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名を負う

 ゴブリン代表団はケテルに留まることになり、決裂の危機は回避された。当然だが今日の視察予定は全てキャンセルされ、ゴブリンたちはそのまま評議会館で過ごすことになったようだ。ルゼは関係者を緊急招集して警備計画を全面的に見直している。これは、おそらく徹夜作業になるだろうなぁ。

 ルゼたちが、ゴブリンたちが襲撃されるリスクを知りながら衆目の集まる中でゴブリンたちにケテルを視察させたのには理由がある。それはゴブリンたちが決して闇雲に暴れ回る化物でないことを人々に示すためだ。ルゼたちとゴブリンが話をしている姿、町を視察する姿を見せることでケテルの人々の不安や懸念を払しょくする。ケテルとゴブリンは異なる文化を生きている、しかしその違いは決して埋められないものではないのだと、人々に実感してもらうために、敢えてルゼはゴブリンたちを人々の目に触れるようにしたのだ。それはもちろん警備体制に自信があったからなのだが、その自信が崩れた今、ゴブリンたちとケテルの人々の距離をどうするのかは大きな課題のようだ。ゴブリンたちを人々から完全に隠してしまえば安全は高まるが、式典に向けて両者の友好ムードを盛り上げることは難しくなるだろう。式典が白けたものになればゴブリン側の体面を潰すことになりかねず、ゴブリンの王に恥をかかせる結果にでもなれば一大事だ。かといってゴブリン代表団の誰かに再び怪我人や、あるいは死者が出てしまえば、もうガートンパパも擁護できない。式典を待たずに両者の関係は途切れることになるだろう。ルゼは極めて難しい舵取りを迫られている。

 日はもうすぐ姿を隠す時間となり、トラック達は他の護衛たちと共に評議会館のロビーで待機している。敵が呪銃を使ってゴブリンの暗殺を企てたということは、単純にゴブリンに恨みを持つ者の犯行ではない、ということを示している。呪銃もその弾も、一般的には手に入れることすら難しい高価なものだからだ。ということはこの襲撃は組織的なもので、つまりはクリフォトの工作の一環、と考えるのが妥当だろう。ならば以前のように、法玉で壁をぶち抜いて襲ってくることもあり得るのだ。ゴブリンたちの護衛は二十四時間、交代でつきっきりのものになる。


「今から気を張っても仕方ない。シフトを決めて、交代で休んだ方がいい」


 剣士が周囲の冒険者たちにそう声を掛ける。皆は口々に賛同し、テキパキとシフト決めを始めた。冒険者という職業柄、休息の重要性はよく分かっているのだろう。無理をすればいざという時に動けなくなる。身体的にも精神的にも、休める時に休むことは大切なのだ。

 トラック達もシフトに参加しようと冒険者たちの輪に近付いた時、評議会館の受付の男がこちらに来るのが見えた。受付の男はキョロキョロと辺りを見渡し、


「セシリアさん、という方はいらっしゃいますか?」


と声を上げた。おや、セシリアさん誰かに呼ばれた? セシリアは振り返り、「私ですが」と受付の男に近付く。


「施療院の使い、という方がお見えです。あちらに」


 受付の男が指した方向を見ると、施療院のスタッフの一人が落ち着かない様子で入り口付近に立っていた。評議会館は今ゴブリンたちが滞在しているから、特に関係者でもない施療院のスタッフは玄関付近に留め置かれたようだ。セシリアは受付の男に礼を言うと、施療院のスタッフに小走りに駆け寄った。


「どうしました、こんなところまで?」


 施療院のスタッフはセシリアの顔を見て安堵したように表情を緩めて「ああ、よかった」とつぶやくと、やや早口に言った。


「すまないが、すぐに施療院に戻ってくれないか。急患が多くて手が足りないんだ」


 急患、という言葉にセシリアの顔が引き締まる。詳しく話して、とセシリアが言うと、スタッフは少し困った顔をした。


「詳しくもなにも、まだ診断も付いていないんだ。ただ、急な発熱を訴える患者がもう十人以上運び込まれてる。意識障害を起こしてる患者もいて、我々だけでは対処できなくなりつつあるんだよ。頼む」


 施療院のスタッフは深く頭を下げた。セシリアの顔に迷いが浮かぶ。セシリアが施療院に戻れば、万が一ゴブリンたちがまた襲撃され誰かが怪我をした時に、取り返しのつかない事態になるかもしれない。セシリアがいれば助かったのに、という状況はできれば避けたいところだが、しかし急患を見捨てるようなこともしたくはないよねぇ。セシリアはトラックを振り返る。トラックはプァンとクラクションを返した。ミラが同意するようにうなずく。


「こっちは私に任せて。お姉ちゃんはみんなを助けて」


 その言葉に後押しされたのか、セシリアの顔から迷いが消える。セシリアは施療院のスタッフに向き直り、


「行きましょう」


と言った。施療院のスタッフは「ありがとう」と答えると、セシリアと共に評議会館を後にした。




 セシリアが出て行って後、トラック達は交代で評議会館の周囲を警護することになった。冒険者と衛士隊が協力して巡回した成果なのか不審者が現れることもなく、結局何事も起こらないままトラック達は夜明けを迎えた。ゴブリンたちは眠りにつき、ルゼたちはおそらく一睡もせずに警備計画を立てているのだろう。二度と失敗はできないからなぁ。慎重になり過ぎるくらいがちょうどいいよね。何かあってからじゃ遅いもんね。


「ご苦労さん」


 剣士がトラックに近付き、あくびをかみ殺した。そろそろ交代の時間かな。確かトラック達と交代するのはあの大剣使いの戦士だった気がするけど、姿が見えないな。寝坊かな?


