裁定
「動くな! 両手を上げて床に膝をつけ!」
薄暗い廃屋のような小屋に一気に踏み込み、マスターは鉄棍を掲げてそう叫んだ。同時に窓が外から割られ、冒険者ギルドのAランカーが乗り込んでくる。
「なぜだ!? どうしてここが――!」
激しく狼狽しながら仔犬が叫んだ。幾人かの工作員がAランカーに襲い掛かり、その足を止める。工作員の女が鋭く叫んだ。
「お逃げください! ここは我らが食い止めます!」
捕らえた工作員に対する尋問は冒険者ギルド、衛士隊、商人ギルドが手分けして速やかに始まり――すぐに終わった。いや、なんだかよくわからんのだけども、工作員あっさり口を割ったんだよ。コメル率いる商人ギルドの監査部が尋問を始めて一時間もしないうちに、まるで火のついた油紙のように聞いていることも聞いていないこともべっらべらしゃべってくれたらしい。イャートもマスターも、かなり気合を入れて尋問に臨んでいたので、コメルから「情報を引き出した」との一報を受けた時はかなり拍子抜けというか、ぽかんとしていた。
あまりにもあっさり口を割ったため、皆も最初は罠の可能性を考えたのだがどうもそういう感じでもなさそうで、敵の結束というか、そういうものも実は脆いのかもしれない。
「動員できる者をすべて集め、全拠点を同時に急襲する。敵に対処する時間を与えるな!」
ルゼの檄に応え、その場にいる者たちが反撃の気勢を上げた。
Aランカーと刃を合わせながら工作員の女は叫ぶ。
「あなたは頭だ! 手足を切り捨てても頭が残れば私たちは死なない!」
窓から侵入したギルドメンバーの攻撃を決死の形相で抑え込み、工作員の男が言った。
「生きるのがあなたの役割、死ぬのが俺たちの役割だ! 行け! 為すべきことがまだ残っている!」
仔犬の瞳が迷いに揺れる。使命と感情がせめぎ合う。工作員の女が合わせていた刃を押し込まれて体勢を崩した。ギルドメンバーに左右から同時に攻撃を受けた工作員の男が槍の穂先に腹を抉られる。冒険者ギルドのAランカーに一対一で勝てるほどの戦闘力は彼らにはないのだ。まして奇襲を受けて態勢も整わず、数的に不利となれば敗色は覆いようもない。他の工作員たちも次々に傷付き、しかし倒れることを拒否するように目を血走らせて敵を――ギルドメンバーたちを睨む。歯を食いしばり、起こり得ぬ奇跡を、たった一つの願いを手繰り寄せるために、彼らは叫んだ。
『生きろ!』
願いが呼応し、結実し、スキルを形作る。スキルウィンドウが示すのは彼らの覚悟であり、終わりの預言だった。仔犬が目を見開く。
「バカな、よせっ!」
悲痛な叫びを無視してスキルウィンドウが淡い発動光と共に【サクリファイス】の発動を告げた。同時にそれぞれが己の持つ身体強化系スキルを発動する。そのスキルの効果が切れた時が彼らの命の終わる時だ。
「マズい、下がれ!」
マスターの声に焦燥が混じる。筋力を強化した工作員がAランカーの槍をへし折った。追撃をしようとした工作員にトラックが体当たりを食らわせて阻止――しようとして、突撃が受け止められる。トラックが完全に力負けしていた。ひとりを逃がすために彼らは文字通り命を削っている。仔犬は一瞬だけ目を瞑ってうつむくと、身を翻して奥へと続く扉へと駆けた。
「逃がすか!」
弓使いが短弓を引き絞り、仔犬の背に狙いを定める。放たれた矢は炎をまとって真っすぐに飛び――【加速】を発動した工作員の女がその身体で射線を遮った。矢が女の心臓を貫く、その寸前にトラックの【手加減】が矢を掴む。何かが焼ける嫌な臭いが広がり、【手加減】は平然としている。仔犬が扉の奥へと姿を消した。
「……私たちの、勝ちだ」
工作員の女は挑発するような笑みを浮かべる。マスターがギリリと奥歯を噛み、それと同時に工作員たちの発動していたスキルがその効果を失った。
目的を果たした工作員たちは武器を捨て、満足げな表情で座り込んだ。もはや思い残すことはない、そう言いたげに笑みを浮かべている。空間が歪み、闇が凝集して、大鎌を持った黒衣の骸骨の姿を形作った。工作員たちに力を与えた死神はその対価を受け取ろうと周囲を見渡し、トラックがいることに気付いて、力なく床に座り込み、めそめそと泣き始めた。あの、なんかごめんね? 運が悪かったってあきらめて。トラックはプァンとクラクションを鳴らす。死神は体育座りをしていじいじと床に人差し指で丸を描いている。工作員たちも他のギルドメンバーも、ぽかんとした顔で死神を見ていた。
いち早く我を取り戻したのは工作員の女だった。女は腰のポーチから素早く何かを取り出す。それは手のひらに載るほどの小振りの法玉――女が強く握ると法玉は徐々に輝きを帯び始めた。トラックが慌てて【念動力】で法玉を取り上げる。
「無駄だ! この周囲一帯、跡形もなく吹き飛べ!」
自らの命を顧みない自爆攻撃。他の工作員たちも動揺する様子はなく、共に吹き飛んで本望、ということだろうか。マスターが「結界を張れ!」と叫び、魔法使いたちが詠唱に入る。トラックは法玉をどうしようかと空中でゆらゆらさせていたが、もう動転してわからなくなったのか、いじけている死神に向かって投げつけた! 何かが飛んでくる気配に気づいた死神が顔を上げ、大きく口を開けて、ぱくん、と法玉を飲み込んだ。
――ぼふんっ
死神の腹の中で爆発が起き、一瞬死神の身体が大きく膨らんだ。きょとんとした死神の口からげほっと黒い煙が上がる。死神、法玉を食っちまったよ。死神だから死なない、だから大丈夫ってことなのかな? お腹壊したりしない? ほんとに大丈夫?
