どうしようか
トラックのエンジン音が途切れ、車体の振動が止まる。ヘッドランプもブレーキランプも消え、地下闘技場は急に訪れた静寂に戸惑っているようだった。剣士が唖然と口を開け、イヌカも組んでいた腕をほどいてトラックを凝視する。戦士が地面に膝をついた。短槍使いですら、目の前で起きた事実が信じられないようにぽかんとしている。
「……あっけない、もんだね」
かすれた声で短槍使いがそう声を搾りだす。今までどんな危機も困難も、言ってみれば都合よく切り抜けてきたトラックが、今度ばかりは運命に膝を屈した。それはもしかしたら、短槍使いと戦うことに対するトラック自身の迷い、だったのかもしれない。トラックの思う正しさ、正解が何なのか、それがはっきりしていれば、トラックの願いに応えてスキルが発現する。しかし、トラックは迷ってしまったのだ。戦士を助けたいとしても、そのために短槍使いと戦い、彼女を否定することがはたして正しいのかどうか。その迷いが、危機を乗り越えるだけの強い願いへの結実を妨げた。だから今、トラックは命を失ったのだ。
トラック無双、完。
待て待て待てぃ!
完、じゃないわ!
全然何にも解決してないだろ! このまま全部ぶん投げられたら消化不良で胃がもたれるわぁ! ってか嘘だろ!? こんな死に方ある!? 剣士あたりがお前の意思は俺が継ぐ的な感じで第二部開幕!? それにしたってもっとふさわしい死に様があろうよ! お前のローン、まだ払い終わってないんだぞ!
「……くそっ!」
強い後悔を宿し、剣士は腰の剣を抜き放った。短槍使いが我に返ったように剣士を見る。
「あんたもギルドを裏切るのかい? だったら、あんたも始末しなきゃならない」
「黙れ! もうそんな次元の話じゃない!」
剣士は長剣の切っ先を短槍使いに突き付ける。その瞳に妖しく赤い光が浮かぶ。
「仲間を殺した落とし前はつけさせてもらうぞ!」
「そいつは八つ当たりだ。トラックをひとりで戦わせ、むざむざ死なせたのはあんたの見込みの甘さだろ?」
短槍使いが長剣をくるりと回し、武器を再び槍へと変える。挑発めいた物言いに奥歯を噛み、剣士は怒りを蓄えるように膝をかがめる。両足に力を込め、地面を蹴って短槍使いに襲い掛かる、その寸前――
「待て! 何か、おかしい」
イヌカの鋭い静止が剣士の動きを止めた。皆の視線がイヌカに集まる。イヌカはじっとトラックを、正確に言えばトラックのキャビンの上を、見ていた。
「砂時計が、消えていない」
言われてみれば確かに、砂時計はすべて砂を落としてなお、トラックの頭上に留まり続けている。命を惰眠王に献上し終えたなら砂時計がそこにあり続ける意味はないはずだ。短槍使いが違和感を顔に表す。砂時計が消えないということは、砂時計がまだ役割を終えていない、ということを示している。
――くるん
唐突に砂時計がひっくり返り、同時に砂時計の底が抜けた。流れ落ちる砂は光の粒へと変わり、抜けた底からトラックへと降り注ぐ。光はトラックに吸い込まれ、そして――ぶぉんとエンジン音を立て、トラックの車体が振動を始める。
「……なんだ、そりゃ」
脱力したように剣士がつぶやく。イヌカも呆れたように「ははは」と笑った。戦士は何が起こったのか理解できていないようだ。短槍使いが思わずといった様子で叫んだ。
「バカな! 惰眠王が献上された命を返したっていうのかい? どうして、そんな」
砂時計の砂はあっという間にトラックに吸収され、砂時計は役割は果たしたと言わんばかりに澄んだ音を立てて砕けた。トラックがどこか緊張感のないクラクションを鳴らす。短槍使いが憎らしげにトラックをにらみつけた。