「すまん! 遅れた!」


 バタバタとした足音で戦士がトラックに駆け寄ってくる。昨日からずっとだが、戦士の顔色は相変わらず悪い。あまり休めなかったのだろうか、ひどく疲れているように見える。トラックは心配するようにクラクションを鳴らした。


「あ、ああ。そうだな」


 わずかに目を逸らし、戦士はあいまいな表情を浮かべる。数秒、何かを考えるように沈黙した後、戦士は大きく息を吐いた。


「皆、ピリピリしている。いつ、どこで、どんな手段で襲われるか分からないからな。しっかり寝て疲れを取りました、なんてヤツは一人もいないだろうぜ」


 襲撃はなかった、とはいえ、冒険者も衛士隊も、襲撃に備え最大限の警戒態勢を敷いている。来ない襲撃を警戒する、というのはひどく精神を消耗するものだろう。こんな状態をずっと維持し続けるのはもしかしたら困難かもしれない。そしておそらく、敵はまさにそれを狙ったのだ。一発の銃弾によって、こちらが消耗せざるを得ない状況を作り出した。


「待ってる、ってことか?」


 剣士が渋い顔でつぶやく。戦士は「そう思う」とうなずいた。敵はこちらが消耗し、ほころびが生まれるのを待っている。しかし、だからと言って警戒を緩めるわけにはいかない。


「嫌な相手だ」


 剣士は苦々しく南の方向をにらんだ。その視線の先にはガートンパパが銃撃された場所がある。銃撃犯を取り逃がしたことを後悔しているのだろう。


「……直接、剣の届く場所にいれば、後れを取ることはないというのに」


 戦士が悔しそうに、呻くようにそう言葉を吐き出した。




 警備を戦士と交代し、トラックは西部街区へとタイヤを向けた。剣士は評議会館近くに用意された宿で眠ることにしたようだ。トラックは眠る必要がないので交代したはいいが暇をもてあましてしまったらしく、セシリアも結局昨日から戻ってきていないので様子を見ようということなのだろう。ちなみにミラは評議会館に残っている。ガートンパパの様子が気になるらしい。

 見慣れた西部街区の道をトラックはゆっくりと進む。時刻はまだ早朝で、あまり派手な音を立てて走るわけにもいかないのだ。うっ、夏の朝日が目に刺さる。いや、俺も寝てないからさぁ。まあ俺もトラック同様、寝なくても大丈夫になってしまっているんだけども。


「申し訳ありません! 付き添いの方は院外で待機をお願いします!」


 施療院までもうすぐ、という場所まで近づいた時、かなり切迫した様子の声がトラックに届いた。この声は、施療院のスタッフ? トラックが少しスピードを速めた。施療院の前までたどり着くとそこには数十人規模の人だかりができていて、施療院のスタッフに詰め寄っている。


「どうか、あの子を助けてください!」

「どうして妻の側にいたらダメなんだ!」

「あの人が死んだら、私たちは、どうしたら――」


 皆の瞳が不安に揺れている。どうやら人だかりは患者の家族のようだ。強く張りつめた空気の中で、患者の家族が連れてきたのか、一匹の仔犬が場違いにあくびをしている。スタッフたちは大きくゆっくりした声で皆をなだめた。


「落ち着いてください! 患者の方は我々が責任を持って治療しています! ただ、建物の広さには限りがあり、付き添いの方を受け入れると十分な治療スペースが確保できません! どうぞご理解をお願いします!」


 スタッフの言葉に、しかし家族たちは納得しないようだ。患者と引き離され、今、目に届くところにいないという不安が怒りの形を取って施療院のスタッフたちに向かっている。対応を間違えれば家族が施療院になだれ込みかねない危うい空気が漂う。トラックは静かに、しかしよく通るクラクションを鳴らした。


「トラックさん!」


 施療院のスタッフが少し安心したようにトラックの名を呼ぶ。名前を聞いた患者の家族たちがざわめいた。仔犬がピンと耳を立てる。


「トラック、って、あの、特級厨師?」

「魔王からケテルを救った、特級厨師様?」


 トラックは再びクラクションを鳴らした。スタッフの一人がトラックに駆け寄り耳打ちする。


「……正直、私たちもまだ詳しいことは分かっていません。昨夜から急に、高熱で運び込まれる患者が増えて。解熱剤を投与して様子を見ていますが、薬の効果が切れるとまた熱が上がってしまう」


 薬を与えてもしばらく経つと再発するって、なんだかドワーフ村の件を思い出すなぁ。あの時の原因は呪いだったけど、今回もそういう類ってことはないよね?


