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すまん

 開けた扉からまばゆい光があふれ、剣士と短槍使いが目を細める。燭台の灯りだけの薄暗さに慣れてしまった目には少々強すぎる光。目が慣れるのを待ってトラック達は部屋の中に踏み入った。


「ようこそ、特級厨師殿! まずは我らの招待を受けてくれたことに感謝を!」


 ひどく芝居がかった口上が部屋に響き渡る。そこはすり鉢状の形をしただだっぴろい場所――ひと言でいえば闘技場だった。トラック達が入ってきたのは挑戦者側の入り口で、対する向かい側の入り口の前には大剣使いの戦士がいる。観客席には百人ほどの男女がこちらを見下ろしているが、その顔はエンターテイメントを求める者のそれではなく、ひどく冷徹に命を奪う算段をしている様子だ。つまり彼らは全員、特級厨師を始末するために集められた刺客なのだろう。

 観客席の中央、もっとも戦いの様子を近くで観戦できる場所には主催者席があり、さきほど口上を述べた男がにやけた笑いを浮かべて立っている。彼のすぐ隣には、おそらく二十代後半くらいの女性が椅子に座って、いや、縛り付けられている。女性はうつむいていて、たぶん気を失っているか眠らされているのだろう、身じろぎひとつしない。


「……なぜ、来た」


 戦士がうめくように言葉を絞り出した。その顔には強い苦悩が滲んでいる。


「来るなと、伝えたはずだ!」


 トラックはプァンとクラクションで答える。戦士は目を閉じ、うつむいて首を横に振った。


「ああ言えばお前は必ず来る! そう意図して言ったってことくらい、気付いていたはずだろう! なのに、なぜ!」


 トラックは再度クラクションを返す。戦士はうつむいたまま強くこぶしを握った。ふたりの様子を面白そうに眺めていた男が再び口を開く。


「ここはかつて南東街区で一大勢力を築いたマフィアが作った闇闘技場でしてね。当時は大変な活況を呈していたようですよ。闘士たちは巨万の富を夢見て戦い、一握りの者がそれを叶え、残りの大多数が物言わぬ骸となった。そしてその姿に観客たちは熱狂したのです。いつの時代も人の生き死には最高のエンターテイメントだ」


 過去に想像を巡らせるように、男は中空を見つめ、大げさな身振りで声を張り上げた。


「我々もこの場所の流儀に従い、血の滾るような熱き戦いを繰り広げようではありませんか! 勝者には望むすべてを、敗者には死を! たとえば、そう、勝てば囚われの姫君を取り返すことも叶いましょう!」


 男がクククと可笑しそうに笑う。戦士が強く奥歯を噛み、トラックが不快そうなクラクションを鳴らした。男は笑いを収めると、つまらなさそうに鼻を鳴らした。


「お気に召しませんか。それは残念。こちらとしてはぜひお楽しみいただきたいと趣向を凝らしたのですがね」


 本気で言っているのか嫌がらせか挑発か、男はひどく冷たい目でそうぼやいた。トラックを単純に始末したいだけであればこんな回りくどい方法はとらないはず、だとすればこの『趣向』とやらにも何か意図があるはずだ。剣士と短槍使いは男の様子をじっと伺っている。


「だがここに来た以上、我らのルールには従っていただきましょう。なに、ルールは簡単だ。今から、ほら、あなたの正面にいる戦士と殺し合いをしてください。勝てば望みを一つ叶えて差し上げましょう。ただし負ければ命をもらい受ける」

「断る」


 短槍使いが鋭く男をにらみつける。戦士はハッと顔を上げた。男はやや意外そうに目を見開く。


「――と、言ったら?」


 挑発めいた短槍使いの言葉を受け、男の手に手品のように短剣が現れて迷いのない動きで下から上に弧を描く。短剣の刃は椅子に縛り付けられている女性の髪をかすめ、数本の髪の毛がパラパラと落ちた。


「この女が死にます」

「やめろ!」


 男の冷酷な声と戦士の悲鳴が重なり、トラックがプァンと短槍使いを制する。しかし短槍使いはさらに言葉を続けた。


「ずいぶんあたしらを舐めてるじゃないか。お前が人質を殺す前にあたしらはお前を殺せる、とは思わないのかい?」

「できるでしょうね、あなた方なら」


 男は当然のように真顔で答える。短槍使いが眉を寄せた。


「だが、人質はもう一人おりまして」


 楽しくてしょうがない、とでも言うように男が笑った。戦士の顔が蒼白になり、その体が震える。


「私が死ねば別の場所にいる幼い娘が、そうですね、明日の朝、ケテルのどこかの水路に浮かんでいると、そういう手筈になっております。しかしまあ、この女は助けられるかもしれませんね。半分だけでも取り戻せればよいとおっしゃるなら、それも一つの選択でしょう。よかったですね、すべて失わずにすんだ。幼い娘には可哀そうなことですが、仕方ありませんね」

