至高のメニュー
楽団が先導するパレードは遍く人々に新たな時代の到来を告げるべくゆっくりと進む。沿道の人々は手を振り、あるいは拍手でゴブリンたちを迎えた。しかしよく見ると、道からは少し離れた場所にいる人々は冷めた目で、あるいは厳しい表情でパレードを見据えていた。もともとゴブリンと人間は敵同士、半年前まで友好だなんて考えられもしなかった間柄だ。皆が諸手を上げて歓迎しているわけではない、というのは分かっていたことのはずだが、やはり目の当たりにするとちょっとショックだった。
パレードは中央広場を抜け、北部街区に入り、評議会館に到達した。迎賓館ではなく評議会館に迎えたのは今回のゴブリン代表団が式典本番の準備のためにケテルに来た実務者だからなのだが、実は、迎賓館は何となく縁起が悪いのでやめとこう、という理由もちょっとあるようだ。工作員との乱闘の末に副議長が逮捕された、そんな場所をまた使うのはためらわしかったのだろう。評議会館も賓客を迎えるに相応しい立派な建物なので、礼を失することにもなるまい。
評議会館の前庭では商人ギルドの職員たちが代表団を出迎え、歓迎の意を示した。職員のひとりから花束を渡され、年かさゴブリンが表情を緩めた。ゴブリンも花を愛でるのだ、ということが意外だったのか、周囲から感心するような声が漏れる。ゴブリン代表団はそのまま評議会館の中に案内され、人々は『敵でないゴブリン』を自分たちの中でどう位置付ければよいかを思案するように、口を閉ざし、あるいは仲間や家族と話しながらその場を離れていった。
「何事もなく無事に着いてよかったです」
気を張っていたのか、セシリアがほっと息を吐いた。剣士も同意するようにうなずく。もしゴブリンたちをクリフォトの刺客が襲いでもしたらもう式典どころの話じゃなくなる。式典は二週間後で、それまでにどうなるかは今のところ分からないが、まずはゴブリン代表団が評議会館に到着した、ということは喜ぶべき成果だろう。護衛に冒険者ギルドのAランカーたちが付いているんだし、そうそう敵に後れを取ることもない、はず。そう信じるしかない。
「あっさり、終わっちゃったね」
ミラがつぶやくように言った。どうやらパレードだけで終わってしまったのが少しご不満のようだ。まあ本番は二週間後だからそれまで待ちなさいな。その時には出店もパフォーマーもたくさん出てきっと盛り上がるからさ。
「とりあえず戻るか。ここにいても仕方ないだろう」
剣士がトラック達を促し、トラックがプァンとクラクションを返す。助手席と運転席のドアを開け、ミラとセシリアがトラックに乗り込もうとしたとき、評議会館の扉が開き、慌てて外に飛び出してくる人影が見えた。
「よかった! まだいらっしゃって!」
息を乱しながら駆け寄ってきたのはコメルだった。大人が全力に近い勢いで走ってくるなんて何事だろうか? ふうふうと息を整え、コメルは吹き出す汗を拭うと、懇願するようにトラックに頭を下げた。
「代表団の皆さんに振る舞う夕食を、どうかお願いできませんか?」
夕食をお願い、ってケテルには腕のいい料理人なんてたくさんいるだろうに、こんな直前になるまで手配していなかったってこと? そんなうっかりある? セシリアたちが戸惑いを顔に浮かべる。トラックがプァンとクラクションを鳴らした。コメルは小さく首を横に振る。
「料理人は手配していました。しかし――」
その料理人は逃げたのだと、コメルはそう言った。実際にゴブリンたちを目の当たりにして、逃げた。それは新たな歴史が生まれる今日という日の重みに耐えられなかったから、なのか、それとも……
「――ゴブリンに料理を振る舞う、ということが、受け入れられなかったのかもしれません」
