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約束を果たす

 トラックが飛び込んだ異界は、ゴブリン村やエルフの都に行くときに通った『妖精の道』に似ている。しかし『妖精の道』が曲がりなりにも『道』であるのに対し、この異界はどこをどう通ったらよいのかわからない。景色は揺らぎ、歪み、まっすぐ進むことも難しく、方向感覚を失いそう。迷いなく進む剣士の後ろをトラックは必死についていく。


「見えた」


 剣士がつぶやき、足を止める。空間に仄かな灯りが浮かんでいる。剣士はためらうことなく空間に手を伸ばし、灯りに爪を立て、一気に引き裂いた。金属が破断する耳障りな音が響き、裂け目から見覚えのある風景が覗く。剣士は躊躇なく裂け目に体をねじ込んだ。飛び出した先には、南に延びる街道を走る二頭立ての馬車とそれを囲む護衛と思しき一団がいた。


「な、なんだ!?」


 何もない空間から突如現れた剣士の姿に恐慌をきたし、馬車の馬が後ろ脚で立ち上がっていなないた。御者が馬の制御に失敗し、馬は馬車を振り切って走り去る。馬車がバランスを崩して横倒しになり、周囲を巻き込みながらギャリギャリと街道を削って滑る。護衛の乗っていた馬が主を振り落として逃げ去った。一瞬でもたらされた惨状にトラックはプァンとクラクションを鳴らす。道をふさぐように街道の真ん中に立ち、剣士がにやりと笑った。


「助けてやるよ、なぁ、セフィロトの娘よ」


 どす黒い気配が広がり、護衛たちが動きを止める。いや、金縛りにあったように動けなくなっている。剣士が馬車に向かって手をかざすとその扉が吹き飛んだ。横倒しになった馬車からセシリアが身を乗り出し、剣士の姿を見て息を飲んだ。


「そんな……」


 呆然と見つめるセシリアを剣士は楽しげに見つめ返す。セシリアの横から仔犬が這い出し、頭を押さえて首を振る。


「……な、なんだ? 何が起きた?」


 状況が理解できていないのだろう、仔犬は顔をしかめて痛みに耐えている。剣士がおもちゃを見つけた子供のように目を輝かせた。ハッと我に返って杖を掲げたセシリアの魔法と剣士の歓声が重なる。


 バチッ!


 仔犬の目の前で力が弾け、余波で仔犬は後方に吹き飛ばされた。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。剣士の顔が不機嫌なものに変わり、セシリアが大きく息を吐く。


「おいおい、お前を攫おうとした奴だぞ? どうしてかばうんだよ!」


 癇癪を起したように剣士はセシリアをにらむ。癇癪の余波が周囲の護衛たちをなぎ倒す。再び杖を掲げて余波を打ち消し、馬車から地面に降り立ってセシリアは叫んだ。


「逃げなさい、今、すぐに!」


 その言葉に呪縛を解かれた護衛たちが戸惑いの表情を浮かべる。明らかに逃げたい、しかし命令に背くこともできない、その葛藤が動きを鈍らせる。剣士はバカにしたように鼻にシワを寄せた。


「愛しの特級厨師様の前じゃ誰も殺させませんってか? 恋する乙女は辛いねぇ」

「黙れ!」


 怒りを宿したセシリアの翡翠色の瞳が強く光を帯びる。


「その声で汚らわしい言葉を口にするな!」


 剣士の真紅の瞳が妖しくゆらめき、喉の奥で嗤う「ククク」という声が広がる。


「呼ばれて来たっつってんのに、相も変わらずひでぇ言い草だなぁ。文句があるならこの身体の持ち主に言えよ。いや、こいつが力を望む原因を作った誰かさんに、かな?」


 事のついでみたいに、剣士は人差し指を近くにいた護衛の一人に向ける。護衛が恐怖に身をすくませた。指先から禍々しい閃光が奔る。セシリアが放った淡い翠の光が閃光を遮り――遮りきれずに、護衛の腹を抉った。唇を噛み、セシリアからあふれた真白の光が護衛を癒し、護衛は何が起きたのか理解できぬまま腹部に目をやり、消えた傷を撫でた。


「早く逃げなさい! 何度も防ぐことはできない!」


 半ば悲鳴のようなセシリアの声に、しかし仔犬は迷いを捨てられずにいる。本能が鳴らす警報音と、仕事への責任の間で揺れている。剣士が仔犬に笑いかけた。


「いいねぇ。仕事にまじめな奴は好きだぜ。そういう奴らは仲間が何人死のうが、ちゃんと最後まで遊んでくれるのさ」


 剣士が仔犬に指先を向ける。仔犬の顔が強張った。トラックがプァンとクラクションを鳴らし、剣士に向かってアクセルを踏み込む! セシリアが再び叫んだ。


「生きていれば、次の機会はある!」


 剣士は右手でトラックのキャビンを受け止める。前輪が耳障りな音を立てて空転する。


「敵を守って仲間を攻撃たぁお前もたいがいイカれてるよなぁ。自分のエゴのためなら何でもやっちゃうタイプ? 大丈夫? 嫌われるぜぇそういうの」


 人を食った余裕の態度で剣士はにやにやと笑っている。葛藤を振り切り、仔犬は口から法玉を取り出して地面に叩きつけた。淡い光が仔犬とその仲間たちを包む。剣士がトラックを突き飛ばし――それほど力を入れているように見えないというのに、トラックは十メートル近く吹っ飛ばされた――振り返って口を尖らせた。


