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星のない夜が来る

 誰もが動けずにいる。それは危険が去ったという確証が得られないから、ではなく、もはや危険を回避する手立てがない、ということを知ったからだ。冒険者ギルドのAランカーである大剣使いの戦士が裏切ったという事実は、ゴブリンたちの信用を打ち砕くには充分過ぎる。ケテルはゴブリンたちを必ず守ります、という約束を信じてもらう根拠が崩れたのだ。護衛が信用できない状態で立てる警備計画に意味はない。視察も、そして本番である式典も、中止という判断をせざるを得ないだろう。


「……あのバカ、どうして――」


 短槍使いが信じられないという顔でつぶやく。他の冒険者たちも一様に複雑な表情を浮かべていた。冒険者としての実績もギルド内での信頼もある戦士がなぜ裏切ったのか。納得いく答えを彼らは見いだせずにいるようだった。


「申し訳、ありません」


 苦渋の顔でマスターはルゼとゴブリンたちに頭を下げる。ルゼは厳しい表情で無言を貫き、ゴブリンたちも適切な言葉を探しあぐねているようだ。しばらく逡巡した後、年かさゴブリンが慎重に言葉を選んで言った。


「ごぶごぶ」


 とりあえず一度評議会館に戻りましょう、という先生の通訳により、重苦しい空気を振り払えないまま、トラック達は評議会館へと向かった。




 評議会館へと戻り、ルゼたちケテル側とゴブリン代表団は話し合いに籠った。ガートンパパがくれたチャンスを完全にダメにしてしまったのだ。式典の開催も通商の話も白紙にならざるをえまい。ただ、ゴブリンたちだってケテルとの敵対を望んでいるわけではない。直近での関係構築が失敗したとしても、然るべき時にはそれを為せるように水面下での繋がりは維持しておきたいはずだ。おそらく話し合いの場ではそういう部分の調整が行われているのだろう。


「巻き込んじまって、すまなかった」


 マスターはアネットたちにそう言って頭を下げた。一歩間違えば子供たちに危害が及ぶ状況だったのだ。守り切る自信があってのことだったはずだが、戦士の裏切りによってその自信も潰えた今、謝る以外に方法はないのだろう。しかしアネットは気丈に微笑みを返した。


「何も怖くはありませんでした。冒険者の皆さんが守ってくれていたし、ゴブリンの皆様も手を繋いでくれていたから」


 他の子供たちもアネットに同意するようにうなずく。しかしみんな、わずかに身体を震わせていた。怖くなかったはずはないのだ。ただ、子供たちは子供たちなりに、ゴブリンとの未来を守ろうと必死に頑張ってくれているんだろう。怖かったと泣いてしまえば、ゴブリンたちとの関係に悪影響が及ぶのではないかと恐れている。だから何でもないと平気な顔をしている。そうしなければならないと知っているのだ。マスターは子供たちにもう一度、深く頭を下げた。




「なんなんだよ、あいつ!」


 怒りが収まらない様子でルーグは吐き捨てるように言った。戦士の裏切りを、どうにも許せないようだ。しかも戦士はガートンに剣を向けた。戦う力を持った者ではなく子供を狙ったということ、そして何より友達を傷付けようとしたことに、ルーグは怒っているようだった。


「冒険者の風上にも置けねぇ! 今度会ったら絶対ぶっとばしてやる!」


 冒険者という職業に、ルーグは特別な想いを持っている。マスターはルーグをギルドに迎え入れる時、


「お前が傷付けた以上のものを守れ。お前が壊した以上のものを救え」


と言った。その言葉はルーグの、冒険者という存在の意味を規定しているのだろう。ルーグにとって冒険者は『守り』『救う』者であり、それゆえに戦士を許せない。冒険者として最高位のAランカーであり、トップクラスの実力を持つからこそ、戦士がガートンに、守られるべき者に剣を向けたことがどうしても許せないのだ。


「くそっ!」


 ルーグが苛立たしげに地面を蹴る。戦士が人質を取られ、望まず裏切ることになったことをルーグは知らない。トラックはどこか悲しそうにルーグを見ていたが、真相を告げる気はないのか、ルーグにクラクションを掛けることはなかった。