苦く顔を歪め、コメルはつぶやくように言った。ゴブリンは化け物、ゴブリンは敵。友好関係を作ると頭では分かっていても、いざゴブリンたちを目の前にしたとき、心の中に閉じ込めていた嫌悪感、おぞましさが噴き出してきたのかもしれない。誰もが簡単に切り替えることができるわけではないのだ。仕事を引き受けた以上、その料理人も最初から逃げ出すつもりだったのではないだろう。ただ、最後の最後にどうしても心がついていかなくなったんじゃないだろうか。その料理人にとって、ゴブリンは何か許容できない記憶と結びついているのかもしれない。
「誰でもいいわけではない。信頼できる料理人が必要なんです。どうか、お願いします!」
まあ、確かにトラックの今の肩書は特級厨師だもんね。それを名乗って料理ができないとは言えんわなぁ。「特級厨師なのに?」って言われちゃうよね。
切羽詰まったコメルの様子に同情したのだろう、ミラが「やってあげようよ」という顔でトラックを見上げる。トラックはプァンと軽いクラクションを鳴らすと、スキル【キッチンカー】を発動した。淡く発動光がトラックを包み、ウィングを広げると、中から三人の鉄人が姿を現わす。
「しかたないねぇ。だが、『信頼できる』と名指しされちゃぁ断るわけにもいかないだろう」
中華の達人にして冥王の恩人である食堂のおかみさんがふてぶてしい笑みを浮かべて言った。紺色に白く抜かれた『寿司バカ一代』の前掛けを身に着けた寿司職人が「ちげぇねぇ」とうなずき、陽気なイタリア人シェフが「オーソレミーオー」と歌う。暗く沈んでいたコメルの表情がパッと明るくなった。
「ありがとうございます。さぁ、こちらに。あまり時間がありません」
コメルが評議会館の裏手にある通用口を指し示す。最強の料理人と共にトラックたちは評議会館に入った。
バタバタと慌ただしく厨房に入ると、途方に暮れていた調理スタッフが一斉にこちらに顔を向けた。おかみさんはさっとスタッフを見渡すと、自信に溢れた不敵な笑みを浮かべる。
「初めましてですまないが、あたしらの言う通りに動いとくれ。だいじょうぶ、あたしらを信じてくれたら、必ず間に合うし、お客様は絶対に満足してくれる」
寿司バカ一代男と謎のイタリア人も大げさなほどに大きくうなずいてみせる。そのあまりの自信に影響を受けたのか、スタッフの顔に希望の光が灯った。ぱしんとおかみさんが手を打って始まりを宣言する。
「さあ、時間勝負だ。三手に分かれて一気に片付けるよ! まずは食材と調味料の説明をしておくれ。三分でコースの組み立てを考えるからね!」
はいっ! と気圧されたように返事の声を上げ、スタッフが鉄人たちに用意された食材と調味料の説明を始める。色鮮やかな野菜、根菜、果物が机に盛られ、メインの食材はどうやらシカ肉のようだ。逃げ出した料理人はいわゆるジビエ料理を出そうとしていたんだろう。ジビエなら普段のゴブリンの食生活に近く、抵抗なく食べられるのではないか、という配慮が食材から見て取れた。おかみさんは満足そうにうなずき、「これならアレでいけそうだね」と他の二人に視線を送る。二人も同意するようにうなずきを返し、方針が決まった。
「よしっ! 始めるよ! 無駄なく手早く動いておくれ!」
おかみさんのその言葉を合図に、スタッフたちが一斉に動き始めた。
ゴブリン代表団を迎えた夕食会はとても和やかな雰囲気で始まった。光が苦手なゴブリンに配慮して会場の照明は人間からすればやや薄暗いくらいなのだが、その気遣いはゴブリンたちに伝わったようで、年かさゴブリンがルゼに感謝を伝えていた。
「まずは今日という日を迎えられたことを、そして我々の素晴らしい未来を祝して、乾杯!」
ルゼが盃を掲げ、他の面々が唱和してグラスを飲み干す。おかみさんが選定した乾杯用の果実酒はゴブリンたちになかなか好評のようだった。