「……ゴブリンのせいじゃないか?」


 ぽつり、と誰かのつぶやきが聞こえる。それは本当にただのつぶやきだったのだが、なぜかやけにはっきりと響いた。人々のざわめきがピタリと止み、その表情が変わる。真実に行き着いた、その確信が広がっていく。


「そういえば、ゴブリンたちが来る前はこんなことはなかった」

「あのゴブリンたちが病気を持ち込んだんじゃ」

「いや、もしかしたら――」


 人だかりのちょうど真ん中にいた若い男がそう声を上げる。皆の視線がその男に集まった。ごくりと唾を飲みこみ、男は確信を込めて推測を語る。


「――ゴブリンたちは、本当はケテルを滅ぼしに来たんじゃないか?」


 男の言葉は推測に推測を重ねた根拠のないものだが、家族を襲った病に動揺する人々にとってはある種の福音となったのだろう。原因も分からない、治療方法も不明、その不安に解答が付いた。これがゴブリンたちの仕業なのだとすれば、ゴブリンたちを排除すれば――皆殺しにすれば、家族は助かる。日常が取り戻せる。


「ま、待ってください! ゴブリンが何かしたとか、そんな証拠は――」


 施療院のスタッフが慌てて男の推測を否定するが、人々はもはやスタッフの言葉など聞いてはいないようだ。人々はみな強い憎悪を顔に宿し、北東方向を、つまりゴブリンたちがいる評議会館のある方向をにらんだ。正義の怒りが周囲に満ちる。悪魔を滅ぼしケテルを救わんとする意志が膨れ上がっていく。


――プァン


 人々の感情が弾ける寸前、トラックは穏やかにクラクションを鳴らした。人々は驚いたようにトラックを振り返る。トラックは再び穏やかな、しかし少しだけ音量を大きくしたクラクションを返す。人々の間に戸惑いが広がった。


「いや、しかし……ゴブリンたちが来てから病気が広まって……」


 もごもごと不明瞭に反論する人々に、トラックは冷静なクラクションを返す。人々の表情から徐々に熱が引いていくのが分かった。


「……確かに、特級厨師様はゴブリンたちを出迎えていなさった」

「魔王を退けた特級厨師様が、ゴブリンごときの企てを見抜けないはずがない」

「特級厨師様が違うと言うんなら、ゴブリンたちは関係ないんじゃないか?」


 憑き物が落ちたように人々は冷静さを取り戻した。いや、トラックの一言が、人々に冷静さを取り戻させたのだ。特級厨師という名が、その名への信頼が、人々の心を変えた。しかし冷静さを取り戻したということは、人々は再び不安を思い出すということでもある。一人の女性が助けを求めるように叫んだ。


「特級厨師様! 私たちはどうすればよいのですか? ゴブリンたちが無関係なら、どうしたら夫は――!」


――プァン!


 トラックは力強くはっきりとしたクラクションを返した。「おお」と人々はざわめき、希望の光がその目に灯る。


「特級厨師様! どうか我らをお救いください!」


 人々の懇願に応えながら、トラックはゆっくりとアクセルを踏む。人々がさっと左右に分かれ、さながら海を割る如くに道を空けた。トラックは堂々とその道を進み、施療院の中へと入っていった。人々はその背に深々と頭を下げた。近くにいた仔犬がつまらなさそうにあくびをして、どこかに歩いて行くのが見えた。


 魔王を退けた英雄、特級厨師トラック。その名をトラックはずっともてあましていた。ハルを犠牲にして得た偽りの栄誉を受け入れることができずにいた。トラックにとってその名は、大切な者を守ることができなかった、己の弱さの証明に過ぎなかったのだ。しかし今、トラックはその名を使って(・・・)人々の不安を払った。たぶんそうする以外に方法がなかったから。

 望まぬ英雄の名を背負わなければならない時がある。マスターはあの時、ハルを失ったあの時に、トラックにそう言った。それはきっとこういうことだったのだろう。人々が不安に陥り、混乱し、デマに惑わされ、真実を見失う時、英雄の名は彼らの道を照らす道標になる。好むと好まざるとに関わらず、トラックはそういう存在になったのだ。そしてそれは、誤った道を照らしてしまえば人々を謝った方向に導いてしまうということでもある。英雄の名を使うということは、その重責を独りで背負うということなのだ。


 トラックは今日、自ら英雄という運命を負った。

最近ケテルでは、すっごく悪い顔で舌打ちをする仔犬がしばしば目撃されています。

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― 新着の感想 ―
[一言] >トラックは今日、自ら英雄という運命を負った。 「負う」と「負ける」が同じ字なのは、深いですよね( ˘ω˘ )
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