報恩
プァン、とトラックがクラクションを鳴らす。セシリアの涙にもらい泣きしていたナカヨシ兄弟が顔を上げ、聞いてくれと言わんばかりに前のめりに言った。
「うむ! 我ら兄弟、冒険者ギルドのCランカーとして市中の見回りを行っておったのだが!」
「巡回中に偶然、見慣れぬ輩と歩くセシリア殿を見かけてな!」
トラックや剣士の姿は見えず、囲まれて連行されるように歩いているセシリアの姿に緊急事態を直感し、ナカヨシ兄弟は密かに尾行を開始した。彼らの移動先には二頭立ての馬車があり、どうやらセシリアを乗せてケテルを出るつもりようだ。つまり、誘拐――敵は多数、戦力は未知数、このまま戦いを挑んでも勝つのは難しいと判断した二人は、
「隙を見て馬車馬と入れ替わり、セシリア殿の救出の機会を窺っていたのだ!」
馬車馬と、入れ替わり? 馬と入れ替わったの? ってことはなに? トラック達がセシリアの追いついた時、悪魔の出現に驚いて馬車を振り切って走り去っていったのお前らだったの!? ってか逃げてんじゃん! 加勢しろよそこは! トラックはぼやくようなクラクションを鳴らす。
「いや、なんかすごいの出てきたから」
「普通に怖かったし」
不明瞭にナカヨシ兄弟はもごもごと答えた。悪いとは思ってんだな。まああの場面で出てこられても悪目立ちするだけのような気もする。実は英断だったのかもしれないな、話がややこしくならずに済んで。
「おふたりを責めないでください。彼らがいなければ私は無事ではいられなかった」
涙を拭い鼻をすすって、セシリアがトラック達を振り返った。ナカヨシ兄弟は慌ててセシリアに手を振る。
「いやいや、我らは何も」
「大したことはしておらん」
セシリアは首を横に振って微笑んだ。
「おふたりが励ましてくださったから、私は立つことができた」
剣士を身を切る思いで『無限回廊』に追放したというのに、トラックまでもが剣士を追っていってしまい、セシリアは呆然とその場に座り込んでいた。『無限回廊』は創世神すら隔離する永遠の牢獄。そこに吸い込まれたということは、二度と会えないということと同義だ。信頼する仲間をふたり同時に失い、セシリアの心は粉々に砕けていた。『無限回廊』の扉を開いたのは彼女だ。いわばセシリアは彼女自身の手でふたりを『殺した』。その事実を彼女は受け止めきれずにいたのだ。
「セ、セシリア殿!」
「ご無事か!?」
悪魔が去ったことを確信し、隠れて様子を窺っていたナカヨシ兄弟がセシリアに駆け寄る。しかしどんなに声を掛けても、肩を揺すっても、セシリアは何の反応も返さずに中空を――すでに閉じた異界への扉があった場所を虚ろに見上げていた。
「これは、どうしたものか」
途方に暮れるナカヨシ兄弟に複数の気配が届く。それは明らかに戦いの訓練を受けた者たちの足音。素早く武器を構えセシリアを背にかばうナカヨシ兄弟の視界を見覚えのある姿が埋める。その先頭には不退転の決意を宿した仔犬がいた。
「弟よ」
「なんだ、兄者」
唇を湿し、兄ナカノロフが弟ヨシネンに言った。
「今、この時こそが」
「おうよ! トラック殿に命の御恩を返す時!」
ヨシネンが不敵な笑みを浮かべる。敵はゴブリンを守るAランカーたちを崩す寸前まで追い込んだ手練れ。対してこちらはたったの二人、しかも戦えぬ女の子をその背に守らねばならない。スキルウィンドウが【絶対防壁】の発動を告げる。しかし二人だけの集団スキルではとても守り切ることはできない。
「ならば無理を通さねばならん!」
「ここが我らの命の捨て場所よ!」
決意を証明するかのように新たなスキルウィンドウが姿を現す。半透明の説明文が憐れみに揺れる。
『アクティブスキル(SSR)【サクリファイス】
己を死神の供物に捧げ、一時的に発動したスキルの効果を十倍にする。
発動したスキルの効果が切れると死神が現れ、
スキル発動者の魂を刈り取る』
ナカヨシ兄弟の身体が淡い黄金色に輝き、命の残り時間を宣告する。仔犬が強く兄弟をにらんだ。
「我々とて、もう後がないのだ。セフィロトの娘は必ずもらい受ける!」
その言葉を合図に、工作員たちは一斉にナカヨシ兄弟に襲い掛かった!
