意志
「時間切れだ特級厨師! この女が殺されるさまをそこでただ見ていなさい!」
どこか正気を失ったような、感情が暴走したような目で男が叫んだ。トラックのヘッドライトが鋭さを増し、細く糸のように収斂していく。戦士が「トラック!」と懇願の声を上げ、男が刃を振り下ろし――
ビーム出たーーーっ!!
トラックのヘッドライトからビーム出たーーーっ!!
「ぎゃぁぁーーーーっ!!」
ビームは男が持っていた短剣を瞬時に蒸発させ、男は右手を押さえてしゃがみこんだ。中空にスキルウィンドウが姿を現し、事態を解説する。
『スキルゲット!
アクティブスキル(SR)【怒りの陽電子砲】
迸る怒りを電気に変えて、陽電子を亜光速まで加速して放つ荷電粒子砲』
いやぁ、いつか出すんじゃないかと思ってはいたんだよ、ビーム。これでトラックも遠距離攻撃が可能になりましたな。トラックとして全く必要ない機能だけども。もはやスーパーロボットですか?
トラックはそっと後退し、戦士の上から車体をどける。戦士が戸惑いながら半身を起こした。【手加減】がほっとした様子で姿を消す。男が憎らしげにトラックをにらみ、叫んだ。
「貴様! この私に手を出したからには、人質がどうなっても構わないということだな!」
男が腰のベルトから予備の短剣を抜く。人質の女性の後ろを、ぼんやりとした光がスゥっと通り抜けた。男は血走った目で短剣を振り上げる。戦士が悲鳴のように「やめろ!」と叫んだ。
「何を言ってももう遅い! この女も、娘も、どちらも殺し――」
バキィッ!!
男の声が途切れ、痛そうな音と共に男が半回転して地面に倒れる。うわ、痛そう。思いっきり頬にグーパンチされたよ。男は何が起こったのか理解できない様子で、突然現れた、自分を殴った男を見上げる。その視線の先には、ピンク色のモヒカンにとげの付いたジャケットを着た男、イヌカがいた。えっ、イヌカ!? いつの間に!? どうやってここに入ってきたの!? 頼んでた人質の捜索はどうなった!?
「業務連絡、業務連絡。人質二名の救出に成功。繰り返す、人質は無事。さあ――」
イヌカは女性を縛り付けていた縄を切り、戦士に向かってにやりと笑った。
「――存分に、暴れろ」
イヌカと視線を交わし、戦士がゆっくりと立ち上がる。短槍使いが予備の小剣を放り投げると、戦士は振り向きもせずに右手で受け取り、凄絶な笑みを浮かべて鞘から抜き放った。
「……よくも、いいように遊んでくれたな」
地獄の底から響くような声でそう言って戦士は、頬を押さえて半身を起こした男を見る。男が小さく悲鳴を上げた。抑圧からようやく解放され、もはや戦士を縛るものは何もない。
「冒険者ギルドのAランカーを正面から敵に回すことの意味を、たっぷりと教えてやる」
戦士が一歩、男に近づく。男は這うように後ろに下がった。もう一歩、戦士が前に出る。男はさらに下がり、壁に背がついたことに気付くと、半狂乱と言っていい取り乱しようで叫んだ。
「こ、こいつらを殺せ! 一人残らず皆殺しにしろ!!」
観客席にいた百名を超える刺客たちが一斉に動き出す。短槍使いが槍を構え、物騒な笑みを浮かべた。
「ようやく出番だ。待ちくたびれちまったよ」
「まったくだ」
剣士も彼女に返事をして腰の剣を抜く。トラックがプァンとクラクションを鳴らした。短槍使いが驚いた様子で一瞬動きを止める。剣士が苦笑いを浮かべ、
「だとさ」
と言った。短槍使いは肩をすくめると、
「特級厨師様に従わないと、後で怒られっちまうかね」
と軽口を叩く。同時に彼女の槍の穂先に【手加減】が姿を現した。刺客たちが闘技場へと次々に降り立つ。嬉しそうに「行くよ!」と声を上げ、短槍使いは敵に向かって走り出した。剣士もその後ろに続き、トラックも敵を迎え撃つ用意ができたようだ。イヌカは人質だった女性を守って油断なくカトラスを構えていて、戦士は他の人間など眼中にない、というようにまっすぐに男のところに向かっていき――
百対五、という圧倒的な数の不利を抱えた戦いが始まった。
ひどく無感情な瞳の刺客が一斉に襲い掛かる。短槍使いは敵の群れを裂くように槍を突き出し、その槍を食らった敵が後ろにいる数人を巻き込んで吹っ飛んだ。【手加減】によって槍が刺さることはないが、短槍使いの【手加減】はトラックほど優しくはないらしく、敵は苦しげなうめき声をあげて地面に転がった。剣士もまた剣を振るい、目の前の敵を片っ端からなぎ倒していく。見渡す限りほぼ皆敵、なので、剣を振るうのにあまり気を使う必要がないのか、短槍使いも剣士もちょっと生き生きとしている。
プァン、と気合のクラクションを鳴らし、トラックは襲い来る敵に向かってアクセルを――あれ? 動かないな? 動かないけど、なんだ?
