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招待

 深夜の南東街区の狭い悪路をトラックはひた走る。南東街区は灯りに乏しい場所で、厚い雲が月も星も覆い隠す今日のような日は本当に闇が濃い。トラックのヘッドライトだけが進むべき道を照らしている。

 ノブロたちが環境改善に取り組んでいるとはいえ、南東街区にはまだまだ無秩序が支配する場所がそこここに残っている。それはかつてユリウス・トランジという男が作り上げた混沌だが、彼が退場してもなお、それを引き継ぎ利用する者がいる、ということなのだろう。犯罪者、逃亡者、工作員。各人の利害が一致して無秩序は維持されている。


「そこを右だ」


 地図を見ながら剣士が指示を出す。そういえば剣士が運転席に座ってる姿を初めて見た気がするな。いつもは荷台で体育座りしてるイメージなんだけど。


「その十字路を左」


 指示に従いトラックがハンドルを切る。狭くてごちゃついた南東街区の道はなかなかに曲がりづらく、時折キャビンやアルミバンが塀をかすめて嫌な金属音を立てていた。


「おっと、そこだ。そこで止まって……しまった!」


 剣士が強い焦りとともに叫んだ。トラックの正面には商店と思しき小さな建物がある。商店と思しき、というのは、入り口が閉められて中の様子を伺うことができないからだ。真夜中なので当然だが、店は閉店している。トラックがプァン? とクラクションを鳴らした。


「いや、ここは目的地じゃない。だが目的地に着く前にここで買い物をするよう指示されている」


 剣士はそう言って、手に持っていた地図を掲げた。短槍使いが地図の記載を見て、


「こ、これは……」


 ごくりとつばを飲み込んだ。そこに書かれてたのは――牛すじ、こんにゃく、醤油、酒、みりん、砂糖、青ネギ、ゴマ、の文字――って、いやそれ、ただの買い物メモやろうがぁーーーっ! たぶんお母さんがその辺にあった紙の裏に書いた買い物メモやろうがぁーーーっ!! ダイナシだよっ! トラックをおびき出して罠に嵌めるための重要アイテムを台所の机に放置するんじゃないよ! 裏が白紙だったらお母さんは買い物メモに使っちゃうんだから!


「……どうやら今夜は牛すじ煮込みのようだね」

「ああ、そのようだな」


 短槍使いは苦々しい笑いを浮かべる。


「真夜中に牛すじ煮込みって言葉は毒だ」

「確かに」


 剣士が同意のうなずきを返す。いや、「確かに」じゃねぇよ。何この時間。空費してる感半端ないわ。


「これも俺たちを精神的に追い詰める敵の策か?」

「だとしたら、なめられたモンだね」


 絶対違うわ。クリフォトの工作員が真夜中の牛すじ煮込みの威力をどれだけ知っていたとしても、それを特級厨師謀殺計画の一部に組み込んだりせんわ。


「しかし困った。店が閉まってたら材料が買えない」


 剣士が眉を寄せて腕を組む。いや、困る必要ないだろ無視しろそんなもん。敵の罠に飛び込もうかって時になんで律儀にお使いを果たそうとしてんだよ。変なとこ真面目か。


「閉まってるもんはしょうがないだろ。代わりにその辺の草でも持っていこう」


 その辺の草!? 牛すじの代わりに!? どういう発想!? 成立してないだろ! 短槍使いの提案に剣士は難色を示した。


「人質に危険が及ばないか?」


 えっ? そういうこと!? 剣士が気にしてたのは、指示通りに材料を持って行かなかったら敵が人質に危害を加える可能性か! いや、でも、それってあり得る? クリフォトの工作員が、「牛すじ煮込みの材料を持ってこなかったからには人質には死んでもらう」とか言う!? どんな顔でそれ言う!?


「袋に入れちまえば中身が草なのか牛すじなのかなんて分からないさ」


 おおざっぱすぎんだろ! 袋のふくらみ具合とかで意外とバレますよ! 不信げな視線を向ける剣士に、短槍使いは不敵に答えた。


「敵が袋を開ける前に片を付けるさ」


 剣士が表情を引き締める。トラックがプァンとクラクションを鳴らし、【念動力】で摘んだ野草を俺が以前使っていたエコバッグに入れた。本当に草を持ってくのか。むしろいらないんじゃないだろうか。


「さあ、こっからが本番だ。気合い入れて行くよ!」


 短槍使いの檄に応えるようにトラックがアクセルを踏む。息をひそめる南東街区を震わせ、トラックは今度こそ目的地――敵が待ち構えている場所へと向かった。




 地図に書かれていた場所には、ボロボロに朽ちた廃屋があった。もともとはそれなりに大きな屋敷だったようで、おそらくは抗争に敗れて消滅したマフィアの拠点だったのだろう。しかし今は屋根には大きく穴が開き、屋敷を囲う塀は崩落して、トラックのヘッドライトが敷地内の様子を浮かび上がらせていた。庭は雑草がはびこり、建物は半ば植物に飲まれつつある。割れた窓から覗く室内にあまり物がないのは盗まれたからだろう。放棄されてどのくらい時間が経ったのかは知る由もないが、時の流れの残酷さというものをこの建物は人に教えてくれている。

 律儀に正面玄関に回り、トラックは屋敷を正面に見据えた。剣士と短槍使いがトラックから降りる。周囲に人の気配はない。本当にここに敵が待ち構えているとは信じられないほどに、廃屋は闇の中で沈黙している。


「誰か使ってるね」


 短槍使いが玄関前の地面を見て言った。雑草を踏む複数人の足跡が隠す様子もなく残っている。隠すつもりがないというより、あえて痕跡を残したのだろう。パーティ会場はこちら、と、そう言っているのだ。明確な悪意、殺意がそこにある。