無数に迫りくる刃を、十倍に強化された【絶対防壁】の力を得たナカヨシ兄弟の刀がことごとく迎撃する。四方からの攻撃を、セシリアを中心にしてクルクルと回りながら弾いていく。暴風と呼ぶにふさわしい兄弟の姿に工作員たちは気圧され、その連携が乱れた。
「ひるむな! スキルの効果は永遠ではない! 必ず効果が切れる時がくる! それまで攻め続けるのだ!!」
仔犬の檄が飛び、工作員たちの攻撃が激しさを増す。仔犬の言葉は真実を捉えていた。【絶対防壁】の効果はそのうち切れる。そうなる前にセシリアが目を覚まさなければ――
「しっかりしろ! セシリア殿!」
「己の足で立つのだ!!」
敵の刃が頬をかすめ、ナカノロフに浅い傷を作る。敵の槍がヨシネンの肩をわずかに削った。【絶対防壁】が徐々にほころび始める。
「トラック殿がこんなところで終わるものか!」
「必ずや剣士殿を連れて帰って来よう!」
二人の呼び掛けに、しかしセシリアの反応はない。飛来した矢がナカノロフの左肩を貫き、鉄鞭がヨシネンの右腕を砕く。【絶対防壁】が大きく揺らいだ。
「信じるのだ!」
「貴女が信じずしてどうする!」
セシリアの瞳がわずかに揺れる。槍がナカノロフの腹を穿ち、槌がヨシネンの側頭部を痛打する。飛びそうになる意識を奥歯を噛んでつなぎ止め、二人は叫んだ。
『それともお前は、己が惚れた男のことが信じられぬか!』
ナカノロフの口から赤いものが溢れる。流れ落ちる血がヨシネンの視界を遮る。【絶対防壁】の発動を示していたスキルウィンドウが弾け、敵の刃がナカヨシ兄弟の心臓に突き立てられ――
セシリアを中心として、白い光が爆発した。
「私がこうしてここにいることができるのはお二人が守ってくれたお陰なのです」
ナカヨシ兄弟は照れたように頭をかく。敵から受けた傷もセシリアの治癒魔法ですっかり癒えているようだ。セシリアが目を覚ましてほどなくトラック達が帰還し、現在に至るというわけだな。っていうか、ナカヨシ兄弟、めっちゃカッコいいじゃん。鏡餅体型のヒャッハーさんだった初登場とはえらい違いだよ。本当にありがとな。トラック達が戻ってきたときにセシリアが攫われてましたじゃ大変だもんね。
「これで我らも役目を果たせた」
「うむ。思い残すことはない」
ナカヨシ兄弟は爽やかな表情でトラックを見る。ちょっとちょっと、何をもうお別れみたいな。敵は撃退したんだからこれから皆で帰るんでしょうが。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ナカヨシ兄弟はあいまいに微笑んで答えず、その代わりのようにナカヨシ兄弟の背後の空間が歪んだ。セシリアがハッと息を飲む。
「死神――!」
空間のゆがみから澱んだ闇が溢れ、凝集し、巨大な鎌を携えた死神が姿を現す。ナカヨシ兄弟は満足そうに笑った。
「おそらく我らの命は、今日この時のためにあったのだ」
「未来の偉大な英雄たちを守るために」
その行く末を見ることができぬのは残念だがな。ナカノロフが小さくつぶやく。【サクリファイス】の発動の代償は己を死神の供物に捧げること。い、いや、確かにそう聞いたけど、ちょっと待て、落ち着け! 命を捨ててとか、そういうの似合わないから! そういう世界観と違うから! ちょっとトラック何とかして! セシリアを助けてナカヨシ兄弟が死ぬとか、そんなん全然望んでないから!! そういうんと違うから!!
