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病原

 人々の期待を背に受けて、トラックは堂々と施療院に入る。のはいいんだけど、実際問題どうするつもりなのよ。院長やセシリアが懸命に治療を続けていながら未だ原因の特定もできていないその病気に対し、トラックができることなどあるのだろうか? いくら特級厨師だからってさぁ、病気の専門家じゃないんだし、なんかみんなに安請け合いしたっぽい雰囲気だけどホントに大丈夫なの? 無理でした、じゃあ許してもらえない奴だよコレ。

 施療院の中は患者で溢れており、病床が足らず、毛布などで作った簡易ベッドがロビーや廊下にまで用意されている。しかしその簡易ベッドすらもうすぐ埋まりそうな勢いで、施療院のスタッフたちの顔に焦りが見えた。このままでは治療が追いつかなくなる。この状況、やっぱりドワーフ村のときによく似ているなぁ。あの時とは別の症状なんだけど、原因が不明なところとか、薬を処方してもすぐにぶり返すとか、そういうところが同じ。その時はみんなで力を合わせてどうにかなったけど、今回もそううまくいくのかどうか……


「トラックさん!」


 忙しく部屋を行き来していたセシリアがトラックを見つけて駆け寄ってくる。どうやら昨日からずっと休みなく働いているようだ。トラックが労いのクラクションを鳴らした。


「いえ、皆頑張っていますから。でも……」


 セシリアが目を伏せる。原因を特定できていないため、有効な治療ができない現状に悩んでいるようだ。院内のいたるところで患者の苦しそうな息遣いが聞こえる。実際に苦しむ患者を目の当たりにすると、どうにかしてあげたい気持ちと同時にどうにもできない気持ち、無力感のようなものが沸き上がってくる。セシリアや院長、他のスタッフたちも、折れそうな心を必死で支えながら治療を続けているのだ。

 トラックはカチカチとハザードを焚く。どうすれば皆を助けられるのか、自分に何ができるのか、自問しているのだろうか? やがてトラックはハザードを消し、決意のようなクラクションを鳴らした。セシリアがハッと顔を上げる。


「待って! それは――!」


 セシリアの制止を無視してトラックの前にスキルウィンドウが姿を現わす。それはいつかのときと同じ、【強欲伯の宝籤】の発動を告げるものだった。使用するごとに寿命を奪われるスキル。滅多に当たることはないが当たれば強欲伯の知識を授かることができる。ドワーフ村で、トラックがHP残り1で奇跡的に当たりを引いたあのスキルだった。

 中空に淡く光る一枚の籤が現れ、ひらひらと舞い落ちる。前はそこに『はずれ』と書かれており、トラックが寿命を奪われてサイドミラーは砕けるわドアは脱落するわ大変だった記憶があるのだが――あれ、なんかこの籤、何も書かれてない。もしかして、これって……当たったの!? 初回で!? そんな都合のいいことある!?

 籤が闇色の光を放ち、歪み、揺らめき、凝集して、一柱の魔神を形作る。禍々しいオーラを纏って姿を現わしたのは、フクロウの頭を持つ奢侈王の腹心、強欲伯リュリオウルだった。リュリオウルはバサリと翼をはばたかせて床に降り立つと、そのまま体育座りをしてトラックから顔を背けた。


『モウカンベンシテクダサーイ。ワタシヲヨバナイデクダサーイ』


 なんでカタコトだよ。前は流暢にしゃべってたろうがよ。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。リュリオウルは拗ねたようにツーンとヨソを向いている。


『アナータタチニカカワルトロクナコトアリマセーン。カッテニシテクダサーイ。ワタシヲマキコマナイデクダサーイ』


 なんか知らんがえらい嫌われようだな。前回そんなに嫌がられるようなことしたっけ? トラックが心外そうにクラクションを鳴らした。リュリオウルはムッとした顔で反論する。


『黙れ! 結局あの後、バナナの皮で滑ってこけたことが周囲にバレて大笑いされたわ! 奢侈王様にいたっては、その様子を再現して見せろとか言われて、皆の前でもう一回バナナの皮でこけさせられたのだぞ! この私が! 地獄の伯爵であるこの私が!』


