悪意
制止されるとは思っていなかったのだろう、セシリアが驚いたような顔でトラックを見る。リュリオウルもまた、意外そうにトラックを見遣った。トラックは再びクラクションを鳴らす。セシリアの身体から放たれていた光が消え、戸惑いだけが残った。
「でも、ならばどうせよと……」
トラックはセシリアの言葉に応えず、カチカチとハザードを焚くと、大きく息を吐くようにクラクションを鳴らした。ヘッドライトが点灯して正面を照らす。すると空間から引きずり出されるようにスキルウィンドウが姿を現わした。
『スキルゲット! アクティブスキル(レア)【資金洗浄】
不当に得た利益から犯罪の痕跡を消し、合法的な資産へと変換する』
は、犯罪じゃねぇかぁーーーっ!! 今のこのタイミングで、急に何犯罪に手を染めとんじゃぁーーーっ!! ハザード焚いて何か考えていると思ったら犯罪だと!? 見損なったぞトラック! お前、いつの間にそんな、腐っちまったんだよ!
突然現れた、しかも今のこの事態に何の関係もない、ついでに犯罪であるスキルに、セシリアもリュリオウルも不可解な顔をしている。そりゃそうだろう、俺だってまったく意味が分からない。しかし当のトラックは平然としたまま、さらにヘッドライトをパッシングさせた。
――ぴろりんっ
あ、またスキル閃いた。今度は何だ?
『スキルゲット! アクティブスキル(レア)【はいかぶり】
継母とその娘にいじめられる、
魔法使いに出会う、
カボチャで馬車を作る、
ネズミを御者として躾ける、
などの様々な条件を全てクリアすることで
玉の輿を実現する』
……今度は玉の輿? さっきは犯罪に手を染めて、今度は玉の輿で一生安泰? まったく意味が分からん。ってかそんなんどうでもいいから、ここにいる患者たちを助ける方法を考えなさいよ! わざわざセシリアを止めといてお前、いったい何がしたいの?
「トラックさん、私は――」
悲しげな表情になり、セシリアは再び光を放ち始める。しかしトラックはまたも鋭いクラクションでそれを制した。なおも言い募ろうとするセシリアを遮り、トラックはクラクションを重ねた。と同時に、トラックの周囲の空気が細かく震え始める。カタカタと窓が成り、地震かと施療院の職員たちが不安を顔に浮かべた。天から光が降り注ぎ――屋内であるにもかかわらず――スポットライトのようにトラックを照らす。今までに聞いたことのないような、長めのジングルが響いた。
チャンチャンチャンチャチャチャンチャンチャンチャンチャチャチャンピロリロピロリロピロリロピロリロリ~ン
『新機能【スキル融合】が解禁されました』
新機能……って、何? 何に追加されたの? この世界にってこと? 誰が何のために? 前から思ってたけど、この世界の世界観どうなっとんじゃぁーーー!!
トラックは中空に浮かんだままの二つのスキルウィンドウ――【資金洗浄】と【はいかぶり】を、【念動力】を使って引き寄せる。ああ、【念動力】ってスキルウィンドウも掴めるのか。引き寄せたスキルウィンドウを、トラックはさらに重ねるように移動させた。スキルウィンドウは半透明なので、重ねることで後ろ側のスキルの内容も透けて見える。トラックは力を込めるようにクラクションを鳴らした。二つのスキルウィンドウが重ね合わされ、淡い光を放ちながら震え始める。こ、これはさっき言っていた、スキル融合というやつが始まろうとしているのだろうか? ただ事でない雰囲気を感じ取り、セシリアがじっとスキルウィンドウの様子を見つめる。スキルウィンドウは歪み、たわみ、伸展し、あるいは圧縮され、徐々にその境界を失っていく。スキルウィンドウの放つ光が強さを増した。スキルウィンドウが大きく膨らみ、弾け――
『ここから先は有料になります』
課金制だったーーーっ!! ここまで引っ張って最終的に課金されたーーーっ!! そりゃないよもうちょっとで何か起こりそうだったじゃん! 最初の一回くらいサービスしなよ新機能なんだから紹介も兼ねてさぁ。
『ここから先は有料になります』
頑なだなこのヤロウ。金払わなきゃ一ミリも先に進ませねぇという強い意志だけは伝わって来たわ。トラックはカチカチとハザードを焚いた。スキルウィンドウは弾けかけたままの状態で停止している。
――プァン!
トラックが血を吐くようなクラクションを鳴らすと、ついにスキルウィンドウが弾け、広がる光が再構成されて新たな一つのスキルウィンドウがゆっくりと姿を現わす。……ああ、トラックよ、課金したんだな。それしか方法がないとはいえ、辛い決断だったろう。よく決断した。他の誰が褒めなくても、俺はお前を褒めるよ。
新たに出現したスキルウィンドウをよく見ると、元々のスキルウィンドウの面影を残しているようだった。というか、【はいかぶり】の上半分と【資金洗浄】の下半分を継ぎはぎしたような感じ。なので今、トラックの目の前に現れたスキルウィンドウは【はい洗浄】という表記になって――
……
【はい洗浄】って、もしかして【肺洗浄】ってこと!?
