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だいじょうぶ

「こいつを渡しとく」


 懐から何かを取り出し、イヌカはトラックに向かってポイっと放り投げた。トラックが【念動力】でそれを受け取る。掌に収まるほどの大きさの、木製の、筒? 半ば辺りに切れ込みが入っていて一見すると笛のようだが、上下は閉じられているため笛ではなさそうだ。トラックは不思議そうに空中で筒をくるくると回している。剣士も初めて見たようで、説明を求める目でイヌカを見た。


「風囁筒っつってな。二本で対になってて、一方の筒に話しかけるともう一方の筒から声が出るってシロモノだ」


 えーっと、それって電話みたいなのってこと? 今まで出てきたことなかったけど、そんな便利なもんがこの世界にあったの? 離れた場所から連絡が取れるなんて普及してない方がおかしくない? 軍事的にも政治的にも経済的にも、明らかに有用でしょうが。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。イヌカは首を横に振った。


「そんな都合のいいモンじゃねぇよ」


 イヌカによると、この風囁筒は風の精霊的なものを筒に封じており、言葉を乗せて筒から解放すると、対になっている筒に精霊的なものが移動し、言葉を伝えてくれるんだそうだ。筒の対応関係は固定で、変えることも追加することもできない。さらに、一体の精霊的なものが行き来する仕組みのため、たとえばイヌカからトラックに一度言葉を送ると、次にトラックからイヌカに言葉を送らなければ、イヌカはずっと、再度トラックに言葉を伝えることができない。今、精霊的なものがいる方の筒に話しかけないとダメなのだ。それは地味にめんどくさいらしい。


「しかもすさまじく高価で壊れやすいし、まれに精霊的なものが対になる筒にたどり着けなかったり、逃げ出したり、移動の途中に立ち寄った場所が気に入ってそのまま定住したりもする。確実な連絡手段ってよりは、複数の手段のうちの一つってトコだ。だが今回の場合は役に立つだろうぜ」


 確かに、イヌカには人質を救出したらすぐにトラック達に伝えてもらう必要がある。電話ほど便利じゃなくても、連絡手段があるのとないのじゃ全然違うもんね。精霊的なものが迷子になったりどこかの土地に腰を落ち着けたりしちゃったら声は届かないんだけども、そりゃもうどうしようもないことだし。


「もう一度言うが、凄まじく高価だからな。壊したり失くしたりするんじゃねぇぞ」


 調査部の支給品としてイヌカはこれを持っているが、普通の人生を送っていれば生涯お目にかかることはないくらい珍しいものなんだって。壊したら弁償だからな、というイヌカの真剣なまなざしを受け、トラックはプァンと了承を返すと、中身を確かめるように中空に掲げた。筒の中央にある切れ込みからわずかに中身がのぞく。これは――


 ……ああ、イヌカが『風の精霊』じゃなくて『風の精霊的なもの』と言った意味が分かったわ。切れ込みからこちらを見るその姿は、ふわっふわでもふっもふの真っ白な綿毛に包まれた小さな……おっさんだった。顔だけが人生に疲れ果て、寂しげにうつむいている。イヌカはきっと、このおっさんを風の精霊と呼びたくなかったんだな。風の精霊は美しい乙女の姿をしていてほしかったんだな。

 トラックは無言で運転席側の窓を開けると、慎重にダッシュボードになかにしまい込んだ。


「人質の解放に成功したらそいつで知らせる。それまで、頼むぞ」


 イヌカが人質を救出したとしても、その前に戦士が追跡者の手にかかってしまっては意味がない。いや、意味がないことはないんだけども、そんなバッドエンド誰も望んでいない。トラック達が望むのは戦士の遺体にすがる妻子の姿ではなく、再会の喜びに沸く家族の姿なのだ。イヌカが人質を救出するまでの間に、トラック達は戦士を見つけ、守らねばならないのだ。敵からも、追跡者からも。

 イヌカの姿が徐々に揺らぎ、その輪郭がぼやけ、風景に溶けていく。【隠形鬼】を使ったのだろう。今、ギルドはゴブリンたちの護衛と敵の捜索に全力を注いでいる。それを勝手に離脱して裏切り者のために動こうというのだから、イヌカも相当のリスクを負ってくれているのだ。敵にはもちろん、ギルドメンバーにも見つからないために、イヌカは虎の子のスキルを使った。それはイヌカが本気でトラック達の力になろうとしている、その証だ。


