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日常

 土煙を上げながら、トラックがケテルの下町を走る。時速は二、三十キロくらいか。生活道路を走るには適正な速度だ。道端では年寄りがカードに興じていたり、中年女性が家の前に水を撒いたり、小さな子供たちが走り回って遊んだりしている。不意にやんちゃそうな男の子が道の真ん中に飛び出した。トラックは慌てずにブレーキをかけて止まり、プァンとクラクションを鳴らした。「ごめんなさーい」と言って、男の子が走り去っていく。

 抜けるように青い空がケテルの上に広がっている。大きな入道雲が浮かび、まだまだ厳しい日差しが人々に降り注いでいた。とはいえ、もう夏は盛りを過ぎ、時折吹く涼やかな風が次の季節の予感を運んでくる。もうすぐ夏は終わり、秋がやってくるのだ。

 トラックがケテルに来てから、二ヶ月が過ぎようとしていた。




 獣人密売未遂事件の後、Dランクに昇格したトラックは、バリバリと依頼をこなしてあっさりとCランクへ――とはならなかった。トラックが昇格後もEランクの、主に物品の輸送依頼を選んで請け負っていたからだ。Eランクの仕事をいくらこなしたところで、Cランクに昇格することはない。昇格するにはDランクでの実績が必要なのだ。

 ギルドの連中はトラックの行動に首を傾げ、中には「戦いが怖いんだろう」なんてバカにするやつらもいる。実績不明の異例の昇格は、ギルドの一部のメンバーに快く思われていないらしい。セシリアなんかはそういう状況にやきもきしているようだが、トラックは雑音など無視して好きにやっている。

 もっとも、俺に言わせればトラックの行動は不思議でも何でもない。だってトラックはトラックなのだ。敵と戦ったり、体当たりで屋敷の壁を壊したりするのはトラックの仕事ではない。荷物と幸せを運ぶのがトラックのお仕事です。

 あ、そうそう、あんまり興味ないと思うけど、ロジンは今、監視と保護を兼ねて、ギルドで働いている。あの事件の後、剣士の口利きによってロジンはなんとか釈放されていたのだ。ロジンの情報がなければすべての獣人たちを助けられなかったと、剣士は相当頑張ってギルドやケテルの衛士隊と掛け合った。意外なほどに熱心だったな。義理堅い男である。

 それともう一つ、ちょっと気持ちの悪いニュースもある。冒険者ギルドに拘束され、ケテルの衛士隊に引き渡されたはずのヘルワーズが姿を消した、という話。護送中に何者かの襲撃を受け、連れ去られたのだとか。ナールやボス、手下たちも、そしてロジンも、ヘルワーズのことはほとんど何も知らず、本人のことも襲撃犯のことも、結局分からずじまいのままになっている。ギルドマスターが渋い顔をして、「まだ裏があるのかねぇ」とぼやいていた。




 晩夏の午後の日差しを反射しながら、トラックはのんびりと西部街区を走っている。荷物の届け先は意外とたくさんあるらしい。北部街区が高級住宅街、南東街区が無法地帯の貧民街なら、西部街区は庶民の町だ。小さい家々が密集し、道も狭い。みんながそれなりに貧乏で、互いに助け合いながらどうにか今日を暮らしている。お隣さんから塩を借り、みたいな、下町情緒が色濃い場所なのだ。

 トラックがブレーキを踏み、スピードを緩める。道端に一人のお婆さんが、杖をつきながらゆっくりゆっくり歩いていた。おぼつかない足取りが怖い。よろけてトラックの前に倒れ込んだら、いろいろ終了である。トラックはハンドルを切ってお婆さんから距離を取ると、慎重に追い越して先に進んだ。うむ、良い心掛けだ。トラックは安全第一。たとえ相手が目の前に飛び出してきたとしても、轢いてしまったら過失がゼロにはならない。人間に比べて圧倒的な強者であるトラックにとって、安全は義務なのだ。