ピンポン、と正解の音がして、『はい』の文字が輝き、『肺』へと変換される。新機能スキル融合によって完成した新たなスキルが改めてその効力を皆に示した。
『スキルゲット! アクティブスキル(SR)【肺洗浄】
煙草の煙から毒ガスまで、
肺を汚染するあらゆる物質を浄化する』
な、なるほど、このスキルがあればここにいる患者たちを救うことができるというわけだな。それは間違いなく素晴らしい、んだけども……
回りくどいわ! 普通に最初から【肺洗浄】を閃いたらよかっただろうが! 複雑な過程を経たところで結局ご都合主義やないか!! だいたい、今回は融合結果がいい感じに『はい』と『洗浄』が組み合わさったけど、もし逆だったら『資金かぶり』って新たなスキルが誕生してたかもしれないってことだよね!? 『資金かぶり』ってどういうスキルだよ! 専務と常務がそれぞれ独自に資金調達して必要以上にお金が集まった、みたいな? 「資金かぶっちゃったな」「そっすね」的な? 全然意味が分からんわぁーーーっ!! そして常務と専務の会話が軽い!
『……そういえばお前の魂も、セフィロトの娘に劣らぬ特殊なものだったな。運命を捻じ曲げ世の理を歪める、それもまたあの駄女神の差し金か?』
リュリオウルがやや苦い顔でそうつぶやいた。セシリアは唖然とした様子でスキル融合を見ていたが、ハッと我に返ると前のめりにトラックに言った。
「試してみてください!」
プァンと答え、トラックは意識を集中するようにハザードを焚いた。中空に浮いていたスキルウィンドウがトラックに吸い込まれ、トラックの車体が仄かに輝きを帯びる。トラックが近くにいた若い男の患者に近付きペカーっとヘッドライトで患者を照らすと、患者の様子が目に見えて変わった。苦しげなぜぇぜぇという息が落ち着き、顔から徐々に熱が引いていく。セシリアは確信を得たようにうなずくと、施療院のスタッフを振り返って叫んだ。
「症状の重い患者から順番にトラックさんのところへ運んでください! もう大丈夫! この病気は、治ります!」
おお、と声を上げ、疲弊し表情を失っていた施療院スタッフに希望と気力が蘇る。セシリアは施療院スタッフに駆け寄り、一緒に患者を運ぶ準備を始めた。トラックはとりあえず手近な患者にヘッドライトの光を浴びせる。リュリオウルはつまらなさそうに言った。
『当面の危機は回避できたようだな。だが安心などせぬことだ。これを仕掛けた者の悪意はそう単純なものではないぞ』
トラックはプァン? と疑問形のクラクションを返した。リュリオウルは意地の悪い笑みを浮かべる。
『ゴブリン病の原因は洞窟の奥に生えるカビだと言ったろう? こんな町中に自然発生するなどありえん。カビを持ち込み、撒いた者がいる、ということだ。そしてその者たちの狙いは病を広げることではない』
トラックはカチカチとハザードを焚いた。クククと喉の奥で笑い、リュリオウルは言葉を続ける。
『その者たちの目的は、この病の名をお前たちに突き止めさせることよ。ゴブリン病というこの病の名を。その名が一度広まれば、ゴブリンに対するケテルの住民の不安と不信は拭いようもないほどに広がる。本当はカビが原因だとしても、そんなことは誰も耳を傾けはしない。ゴブリン病という名前だけが広がり、ゴブリンに対する憎悪と偏見を助長するのだ』
病の原因が分からないうちは、分からないことが人々の不安を煽る。そして原因を突き止めたら、その病の名によって人々は抱いていた不安を憎悪に変えてゴブリンたちに向ける。これは二段構えの工作なのだとリュリオウルは楽しげに言った。ルゼやガートンパパの想いを嘲笑い、心を折るために、ケテルの住民たちが自らゴブリンとの関係を否定するよう仕向ける。そこには明確で強固な悪意がある。
『これを企図した者はよほど、人とゴブリンの新たな関係を潰したいと見える。惚れ惚れするほどにまっすぐな悪意ではないか。ただ潰すのではない、このようなおぞましいことが二度と同じことが起きぬようにとの執念に似た何かを感じるわ。お前がここで病を癒そうと、それで解決とはならぬであろうよ。さあ、どうする? お前は本当に英雄たりうるのか? 人とゴブリンの新たな未来を守ることができるのかな?』
プァン、とトラックは静かなクラクションを鳴らした。にぃ、と嘴の端を上げ、リュリオウルは背の翼をバサリと羽ばたかせる。
『ならば手並みを拝見といこうか。これがケテルの破滅の始まりとならぬよう、せいぜい足掻いてみせることだ』