「俺たちも行こう。イヌカにばかり負担を押し付けるわけにはいかない」


 剣士がそう言って、厳しい表情でケテルの町を見据えた。この町のどこかに戦士が、そして戦士を陥れた敵がいる。さらにはきっと、戦士の命を狙う追跡者たちも。トラックがプァンと剣士に応える。ミラもまたはっきりとうなずき、リスギツネがクルルと鳴いた。トラック達は藍に染まり始めたケテルに向かって進み――


「と、トラックさん!!」


 息を切らせ、明らかに憔悴した顔の男の声がトラック達の足を止めた。




 ぜえぜえと息を吐き、男はトラックの前で力尽きたように膝をついた。この人、どっかで見たことが……あ、施療院のスタッフ? と、いうことは、まさか――


「ゴブ……いや、ドゲンナー・モンカ・ワカレヘン病の患者が、続々と施療院に運び込まれて、もう我々では対処できません! トラックさん、どうか手を貸してください!」


 男の話によると、夕暮れ時から再びぽつりぽつりと患者が現れ始めたと思ったら、ほんの一時間ほどの間に来院者が急増し、もはや院内に患者を入れることさえできない状態なのだという。患者の数も増加率も昨日の比ではない。つまり、敵は本格的にゴブリン病をまき散らし始めたのだ。剣士が不可解そうに眉を寄せる。


「……また、襲撃とは無関係なタイミングで――奴らはいったい何がしたいんだ?」


 もし襲撃と同じタイミングで大規模感染を引き起こせば、ケテル側はそちらの対応に人手が割かれるため襲撃の成功率は上がる。あるいは、ゴブリンたちの視察ルート上に沿う形でカビをまけばゴブリンたちが病の原因だという主張の信ぴょう性が増すだろう。そのうえでこの病が『ゴブリン病』だと知らせればケテルの人々の憎悪はゴブリンたちに向く。むしろそういう下準備をしてから人々を扇動すればケテルの一般市民がゴブリンたちを襲撃するよう仕向けることだってできるかもしれない。それなのに、カビをまくこととゴブリンへの襲撃はまるで連携することなく行われている。カビ班と襲撃班は所属が別で連携する気がない、という縦割りの弊害だ、とも考えられなくはないが、そう考えるよりもむしろ、何か意図があってそうしている、と考えておくべきだろう。クリフォトの工作がそこまでお粗末だとは思えないから。でも、だとしたらその意図とはなんなのだろう?

 男が苦しそうに激しくせき込む。トラックが慌ててクラクションを鳴らし、ミラが男に駆け寄って背をさすった。軽く手を挙げて応え、男はトラックに再度頼み込んだ。


「一緒に施療院に来てください。もうあなたにしか頼れない」


 剣士の顔がわずかに歪む。ここで男の頼みを聞いてしまえばトラック達は戦士を探しに行くことができなくなる。かといって彼の頼みを無視するわけにもいかない。無視すればゴブリン病で誰かが苦しみ、命を落とすかもしれないのだ。

 トラックがプァンとクラクションを鳴らし、助手席の扉を開いた。剣士も覚悟を決めたようにうなずく。施療院に向かい患者を治したうえで素早く戦士を見つける。それがトラック達の最速なのだ。助手席に男を、運転席にミラとリスギツネを、そして荷台に剣士を乗せ、トラックは強くアクセルを踏んだ。




 施療院の前はちょっとした地獄絵図、といった様相だった。無数の患者がむき出しの地面に横たわり、苦しげな呼吸の音と咳、そして患者に寄り添う人々が懸命に命を繋ぎとめようとする祈りの声が入り混じっている。施療院のスタッフは患者の間を駆け回り、薬を飲ませ、濡らした布を取り換えているが、とても手が足りている様子はない。セシリアもまたスタッフに交じって懸命に患者の治療に当たっている。


「これほどの大規模感染を起こす能力があるなら、なぜ昨日は――」


 セシリアが周囲を見渡して眉を寄せた。患者の数は増え続けており、事態の収束はいまだ見えない。昨日のゴブリン病の感染が実験だとすれば、今日これほどの感染を引き起こすことができたことには違和感がある。感染源であるカビを一日で準備できたはずもないのだ。だとしたら、敵はあらかじめ大規模感染を引き起こすだけのカビを準備していたことになる。だがそうすると、昨日の感染を小規模にとどめた意味が分からない。


