王の、「ゴブリン族は仔犬を赦す」という意思表示なのだ。ということは、それを否定してケテルが仔犬を捕えたり処罰したりすると、ケテルはアフロ王の顔に泥を塗ることになる。まさに今日、我らは友となったと宣言した相手の体面を早速潰すことになるのだ。ルゼがギリリと奥歯を噛み、トラックを睨んだ。トラックは素知らぬふりでプァンとクラクションを鳴らす。仔犬が弾かれたように顔を上げた。


「……本当に?」


 涙で塗れた顔で、鼻をすすりながら仔犬はトラックを見上げる。剣士が仔犬に近づき、抱き上げてその耳にささやいた。


「ウチの特級厨師を甘く見るな。やると言ったら必ずやるさ」


 剣士は仔犬を抱いたまま脇に退く。トラックはアフロ王にプァンとクラクションを鳴らした。アフロ王はかすかに笑い、何事もなかったかのようにルゼの隣に戻った。


「とんだハプニングでしたが、とりあえずは解決しました。さあ、参りましょう」


 ルゼはアフロ王を促し、再び評議会館に向かって歩き始めた。




 すでに日は姿を隠し、星々が空でその輝きを競っている。ルゼとアフロ王はケテルの町を練り歩き、人々に手を振ったりしていた。沿道には出店が並び、煌々と灯りがともされて、夜闇の中にケテルの活気を浮かび上がらせている。ゴブリンたちは興味深そうに出店を見て、しかし列から離れて買いに行くわけにもいかず、ちょっと残念そうな表情で通り過ぎていった。まあ、でもあんまり期待しすぎないでね。そのたこ焼き、たこ入ってないからね。

 やがて一行の前に、ライトアップされた評議会館が姿を現す。ゴブリンたちのために強すぎる灯りはなく、幻想的に照らし出された評議会館にアフロ王は感嘆のため息を漏らした。今、厨房ではアフロ王を迎えるための料理を用意している真っ最中のはずだ。サバみそ職人の男は大丈夫だろうか?

 評議会館の職員が正面扉を開け、うやうやしく頭を下げる。行列が評議会館に飲み込まれていく。ケテルとゴブリン族の通商条約締結の日の最後の大イベント、饗応の宴が始まろうとしていた。

アフロ王のベストウェイトはクルーザー級。無敗伝説はまだまだ続くだろうともっぱらの噂です。

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[一言] >「遅すぎるくらいだ。去年の段階で噂は出ていたからな。誰かを待っているって話もあったが」 はじめの一歩みたいwww
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