「本当に、本当にふざけた男だ、あんたは! 運命はいつもあんたに味方する! あたしらに訪れない奇跡が、あんたにだけは容易く起きちまう! その不平等がこんなに腹立たしいなんて、あんたを敵に回して初めて知ったよ!!」
今まで抑えていた感情が決壊したかのように短槍使いは怒りを露わにすると、槍の穂先をトラックに突き付けた。
「仕切り直しだ。六王の宝具はまだあるよ。その全てを使い切っても、トラック、あたしはあんたを殺す!」
不自然なほどに激しく苛立ち、むしろ自身をコントロールできない様子で、吠えたてる犬のように短槍使いは鼻にしわを寄せた。理不尽を、不正を糾弾する意志がビリビリと空気を震わせる。トラックは静かにクラクションを鳴らした。もはや言葉にならぬ獣のうなりを上げ、短槍使いはトラックに躍りかかった。
短槍使いはトラックに正面から駆け寄ると、間合いに入る直前に地面を蹴り、跳躍して空中で前方に回転すると、その勢いをもって槍を叩きつけた! 槍はトラックのキャビンに当たり、ほとんど何の手応えもなく砕ける。それは折れる、ではなくまさに砕ける、というにふさわしく、槍の穂先から石突まで、余すことなく細かい欠片となって散った。短槍使いはすぐに後ろに下がり、斬りつけるような韻律を刻む。
「双頭の獣、喰らい、滴れ、銀の杯、満たし、染まれ、暗愚の王、嘆き、潰え、腐れ、貫け!」
砕けた欠片が渦を巻いて上昇し、トラックの頭上に雲のようにわだかまった。
――カツッ
何か固いものがトラックのアルミバンに当たり、小さな傷をつける。それは砕けた槍が作った雲から落下した、爪の先ほどの大きさの鉄片だった。
――カツッ、カッ
鉄片はポツリ、ポツリとトラックを打ち、やがて雨のように降り注ぐ。勢いは徐々に増し、豪雨となった鉄片はトラックの車体を削り取っていく。
『アクティブスキル(VR)【暗愚王の血雨槍】
地獄の六王の一柱である暗愚王が所有する宝具、血雨槍を現世に顕現させる。
この槍が砕けると、その欠片は雨のように降り注いで対象を切り刻む』
鉄の雨は哀れな犠牲者の血で赤く染まる、ゆえに名を『血雨槍』と称する、ということだろうか。トラックは血なんてでないからそんなに凄惨な絵面にはならないで済んでいるが、人間相手に使ったら結構エグそうなスキルだな。トラックのアルミバンが抉れ、穿たれ、無数の穴が開いた。トラックは両側のウィングを大きく広げて風を巻き起こし、雨雲を吹き散らす。雲を形成していた欠片が千々にちぎれ、力を失って溶けて消えた。
「……これでも、ダメだってのか」
忌々しげに奥歯を噛み、短槍使いは強くトラックをにらむ。そこには強い憎悪があった。望んで、でも届かないものを容易く持つ者に対する、それは嫉妬のように見える。トラックは寂しげなクラクションを鳴らした。短槍使いは復活した血雨槍を大きく振ってトラックを否定する。
「上から言ってんじゃないよ! まだ終わっちゃいない!」
短槍使いが再び槍をくるりと回す。新たな六王の宝具を携え、短槍使いはまたも地面を蹴った。
地獄の六王の宝具、『王大人の火鍋』が火球を放ち、『大鵬の掬い投げ』でトラックは宙に舞い、『卵焼きは大根おろしにポン酢』でさっぱりと。攻撃を受けるたびにトラックは傷付き、しかしそれらはトラックの息の根を止めるには至らない。サブスクが提供してくれる剣も槍も弓矢も刀も斧も、トラックを破壊することはできなかった。
荒く息を吐き、青ざめた顔の短槍使いが手に持っていた槍を地面に落とした。六王の宝具は決してただの武器ではない。使えば使うだけ力を、命を――わかりやすく言えば、MPを消耗するのだ。もう槍を持つだけの体力も残っていないのだろうが、何よりもトラックが反撃らしい反撃もせず攻撃を受け続けていることに、絶望に似たものを感じているようだ。乾いた瞳が憎悪を湛えてトラックを見据える。