――ゴホッゴホッ


 目の前の患者がせき込み、セシリアはハッとした様子で思考を中断し、患者の処置に戻った。セシリアは患者に薬を飲ませ、るふりをして、そっと真白の光を患者へと注ぐ。患者のせきが止まり、呼吸も穏やかになった。どうやらセシリアは、重症化した患者に対してだけ、こっそり自らの力を使って治療をしているらしい。すべての患者に対してそれをしないのは、それが不可能だということを彼女自身が知っているからだろう。魔神リュリオウルが言っていたように、セフィロトの娘の力はセシリアの命を削る。命と引き換えにここにいる全ての患者を一瞬で癒すことは可能かもしれないが、患者はまだこれからも増えるのだ。ドワーフ村で院長が言った「自己犠牲と美徳と思うな」という言葉を、セシリアはきちんと受け止めている。


「……トラックさん」


 セシリアの瞳がわずかにゆらぎ、心細さが口をつく。トラックはいまだ姿を見せない。あ、ちなみに俺は先行して施療院に着いております。トラックも空を飛んでこちらに向かっているからもうすぐ着くと思うんだけど。ってか早く来い。


「……これは、きっと、罰なんだ」


 患者に付き添っていた一人の男が、不意にそう声を上げた。罰、という不穏な響きに、周囲が男に視線を向ける。男は何かに取り憑かれたように虚ろな瞳で言葉を続ける。


「ゴブリンなんかと仲良くしようとするから、神さまが罰を下されたんだ。だってそうだろう? ゴブリンたちがケテルに来る前はこんな病気なかった」


 人々が一斉に口を閉ざし、正解を見つけたかのように男を見つめる。祈りが途絶え、せきと苦しげな呼吸音だけが聞こえる。男の主張を補強するように、別の男が口を開いた。


「俺の故郷に、よく似た病気があるんだ。そこじゃ、この病気のこと、『ゴブリン病』って呼んでた」


 それはつぶやくような声だったが、水面に波紋が広がるように、人々に広がっていく。セシリアたちの顔が蒼白に強張った。人々の間に怒りが、憎悪が膨れ上がっていく――


「ちがうよ」


 暴発しそうな人々の感情を押しとどめたのは、一人の小さな女の子の声だった。発熱し、苦しそうに息をしながら、しかしその表情に不安の影はない。


「この、びょうきはね、ドゲンナー・モンカ・ワカレヘンびょうって、いうのよ」


 年少者を優しく諭すように、五歳くらいのその少女は穏やかにゆっくりと言った。自分の言葉を否定され、男が気色ばんで叫ぶ。


「俺が嘘言ってるってのか!」


 男の怒鳴り声にも臆することなく、怯える幼子を安心させるときのように少女は微笑みを浮かべた。


「とっきゅうちゅうしさまがそういったの。とっきゅうちゅうしさまはね、ペカーってやって、ママをたすけてくれたのよ。だから、だいじょうぶなの。こわがらなくていいのよ」


 男たちよりもはるかに大人びた様子で、きっと病気で辛いだろうに、少女は「だいじょうぶよ」と繰り返す。その揺るぎない確信が、特級厨師への信頼が、人々の怒りと憎悪をふわりと包み込んだ。

 そうか。この子は昨日、トラックが助けた患者の家族なんだな。昨日は母親が感染し、今日はこの子が感染したんだ。トラックはママを助けてくれた。だから、今度もだいじょうぶ。昨日トラックが示した、この病気は治る、という事実が、この子に未来への希望を与えている。


「特級厨師様! どうか我らをお助けください!」


 少女の傍らにいた父親らしき男性が天に向かって叫ぶ。それは目の前の愛しい人の苦しみに何もできない人の、祈る以外に何もできない人の、悲痛な叫びだった。患者の家族から次々に同様の祈りが空に放たれる。この子を助けて、この人を奪わないで、私たちの未来を、ささやかな幸せを、どうか――


――プァン


 すべての祈りをその身に受け止め、星の見えぬ闇をヘッドライトが引き裂き、空からトラックが人々の前に、降り立った。

トラック、ジョブチェンジで職業『菩薩』に。

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