冗談のような展開に工作員たちが唖然と死神を見る。トラックがプァンとクラクションを鳴らした。死神は弾かれたように身を乗り出す。しかし再びトラックがクラクションを鳴らすとしょんぼりと肩を落とした。きっとアレだな、
「ご苦労さん。助かったよ」
「えっ? じゃあ魂もらってもいっすか?」
「ダメに決まってるだろ」
「やーっぱりなぁ」
みたいなやり取りがあったんだろうな。死神は消沈したまま、空間から滲み出した闇に溶けて消える。損な役回りですね。気を落とさずにね。
工作員たちが歯噛みしてうつむく。覚悟の死を阻まれ、一矢報いることも叶わず、生きることを恥じている。マスターが「拘束しろ」と命じ、ギルドメンバーたちが動く。工作員たちは一斉に、袖口に隠していた小ぶりのナイフを首に当てた。マスターが「死なせるな!」と叫び、ギルドメンバーが取り押さえようと手を伸ばし、工作員たちがためらいなく刃を滑らせ――
――プァン!
トラックの鋭い怒声が広がり、小屋をガタガタと震わせる。ギルドメンバーが思わずといった様子で動きを止めた。工作員たちの身体がぐらりと傾ぎ、そのまま床に倒れる。トラックの怒りは工作員たちの意識を奪い、かすかに聞こえる呼吸音だけが彼らの生存を伝える。マスターが大きく息を吐いた。
トラックは今度は小さなクラクションを鳴らす。それはやりきれなさを吐き出すような、あるいは命を簡単に投げ出すよう追い詰められた彼らの境遇への抗議のような、そして彼らを力で制することしかできなかった自分自身への憤りのような、苦い響きを帯びて広がり、消えた。
他の敵拠点への急襲作戦はほぼ完勝と言っていいほどにうまくいき、金で買収されたケテル市民から潜入した工作員まで、多様な顔ぶれを逮捕拘束することに成功したようだ。それだけに、工作員の指揮を執っていたであろうあの仔犬を逃したのは痛いところだ。工作員の女が「頭が生きていれば手足は切っていい」みたいな話をしていたし、あの仔犬が新たに人を集めればまた何かをしでかす可能性はある。もっとも、その余力が果たしてあるのかは疑わしいが。これほどの失態であれば、クリフォトが仔犬にもう一度機会を与えるとも考えづらい。
なんかさぁ。もう、あの仔犬あきらめてくんねぇかなぁ。部下たちが命張って逃がしたんだからさぁ。いや、命張って逃がしたからこそ退けないんだって言われたらそうかもしんないけどさぁ。ってかさぁ、明らかに主人公側の展開じゃん。仲間を犠牲にした悔しさを胸に一人逃げ延びるとかもう主役じゃん。こっちが立場悪役じゃん。こんなんさぁ、幸せになんないじゃん、そっちもこっちもさぁ。
「草の根を分けても必ず捜し出せ! 奴らの影すら一掃せよ!!」
ルゼは苛烈な口調で号令をかけ、莫大な賞金まで掛けて仔犬を追っている。仔犬の部下たちが仔犬の行方について口を割ることはなく、隙あらば自害しようとするため二十四時間監視下に置かれており、マスターもイャートもなかなか苦慮しているようだ。工作員たちの仔犬への忠誠心は相当のものらしい。でも、敵のアジトの急襲前にコメルが尋問したときはめっちゃあっさり口を割ったんだよなぁ。ギャップがすごいよ。仔犬は人望があるのかないのかさっぱり分からん。
そんなわけで仔犬の捜索にケテル中が血道を上げる中、冒険者ギルド内では密かに『裁定』が行われていた。
「掟破りの罪の重さは理解しているな?」
冷酷な声音でそう言ったのは冒険者ギルドの幹部、追跡者を束ねる壮年の男だった。狐のような細面は内心を見通すことを許さぬ無表情に覆われ、本当に血の通った人間なのか、もしかしたらよくできた人形なのではないか、と錯覚してしまうほどに無機質な印象を受ける。机を挟んだ向かい側に立つのは大剣使いの戦士。両手を縛られ、腰縄をつけられて被告席で背を伸ばしている。
「はい」
ためらいなく短く、戦士は答えた。自らの運命を知っている。幹部の男は淡々と続ける。
「ならばその罪に対する罰も、理解しているな?」
「お待ちください」
戦士の回答を待たずに割って入ったのはイヌカの声だった。イヌカは戦士のいる被告席から見て右手側におり、幹部の男を正面から見据えている。言わば幹部の男が検察、イヌカが弁護人、という感覚だろうか。被告席の正面にはマスターが腕を組んで座り、周囲にはギルドメンバーが議論の行方を見守っている。その中にはトラックや剣士、セシリアもいた。