「やめてくれ! 頼む!」


 耐えきれなくなったように戦士が叫んだ。不快そうに舌打ちをして短槍使いが顔をそむける。男はからかうように大げさに驚いて見せた。


「おや、私を殺しませんか? いやはや、これは命拾いをしました」


 胸に手を当て、男は大きく安堵の息を吐いた。いちいち動きが芝居がかっている。挑発し冷静さを奪うためか、単に限りなく嫌な奴なのか。おそらくは両方だろう。男は気を取り直したように顔を上げ、闘技場全体に響く大声を上げた。


「お集りの紳士淑女の皆様! お待たせいたしました! これより本日のメインイベント、冒険者ギルドの実力者同士の息詰まる死闘をご覧いただきましょう!」


 ガチャン、と音を立ててトラック達が入ってきた扉が閉まる。退路を断たれ、剣士と短槍使いが振り返って顔をしかめた。


「片や冒険者ギルドのAランカー、その中でも指折りの実力者! 片や魔王を退けた英雄、伝説の特級厨師の称号を受け継ぐ者! 果たしてどちらが勝つか、真の最強が今、決まります!」


 地下空間に男の声がこだまする。観客席にいる者たちは特に何の反応も返さず、トラック達が妙な動きをしないかということだけに注意を向けているようだった。プロと言えばプロの態度だが、お前らの上司が可哀そうなことになってますよ。リアクション待ちで固まってますよ。


「……さあ、両者、中央に」


 反応がないことには慣れているのか、思いのほかあっさりと男は気持ちを切り替えたらしく、闘技場の中央を指さして戦士とトラック達に動くよう促す。ふざけた態度ではあるが、右手に持つナイフはいつでも女性の喉を切り裂くことができるような位置にあった。逆らえば人質を殺す。男の目の奥が何の感情もなくそう語っている。

 戦士が大剣の鞘を払い、ある種の覚悟を決めた様子で中央に進み出た。トラックと戦い、勝つ。その決意がはっきりと伝わる。トラックはそれに答えるようにアクセルを踏んだ。


――プァン


 後に続こうとした剣士と短槍使いがトラックのクラクションを受けて足を止める。短槍使いが何かを言いかけ、剣士が首を横に振ってそれを制した。短槍使いは奥歯を噛み、大きく息を吐いてうなずく。不承不承、ではあるが、トラックの意を汲んでくれたのだろう。二人は壁際まで下がり、トラックだけが中央に進んで戦士と対峙した。


「……俺は、お前を斬る。家族を取り戻す。必ず!」


 戦士は悲壮な色を顔に浮かべ、うめくように言葉を絞り出した。それはトラックを威圧するためでも挑発するためでもなく、己に言い聞かせているように聞こえる。トラックはプァンとクラクションを鳴らした。戦士は目を固く閉じ、震える声でつぶやく。


「……お前という男は――」


 憎むことができたら、嫌な奴だと思うことができたら、迷いもためらいもなかったのに。戦士の目が苦悩に揺れている。トラックは誰も殺さない。トラックは誰も犠牲にしない。それを知っているから、戦士は苦しむのだ。裏切り者の自分をさえ救おうとするトラックを斬らねばならないから。


「はじめ!」


 男の無慈悲な声が戦いの始まりを告げる。戦士は己の心を殺すようにトラックをにらみつけ、獣のごとき咆哮と共にトラックに襲い掛かった。必ず殺す、その意思をスキルウィンドウが代弁する。


『アクティブスキル(VR(ベリーレア))【厭離穢土】

 穢れた現世から対象者を解き放つ慈悲の一撃』


 赤熱した刃が大気を歪ませながら横薙ぎに迫る! トラックは素早くバックして斬撃をかわした。前に【厭離穢土】をくらったときはキャビンがバターみたいに切れたわけで、今回はそれを避けたということだ。トラックも成長しているんだな。

 斬撃をかわされ、赤く熱を放っていた戦士の刃が元に戻る。相手の体勢が整う前に反撃に転じるためか、トラックが強くアクセルを踏んだ。タイヤがギャリギャリと地面を削る。剣士が身を乗り出して叫んだ。


「ダメだ! 退け、トラック!!」


 ぞわり、と悪寒に似たものが背に走り、闘技場の体感温度が急激に下がる。戦士が大剣を翻し、流れるような動きで袈裟懸けにトラックを迎え撃つ!