「ちょっとぉ、逃がすわけ、ないでしょ?」


 剣士の両手の指に暗紫色の炎がともる。一つ一つが簡単に命を奪うその熱量は大気を歪ませ、息苦しさが呼吸を早める。愉悦を全身で表し、剣士が炎を放――


――ズガァァァン!!


 剣士の身体が爆風に包まれ、土煙が視界を遮る。トラックの【怒りの陽電子砲(ポジトロン)】が剣士を直撃したのだ。暗紫色の炎の気配が消えた。仔犬たち包む光が淡く残像を残して消え、仔犬たちもまた姿を消した。土煙が晴れ、無傷の剣士が姿を現す。


「……お優しいねぇ特級厨師殿。威力(怒り)が足らないってか?」


 小バカにした目がトラックを見下す。【怒りの陽電子砲】の力の源はトラックの抱く強い怒り。トラックは剣士に対して怒りを持つことができないから、その威力もない、ということなのだろう。獲物を逃がした苛立ちを示し、剣士はドスのきいた声で言った。


「せっかく楽しく遊ぼうってのに邪魔してくれちゃってさぁ。埋め合わせはしてくれるんだろうな?」


 紅い瞳に残酷な喜びが浮かぶ。


「トラックさん!」


 セシリアの声にプァンと応え、トラックはぶぉんとエンジン音を鳴らした。




「簡単に死んでくれるなよ。こっちは久々のジユウなんだからさ」


 右手に煉獄の炎を、左手に永久凍土の冷気を宿し、剣士はにやにやと笑う。


「さあ、どうやって死にたい? どうやって殺されたい? 焼死、凍死、それとも爆死? 今なら選び放題だぜ?」


 トラックはプァンとクラクションを返す。剣士はふんっと鼻を鳴らした。


「つれないねぇ英雄殿。そんじゃぁ俺が選んじゃうぞっ」


 うーん、と首をひねり、剣士は中空を見つめる。ほどなく何かを思いつき、剣士は得意げにトラックに言った。


「よぉし、今日のお前は感電死だ」


 トラックに向けた指先から大気を裂く轟音と共に一条の雷撃が放たれる。トラックは右にハンドルを切りアクセルを踏み込んで射線を外した。


「お、すごい」


 剣士が素直な称賛をつぶやく。トラックはそのままの勢いで剣士に突撃する。剣士は右手の拳を握り、トラックの突撃に正面から叩きつけた! トラックの車体が後方に吹き飛ぶ。完全に力負けしている。まるで大人と子供だ。

 トラックがプァンとクラクションを鳴らす。剣士がぷっと噴き出した。


「確かに、雷撃に直撃されたら感電死とは言わない気がする」


 でもじゃあなんて言うんだ、と剣士は腕を組んで思案し始めた。トラックは再び距離を詰め、剣士に【回し蹴り】を放つ。それを身を引いてかわし、剣士はむっとした顔を作った。


「こらこら、こっちはまだ考え中」


 空を切った【回し蹴り】をトラックは連続で発動する。位置を移動していないため剣士には届かず、トラックはコマのようにその場でくるくると回っている。剣士が興味を惹かれたようにトラックを見つめた。回転は徐々に早まり、渦巻く風が砂を巻き上げる。


『スキルゲット! アクティブスキル(レア)【サイクロントルネードハリケーン】

 回転する身体が風を巻き起こし、渦を巻いてあらゆるものを吹き飛ばす。

 回し蹴りの派生技』


 さ、サイクロントルネードハリケーンって、ネーミングセンス小学生か。むしろ堂々とそれを発表する強心臓がうらやましいわ。風に関係する知ってる言葉を全部繋げましたって感じがむしろ清々しいわ。

 【サイクロントルネードハリケーン】が作り出した竜巻は剣士を飲み込み、その身体を空高く舞い上げる。もみくちゃにされながら剣士は楽しそうに笑い声をあげる。


「はははっ! すごいな特級厨師! お前は望む力を望むとおりに引き出せるのか? なるほど大したチートだ。いや、むしろバグに近いかな?」


 剣士は力をためるように身を縮めると、ためた力を一気に開放した。竜巻が吹き散らされ、剣士は平然と空中に浮かんでいる。


「あの駄女神がアクセス権を消去しやがったせいで、俺たちはこんな裏技みたいな方法でしか世界に干渉できなくなっちまってさぁ。お前みたいなイレギュラーも修正できないていたらくだよ。『管理者』はリセットしたがってんのにさぁ」