「ぐえっ」
「がはっ」
「あべしっ」
トラックに襲い掛かろうとしていた刺客たちが、急に白目をむいて昏倒する。え、でもトラック何もしてないよね? なにこれ、急に覇気でも覚えた? スキルウィンドウは沈黙しており、何か新しいスキルを覚えた様子はない。刺客たちも何が起こっているのか分からないらしく、戸惑いに足が止まった。しかしその間にも刺客たちは次々に倒れていく。ハッと何かに気付いたらしく、短槍使いが目を丸くした。
「おいおい、まさか、【手加減】がやってんのかい?」
【手加減】が、って、どういう……あっ! よく見たら、トラックの【手加減】がものすごい速さで敵の背後に回り、首筋に手刀を食らわせている! どういうこと!? 【手加減】ってトラックの攻撃のダメージをコントロールするスキルじゃないの!? 【手加減】が自分で攻撃するなんてアリなの!?
「すごいな。【手加減】を極めると、こんなことまでできるのか」
敵の肩を打ち据えながら剣士が感心したように言った。いや、それで済ませていい問題なの? 【手加減】の概念が変わっちゃいますよ?
「そういえば、【手加減】をここまで突き詰めた奴なんて周りにいなかったね」
敵の攻撃をかわし、石突で肩の付け根を打ち据えて短槍使いが言った。まあ【手加減】を極める需要なんて普通の冒険者にはなさそうだもんなぁ。殺さずに捕らえる、というのは冒険者の仕事としては少ない方だろうし、極めるまでいかなければできないわけでもない。『誰も殺さない』なんて場面は普通の冒険者にはまずないのだ。
「俺の【手加減】はときどき、トラックの【手加減】に説教食らってるよ」
「なんだいそりゃ。聞いたことないよ」
敵の剣の突きをかわしざまに体をひねり、右肘でアゴを打ち抜いた短槍使いが呆れたように少し笑った。器用に敵の剣に剣を絡めて弾き飛ばした剣士が蹴りを入れつつ、答えとも独り言ともとれる様子でつぶやいた。
「トラックは誰も殺さない。その明確で強固な意志がスキルを進化させている」
つぶやきを聞き取った短槍使いが、痛みを隠すように笑った。
一方で戦士は、群がる敵をまるで草を刈るように斬り伏せながら、ゆっくりと前に進む。一歩進むごとに数人の刺客がうめき声をあげて地面に転がった。怒りが振り切れる寸前、という様子だが、しかしギリギリのところで戦士は【手加減】を発動してくれているようだ。それはトラックに対する義理立てということなのだろう。ただ、戦士の【手加減】はあまり働く気にならないようで、相手が死なない以上のことをするつもりは毛頭ないらしい。戦士に向かっていった刺客たちは骨を砕かれ、苦痛に動けなくなっていた。戦士の放つ鬼気迫る重圧に刺客の足が止まった。
イヌカは人質の女性を守りつつ戦士が来るのを待っているようだ。刺客はイヌカにも向かってきているが、イヌカは余裕でそれらをあしらっている。そういえばイヌカが直接敵と戦っているところってほぼ初めて見た気がするけど、強ぇなイヌカ。前に、昔の(ピンクのモヒカンにトゲトゲジャケット姿になる前の)イヌカはAランク間近の優秀な冒険者だったって聞いたけど、その実力は本物だったんだな。表向きイヌカはCランクのはずだが、調査部所属という事情もあって、おそらくイヌカのランクは実態を反映していないのだろう。目立ってしまうといろいろ差しさわりがあるのだ。だったらピンクのモヒカンにトゲトゲジャケットはいいのか、というのは別の話なんだろう。たぶん。
「……手ごたえが無さすぎる」
敵の側頭部を痛打し、イヌカが不可解そうにつぶやいた。そう言われれば確かにそうだ。ゴブリンたちが襲撃されたときはAランカーが総動員されていたにもかかわらずかなり苦戦していた。戦士が敵側にいた、とはいえ、戦士が他のAランカー全員とイコールになるほどの戦力であるわけはない。ゴブリンや子供たちを絶対に傷付けてはならない、という制約があったにせよ、あのときと同等の戦力にたった五人で対抗できるのはおかしい。だとすれば、ここにいる刺客たちは、主力ではない?
