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妖鬼王

 今日がいよいよ式典の日、ということで、ケテルは慌ただしさの極致にある。朝も早くから中央広場には出店が並び、大道芸人が人々を楽しませていた。一般の人たちは祭りの雰囲気を堪能しているようだが、冒険者、特にトラックはそんなことも言っていられない。特級厨師としてゴブリンたちの先導を任された、というのもあるのだが、それとは別に生じた問題の解決に駆り出され、トラックはなかなかに忙しいらしい。なにせ、トラックでなければ解決できない問題なのだ。正確に言えば、【キッチンカー】でなければ。


「……俺には、無理です」


 うつむき、両手を握って唇を噛んでいるのは南東街区の元ガラ悪男、今はケテル人唯一のサバみそ職人だった。サバみそ職人の男の前には【キッチンカー】の発動により呼ばれたおかみさんがいて、険しい表情で腕を組んでいる。


「どうしてそう思う?」


 男は無言で首を横に振る。おかみさんは小さく息を吐いた。




 ゴブリンの王を迎えてケテルとゴブリン族との通商条約を締結する今日の式典は、当然ながら調印式だけで終わるわけではない。事務方レベルでの協議や、あるいは歓迎のための様々な催しが行われたりする。その中でも『食事』という要素は非常に重要なもので、ゴブリンの王を満足させることができればこれからのゴブリンとの関係をぐっと親密なものにできるかもしれないし、満足させることができなければ両者の関係はぎこちないスタートを切ることになるかもしれない。さすがに、口に合わないからと言って怒って帰る、なんてことはないと思うが、歓待の宴に供される食事を用意する者はなかなかの責任を背負わされることにはなる。

 ルゼは、ガートンパパたちゴブリン使節団を最初に迎えたときにしたのと同じように、【キッチンカー】のおかみさんに総料理長を依頼した。だが、おかみさんはそれを承諾しなかった。


「あたしはケテルの人間じゃない。今日の、歴史に残る記念すべき日に腕を振るうべき人間は他にいるだろう」


 そしておかみさんが自分の代わりに推薦したのが元ガラ悪男、おかみさんの直弟子である南東街区のサバみそ職人だった。男は一度それを承諾し、今日の式典に向けて懸命に準備してきたのだが――


「……作れば作るほど、分かっちまうんです。おかみさんのサバみそに、遠く及ばないってことに」


 自分の拙いサバみそによって、もし宴が台無しになってしまったら――日を追うごとにその重圧は彼を苛み、ついに今日、限界を迎えてしまった。男は今朝、評議会の饗応担当者に深く頭を下げ、「おかみさんに変わってもらってほしい」と告げた。




「どうして、あたしがあんたを推薦したのか、わかるかい?」


 おかみさんは静かにサバみそ職人の男を見つめる。視線を合わせることを怖れるように男はうつむいたままだ。おかみさんは感情を抑えた声で続ける。


「あんたがケテルで最高のサバみそ職人だからだよ」

「それは、俺の他にいないから」


 わずかに震えながら男は反論した。おかみさんは「そうだね」とうなずく。


「だが、あんた一人しかいなくても、それで立場が変わるわけじゃない。あんたはケテル最高のサバみそ職人だ。あんたは、そこから逃れられない」


 ルゼはゴブリン使節団の歓迎の宴でサバみそをふるまった際、年かさゴブリンに「王にもぜひサバみそを」と頼まれて承諾している。つまり今日の宴でもサバみそはマスト、堂々たるメインディッシュだということだ。


「師匠が作ってください! そのほうがお客様が喜ぶ! 俺じゃ、最高のおもてなしにはならない――」


 そんなことは分かっているだろう、と男はおかみさんをすがるような目で見る。しかしおかみさんは冷酷なまでの無表情で首を横に振った。


「それじゃダメなんだよ。意味がないんだ」


 理解してもらえない悔しさか、男は唇を噛んだ。おかみさんは静かに男を諭す。


「今日のこの宴は、ただ美味しい料理を出せばいいわけじゃない。ケテルが新たな友人に精一杯の誠意を込めて料理をふるまう、そういう場なんだよ。部外者の立ち入る隙は無い。ケテルに住まう者が為さねばならないんだ」

「だったら俺じゃなくても、もっと腕にいい料理人はいくらでもいるじゃないか!」


 男は苛立ちを叫ぶ。おかみさんはじっと男を見つめた。怯んだように男はおかみさんから目を逸らす。


「あたしが、料理人として、あんたを選んだ」


 男はうつむいてぎゅっと目を瞑る。拒絶を態度で表す男に、しかしおかみさんは冷酷なまでに冷静に言い放った。


「あんたがやるんだ。いいね」


 男は答えず、ただ小さく震えている。話は終わったとばかりにおかみさんは振り返り、心配そうな顔の饗応担当者に近づく。「あの」と声を掛けてきた担当者におかみさんは他に聞こえないような小さな声で囁いた。