「……卑怯じゃないか。どうしてあんたは、そんなに強いんだ」
だらりと両腕を下ろし、座り込みそうな身体を辛うじて両足で支え、ただその目だけが不条理を――トラックをなじる。
「無敵の力を持って? 危機は神の恩寵で乗り越えて? 悪党だって殺さない? 裏切ったって仲間? あんたを殺そうとしてるあたしだって殺しはしない」
短槍使いは思わず、といった様子で吹き出した。
「まるでおとぎ話の主人公じゃないか。いつでも正しくて、どんなときでも自分の正しさを貫けて、それが、当たり前みたいに!」
傷付いた獣のように牙を剥いて、肺にわだかまる血の塊を吐き出すように、短槍使いは憤りを叫ぶ。
「ふざけるんじゃないよ! 罪びとには罰を与えろ! 裏切りには報いを与えろ! 敵は殺せさもなければ殺される! それが世の真実だろう! 赦すなんて余地はないだろう! あたしたちの生きる世界は、そういう世界だろう!」
半ば足を引きずって、短槍使いはトラックに近づく。トラックはただ悲しげに佇んでいた。短槍使いは這いずるような速さで足を進め、ようやくトラックの前に辿り着いた。緩慢な動作で右手を上げ、心細げな拳がトラックのキャビンを打つ。こん、という軽い音が響く。
「あたしたちは、あたしは、そうやって生きてきたんだ! それを、今さら! 今さらっ!!」
再び重い腕を上げ、拳が振り下ろされる。軽い音。傷を与えることのない攻撃がトラックを抉る。
「もう遅いんだよ! もう殺したんだよ! 昨日まで仲間だったヤツを、一緒に酒飲んでたヤツらを、あたしは、この手で!」
裏切りを赦す道があったら、裏切られても揺るがない強さがあったなら――追跡者としての役割を果たしながら、短槍使いはそんな夢想をしていたのだろうか? そんな想いを封殺して、彼女は仲間を手に掛けてきたのだろうか? しんしんと降る罪を心に隠して、掟のために。ギルドのために。
「あんたが、正しいなら、あいつらは、何のために――!」
両の拳でトラックを叩き、短槍使いはうつむいた。透明な雫がぽたりと地面に落ちる。トラックは黙って彼女の沈黙に耳を傾けている。強く唇を噛み、やがて短槍使いは何かの決意を宿した瞳でトラックをにらみ上げた。
「認めらんないんだよ! トラック、あんたを、どうしても!」
短槍使いの右手に、いつの間にか一振りの短剣が握られている。それは【暗愚王の死爆刃】と呼ばれる禍々しい雰囲気をまとった宝具だった。逆手に持った短剣の刃が振り下ろされ、トラックをわずかに傷付ける。短剣がまばゆい光を放つ。ハッとトラックがクラクションを鳴らし、【念動力】で短槍使いから短剣を取り上げる。同時に【手加減】が短槍使いに体当たりし、彼女を後方に大きく吹き飛ばした。短剣の光が視界を染め、大爆発を起こす。爆風が砂塵を巻き上げ、地下闘技場を覆った。
「……は、はは」
地面に座り、短槍使いは笑った。その目は底のない諦念に彩られ、虚ろにトラックを見つめる。バンパーが吹き飛び、ヘッドランプは砕け、両側のドアも脱落し、ほぼフレームだけになったキャビンを晒して、しかしトラックは立っていた。
「つまり、持たざる者が勝つことはないって、そういうことかい?」
短槍使いは笑い続ける。可笑しそうに、苦しそうに。
「運命に愛されたあんたに、有象無象が逆らうなって、きっとそういうことなんだろうね」
トラックは静かなクラクションを鳴らす。短槍使いは下を向き、首を横に振った。
「……あんたは、残酷だよトラック。あんたといると、まるであたしがまともな人間になれるような気がしてくる。誰かを救えるような気がしてくる。でも、そんなのは幻想なんだ。仲間の血で染まったこの手じゃね」