イヌカが縄を解いたにもかかわらず、薬でも盛られているのだろうか、女性は目を覚まさない。どこか、何かを決定的に見落としているような違和感を噛み殺し、イヌカはカトラスを構えた。
「バ、バカな! そんな、こんなことが――!」
男が壁に背を付けて座り込み、なお後ろに下がろうと足を無意味に動かしている。顔は青ざめ、目は見開かれ、目の前の現実を受け入れられずにいる。男の視界に映る光景には、彼の配下の者たちが一人の例外もなく地面に横たわっていた。そして、彼の配下でない者たち――五人の冒険者が彼を囲み、見下ろしている。
「一人も、殺せないなんて!」
戦士が男の正面に立ち、襟首をつかんで強引に立たせる。男は狼狽した様子で叫んだ。
「ま、待て! 私を殺せば、人質のその女は一生目を覚まさないぞ!」
戦士が眉を寄せ、襟首をつかんだまま男を持ち上げる。苦しげにうめき、男はさらに叫んだ。
「その女には特殊な毒を盛ってある! 私の持つ解毒剤がなければ絶対に――」
プァン、とトラックがクラクションを鳴らす。ぴろりんっと緊張感をそぐ音がして、スキルウィンドウが姿を現す。
『スキルゲット!
アクティブスキル(ややレア)【解毒】
体を蝕むあらゆる毒を打ち消す』
トラックのヘッドライトが女性を照らし、淡い緑の光が注ぎ込まれる。すると今までピクリとも動かなかった女性がわずかに眉を寄せた。男が驚愕に目を見開く。だがすぐに、男の顔は勝ち誇ったものに変わった。ピキピキと音がして、女性のつま先から徐々に石になっていく。
「は、ははは! 残念でしたね! 眠りを破られた時には石化の呪いが発動するように仕込んでおいたのですよ! 呪いを解除できるのは私だけ! さあ、その手を放しなさい! 石化が心臓に達すれば、その女は死に――」
ぴろりんっ
男の得意げな弁舌を遮り、再び軽薄な効果音が響く。新たなスキルウィンドウが冷淡に現実を告げる。
『スキルゲット!
アクティブスキル(そこそこレア)【解呪】
呪いだったら何でも解決!
三十秒で元通り!』
なんか水道管のつまりを修理する感じで呪いを解くスキルだな。トラックのヘッドライトから今度は温かな淡い赤の光が女性に流れ込み、逆再生のように石化した箇所が後退していく。女性がうっすらと目を開いた。戦士がおもわず安堵の息を吐く。しかし次の瞬間、女性の背後の空間がゆがみ、大鎌を携えた白骨、いわゆる死神が姿を現した。
「仕込みが一つと思ったか! こうなればもはや命を乞うことはしない! せめてその女を道連れにして、お前たちの望みなど叶わないと思い知らせてやる!」
半ば捨て鉢になった様子で男が叫ぶ。戦士が男を締め上げ、男は「ぐぇ」とうめいた。剣士と短槍使いが同時に死神を攻撃するが、剣も槍も死神の身体を通り抜け、ダメージを負った様子はない。イヌカは大鎌を切りつけるがやはり手ごたえはなく、死神は骸骨の頭部の奥に虚ろな光を浮かべ、大鎌を振り上げた。
「あれを止めろ!」
「無理だ! もはやその女の命は死神に捧げられたのだ!」
戦士の叫びに男が嘲笑で答える。トラックがプァンとクラクションを鳴らした。それはひどく静かな、しかし空間を支配するような威圧感を伴って広がる。死神の動きが、止まった。
『スキルゲット!