「ギリギリまで待たせておくれ。本当にどうしようもなくなったら、あたしが引き受けるから」


 担当者の顔が明らかにほっとしたものに変わる。おかみさんは口を真横に引き結ぶと、淡い光を残して空気に溶けるように消えた。




――ドン、ドン


 大地の鼓動を思わせる重厚な太鼓の音が響いてくる。


――シャン、シャン


 銀の鈴の澄んだ音色が夕暮れの空に広がる。


――ザッ、ザッ


 急ぎ過ぎぬ速さで、道を埋め尽くすように、おそらくは数百のゴブリンがケテルに向かって歩いていた。先頭にいるハイゴブリンは赤地に黒く染め抜いた鬼の意匠が描かれた旗を掲げ、この行列の主の存在を周囲に伝えている。その後ろに太鼓を抱えた屈強なゴブリンがおり、さらに鈴の付いた杖を振るゴブリンシャーマンの一団が続く。灰色狼にまたがり武器を持って背筋を伸ばすのは族長、あるいは戦士長クラスのゴブリンたち。もっとも彼らが今持っているのは儀礼用の槍なのか、装飾過多で実用性はなさそうだ。そして、族長や戦士たちを従えてその中心にいるのは、威風堂々たるひとりの王者だった。


 トラックはケテルの代表として、ゴブリンたちを先導する位置でゆっくりと走っている。早すぎればゴブリンたちと距離が開き、遅すぎればゴブリンたちの足を止めてしまう、意外と難しい役回りなのだが、トラックは何とかうまくこなしているようだ。冒険者ギルドの他の面々もゴブリンたちの護衛として動員されているが、行列の雰囲気を壊さないためにやや離れた場所に配置されていてトラックのいる位置からは見えない。ケテルの護衛に頼らねば恐ろしくて訪問もできないのか、などと言われないように結構気を使っているらしい。

 夕日はその半ばまで山の端に姿を隠し、空は眠りにつく準備をしている。やがてトラックの前に見慣れたケテルの門が現れた。門の前にはケテルの衛士たちが儀礼用の衣装に身を包んで整列し、来訪を歓迎している。門の真下、その中心に、ケテルの要人を従えたルゼが立ち。トラックの姿を認めてわずかに表情を緩めた。ゴブリンたちが無事に辿り着いたことにまずは安堵したのだろう。トラックはゴブリンたちに道を譲り、自らは脇に退いた。

 ゴブリンたちもまた、先頭を行く旗を持ったハイゴブリンが横に控え、太鼓や鈴を鳴らしていた者たちが左右に分かれて道を作る。その道の真ん中を通って進み出るのは、屈強なホブゴブリンが担ぐ輿に乗ったひとりの美丈夫。赤銅色の肌に赤い髪、そして金色の瞳を持ち、額に二本の角を持つその美丈夫は、そこにいるだけで周囲を圧倒するような強い覇気をまとっていた。傲慢なほどに堂々とした態度で美丈夫は輿を降り、ルゼの、いやケテルの前に立った。


「あれは、まさか――」


 ルゼ側の護衛としてその場にいたセシリアが、美丈夫の姿を見て息を飲んだ。その顔からは血の気が引き、震える唇で言葉をつなぐ。


「すべての妖鬼を統べる者、真炎の覇者、滅びと芽吹きの王――」


 な、なんかすごい言葉が並んでますけど。そんなにすごいひとが来たの? ゴブリンの王様じゃないの?


「プロ転向から三十七戦無敗全KO、世界を制した黄金の右、オーソドックススタイルのベタ足ファイター、四団体統一王者、今もっとも客を呼べる男――」


 ……なんか、すごいんだけど、すごさがどんどん横道にそれてませんか大丈夫? ってかボクサーなの?


「趣味は手芸という意外な側面を持ち、無類の動物好きでも有名、愛読書は『いぬのきもち』だが決して犬派というわけではなく猫も心から愛しているから犬派とか猫派とか不毛なカテゴリ分けはもう終わりにしようぜ、でおなじみの――」


 おなじみなの!? どの界隈で? そもそもなんで個人の趣味やらがそこまで流出してんの? そしてこの歴史的な場面で発表されてんの?