 ぐちぐちと剣士は、誰に聞かせるでもなくつぶやく。トラックは訝しげなクラクションを鳴らした。おっと、と我に返り、剣士は何でもないと手を振った。


「これ以上は禁則に引っかかるからだーめ。俺が消されっちまうわ」


 気を取り直すように、あるいはごまかすように、剣士は殊更に大きな声を出した。


「さぁて、あんまり一人と遊んでると怒られっちまうから、そろそろおしまいにしようかな? せっかくだから、お前にちょっと縁の深い方法でやっちゃうってのどうよ?」


 トラックに手をかざし、剣士は呪文を唱え始める。それはいつか聞いた懐かしいフレーズ。しかしその記憶と共に蘇る温かさとは無縁の、冷酷な気配だけがそこにあった。


「虚無の右手、沈黙の声、星喰らう蛇の毒を杯に満たせ」


 魔王が唱える最強の魔法。トラックを救うために放たれた滅びの呪文。言葉にならなかった「さよなら」が心臓を刺す。トラックがギリリと奥歯を噛むようなクラクションを鳴らした。大切なハルとの思い出を踏みにじるような所業に怒りを募らせている。


「巨人の咆哮は始まりの鐘にして運命の予言」


 トラックの怒りを嘲笑うように剣士は呪文を紡ぐ。大気が震え、終わりの気配が膨れ上がる。凝集する力は魔王と同等、しかしハルのように手加減するなんてことは絶対にない。たまりかねたようにセシリアが叫んだ。


「カイっ!!」


 ……?


 !


 け、


 剣士の名前初めて出てきたーーーーっ!!! 剣士、初めて名前呼ばれたーーーーっ!!!


 い、いや、そんなこと言ってる場面じゃないってわかってるけど! でも今言わなきゃスルーされるから! だってさ、今まで不自然なくらい全然名前呼ばれなかったから剣士! もうこの世界には剣士はこいつ一人なのかって勢いで名前呼ばれなかったから! この場面で名前呼ばれないの不自然だろって場面でも頑なに名前呼ばれなかったから! もうこのまま一生剣士は剣士のままで生きていくんだって思ってたんだよ! まさかここにきて名前が出てくるとか思わなかったんだよ! 名前、あったんだな剣士! 今更名前が判明してもむしろ本名のほうがしっくりこないよ剣士!


「無駄だよセフィロトの娘。こいつはもうすべてを俺に委ねたのさ。お前を助けるための力と引き換えになぁ。奴はもう無意識の海に沈んでる。二度と浮かび上がることはないよ、可哀そうに」


 剣士は醜悪な笑みでセシリアを見下す。セシリアが唇を噛んだ。その目からぽろぽろと涙がこぼれる。


「この世の理に縛られるお前たちに、俺をどうこうできる力はないんだよ! そこで黙って泣いてろ、自分を呪いながらな!」


 剣士の右手に『死』が凝集し、パリパリと放電するような音を立てる。その赤い瞳が輝きを増した。


「歪み、閉ざし、崩れ、滅び――」

「惰眠王よ、汝が眠れる無限回廊の扉を開け!」


 剣士の詠唱を遮り、セシリアが力ある言葉を放つ。今まで一度も余裕を失わなかった剣士の表情が初めて崩れた。剣士の背後の空間が歪み、黒々とした闇がぽっかりと口を開ける。


「ま、待て待て! 自分が何をしてるかわかってんのか!? そんなことをしたら、こいつは永遠に無限回廊の住人になるんだぞ!?」


 闇が持つ引力に囚われ、徐々に剣士の身体が異界の入り口に引き寄せられていく。剣士は必死に抵抗しているようだが、引力を引きはがすことはできないようだ。


「今ならまだ間に合うぞ! 扉を閉じろ! こいつの魂を死してなお彷徨う亡霊にしたいのか!?」

「これはっ!」


 あふれる涙を拭おうとさえせず、セシリアは叫ぶ。


「私と彼の、約束なのです!」


 見えぬ力に引きずられ、剣士の身体が半ば異界に引きずり込まれる。扉の縁に手を掛けて必死に抵抗するものの、異界に取り込まれるのは時間の問題のようだ。左手が縁から外れ、右手一本で身体を支えながら、剣士は悔しげに叫んだ。


「畜生っ! せっかく自由に動けると思ったらこれかよ! また仕込み直しだ!」


 恨み言を吐き出し、剣士の手が異界の扉の縁から離れ、その身体があっという間に見えなくなる。セシリアが固く目を瞑ってうつむき、崩れるように膝をついた。役目を終えた異界の扉が徐々にその口を閉じていく。セシリアの嗚咽が響く。


――プァン


 トラックの静かなクラクションにセシリアは顔を上げた。トラックは【フライハイ】を発動し、閉じかけた異界の扉に車体をねじ込む!


「トラックさん!」


 悲鳴のようなセシリアの声を背にトラックは異界へと飛び込み、扉は完全に口を閉じて消えた。

剣士の苗字は、シデンか、シンクか。

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[一言] 百万字超え記念に相応しい回になりましたね( ˘ω˘ )
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