死神が大鎌を振りかぶる。剣士が【なんでもない剣】で死神に斬りかかるが、しかしその刃は死神に触れることさえできずに通り抜けた。えぇい、役に立たん剣をくれおって惰眠王! セシリアが素早く呪文を唱え、ナカヨシ兄弟を結界が包む。しかし死神が振り下ろした大鎌は結界をすり抜け――
――プァン
トラックは静かな、底冷えのするようなクラクションを鳴らす。死神の大鎌がヨシネンの首に触れる寸前で止まった。死神は怯えるようにトラックを見る。スキルウィンドウがスッと現れてトラックの激情を伝える。
『アクティブスキル(ベリーウェルダン)【帰れ!】
相手さん、なんかめっちゃ怒ってはるよって、
今日のところは逆らわんと帰ったほうがええで』
死神はしかし、激しく動揺しながらも身振り手振りで何かを訴えかける。えーっと、なになに、これは正当な手続きを踏んだ契約だから、帰れとか言われても困る、こっちは役務を果たしたのだから対価をもらわないと、こちらにも立場というものが
――プァン
死神のジェスチャーゲームを遮ってトラックはさらにクラクションを鳴らす。抑えても滲み出る怒りが大気を震わせる。
『スキルゲット!
アクティブスキル(SSR)【か・え・れ!】
悪いこと言わんからほんま、
今は帰りて。
あのおひとはな、
本気で怒ると無表情になりはるんよ』
あ、すみません、帰りますすぐ帰ります、という感じで死神は大鎌を仕舞った。心なしか肩を落として、出てきたときと逆に、滲む闇に溶け、空間の歪みに消える。ナカヨシ兄弟も剣士もセシリアも、ぽかんと死神が消えた空間を見つめた。
……なんかちょっと、死神が可哀そうな気がしてきちゃったなぁ。別に好きでやってるわけじゃなくて、仕事してるだけだもんね。ちゃんとナカヨシ兄弟に力を与えて、それでこっちは実際に助かったんだし、それを請求の段階で【帰れ!】って言うのもひどい話だよなぁ。いや、だからってナカヨシ兄弟の魂を持っていかれても困るんだけどさ。帰社した後で上司に怒られるのかなぁ、死神。
「……はっはっは」
「覚悟を決めたつもりが、まさか生き延びるとは」
気が抜けたようにナカヨシ兄弟は笑った。セシリアが胸に手を当てて安堵の息を吐き、剣士は複雑な表情で【なんでもない剣】を見つめる。
「また貴方に助けられた」
「御恩をお返しするはずであったのにな」
トラックがプァンと軽い感じのクラクションを鳴らした。ナカヨシ兄弟は顔を見合わせて苦笑し、「よしっ」と声を上げて立ち上がる。
「貴方が気にせずとも、我ら兄弟、受けた恩は必ずお返しする所存」
「一朝事あらばいかなる場所にも馳せ参じよう。お忘れめさるな」
トラックはどこか渋いクラクションを鳴らした。セシリアは「まあまあ」とトラックをなだめ、気分を切り替えるように皆を見渡して言った。
「戻りましょう。まだ何も終わってはいない」
セシリアを取り戻した、とはいえ、ゴブリンたちの安全が確保できたわけでもゴブリン病の感染の収束にめどが立ったわけでもない。むしろセシリア奪取に失敗した工作員たちは、ゴブリンとの関係の破壊やケテルの世情の不安を煽るテロで成果を上げるようにシフトするかもしれないのだ。
トラックは運転席と助手席のドアを開き、アルミバンのウィングを上げる。遠慮するナカヨシ兄弟を荷台に押し込み、剣士とセシリアを席に座らせたトラックがやや遠慮がちに小さなクラクションを鳴らした。セシリアが鋭く息を飲み、剣士に目を向ける。剣士はうなずきを返した。
「……その名はまだ、秘さねばなりません。どうか今まで通りセシリアとお呼びください」
そう言ったセシリアの顔には複雑な影が差している。苦しいような、ホッとしたような、迷っているような、背負っているような――トラックは短くクラクションを返すと、【フライハイ】で空へと舞い上がった。
ナカヨシ兄弟が馬そっくりに擬態できるのはスキルではなく、コスプレイヤーとしての地道な精進の結果です。