空間から闇が染み出し、リュリオウルの身体を覆う。光通さぬ真黒に溶けるようにリュリオウルは姿を消した。トラックは数秒だけ何かを考えるようにハザードを焚くと、手近の患者への治療を再開した。
全ての患者の処置を終え、トラックはやや長めのクラクションを鳴らした。施療院のスタッフたちの顔がほころび、安堵が広がる。時刻はもうすぐ昼になろうかというところで、朝食も取らずに働いていたスタッフたちはようやく疲労や空腹を思い出すくらいには余裕を取り戻せたようだ。院長が手近にあった椅子に座り大きく息を吐いた。
症状の重かった患者は発熱による消耗が著しく、すぐに元気いっぱい、というわけにはいかないが、すでにすべての患者が命の危機を脱していた。家族も院内に入ることを許され、あちこちで再会の喜びがあふれる。原因不明の病で治療法も不明、もしかしたら生きて会えないかもしれない、そういう不安の中で引き離された数時間は、きっと実際の何倍も、何十倍も皆を不安にさせていたのだろう。
「……あの、結局、これは何の病気だったんでしょうか?」
家族の無事をひとしきり喜んだあと、患者の家族の数人がトラック達にそう声を掛けてきた。朝とは違い切迫した様子はないが、やはり原因は気になるのだろう。せっかく治っても再発したら怖い。どうすればこの病を遠ざけることができるのか、知りたいと思うのは自然な欲求だろう。しかしここで「ゴブリン病です」と素直に答えるべきかは慎重に考えなければならない問題だった。そう答えてしまえば、リュリオウルが言ったように、ゴブリンに対する不要な偏見を生みかねない。そしてそれは敵の、人々にカビをばらまいた者たちの思うつぼ、でもあるのだ。スタッフが一斉に院長を見る。院長は即答できず、視線をわずかに彷徨わせた。
――プァン
院長が何か言う前に、トラックはさも当然のような雰囲気でクラクションを鳴らした。患者家族が不思議そうに首を傾げる。
「……ドゲンナー・モンカ・ワカレヘン病、ですか?」
皆の視線がトラックに集まる。トラックは再び平然とクラクションを返した。セシリアが大きくうなずき、ゆっくりとした口調で患者に説明する。
「はい。ドゲンナー・モンカ・ワカレヘン病はつい先日学会で初めて症例が報告されたばかりの珍しい病気で、私たちも実際に治療したことがありませんでした。そのせいで原因の特定が遅れ、皆様にはご心配をお掛けしました。もうしわけございません」
頭を下げるセシリアに患者家族は「いえいえ」と慌てたように手を振った。院長がセシリアの言葉を継ぐ。
「診断が付けば、治療法は確立された病気です。人から人へ感染する類のものでもありません。どうかご安心ください」
患者家族の顔が明らかにホッとしたものに変わる。もう怯えなくていい、ここに来れば治る、その確信を彼らは欲しがっていたのだ。患者家族たちは笑顔でうなずくと、口々に礼を言った。
「本当にありがとうございます、先生。そして特級厨師様」
「特級厨師様がいらっしゃったらすぐに治療が始まった。やっぱり特級厨師様はすごいんだ」
「特級厨師様は魔王だけでなく病も退治してくださった」
人々が向ける尊敬を、トラックは複雑な様子で聞いている、のだろう、たぶん。なぜならドゲンナー・モンカ・ワカレヘン病なんてまったくの嘘っぱちなんだから。トラックは人々の混乱を避けるために嘘を吐いた。そしてセシリアと院長はそれに乗ったのだ。特級厨師の名声を利用した、善なる嘘。そしてそれはおそらく一時しのぎ以上の意味を持たないことを、トラックも、セシリアや院長たちも、分かっている。
動けるほどの体力が回復した患者から順に、家族に連れられて施療院を出て行く。患者の中にはトラック達とリュリオウルの会話を聞いている者が何人もいる。もしこの病気が収束せずにケテル中に広まれば、ゴブリン病の名は彼らから人々に伝わるかもしれない。特級厨師の名に対する信頼がどこまで人々の不安を抑え込めるのか――綱渡りのような危うさをトラック達は背負うことになった。
小さな男の子がセシリアたちに手を振り、母親が深く頭を下げて、施療院を後にする。その後ろ姿をセシリアも院長たちも、厳しい表情で見つめていた。
ドゲンナー・モンカ・ワカレヘン病は、昨年のクリフォト呼吸器学会で、シンサ・イバーシ・タコヤキスキー教授によって初めての症例が報告されました。