――プァン


 クラクションを鳴らし、トラックが慎重に進み始める。剣士と短槍使いがそれに続いた。壊れて地面に横たわる玄関扉を踏み越えて、トラック達は屋敷内に侵入した。




 屋敷のロビーもまた、外観と同様に荒れ果てている。正面の壁には傾いた家族の肖像画が微笑んでいた。二階に続く階段は腐っており、長い間使用された形跡もない。玄関から続く足跡は肖像画の壁の向こうに消えていた。


「隠し扉、と言うにはあけっぴろげだね」


 短槍使いが軽口をたたく。彼女の言う通り、本来ならば隙間なくぴったりと閉じていたであろうに、立て付けの悪くなった隠し扉は中からの光が漏れ、その存在を闇の中ではっきりと主張していた。隠すつもりのない隠し扉はつまり、こちらに来いという案内板のようなものなのだろう。足跡といい、ずいぶんと親切なものだ。

 剣士が隠し扉の正面に立たないよう慎重に近づき、左手で隠し扉の真ん中あたりを撫でる。しばらくごそごそやっていると、やがて一部がカパッと取れて床に落ちた。隠し扉の取っ手代わりということなのだろう。現れた窪みに手を掛け、剣士は目で短槍使いとトラックに合図すると、一気に開け放った。


――ヒュッ


 鋭い風切り音と共に放たれた矢が隠し扉の奥から飛び出してくる。矢はトラックのキャビンの右側をかすめて玄関脇の柱に刺さった。うおぉ、さっそく仕掛けてきたか。そりゃそうだよね。そのためにここにおびき寄せたんだもんね。


「ずいぶん丁寧なご挨拶じゃないか。こいつはこっちも礼を尽くさないとね」


 短槍使いが言葉と裏腹な鋭い視線で隠し扉の奥をにらんだ。奥に人の気配はない。たぶん隠し扉を開けたら連動して矢が放たれるような仕掛けだったのだろう。敵もこの程度でトラックを倒せるとは思っていまい。短槍使いの言う通り、これは歓迎の挨拶代わりなのだ。この奥で無数の敵が手ぐすねを引いて待っている。逃げられぬよう深くトラックを引きずり込んで、確実に仕留めるつもりだ。だからきっと大剣使いの戦士は一番奥の部屋にいて、トラック達を待っている。


「行くか?」


 剣士の問いの答えの代わりに、トラックはぶぉんとエンジン音を鳴らす。【ダウンサイジング】で少し車体を縮めて、トラックは奥へと進んだ。




 隠し扉の奥は屋敷の外観とはまるで異なり、しっかりとした石壁に覆われた頑丈な通路がなだらかな傾斜を描いて地下へと続いていた。等間隔で壁掛けの燭台に灯りが点り、トラック達を地の底へと誘導する。通路の幅は狭く人が二人並ぶのが難しいほどで、さらにはある程度の距離で急に、直角に近い角度で曲がり角がある。曲がり角の向こうはこちらから見えないため、侵入者は角を曲がるたびに、敵が待ち構えていないか、罠が起動して矢が飛んできたりしないか、常に緊張を強いられるという仕組みだ。


「……動きがないね」


 じっとりと滲む汗をぬぐい、短槍使いが気味悪げに言った。隠し扉をくぐってからそれなりの距離を進んできたはずだが、敵の気配は未だなく、罠も最初に飛んできた矢だけ。壁に小さな穴があったり、この狭い通路に不似合いな彫像が置かれていたり、罠があっておかしくはない雰囲気はそこここにあるというのに、それらが動き出す様子はなかった。警戒しながら慎重に進むトラック達の歩みは遅く、焦燥はジリジリと精神を削る。それが敵の狙い、なのかもしれないが、わざわざトラックをおびき寄せたにしてはやり方が迂遠に過ぎるのではないか――見えない敵の意図を想像すること自体がさらに精神を疲弊させていた。


「今、前後を敵に挟まれたらかなり厳しい。なぜそれをしない?」


 たまりかねたように剣士が疑問を口にする。季節柄か、地下だからなのか、空気はよどみ湿度が高い。石壁に覆われた狭い通路はただでさえ圧迫感を与え、なんとなく息苦しい。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。短槍使いがうなずきを返した。


「トラックの言う通り、見えるものに集中しよう。疑心暗鬼は敵の思うつぼだよ」


 気持ちを切り替えるように大きく息を吐き、剣士が「分かった」と答える。敵の意図がどこにあるかは、今のトラック達の情報量では考えてもわからない。ならば目の前にあるものの動きを逃さず、即座に反応できるよう備えるしかないのだ。もっとも、それを実行するのは口で言うほど易しいことではないのだろうけど。

 通路に靴音が反響し、トラックのエンジン音が見通せぬ通路の先に吸い込まれていく。どれほどの距離を進んだのか、今どの方角に進んでいるのか、もう俺には分からない。何度目かの曲がり角を慎重に曲がったトラック達の前に、唐突に大きな扉が姿を現した。装飾のない、鉄製の分厚いその扉は、「入ってこい」と言うように少しだけ開いている。


「ここが会場ってワケか」


 舌で唇を湿らせ短槍使いが言った。剣士も表情を引き締める。プァンとクラクションを鳴らし、トラックは【念動力】で重い扉をゆっくりと開いた。

クリフォトの工作員、賃金の折り合いがつかずストライキ中につき、トラックを迎え撃つための人員を確保できなかったようです。

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[一言] 牛すじ煮込み食べたくなってきた( ˘ω˘ )
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