追跡者
――ガツッ!
鈍い金属音が短槍使いの槍を遮る。それは戦士と短槍使いの間に割って入ったトラックが槍を弾いた音だった。短槍使いは冷静に槍を引き、後方に跳躍して距離を取る。
「特級厨師殿はさすがに、甘くないね」
短槍使いのその声におかしな様子はない。普段通りの口調は、つまり彼女が操られているのでも体を乗っ取られているのでもない、自分の意思で戦士を殺そうとしたのだと伝えていた。剣士が呆けたように口を開く。
「なにを……?」
イヌカが何かに気付いたように厳しい表情で短槍使いを見据えた。
「……お前、追跡者だったのか」
「ご名答。調査部のエース殿は理解が早くて助かるよ」
短槍使いが乾いた笑いを浮かべる。しかしその瞳は虚ろな深い闇に沈んでいた。戦士がショックを隠し切れない様子で短槍使いを見る。
「お前とは何度も組んだのに、知らなかった」
「追跡者ってのは、姿も声も名前も経歴も、両手じゃきかないくらい持ってるのさ。今のあたしは槍を使うが、剣を使うときの名と姿も、弓を使うときのも別にある。イヌカ、あんたなら分かるだろう? 調査部でも名や姿を変えるなんて日常のはずだ」
話を振られ、イヌカは渋い顔を作った。
「ギルドの顔であるAランカーに追跡者がいるなんて、正直想定外だ」
追跡者はギルドの暗部、いわば汚れ役だ。その仕事は――裏切り者の粛清。Aランカーはそれとは真逆、困難な依頼を数多くこなし、ギルドを先頭に立って引っ張って、時に人々から称賛を浴びるような立場。それが望んだものかどうかはともかく、人々の耳目を集める存在がAランク冒険者なのだ。そんな両者を兼任する、というのは精神的に相当辛いんじゃなかろうか。立場の落差が激しすぎる。
「追跡者は身内相手だからね。身内を欺くには意外と都合がいい立場なのさ」
冗談めかした口調で短槍使いは肩をすくめた。トラックはプァンとクラクションを鳴らす。短槍使いは首を横に振った。
「ギルドの掟はそんなに軽いもんじゃない。家族を人質に取られた、そのことに同情しないじゃないが、どんな理由があれ、裏切りを許すわけにはいかないのさ」
冒険者は命の危険と隣り合わせの職業、だからこそ仲間同士の結束は強く、だからこそ裏切りは絶対のタブーなのだと、短槍使いは淡々と語る。声高に自分の正しさを主張しない静かな語りは、彼女に翻意を促すことの不可能性を示していた。短槍使いは槍を構え、トラックに言った。
「手出ししないでもらおうか。邪魔するようなら、トラック、あんたであってもあたしは殺さなきゃならない」
できればそんなことしたくないんだけどね、と短槍使いはつぶやく。表情は仮面のように動かず、彼女の内心を知ることはできないが、少なくとも彼女は必要であればこの場の全員を殺すことを厭わないだろう。そう思ってしまうほどに、彼女の瞳は寒々しい空虚を湛えていた。
「……あいつの言う通りだ。さがってくれ、トラック。これは俺の問題だ」
女性の手をそっとほどき、戦士が前に進み出る。しかし剣士が戦士の肩を掴んでその歩みを止めた。戦士が振り返っていぶかしげに剣士をにらむ。剣士は首を横に振った。
「ダメだ。あんたが戦えば、この戦いは『裏切り者と追跡者の戦い』になる」
「それ以外に何があるってんだい?」
短槍使いが口をはさむ。しかし剣士は答えず、じっと戦士を見つめた。戦士が迷うように視線をさまよわせる。トラックがプァンとクラクションを鳴らした。剣士がうなずき、諭すようにゆっくりと言った。
「トラックに、任せよう」
いくばくかの逡巡の後、戦士はうつむき、「すまん」と言って後ろに下がった。短槍使いが意外そうに目を見開き、そして失望したように戦士をにらんだ。
「あんたの命一つで収まる話が、他人を巻き込むつもりかい?」
戦士は辛そうに顔を歪ませ、トラックがかばうようにクラクションを鳴らす。短槍使いは不快そうに鼻を鳴らした。戦士と女性、イヌカと剣士が短槍使いを警戒しながら壁際に下がる。
「……どうして、あんたは裏切り者をかばうんだい? ついさっきまで、あんたを殺そうとしていた男だよ?」