『アクティブスキル(VR(ベリーレア))【欣求浄土】

 悲しき衆生に清らかなる地への転生を約束する救世の一撃』


 戦士の剣が白くまばゆい光を帯び、触れるものすべてを、空気ですら美しい光の粒に変えていく。トラックは【フライハイ】を発動して上空に逃れ、ギリギリで【欣求浄土】をかわしていた。剣士と短槍使いが我知らず息を吐く。そのまま戦士の背後に降り立ち、トラックは再び戦士と対峙した。


「流石だな。この連撃をかわせる奴はそういない」


 戦士は押し殺した無表情で言った。短槍使いがどこか痛みをこらえるように顔を歪ませる。


「【厭離穢土】【欣求浄土】は大剣スキルの中でも最強クラスの大技だ。この技であいつはかつて天龍を退けたこともある」


 天龍、って、確か前に剣士が手も足も出なかったっていう? 戦いの後に陽金石をくれた、あの天龍? それを退けたって、ちょっとむちゃくちゃすごくない? それほどの力を持ちながらどうして、というやりきれない思いを短槍使いは抱いているようだった。トラックはプァンとクラクションを鳴らす。戦士は首を横に振った。


「戦うつもりがないのなら動くな。苦痛もなく一撃で葬ってやる」


 戦士が再び大剣を構える。刃が熱を帯びて陽炎のように揺らめく。トラックはカチカチとハザードを焚き、そしてヘッドライトで戦士を照らした。これは、あれだろうか? にらみつけているとか、そういうことだろうか? 戦士は「……それでいい」とつぶやくと、トラックに向かって地面を蹴った! トラックもまた戦士に向かってアクセルを踏み込む! 両者の距離は一瞬で縮まり、それぞれのスキル――戦士の【厭離穢土】とトラックの【回し蹴り】が激突する!!


――ガギィン!!


 重い金属音が耳朶を打ち、大剣が弾かれて戦士は態勢を崩した。しかしトラックもまた大剣の威力に吹き飛ばされ、【回し蹴り】は完全に打ち消されたようだ。威力は全くの互角、戦士はしびれる手に顔をしかめ、トラックのアルミバンは一部溶けて変形している。


「まだだ!」


 己を鼓舞するように吠え、戦士は強く大剣を握りなおすと、天に掲げるように真上に振りかぶった。その声に応えるようにクラクションを鳴らしたトラックは、戦士の次なる必殺の一撃に再び真向勝負を挑む!


――ギャリギャリギャリ!!


 光の粒が舞い、天からまっすぐに振り下ろされた【欣求浄土】と地からすくい上げる様に放たれた【マチガイル】が互いを削り合う。アルミバンを抉られながら、しかしトラックのサマーソルトキックは戦士の大剣をはじき返した! 戦士の顔が驚愕にゆがむ。空中で宙返りしたトラックはそのまま【フライハイ】で高く浮かび、戦士を見下ろす。戦士は悲痛に聞こえるほどの叫びをあげた。


「まだだ! まだ、俺は!」


 負けるわけにいかない、家族を守らねばならない、その願いを示すかのように戦士の身体が金色の輝きを帯びる。宙に浮かぶトラックの車体もまた、白く光を放った。地面がかすかに震える。凄まじいまでの『力』が圧迫感を伴って周囲に広がる。


「うおぉぉぉーーーーーーっ!!」

 プァン!!


 戦士の絶叫とトラックのクラクションが重なり、両者の『力』が限界まで高まる。トラックが空から急降下し、戦士は大剣を下から斬り上げてトラックを迎え撃った! スキルウィンドウが『力』の正体を説明する。


『アクティブスキル(ベリーレア)【突撃一番星(メテオストライク)

 一等星の輝きを身に宿し、阻む万象の一切を無慈悲に滅砕する流星となれ!』

『アクティブスキル(ユニーク)【常寂光土】

 五濁三悪趣を超克し、覚者の真理を現世に顕現する大悲の一撃』


 トラックの放つ銀色の光と戦士のまとう金色の光がぶつかり、火花のように弾ける。光は互いを食み、うねり、ねじれ、爆発した。闘技場は真白の光に包まれ、何も見えない。やがて光は晴れ――