「トラック!?」


 驚いた声を上げてトラックに駆け寄ってきたのは、評議会館に残っていたミラだった。ミラはガートンパパのケガのケアを付きっ切りで行い、今日の視察に何とか間に合わせるよう力を尽くしていたらしい。お陰でガートンパパは立って歩けるほどにまで回復したのだが、代わりにミラは消耗しすぎて休んでいたんだって。戦士の斬撃を受けてキャビンがズタボロのトラックの姿を見て、ミラは慌てて癒しの光を放った。真白の光がトラックを包み、車体が再生していく。トラックがプァンとお礼のクラクションを鳴らすと、ミラはキャビンに手を当て、つぶやくように言った。


「無茶、しないで」


 心配している様子がひしひしと伝わってくる。トラックは、今度は謝るようなクラクションを鳴らした。




「……どうにも気に入らねぇ」


 剣士がトラックに近付き、声のトーンを落としてそう囁いた。トラックは訝しげなクラクションを返す。気に入らないって、いったい何のこと?


「敵の動きだ。ゴブリン病の件もそうだが、今回も妙に不徹底な気がしてならない」


 剣士は眉間にシワを寄せて考え込んでいる。


「お前が空中に隠れていた奴を迎撃して、空からの攻撃がなくなった。他のメンバーが体勢を立て直して【絶対防壁】が作り直された。内通者の裏切りが露見した。敵にとって状況が悪くなっていたのは確かだろう。だが、敵があのまま攻撃を続けていたら、俺たちは勝てたと思うか? 逃げる時の手際の良さと比べて攻め方が下手すぎる。まるで最初から襲撃を成功させるつもりがないみたいにな」


 襲撃を成功させるつもりがないって、じゃあ何のために襲ってきたんだよ。なんかノリで襲撃してみた、なんてそんなわけないでしょうが。剣士は今度は小さな声で、独り言のようにつぶやいた。


「……奴らには別の目的がある? ゴブリンとケテルの関係を壊すってのは、本当の目的じゃないのか?」


 腕を組み、剣士は難しい顔で唸った。敵が本当はケテルとゴブリンの関係を壊そうとしているのではない、あるいはより優先度の高い何かがあるとすると、この襲撃は陽動、という可能性が出てくる。でも今、ゴブリンたちより重要なことってなんだろう? さしあたり思いつかないけどなぁ。ミラの足元でリスギツネがクルルと鳴く。それに促されるように、トラックは小さくクラクションを鳴らした。剣士が弾かれたように顔を上げ、何か言いかけて慌てて口をつぐむと、トラックに顔を寄せて他に聞こえないように囁いた。


「……人質、ってのは、どういうことだ?」


 トラックは再び小さなクラクションを鳴らす。剣士は苦々しい様子で鼻にシワを寄せた。


「……あいつが裏切った理由がそれか。ようやく合点がいったぜ。おおよそ裏切りとは程遠い男だったからな」


 剣士は大剣使いの戦士と何度か組んだことがあるらしく、その実力とギルドに対する忠誠心をよく知っているようだった。仲間思いであり、他のメンバーからの信頼も厚く、裏切る理由を思いつくことができなかった。だが、妻子を人質に取られたというなら、戦士が裏切るという選択をしたことは意外ではない、とも剣士は言った。家族に対するあこがれのようなものを戦士はしばしば語っていたらしい。


「だが、どんな理由であれ、裏切りを許さないのがギルドの掟だ。すぐにでも追跡者(シーカー)が派遣されることになるだろうぜ」


 追跡者は裏切り者を始末するための冒険者ギルドの特殊部隊、言わばギルドの暗部で、それが動くとなれば戦士の命が危うい。トラックは真剣なクラクションを返す。剣士が軽く目を見張り、苦笑するように言った。


「お前が言いたいことは分かる。だが、追跡者を出し抜くのはなかなか骨だぞ。奴らは音も立てずに標的を始末し、影も残さず姿を消すと聞く」


 わかってる、とでも言うようにトラックはクラクションを鳴らし、車体の向きを変えた。剣士が釣られてトラックが向いた方向に顔を向ける。ちょうどそこには外から入って来たばかりのイヌカがいた。調査部所属のイヌカは早足で歩きながら、おそらくマスターを探しているのだろう。剣士が納得したようにうなずいた。