構えた槍の穂先をわずかに揺らしながら短槍使いはトラックに問う。その表情には感情を押し殺したような不自然な穏やかさがあった。トラックはプァンとクラクションを鳴らす。口の端を上げ、短槍使いは首を横に振った。
「あたしは、あんたたちについていけば裏切り者に辿り着くと思ったから、協力するふりをしてただけさ。助けたいなんて思っちゃいない」
プァン、とトラックはクラクションを返した。短槍使いは眉を寄せる。
「あたしの真意をあんたが否定すんのかい? バカげた話だ。あたしの心をあたし以上にあんたが知ってるはずもないだろう?」
プァン、とトラックはさらにクラクションを重ねた。顔を歪ませ、何か言おうと口を開き、それを思いとどまって、短槍使いは感情を整えるように息を吐いた。
「何を言っても無駄ってことかね。残念だよ、トラック。これでもあたしは、あんたのことを結構気に入ってたんだ」
そう言って話を打ち切り、短槍使いは鋭くトラックをにらむ。トラックは静かにその視線を受け止めた。ふっと強く短く息を吐き、短槍使いは身を沈めると、トラックに向かって強く地面を蹴った。
鋭く空気を裂き、短槍使いの槍がトラックに迫る。トラックはハンドルを切り、アクセルを踏んで短槍使いの右脇を通り過ぎると、旋回してその背後に回る。短槍使いは振り向きざまに槍をトラックに投げつけた! 槍はまっすぐに飛び、運転席のシートに深々と刺さる。それを見た戦士が強くこぶしを握った。短槍使いの目が妖しい光を帯びる。
「獅子食む王鳥、滴り、三日月の杯、溢れ、歪め、奢侈の王、広げ、蝕み、爆ぜ、滅びよ!」
「槍を抜け、トラック!」
短槍使いの奇妙な韻律と戦士の警告が重なる。トラックに刺さった槍が赤熱し光を放つ。トラックは慌てて【念動力】を発動し槍を引き抜こうとするが、間に合わない!
――ズガァァーーーン!!
間近で落雷を聞くような、凄まじい轟音と共に閃光が視界を覆う。爆風が顔を打ち、剣士たちは腕で顔を覆った。スキルウィンドウが現れて事態を説明する。
『アクティブスキル(VR)【奢侈王の烈華槍】
地獄の六王の一柱である奢侈王が所有する宝具、烈華槍を現世に顕現させる』
閃光が晴れ、視界が戻ると、イヌカがトラックを見て息を飲んだ。トラックは――キャビンの運転席側が吹き飛び、大きくえぐれていた。
「ギリギリ致命傷は避けたか。並みの相手ならこれで終了だったんだけどね」
感心したような、落胆したような声音でそう言い、短槍使いは軽く右手を振った。すると何もない空間から、さっき爆発したものとそっくりな槍が現れ、最初からそうであったように彼女の手に収まった。
「槍が、復活した?」
剣士が驚きをつぶやく。短槍使いは少しだけ口の端を上げた。
「こいつは、奢侈王の宝物庫にある宝具の影。契約によってその力を借り受けているのさ。影を失っても本体に影響はないし、呼べばすぐに復活する。なにせ――」
短槍使いはどこか複雑な表情を浮かべる。
「――月額制なんでね」
サブスクリプション契約だったーーーっ!! 使い続ける限りお金取られるヤツだったーーーっ!! 世知辛い! 世知辛いよい世界ファンタジー! トラックはおずおずとクラクションを鳴らす。短槍使いは小さく笑った。
「お優しいね特級厨師殿。だが、あんたはあたしの懐の心配より自分の命の心配をするべきだ」
短槍使いはバトンのようにくるりと槍を回転させる。すると、手品で杖が花に変わるのに似た感じで槍が長剣に変わった。長剣は禍々しい冷気をまとい、淡く光を放っている。
「サブスクのいいところは、別の宝具に交換可能だってことさ。こいつは【惰眠王の刻命剣】と言ってね。なかなか面白い力を持ってる」
ヒュッと風を切り、短槍使いは――いや、今は長剣を使ってるから長剣使いなのか? いや、ややこしくなるから短槍使いで統一しよう――再びトラックに向かって駆ける。トラックも迎え撃つようにエンジン音を鳴らし、アクセルを踏み込んだ。短槍使いの鋭い突きとトラックの体当たりが真っ向から衝突する!
