英雄譚
「ギルドマスターって、元Sランク冒険者だったのですか!?」
驚きの声を上げてセシリアが目を丸くする。イーリィが少し自慢げに頷き、カウンター越しのマスターが苦笑いを浮かべた。
「もう十年以上前の話だがな」
冒険者ギルドには仕事の依頼・斡旋を行うスペースの横に酒場が併設されている。冒険者は気性も金遣いも荒く、ギルドの依頼をこなして金が入るとパァっと散財、という計画性のない奴らが多い。そういう連中が落とす金を狙って、依頼料の支払カウンターから入り口に向かう動線上で必ず視界に入る絶妙な場所に酒場の入り口がある。ギルドの入り口付近で冒険者を観察していると、支払カウンターから面白いように酒場に吸い込まれていく様子が見えて、もはや冒険者ホイホイと言ってもいいくらいだ。『支払った依頼料は建物内で回収せよ』がギルド酒場の従業員の合言葉なのだとか。冒険者ギルドおそるべし。
時刻はちょうどお昼を回ったところで、セシリアとイーリィは酒場のカウンターで談笑している。トラックは二人の後ろでぼーっと停車していて、ちょっと所在なさげな感じだ。カウンターの内側ではギルドマスターがグラスを拭いていた。ギルドマスターは当然ギルドを統括する責任者だが、特に深刻な事態のないときは酒場のマスターをやっているそうだ。ちなみにホールからは見えないが、奥の厨房ではロジンがひたすらジャガイモの皮をむいている。
お昼時なのでランチ目当てのお客がそこそこ入ってくるのだが、トラックが結構な面積を占有しているため無駄に混雑している。カウンターの一番奥で昼間っから飲んだくれているおっさんが不快そうにグラスをあおった。なんか行列ができてきたな。マスター、放っといていいの?
「『鉄貫』のグレゴリ、と言ったら、冒険者のみならず一般人でも、知らぬ者はないと言われるほど有名だったのよ」
嬉しそうにイーリィはマスターを語り、マスターは少し居心地が悪そうだ。あ、そういえば、マスターってグレゴリって名前なんだな。初めて知った。だってみんなマスターって呼んでるからさぁ。
「でも、ただ強いだけではSランクにはなれないでしょう?」
「もちろん」
セシリアの疑問を当然予想していたというように、イーリィは大きく頷く。冒険者のランクは通常、依頼をこなして実力とギルドへの貢献を示すことで上がるのだが、E~Aランクと異なり、Sランクは特別な条件を満たさなければ昇格できないのだそうだ。すなわち、『国家の存亡、またはそれに相当する危機を解決すること』。Sランクは冒険者の中で、伝説的な成果を残した者に対する名誉の称号なのだ。
「マスターはね、魔王を倒した伝説の勇者なのよ」
「魔王を!?」
セシリアは驚きに目を丸くする。マスターはイーリィをたしなめるように言った。
「話を大きくしないでくれ、イーリィ。俺だけの手柄じゃないし、ほとんど偶然のようなもんだったんだから」
「あら、でも嘘ではないでしょう? マスターたちがいなければ、世界は滅んでいたかもしれない」
イーリィが少し不満そうにマスターに反論する。イーリィにとってマスターが『魔王殺し』なのは誇らしいことなのだろう。逆にマスターは、あまり自慢にならないと思っているようだ。でもどうしてだろう? 魔王を倒したなら、充分自慢していいことのような気がするけど。
「どういうことですか?」
セシリアは興味津々という顔で話の続きを促す。イーリィが待ってましたとばかりに勇者の伝説を語り始める。マスターが諦めたようなため息を吐いた。
今から三十年ほど前、マスターはケテルのAランク冒険者だった。当時からマスターとその仲間の名は知れ渡っていて、いわばケテルの冒険者ギルドを支える核のような存在だったそうだ。
「『鉄貫』のグレゴリ、『風舞い』のシェスカ、そして『千鳥足』のジンゴ。この三人のパーティが作った伝説は両手の数では足りないわ」
……なんか一人、変なのが混ざってる気がするけど。酔っぱらいが混ざってますけど。特に疑問に思わないのか、イーリィは高揚気味に話を続ける。
「ある日、ドワーフたちが採掘する鉱山から、禍々しい魔力を放つ『何か』が発掘されたの。連絡を受けたギルドはグレゴリたちを調査に派遣した。深い坑道の一番奥で彼らが見たのは、今まさに覚醒しようとしている、魔王の姿だった」
魔王は遥か古の時代に、神の手によって地中深くに封じられたらしい。ところが運悪く、ドワーフたちがそれを掘り出してしまった。神話に伝わる魔王の力が真実なら、魔王の覚醒は世界の終わりを意味する。マスターたちは魔王が覚醒する前に滅ぼすより他に道はないと、その場で戦いを挑んだのだそうだ。
グレゴリの棍が魔王を鋭く打ち据える!
シェスカの双剣が魔王を切り裂く!
ジンゴは一杯ひっかけていい気分!
魔王がグレゴリに雷を放つ!
魔王の大剣がシェスカを襲う!
魔王がバタピーをジンゴに差し出す!
鉄をも貫くグレゴリの突きが魔王に炸裂する!
美しいとさえ思わせるシェスカの剣舞が魔王を翻弄する!
ネクタイを頭に巻いたジンゴの鼻唄が坑道に響く!
……ジンゴ何もしてねぇじゃねぇか! 一杯ひっかけてバタピー食って鼻唄歌ってただけじゃねぇか! なんでこんなのとパーティ組んでんの!? もっといい人材いっぱいいるだろ! そして魔王はなんでジンゴにバタピー振舞ってんだ!