 血の涙でも流しそうな勢いでリュリオウルは屈辱の記憶を語った。そ、そうですか。でもそれトラックのせいじゃないんじゃ……


『というわけだから、私は帰らせてもらうぞ! あーやだやだ。運気が下がるわ』


 リュリオウルが再びバサリと翼をはためかせて宙に浮くと、徐々にその輪郭がぼやけ始める。何もない空間から滲みだすように闇が広がり、リュリオウルを包んで――


「待ってください」


 セシリアの静かな声がリュリオウルの動きを止める。リュリオウルは驚きに目を見開いた。その視線の先にはセシリアが懐から取り出したひと房のバナナがあった。


『……』

「……」


 セシリアとリュリオウルは無言で視線を交わす。揺らめいていた闇が制止し、静寂が場を支配し、そして、


『……話だけなら聞いてやろう。言ってみるがいい』


 負けたーーーっ!! 魔神がバナナの誘惑に負けたーーーっ!! 前回に引き続き負けたーーーっ!! 学習せいよ。一度それで失敗したんでしょうが。

 もう一度床に降り立ったリュリオウルにトラックはプァンとクラクションを鳴らす。セシリアは言葉を補うように言った。


「原因が分からず、解熱剤の効果が消えれば症状が再発します。根本的な治療法が見つかっていないのです」


 セシリアから奪うようにバナナを受け取ると、リュリオウルはあからさまにやる気のない声で答えた。


『あー、アレじゃない? タチの悪い風邪。最近多いらしいよ、知らんけど』


 いそいそとバナナを剥くリュリオウルに、セシリアは大げさなほどに驚いてみせた。


「まあ、『知らぬものなき』と誉れ高い強欲伯にも知らぬことがあるのですね」


 ピクリと片眉を上げてリュリオウルが動きを止めた。あからさまな挑発の色を宿した視線がリュリオウルを捉える。


「それとも、知っていて出し惜しみをしているのですか? それは大した吝嗇ですね」

『挑発には乗らぬ。お前たちにどう思われようと私には何の意味もない』


 平静を装うリュリオウルの額には青筋が浮かんでいる。セシリアはバカにしたように小さく噴き出した。


「……バナナの皮で滑ってこけた上に吝嗇」

『なんだと!?』


 くわっと目を見開き、リュリオウルは怒りの表情でセシリアに迫る。セシリアはリュリオウルから目を逸らして口元を隠した。


「ああ、ごめんなさい。たとえ本当のことであっても、言われれば傷付くもの。どうかお忘れください」


 必死で笑いをこらえるセシリアの様子にリュリオウルは顔を真っ赤にして震える。トラックがダメ押しのようにクラクションを鳴らした。ぶちん、と何かが切れる音が聞こえ、リュリオウルが静かに怒鳴った。


『……この私に分からぬものなどないわ! こんな病など、一瞬で診断してくれる!』


 リュリオウルは振り返り、周囲に横たわる患者に目を走らせた。セシリアの表情が真剣なものに変わる。じっと患者を見つめ、ハッと何かに気付いて、リュリオウルは先ほどの不機嫌さが嘘のように、楽しげに笑い始めた。


『なるほど。これは性格の悪い』


 クククと喉を鳴らすリュリオウルの様子にセシリアは眉をひそめる。性格が悪い、って、病気に性格の良し悪しなんてあんの? リュリオウルはセシリアに向き直り、意趣返しのように口の端を歪めて言った。


『これは、『ゴブリン病』と呼ばれる病だ』


 セシリアの表情が、凍りついた。




「ゴブリンが感染源だと?」


 わずかに震える声でセシリアが問う。リュリオウルはいかにも愉快そうに答えた。


『そうだ』


 セシリアが拳を握る。リュリオウルの言葉が真実なら、図らずも院外に追い出された患者の家族たちが言っていたことは正鵠を射ていたということになる。そしてそのことが市中に広まれば、ゴブリンたちとの友好関係など望むべくもなくなるだろう。下手をすれば暴動が起きかねない。