――ガキィン!
金属の破断する音が響き、【惰眠王の刻命剣】は根元から折れ、刃が闘技場の壁に突き刺さった。短槍使いは大きく後ろに吹き飛び、彼女の靴がザリザリと地面を削る。【手加減】が背後に回って体を支え、短槍使いは辛うじて転倒を免れた。【手加減】の目が光を帯びて短槍使いの首に手刀を放つ。しかし短槍使いは左足を軸に体を半回転させてそれをかわすと、復活した【惰眠王の刻命剣】で【手加減】を斬り伏せた。斬り伏せた!? 【手加減】が斬られた!?
「でたらめにも程があるよ」
短槍使いが忌々しげに舌打ちをする。斬ったはずの【手加減】がいた場所には、【手加減】とほぼ同じ大きさの丸太の切れ端が転がっていた。これは、アレ? 変わり身の術? トラックがホッとしたようにクラクションを鳴らす。【手加減】はトラックのキャビンの上に腕を組んで立ち、短槍使いを厳しい表情で見つめていた。【手加減】では短槍使いの意識を奪うことはできない。そのことをはっきりと自覚したのだ。
「【惰眠王の刻命剣】を体当たりで折るなんて、やっぱりあんたは規格外だ。きっとあんたみたいなのが未来を創り、歴史に名を刻むんだろうね」
短槍使いの顔から表情が消え、その声にすら怒りも悲しみも宿ってはいない。しかしその目の奥に、何か、押し殺しても消えてくれない感情が揺らめいていた。短槍使いが作り物のような笑みを浮かべる。
「だが、志半ばで斃れる英雄なんていくらでもいるだろう? あんたもそら、死者たちの列に並んでいるよ」
トラックのキャビンの上にスゥっと、一つの砂時計が姿を現す。砂は勢いよく落ち続けていた。トラックがプァン? とクラクションを鳴らす。短槍使いが笑みを張り付けたまま答えた。
「【惰眠王の刻命剣】には面白い力があると言ったろう? その刃に傷付けられた者は惰眠王にその命を献上する呪いを得る。刻命剣が刻むのは命の残り時間なのさ。自分の命が零れ落ちていくのが分かるだろ?」
トラックが慌てたようにクラクションを鳴らし、【解呪】を発動する。しかし【解呪】の光はヘッドランプから放たれるため、トラック自身を照らすことはできなかった。おお、このスキルって自分には使えないんだ。って、それってピンチじゃない!? 砂時計の砂、もうあんまり残ってないんですけど!?
「トラック!」
思わず身を乗り出した戦士を、剣士が腕を掴んで制する。イヌカもまた焦燥を抑え込むように腕を組んでいた。「しかし!」と言う戦士に、剣士は首を横に振る。戦士がギリリと奥歯を噛んだ。
イヌカや剣士が短槍使いと戦えば、それは殺し合いになる。短槍使いは手を抜いて勝てる相手ではないし、向こうもこちらを殺す気で来るのだ。勝者がどちらになろうとも、戦いの決着は敗者の死を意味することになる。だから剣士はトラックに勝負を預けたのだ。短槍使いと『殺し合いでない戦い』ができるのは、きっとトラックだけだから。だから剣士もイヌカも、戦いをただ見守っているのだ。トラックが必ず勝つと、そう信じて。
「さあ、もうすぐすべての砂が落ちるよ。落ちればおしまい。偉大な英雄の、あっけない最期の時だ」
短槍使いは淡々と告げる。トラックはあたふたとハザードを焚いた。しかしそれで打開策が見つかるはずもない。砂時計の砂は落ちる速度を緩めてはくれない。
「落ちるよ、落ちるよ、ほら――」
何かを惜しむように、何かに祈るように、短槍使いは砂時計の様子を描写している。言葉とは裏腹なものがその声に滲んでいた。イヌカが、剣士が、戦士が、目を見開く。奇跡が起こらない、そんなことはあり得ないと、運命に抗議するように。
「――落ちた」
砂時計の最後の一粒が、やけにきれいな光を帯びて、落ちた。
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