アクティブスキル(ベリーウェルダン)【帰れ!】
相手さん、なんかめっちゃ怒ってはるよって、
今日のところは逆らわんと帰ったほうがええで』
表情のないはずの死神が、うろたえたように震える。振り上げた大鎌をゆっくりと下ろし、どこかバツの悪そうに周囲を見渡すと、死神は「あ、じゃあすみません、失礼します」みたいは感じで、出てきたときと同じように空間のゆがみから帰っていった。男も、戦士も、その場にいるトラック以外の全員が、唖然と死神が消えた空間を見ている。トラックが向きを変え、ヘッドライトで男を照らした。それは、お前の思い通りになることなど一つもないのだというトラックの宣告だった。
「そ、そんな……そんなバカなーーーっ!!」
計画のすべてを潰された男の哀れな絶叫が地下闘技場に響き渡った。
「……あ、なた……」
人質の女性が顔を上げ、戦士を見上げる。戦士は男を突き飛ばし、女性に駆け寄った。女性の目に涙が浮かぶ。
「……ごめんなさい。私……」
「悪いのは俺だ! 守ってやれなくて、すまなかった――!」
戦士は女性を強く抱きしめる。イヌカはフォローするように言った。
「あんたの娘は今、冒険者ギルドが保護してる。ケガもなく無事だよ。安心してくれ」
戦士の手をほどき、女性はイヌカを振り返って頭を下げた。戦士もまたそれに倣う。
「ありがとう。本当に、ありがとう」
「礼ならトラックに言ってくれ。オレは頼まれただけだ」
謙虚だなイヌカ。戦士たちはトラックを振り返り深く頭を下げる。トラックは照れたように無言だった。剣士が苦笑いを浮かべ、短槍使いがまぶしそうに目を細める。
「ま、とりあえずみんな無事で、めでたしめでたしってことかね」
短槍使いは、なんだろう、なぜか無理をしたように聞こえる明るい声で言った。剣士は少し気を緩めた様子でうなずく。
「そいつをギルドに連れて帰れば敵のことも分かるだろう。攻められっぱなしだった状況が変えられる。今度は俺たちが敵を追い詰めてやるさ」
剣士は床に座り込んで放心している男に目を向ける。イヌカは風囁筒を取り出し、何事か話したのちに風の精霊的なものを解き放った。おそらくギルドに連絡を取ったのだろう。これだけの敵を捕縛して連行するにはこの五人では人手が全然足らない。
「悪いが拘束させてもらうぜ。あんたの立場は相当に悪い。手足縛ってなきゃ、ギルドメンバーに問答無用で斬られる程度にはな」
風の精霊的なものを見送ったイヌカが戦士に言った。戦士は神妙な顔で頷く。女性が不安げな表情で戦士の腕に手を添えた。戦士は首を横に振る。
「あんたも損な役回りだね。こいつを擁護するのは相当な難題だよ。しかも何の得もない」
軽く伸びをして、短槍使いはイヌカに少し意地の悪い顔を向けた。イヌカは小さく鼻を鳴らして答える。
「これも仕事だ。今、ギルドのトップランカーを失うのは痛ぇんだよ。こいつの生きる道を見つけることは、ケテルの生きる道を見つけることだ」
そいつはご苦労さん、と、さして興味のなさそうに短槍使いは言った。やや恨みがましい目でイヌカは短槍使いを見る。短槍使いもギルドのAランカーなのだから、そういうことも考えて動いてもらいたい、ということなのだろうが、短槍使いにその意思はないらしい。短槍使いは弄ぶように槍をくるくると回すと、
「さて、それじゃ、あたしも自分の仕事をしますかね」
とつぶやく。短槍使いの顔から表情が消え、冷え冷えとした殺気が満ちる。剣士、イヌカ、戦士がハッと短槍使いを見る。短槍使いは無造作に槍を、戦士の心臓に向けて、突き出した。
「そんなバカなーーーっ!!」
という男の叫びに共感する声が全国から続々と届いています。