 トラックは下町を回り、各家庭に荷物を届けていく。ご近所さんと共同で買った野菜、服を繕うための糸や端切れ、子供が喜ぶ木組みのおもちゃ、ハレの日にさす紅。そこには人々のささやかな日常があり、願いがあり、喜びがある。荷を受け取った人々の「ありがとう」にプァンと応えるトラックの様子は、どこか嬉しそうだった。

 すべての荷物の配送が終わり、トラックは伸びをするようにプォーンとクラクションを鳴らした。今日は荷物が多かったなぁ。荷物が、というか、配送先が分かれていて手間取ったという感じか。でもまあ、みんな喜んでくれたし、いい仕事したよ。お疲れ。

 今日の仕事を終えたトラックは、来た道を戻る。日はすでに傾き始めていて、家々からは夕食の支度をする音が聞こえてくる。下町の景色を楽しむようにゆっくりと走っていたトラックは、ふと何かに気付いたようにブレーキを踏んだ。道端に視線を遣ると、一人のお婆さんが杖をつきながらゆっくりゆっくり歩いていた。トラックはその場に停車しハザードを焚く。なんだろう。何か考え中?

 ……っていうか、あのお婆さん、行きにすれ違ったお婆さんじゃない? まだ歩き続けてたの? 進行方向がさっきと同じだから、もしかしてまだ目的地に辿り着いてないの!?

 お婆さんは小さな歩幅でしばらく前に進むと、ふぅ、と息を吐いて立ち止まった。そしてしばらく休み、また進んでは休みを繰り返す。どこへ向かっているか分からないが、これじゃ永遠に辿り着きそうにない気がする。トラックは驚かせないためか、ゆっくりとおばあさんの横に並ぶと、プァンとクラクションを鳴らした。お婆さんが顔を上げ、トラックを仰ぎ見る。


「あらあら、ごめんなさいね、邪魔をして。もう少し端っこを歩くから、堪忍してね」


 お婆さんは申し訳なさそうに微笑んで頭を下げる。トラックは慌てたようにもう一度クラクションを鳴らすと、助手席のドアを開けた。お婆さんが戸惑い気味に答える。


「そんな、見ず知らずの方にお世話を掛けられないわ。どうぞ行ってくださいな。若い方がこんなおばあちゃんに気を遣わなくてもいいのよ」


 ね? と念を押して笑うお婆さんをしばらく見ていたっぽいトラックは、


「きゃっ!」


 念動力でお婆さんを持ち上げると、ふわりと助手席に乗せてドアを閉めた。目を白黒させているお婆さんに、トラックはプァンとクラクションを鳴らす。


「あらあら、じゃあ私はさらわれてしまったの?」


 目をぱちくりとさせてお婆さんが言う。トラックがいたずらっぽくプァンと鳴らした。


「だったら仕方ないわね。……中央広場まで、行ってくださる?」


 任せておけ、と言うように力強くクラクションを鳴らし、トラックはゆっくりと発進した。お婆さんは目を細めると、つぶやくように「ありがとう」と言った。




 中央広場に辿り着いたトラックは、広場の端でお婆さんを降ろした。お婆さんは広場の真ん中あたりで若干イライラしながら立っている若い男に近付いていく。商人風の恰好をしているが、なんだろう、うまく言えないんだけども、本当に商人かな? どことなく軽薄な雰囲気が……明らかにチャラいっていうか……うーむ。おっさんの若者に対する偏見なのかな? 自分じゃまだ若いつもりでも、若者を見るとつい説教をしたくなるという……ま、まずいぞ、自分が若いころに『こんなおっさんになりたくない』と思っていたものに、気付かないうちになっているのか!?