短槍使いの手にナイフが現れる。細く輝く月のような刃を持つそのナイフは、皮肉なほどに清廉な光を放っている。
きっと短槍使いもまた、夢を見たのだろう。トラックを見て戦士が家族の夢を見たように、彼女もまた、殺さぬ世界を夢見た。裏切りを赦し、裏切られても揺るがぬほどの強さを持つ。それはたぶん、彼女が深く心の奥に沈めた、そうありたかった彼女自身の姿なのだ。だから彼女はトラックと共に戦い、人質を救った。戦士を殺す機会はいくらでもあったのに、夢の中にいた彼女にはそれができなかった。そして、人質を救ったとき、彼女は夢から覚めた。自分が何者であるのかを思い出してしまった。その落差に愕然とした。
短槍使いは手のナイフを見つめて嗤っている。乾いた嘲笑は自分自身の愚かさを自覚したことを伝えていた。掟に縋りながら本心でそれを否定していた。手を汚しながらきれいになりたいと望んでいた。矛盾に気付いた今、彼女は自分の未来を見定めたようだった。
「任務の失敗は追跡者の死。それが掟だ。ああ、でも」
短槍使いはナイフを自らの首に当てて微笑む。
「どうしてだろうね。今、ほっとしてる」
その表情は晴れやかに、頬に涙跡を残して、素直な安堵を示していた。もう殺さなくていい、重い荷を負う旅路の終わりを喜び、短槍使いはナイフを持つ手に力を込め――
――プァン!!
びりびりと空気を震わせ、トラックのクラクションが響き渡る。それは強い怒り――心を縛り、望む生を阻む世の不条理に対する激情だった。息もできないほどの重圧が広がる。短槍使いのナイフが浅く傷を作り、彼女の身体がぐらりと傾いた。ナイフがからんと音を立てて落ち、短槍使いが地面に横たわる。イヌカが短槍使いに駆け寄り、耳を寄せて――呼吸音を確認し、安堵の息を吐いた。短槍使いは気を失っていた。ナイフが淡く光を残して空気に溶けるように消えた。
「……ククク」
こらえきれないというように、喉で笑う嘲りの声が聞こえる。声の主は工作員のリーダーの男。壁に背を預け、男はうつむいて嗤っている。
「何がおかしい!」
剣士が八つ当たり気味に怒りをぶつけた。男は笑いを収め、空虚な無表情を剣士に向ける。
「……しょせん、捨て駒だ。英雄の、選ばれし者の足元にひれ伏す哀れな影だ。交換可能な消耗品だ。その女も、私たちも」
男は剣士を見つめながら、剣士を見てはいないようだ。何かに取り憑かれたように男は言葉を続ける。
「特級厨師を殺せと命じられても、成功することなど期待されていない。失敗を前提に計画は組み立てられる。私でなくていい、私などいなくてもいい。我々は皆、死のうが生きようが、誰からも気にも留められない」
男はトラックに目を向ける。
「だが、我々にもわずかばかりの意地があるのですよ。『特別』になれない端役でも、主役を食ってやれと妄想する。たとえ台本の筋を歪めたとしてもね。……ところで、ちょっと聞きたいんだが――」
男の顔に醜悪な笑みが浮かんだ。
「――セフィロトの娘は今、どうしていますか?」
西部街区の施療院で、ミラが泣いている。
「……ごめんなさい。私、言われていたのに。お姉ちゃんを頼むって、トラックに、言われてたのに――」
氷のような無表情で、剣士はつぶやいた。
「……どう、しようか、トラック。俺たちのお姫様が泣かされちまったぞ。俺たちのお姫様が、さらわれちまったぞ。どうしようか、なぁ、トラック」
震える手で強く拳を握り、
「……どうして、くれようか――」
剣士の瞳が、鮮血を思わせる赤に染まった。
トラック無双は名もなき端役の公式サポーターです。