「なるほど。あいつなら適任だ」




 忙しそうにトラックの前を横切ろうとしたイヌカにトラックはプァンとクラクションを鳴らした。トラックの存在に気付いていなかったのだろう、ちょっとびっくりしたリアクションを返し、イヌカは立ち止まって軽く手を上げた。その顔は疲労の色が濃い。きっと調査部は昼夜を問わず走り回っているのだろう。トラックはイヌカのほうに近付き、


「おう。そっちも大変だったみたいだ――」


 ばいーん、と体当たりして吹っ飛ばした。【手加減】が有能な執事の如くイヌカを衝撃から守る。思いっきり不意を打たれた様子で床を転がり、怒りの表情と共にイヌカは立ち上がった。


「てめぇ、いきなりなにしやが」


 ばいーん。


「だからなんのつも」


 ばいーん。


「いいかげんに」


 ばいーん。


 わけもわからずトラックに撥ね飛ばされ続け、イヌカは評議会館の玄関から外に転がり出た。周りにいたギルドの面々は「なにじゃれてんだ」というあきれ顔でトラック達を見ている。どこか暗い表情をしていたミラが笑って、リスギツネは安心したようにクルルと鳴いた。トラックたちはそのままイヌカを追って評議会館を出た。


「……オレに恨みでもあんのか?」


 額に青筋を浮かべ、引きつった笑みでイヌカは言った。怒りが限界を越えそうなのだろう。まあそりゃそうなるわな。イヌカにしてみれば意味わかんないだろうからさ。トラックはプァンとクラクションを鳴らす。イヌカの怒りの気配が一段増した。


「人をさんざん撥ね飛ばしといて『頼みがある』たぁよく言ったもんだな。それでオレがはいはいと頼みを聞くと思ってんのか?」


 トラックはしれっとクラクションを返す。イヌカの怒りが頂点に達し、何か新しい生物に進化しそうになる直前、剣士がイヌカに近付き、他に聞こえぬよう声を落として言った。


「俺からも頼む。お前にしか頼めない」


 その真剣な声音はイヌカに冷静さを取り戻させたようだ。イヌカは大きく息を吸って怒りを抑え、無言で立ち上がる。トラックがアクセルを踏み、人の気配のない場所に移動を始めた。イヌカと剣士、そしてミラとリスギツネはトラックを追った。




 軽く目を閉じ、イヌカは長く息を吐いた。トラックから戦士の裏切りの理由を聞き、やりきれない思いを感じたのだろうか。ミラがリスギツネを胸に抱き、ぎゅっと抱きしめてうつむいた。目を開け、しかしイヌカは首を横に振った。


「冒険者ってのはそういう稼業だ。弱みを持てば付け入られる。Aランカーとして、あいつは自分で家族を守る責任があった。それができなかったからといって裏切りを肯定する理由にはならねぇ」


 イヌカは厳しい目でトラックを見つめる。しかしトラックは退く気はないと言うようにクラクションを返した。


「痛ぇトコ突くじゃねぇか」


 イヌカが思わず苦笑いを浮かべる。


「確かに、ルーグの件で掟をゆがませたオレに何を言う資格もねぇよ」

「だからこそ」


 剣士は畳みかけるように言葉を繋ぐ。


「お前に頼みたい。お前なら追跡者(シーカー)があいつを消す前に人質を救出できるだろう?」


 簡単に言ってくれるぜ、とイヌカはぼやく。トラックはひどく真剣なクラクションを鳴らした。イヌカは軽く目を見張り、そして降参とでも言うように軽く両手を挙げた。


「わかったよ、やってやる。だが過度な期待はするなよ。追跡者は優秀だ。目的を達成するために手段を選ばないって意味でな」


 イヌカは空に目を遣った。徐々に空は藍色に染まり始めている。太陽が姿を隠せば、そこからは追跡者たちの時間だ。


「……今夜は星が見えそうにねぇな」


 空には厚く雲が掛かり、星々の光を遮っている。どこか寒々しい風がケテルの町を吹き抜けていった。

リスギツネは最近コメルと仲がいいようで、ミラと一緒にいない時はコメルといることが多いようですよ。

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[一言] やっぱイヌカは頼りになるぜ( ˘ω˘ )
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