 俺の葛藤をよそに、お婆さんは若者としばらく話し込んでいた。若者は妙に軽いノリでヘラヘラと笑っていて、対照的にお婆さんは必死に何かを訴えているようだ。やがてお婆さんは布袋を若者に渡した。若者は満面の笑みでそれを受け取り、用は終わったとばかりに背を向けて去っていった。お婆さんは若者の姿が見えなくなるまで、その背にずっと頭を下げていた。


 若者が去り、お婆さんは頭を上げて振り返った。トラックがお婆さんに近付き、プァンと声を掛ける。お婆さんは驚いたように言った。


「待っていてくださったの? ごめんなさいね、気を遣わせてしまって」


 申し訳なさそうなお婆さんに、トラックは助手席のドアを開ける。「でも」と言いかけたお婆さんの言葉をさえぎり、トラックが穏やかにクラクションを鳴らした。ふっと柔らかく微笑んで、お婆さんはトラックに言葉を返した。


「……ありがとう。お言葉に甘えさせていただくわね」


 うむ。よい仕事だトラック。もう日暮れ間近だから、お婆さんをこのまま一人で返したら家に着くころには間違いなく日付が変わっている。トラックよすべからく紳士たれ。これ、我が社の社訓だからね。毎日朝礼で復唱してるからね。

 トラックは薄暮の西部街区を走る。遊んでいた子供たちが母親に怒鳴られ、慌てて家に駆けこんでいった。助手席のお婆さんは目を細めて子供たちの様子を眺めていた。やがてトラックは西部街区の住宅密集地を抜け、外壁に近い区画に辿り着いた。そこは家もまばらな、少し寂しい感じのする場所だった。


「あれが私の家よ」


 お婆さんが一軒の家を指さす。その家はお世辞にも立派とは言えない、小さくて建付けの悪そうな、はっきり言えば掘っ建て小屋とかボロ屋とかいう言葉がぴったりの平屋だった。独り身なのだろうか。家の中に人の気配はない。トラックは玄関の前に車体を付け、助手席のドアを開く。そしてお婆さんを念動力でひょいっと持ち上げ、慎重に地面に下ろした。


「ありがとう、……あら、そういえば私ったら、名乗ってもいなかったわね」


 お婆さんはうっかりしていたとトラックに謝ると、


「私はシェスカというの。あなたのお名前を教えてくださる?」


 そうトラックに聞いた。トラックはプァンと答えを返す。


「トラックさんね。トラックさん、今日は本当にありがとうございました。見ず知らずのこんな年寄りに優しくしてくれて、私、とても嬉しかったのよ」


 シェスカさんはトラックに深々と頭を下げる。気にするなとでも言うようにトラックはプァンとクラクションを返した。シェスカさんが頭を上げ、優しげに微笑んだ。


「あなたは、もしかしたらギルドの冒険者かしら?」


 シェスカさんの言葉に、トラックは肯定のクラクションを返す。シェスカさんは「そう」とつぶやくと、少し懐かしそうな顔をした。


「私もね、もうずいぶん昔の話だけれど、冒険者だったのよ」


 ちょっとした有名人だったの、と言って、シェスカさんは笑った。本当なのか冗談なのか判断しづらいなぁ。シェスカさんは笑いを収め、真剣な表情でトラックを見つめた。


「あなたはとても強い力をお持ちね。でも気を付けて。強い力は強い心と共にあって初めて意味を持つのだから」


 シェスカさんはじっとトラックを見据えている。その瞳は弱々しい老人のものとは思えない、強い意志を宿していた。トラックは無言でシェスカさんの視線を受け止めている。


「……ごめんなさいね。歳を取るとどうしても、説教臭くなってしまって」


 シェスカさんはそう言って表情を緩める。そして再びトラックに礼を言うと、自らの家の中に入っていった。トラックはシェスカさんが扉を閉めた後も、しばらくその場にとどまっていた。シェスカさんの言葉の意味を考えているのだろうか。やがてトラックはゆっくりとアクセルを踏み、西部街区を後にして宿へと戻っていった。


 シェスカさんは玄関を閉めると、軽く息を吐いて、そしてアゴの辺りの皮膚をつまんで勢いよく上に引っ張りました。バリバリと音を立て、シェスカさんの顔が剥がれていきます。マスクの下から現れたのは、黒い瞳の妙齢の美女でした。


「あなたとは長い付き合いになりそうね、トラックさん」


 美女はそう言ってかすかに微笑んだのでした。

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― 新着の感想 ―
[一言] 何てエモい話( ˘ω˘ ) てか、主人公(語り部)は二ヶ月もこのままなんですねw まあ、現世との体感時間は異なるのかもしれませんがw
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