『裁定』とは、冒険者ギルドにおける裁判のようなものだ。冒険者ギルドにはギルドメンバーが守るべき掟があり、その掟を破ったものにはペナルティが課せられる。だが「掟を破った」という判断に重大な事実誤認や矛盾を示す証拠があった場合、その救済措置として関係者を集めた聴聞が行われる。嫌疑を掛けられた当人に対して「掟を破った」と主張する側と「掟を破っていない」と主張する側がそれぞれの主張の矛盾や不合理を指摘し、ギルドマスターは裁定者として双方の言い分に耳を傾けたうえで、最終的な判断を下すのだ。
ただ、今回のケースについては本来、『裁定』が行われるべき案件ではない。戦士がギルドを裏切ったことに疑義を挟む余地はなく、本人もそれを認めている。しかしマスターは半ば強引に『裁定』を開かせた。放っておけば戦士に未来はない。これは公平であるべきギルドマスターの地位にあるグレゴリという男ができる、精一杯の擁護だった。
「ケテルは今、未曽有の危機の最中にあります。そのような状況で彼を処断することは、彼の実力を思えばあまりに大きな損失です」
マスターの期待を背負い、イヌカが幹部の男に反論する。事実関係に争いがない以上、イヌカが採る戦術も限られるだろう。戦士の命と掟を天秤にかけた時、掟破りを許したとしても戦士の命の方に価値があると、そういう方向でこの裁定をイヌカは戦うようだ。
「トップランカーの一人でもあるギルドの最高戦力をこのような形で失うわけにはいきません。どうか再考をお願いしたい」
「当人の実力がどうであろうと、掟を破ったのであれば罰を受けねばならない。掟に例外はない」
幹部の男はイヌカの主張をばっさりと切り捨てる。しかしそれはイヌカの想定内だったようだ。イヌカは間髪を置かずに再反論する。
「裏切ったのは彼の本意ではないということはご理解いただけるはずだ。家族を人質に取られ裏切りを強いられたにすぎない。人質を取り返した今、彼が再び裏切ることはない」
「私は未来の可能性を問うているのではない。過去の厳然たる事実の話をしている」
まったく取り付く島のない幹部の男の答えにイヌカは一瞬言葉に詰まる。幹部の男は続けて行った。
「本意であろうがなかろうが、どのような事情があろうが問題ではない。問われているのは掟を破ったか破っていないかだ。掟を破ったのであれば死を以って償う。それだけの話だ。それ以外のことは何も関係がない」
イヌカの戦術を見透かしたように幹部の男は議論の構図を描きなおす。イヌカがやっているのはいわば論点ずらしだ。「あなたが言っていることはもっともだが、それよりも大切なことがある」と言って議論の範囲を拡張するのがイヌカの主張で、幹部の男は「それよりも大切なことなどない」と議論を単純化した。両者の主張を比べれば明らかにイヌカの方が無理筋だ。裏切りには死を、はギルドの掟としてずっと昔から厳格に守られてきたルールであり、今回に限り別の要素によって判断を変えるのはあまりに恣意的だと謗られても仕方あるまい。
「これからケテルはクリフォトと戦わねばならない。掟を守って戦力を失いケテルが滅べば本末転倒ではありませんか」
「どれほどの戦力であろうと結束を乱す輩はいらぬ。それは結果的に戦力を低下させる」
「彼の力は百人の仲間と千人の市民を守る!」
「己の妻子すら守れなかった男が?」
うっ、とイヌカが小さくうめいた。話の方向性を誤った。幹部の男に切り返しで斬られてしまった。幹部の男がつまらなさそうに鼻を鳴らす。戦士が静かに目を瞑った。別の攻め方を考えるように視線を上げたイヌカの沈黙を埋めるように、トラックがプァンとクラクションを鳴らした。皆の視線がトラックに集まる。腕を組んでじっと話を聞いていたマスターが口を開いた。
「発言は許可していない。今は黙っていろ」
しかしトラックはマスターの言葉を無視してさらにクラクションを募る。幹部の男が眉間にしわを寄せた。
「理屈が通らぬ。頼む、ではなく根拠を提示し――」
幹部の男の言葉の終わりを待たず、トラックはさっきよりも強いクラクションを鳴らす。そして――
トラックは、幹部の男に向かって、チルトした。
チルトって何って? それじゃ『キャブチルト』で検索してみよう。