『――と、言いたいところだが、答えはノーだ。この病の原因はゴブリンではない』


 リュリオウルがにやりと笑う。セシリアは一瞬表情を緩め、そしてリュリオウルをにらんだ。リュリオウルは涼しい顔でセシリアの怒りを受け流すと、ゴブリン病についての説明を始めた。


『クリフォト南部の山岳地帯に洞窟ゴブリンと呼ばれる種のゴブリンがいることは知っているか?』


 ケテルより南の、比較的温暖な地域に属する場所に、洞窟ゴブリンはいるのだという。その名の通り洞窟に住むゴブリンで、しばしば山道を通る旅人を襲うことから、定期的に討伐依頼が出され、冒険者や騎士団が討伐を請け負っている。


『ゴブリン病は、洞窟ゴブリンを討伐した者にしばしば現れる病気だ。かつては殺したゴブリンの怨念による呪いだ、などと言われていたようだな。人間どもは自分の都合で容易く他の生命を虐殺するが、多少なりとも負い目を感じる知性はあるらしい』


 殺せば恨まれるだろう、という想像力が、殺した人間に降りかかった病と結びつき、病を呪いと受け止め、怖れた。原因を究明するだけの知識や技術がない時代に、そうした迷信は説得力を持って人々に受け入れられた。セシリアが不快そうにリュリオウルをにらむ。


「要点のみを答えなさい。この病の原因はなに?」


 セシリアの焦りを見透かせるようにリュリオウルはもったいつけた様子で笑っている。


『洞窟ゴブリンの生息域は温かく湿潤な地域。そして、ゴブリン病に罹った者は一様に、洞窟の奥まで踏み入った者たちだ。さらに言えば、ゴブリンの住んでいない洞窟に入った者の中にもゴブリン病に罹った者がいる』


 セシリアの顔に苛立ちが混じる。周囲の患者が苦しそうに咳き込む音があちこちで聞こえた。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らし、リュリオウルは答えを口にした。


『ゴブリン病の原因は、洞窟の奥に生えるカビ、だ。カビの胞子が肺に吸着してゴブリン病は発症する。治療法は一つだけ。肺からカビを除去すること、つまり、肺の洗浄だ』


 肺の洗浄、って、そんなんどうやってやんの? 肺を取り出して水洗い、なんてできないよね? 口から管突っ込んで、ったって、肺に水入れたらダメだよね? どうやって肺の洗浄などということを実行するのか、それを考え始めたセシリアに、リュリオウルは呆れたように言った。


『何を惑う? 容易いことではないか、セフィロトの娘たるお前には。もっとも、今この場で治療できるのはお前だけ。この人数、そしてこれからもっと増える患者をお前がすべて一人で治療することが、果たしてできるかな? 自覚しているはずだ。お前が奇跡を起こすたび、お前の寿命は削れていく』


 セシリアの顔から血の気が引き、迷いと葛藤が浮かぶ。リュリオウルがあっさりと治療法を教えたのは、それによってセシリアが苦しむことを分かっていたからなのだろう。バナナが好きだろうがフクロウの姿だろうが、やはりこいつは魔神と呼ばれるような存在なのだ。


『さあ、どうする? どこにでも転がっている無力な人間どもを助けるために命を投げ出すか? それとも、何の罪もなく病を得た憐れな人間どもを見殺しにするのかな? せっかく助けられる方法を教えてやったというのに、残念なことだ』


 リュリオウルはわざとらしく大きなため息を吐くと、憐みを宿した目で周囲を見渡す。苦しむ患者たちのうめき声が聞こえる。セシリアは目を閉じ、


「私は――」


 その身体が真白の光を放ち始める。再び目を開いた時、その瞳には翡翠色の決意が輝いていた。リュリオウルがバカにしたような目でセシリアを見る。そしてトラックが、


――プァン


 静かな制止のクラクションを鳴らした。

何度も奢侈王にバナナの皮でこけるよう命じられたリュリオウルは、ある日、


バナナの皮でこけると笑いが取れる


という真理に到達し、こけ芸を極め、やがてこけ芸人の守護者として信仰を集めるようになるのです。

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[一言] バナナ最強説( ˘ω˘ )
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