激しい戦いは半日に及び、互いに決定打を得られないまま膠着した。しかし魔王の魔力は尽きる気配がなく、一方のグレゴリたちは体力の限界が近い。このままではいずれ敗北は必至。グレゴリたちの頭を絶望的な予感がかすめた。
「グレゴリたちの疲労を見て取った魔王は、禍々しい漆黒の魔力を帯びた大剣を振りかざして彼らに迫る! グレゴリたちにそれを迎え撃つ力は残っていない! まさに絶体絶命! だがしかし、ついに!」
イーリィさん、ノリノリですね。でも、ついに? 何だろう。まさか、ここにきてついにジンゴが真の力を発揮するのか!?
「ついに、ジンゴが酔い潰れて寝てしまった!」
役立たず! 最後まで役立たずジンゴ! いよいよもってこんなのとパーティ組んでんのか分からん。そしてなぜにイーリィがまるで物語のクライマックスを語るようなテンションになっているのか。ジンゴの描写全カットで良くない?
「ジンゴの手から酒瓶が滑り落ち、地面に転がる! 魔王が大剣の間合いにグレゴリたちを捉えた! もはやこれまで! グレゴリたちが運命に膝を折ろうとした、その瞬間! 奇跡が起きた!」
ヒートアップしたイーリィが手でカウンターをタンタンと叩く。講談師みたいだな。いつの間にか周囲のお客さんも食事の手を止めて聞き入っている。誰かのごくりとつばを飲む音が聞こえた。イーリィは焦らすようにたっぷりと間を取ると、絶妙なタイミングで声を張り上げた。
「ジンゴの転がした酒瓶を踏んだ魔王が、滑って後ろにコケたのだ!」
……えぇー? マジで? それ本気で言ってます?
おぉー、と周囲の客から感嘆の声が上がる。いや、『おぉー』じゃねぇよ。今の展開のどこに感心する要素があんのよ。むしろ時間返せレベルだよ。
「これを逃せばもうチャンスはない! グレゴリとシェスカは最後の力を振り絞り、己の持つ最強の必殺技を魔王に叩き込んだ! 後頭部を強打し呻いていた魔王は、まったくの無防備で必殺技を喰らい、滅んだ! 世界の危機はこうして去ったのだ!」
やり切った、とばかりにイーリィが天井を仰ぐ。誰からともなく拍手が沸き起こり、やがて万雷の如く酒場に響いた。みんなスタンディングオベーション。あちこちで指笛が鳴り、数人の客が目尻の涙を拭っていた。
ホワイ、ケテルズピーポー? なぜそこまで盛り上がれるの? むしろ魔王が可哀そうでならないんですけど。古の時代に地中深く封じられ、復活の直前に酔っぱらいの酒瓶のせいで滅ぼされたとか泣けてくるんですけど。せめてもう少し華々しい最期であれ。
「満足したか?」
マスターがグラスを拭く手を止め、イーリィに向かって呼びかける。イーリィは「とっても」と言ってさわやかな笑顔を浮かべた。酒場の客たちも満足げに各々の席に戻り、冷えてしまった昼食を見てちょっぴり後悔した顔をしている。セシリアはしばらく考え事をしているように俯き黙っていたが、やがて顔を上げてマスターに尋ねた。
「どの程度、事実なのですか?」
マスターは一瞬だけ驚いた表情に変わると、
「ご想像にお任せするよ」
そう言ってニッと笑った。それを聞いたイーリィが不満げに口を尖らせる。
「なによ。私が嘘ついてるみたいに」
「そういうわけでは。ただ、にわかには信じがたい話ですから」
首を振ってセシリアが答える。イーリィは首を傾げ、上目遣いに中空を見つめた。
「……まあ、確かに。私も生まれる前の話だから実感はないわね」
「噂にゃ尾ひれがつくもんさ。そっちの方が面白いからな。みんなが楽しんでんなら、それが真実でいいだろうよ」
マスターの言葉に、イーリィはむぅと唸って腕を組んだ。あまり納得はしていないらしい。軽く肩をすくめ、マスターはグラス拭きを再開した。
「マスター、ちょっと……」
タイミングを見計らったように、ギルド職員の一人が酒場の入り口からマスターに声を掛ける。マスターは軽く手を挙げて職員に応えると、
「悪いな。ちょいと外すぜ」
と言って酒場を出て行った。入れ替わりにマスターを呼びに来た職員がカウンターに入る。客から注文が入り、職員は厨房にオーダーを伝えた。
「魔王にSランクの冒険者なんて、まるでおとぎ話のようです」
セシリアはそう言って、マスターが消えた酒場の入り口に目を遣った。まあ確かに、目の前でグラスを拭くおっさんが昔世界を救いましたとか言われてもピンとこない気はする。おまけに魔王だよ魔王。もうね、芋焼酎のイメージしかないわ。
「そうね。でも、マスターが世界を救ったのは本当よ。冒険者ギルドはそれを事実として認めているし、その功績によってギルドマスターになったのだもの。そしてその功績を疑わせないほどの実力も、マスターにはあったのよ」
でも、マスターはあんまり話したくないような素振りだったよなぁ。何か嫌なことでもあったのかな。魔王が酒瓶でコケたのがそんなに嫌だったのかな。
イーリィはマスターの強さをセシリアに力説すると、振り返ってトラックを見た。
「トラさんも、一度マスターに手合わせしてもらったらどう? きっといい勝負ができるんじゃないかしら」
プォン、とやる気無さそうにトラックがクラクションを返す。イーリィはセシリアと顔を見合わせ、呆れたように笑った。
「ほんと、トラさんはそういうことに興味ないわね」
今日もマスターは独り、トイレにこもって苦悩していました。誰にも言えない秘密を抱えて。マスターは小さくつぶやきます。「……人違い、なんだよ……」