 勝敗は、決していた。




――パチパチパチ


 静かな闘技場におざなりな拍手が響き渡る。トラックは拍手の主を正面に見据えていた。フロントガラスは砕け、サイドミラーは折れ、エアバッグは飛び出し、キャビンは大きくゆがんでいる。そして左前輪は地面に横たわる戦士を踏みつけていた。大剣を半ばで折られ、胸辺りをトラックに押さえつけられて戦士は身動きが取れないようだ。【手加減】がトラックと戦士の間にその身をねじ込み、戦士が圧し潰されないよう守っている。


「さすがは特級厨師を名乗るだけはある。冒険者ギルドのトップランカーもあなたの相手にはならなかった、ということですか」


 称賛の言葉とは裏腹に、男の表情にはバカにしたような色が浮かんでいる。戦士が負けることは想定の範囲内、ということだろうか。戦士とトラックを戦わせたのは、自分の戦力を損なわずにトラックを消耗させる程度の意味しかなかったのだろう。あとは嫌がらせ。クリフォトの工作を邪魔し続けてきたトラックへの意趣返しなのかもしれない。


「さあ、戦いは終わりました! 勝者には望みを、敗者には死を! 特級厨師よ! その男を殺しなさい!」


 陶酔したように男は叫んだ。その手の短剣の先端は人質の首に向けられている。戦士を殺さなければ人質を殺す、という言外の意思がありありと伝わってくる。トラックは無言のまま、ヘッドライトを男に向けた。男が不快そうに目を細める。


「……なんだその目は? どれほど私をにらもうと、お前は私の言うことを聞く以外にないんですよ。それとも、この女が喉を裂かれる様を見たいと、そういうことですか?」

「やめてくれ!」


 戦士の懇願が男の言葉を遮った。


「いいんだ、トラック! 俺が死ねば人質は価値を失う! そうなれば奴らはふたりを解放してくれるかもしれない!」


 戦士の言葉に短槍使いは「バカだね」とつぶやいた。戦士が死ねば確かに人質はその価値を失うだろう。しかしそれは敵が人質を解放する理由にはならない。人質として囚われていた時間は彼女たちに多くの敵の情報を与えている。用済みになった人質は解放されるのではなく始末されるのだ。そのほうが敵にとってはるかに都合がいいのだから。


「頼む、トラック。俺を殺してくれ。俺の大切な人たちを助けてくれ。妻を、娘を、死なせないでくれ。頼む――!」


 横たわる戦士の目から涙がこぼれ、地面を濡らした。【手加減】が悔しさに奥歯を強く噛む。戦士は右手で顔を覆った。


「……すまん、トラック。俺は、夢を見たんだ。こんな俺が、家族を持てるって。愛する人たちと一緒に、穏やかに、そんな人生が俺にもあるんじゃないかって。すまん、トラック、俺は――」


 かすれた涙声で戦士は言った。


「――俺は、幸せになりたかったんだ!」


 何度も何度も、戦士は「すまん」と繰り返す。剣士は強くこぶしを握った。心の底からバカにするように男が噴き出した。


「冒険者風情が、人並みの幸せを望むなど笑わせる! 貴様らなど所詮汚れ役、世のドブさらいではありませんか! 金で殺し、金で殺される消耗品が何を勘違いしているのか!」


 己の分を弁えろとでも言いたげに、男は声をあげて笑った。戦士はぎゅっと口を引き結んだ。トラックはじっと男を見据える。怒りを、憤りを、静かに蓄えている。


「さあ、そのうっとうしい【手加減】の発動を止めなさい! さもなくば人質を殺しますよ!」


 男が短剣の先を人質の女性の首にわずかに押し付ける。赤い血の玉が盛り上がり、肌を伝った。戦士がもはや言葉にならない泣き声を吠える。トラックのヘッドライトが細く鋭さを増した。


「特級厨師などと呼ばれようと、所詮は一介の冒険者に過ぎない。お前は神でも英雄でもないんですよ! さあ、選びなさい! 裏切りを強いられた仲間を殺すか、罪もない人質となっただけの女を見殺しにするのか! いずれにせよ、それはお前が万能でないことの証明になる!」


 暗く澱んだ愉悦を湛えた瞳がトラックに注がれる。トラックは、動かない。戦士の手がトラックのタイヤを強く掴んだ。男が短剣を振り上げ――


 その時、地下にある闘技場に、吹くはずのない風がふわりと届いた。

敬語を使う敵キャラはたいがい変態っぽい。

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[一言] >敬語を使う敵キャラはたいがい変態っぽい。 わかる( ˘ω˘ )
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