「――地獄の第五階層の主、大鵬!」


 大鵬だったーーーっ! 地獄の六王の一柱だったーーーっ!! それなのに手芸が趣味で動物好きってバレたーーーーっ!! 大鵬、平気な顔してるけどじゃっかん顔赤くなってるよ? せっかく覇気をまとって登場したのが台無しだよ! きっと明日にはケテル市民から『手芸のたっちゃん』って呼ばれてるよ!


「ごぶごぶ!」


 ルゼの隣に控えていた先生がたっちゃんに歓迎の意を伝えて、いるんだと思う、たぶん。ルゼはたっちゃんに歩み寄って握手を求めた。たっちゃんはその手をしっかりと握り、大きく頷いて見せた。


「お気遣いに感謝する。来訪者の礼儀として、以後は我らが人の言葉を話そう」


 あ、ありがたい! さすがたっちゃん! もう全部ごぶごぶで話が進んだらどうしようかと思ったよーーー。


「どうぞこちらへ。ケテルは皆さまを心から歓迎いたします」


 ルゼが先導し、たっちゃんを門の中へと誘う。ぽん、ぽんと歓迎の花火が上がり、ケテル市民とゴブリンたちから同時に「おお」という感嘆の声が上がった。たっちゃんはしっかりとした足取りでケテルの門をくぐる。敵ではなく、対等なパートナーとして、新たな歴史を作るために。




 夕日の赤と夜闇の藍色が交じり合い、祝福のようにケテルの大通りを照らしている。ルゼとたっちゃんは並んで大通りの真ん中を歩いた。沿道からはゴブリンの旗とケテルの旗を持った人々が歓声を上げている。二週間足らずでゴブリン使節団が行ってきたイメージアップ大作戦は奏功したようだ。

 ルゼの後ろにはケテルの評議会議員が、たっちゃんの後ろにはゴブリン使節団の面々が続き、さらにはケテルとゴブリンの楽団が美しいハーモニーを奏でている。事前の準備などしていた様子はなかったからこの演奏は即興のはずだが、この見事な調和はさすがプロの仕事ということか。ゴブリンたちの鳴らす民族楽器のようなややクセのある音色が、まるで最初からその楽器のために作られた曲であるように馴染んで新たな音楽を作り出す。ケテルとゴブリンの楽団は互いに顔を見合いながら、高揚を隠し切れない様子で楽しそうに演奏していた。

 行進はやがて中央広場に辿り着く。普段は人々が行き交うだけの何もないただの広場だが、今は特別に設えられた調印式会場となっていた。地面から少しだけ高く作られた会場には左右にそれぞれ長机が置かれ、奥に調印台がある。台の脇にはコメルが立っていて、おそらく司会役なのだろう。ルゼとたっちゃんは左右に分かれ、長机の端に座った。評議会の面々とゴブリン使節団もそれぞれに割り当てられた席に座り……ん? なんか、ケテル側の末席に見覚えのある顔が、っていうか、見覚えのあるアフロが……もしかして、ノブロ!? そういえば南東街区の代表として式典に出席するとか言ってたけど! 正装してるから違和感半端ないわ!

 たっちゃんはノブロの姿に気が付き、眼光鋭く睨み据えると無言で席を立ってツカツカと近づく。予定になかった行動なのだろう、ルゼの顔が青ざめた。正面に立たれたノブロが立ち上がり、たっちゃんの試すような視線を挑むように睨み返した。一気に場の空気が張りつめる。ケテル側もゴブリン側も突然の事態にどうすることもできずに戸惑うばかりだ。刺すような沈黙の時間が過ぎ――それは長いような、ほんのわずかだったような時間だった――不意に、ボンッという音と共にたっちゃんの髪がアフロに変わった。たっちゃんはスッと右手を差し出す。ノブロはその手をがっちりと握り返し、ふたりは満足げに笑い合い、大きく頷いた。

 言葉なんていらないんだな。生きとし生けるものは皆、アフロで繋がっている。アフロさえあれば通じ合える。アフロが、アフロこそが、いやむしろアフロだけが、世界を救うのだ。きっとそういうことなのだ。

 こうしてたっちゃんはアフロウとなり、清々しい顔で席に戻った。皆が胸をなでおろす。寿命が縮む思いだったろうが、ケテルの人間とゴブリンたちが互いに顔を見合わせて笑っているところを見ると、このハプニングは両者の緊張をほぐしてくれたようだ。


「定刻になりましたので、ただいまより調印式を始めます」


 会場の中でただひとり、動揺も心配もしていなかったコメルが、冷静に開会を告げた。

地獄の第五階層の主の異名は「妖鬼王」でしたが、この日を境に「アフロ王」と呼ばれることになりました。

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[一言] これぞトラック無双やで( ˘ω˘ )
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