「明日から式典当日まで、息を吐く暇もないほどに忙しくなりましょう。ならば今宵は大いに飲み、大いに食べて、英気を養っていただきたい。ケテルが誇る最高の料理人が腕によりをかけた絶品の料理をどうぞ、ご堪能ください」
ルゼのその言葉を合図に、ホールスタッフが料理を運び始める。前菜は白身魚のタルタル。フレッシュハーブの香りと酸味の効いたドレッシングが食欲をそそる逸品だ。目にも鮮やかなその料理はゴブリンの感嘆のため息を誘う。ゴブリンたちは基本的に山岳に住むため、海魚を食べる機会がない。この食材のチョイスは、ゴブリンたちに新たな食の体験を、という気遣いであり、同時にケテルの食文化の豊かさ、あるいは海に面しているわけではないケテルで新鮮な海魚を提供できるその財力を知らしめるためでもあるのだろう。そういう政治的な意図も考慮して料理を組み立てることができるあたり、おかみさんは只者ではない、ということなんだけど、おかみさんよ、あんたは中華料理人じゃなかったんかい。
前菜の皿がきれいになったと同時に、スタッフがスープを会場に運んでくる。食事の進行具合はホールスタッフから逐次厨房に伝えられており、おかみさんは最もおいしく食べられるタイミングを測って料理を運ばせているようだ。黄金色に輝くコンソメスープがゴブリンたちの身体を温める。このスープもまた、ゴブリンたちを喜ばせることができたようだ。
大きなトラブルもなく料理は順に提供され、ゴブリンたちも、ルゼたち人間の側も、それぞれに食事を楽しむ。そしていよいよメインディッシュが皆の前に運ばれてきた。見たこともないその料理に会場がざわめく。そう、それは今まで出てきた料理とは一線を画すもの。なぜこれがメインディッシュに? との疑問符があちらこちらで飛び交っている。おかみさんたちが、ケテルの未来を拓くゴブリンたちへの最高のもてなしとして用意した料理、その正体とは――
サバみそだった。
なんでだよ!? メインデッシュの食材はシカ肉じゃなかったのかよ! そういえばおかみさん、初登場時にもチンジャオロースーの材料からサバみそ作ってたな! 明らかにフランス料理のフルコース風な料理の組み立てでメインディッシュがサバみそって! 他の料理とのバランス考えたらんかい!
「……ごぶごぶ、ごぶ」
今までの料理と明らかにテイストの違うメインディッシュに対してゴブリンたちは戸惑いを隠せない様子だ。しかしケテルの議長としてルゼは自信たっぷりに断言した。
「これこそが我がケテルが誇る至高のメニュー。どうぞご賞味ください」
よく見るとルゼの額には冷たい汗が滲んでいる。つまり、はったり。おそらくルゼ自身サバみそを初めて目にしたはずで、料理名も知らなさそうだ。下手をすればゴブリンたちを怒らせかねない大きな賭けだが、一瞬の迷いもなく賭けに出ることができるのはルゼの見事な胆力、そしてトラック達に対する信頼の賜物だろう。
議長が断言した以上、ゴブリンたちも食べないとは言えない。まず年かさゴブリンがサバみそに箸を付けた。あ、サバみそと一緒に箸も提供されております、念のため。サバをひと口大に切り、ゆっくりと口に運ぶ。周囲の視線が年かさゴブリンに集まり、誰かの唾を飲む男がやけに大きく響いた。サバみそを口に入れ、わずかに目を見開き、咀嚼して飲み込んで、年かさゴブリンは箸を置くと、立ち上がってルゼの許に向かい、両手でその手を取った。
「ごぶごぶ、ごぶ!」
先生が素早く、皆に聞こえるように通訳する。
「ケテルの偉大な食文化に改めて敬意を表する。これほど美味しい料理を食べたのは初めてだ、とのことです」
おお、とケテル側の参加者たちからどよめきが上がる。料理を運んできたスタッフが思わず小さく拳を握った。他のゴブリンたちもサバみそを食べて、その顔がぱぁっと明るくとろけた。ルゼはさも当然であるかのように両手で年かさゴブリンの手を握り返し、
「お気に召されたなら光栄です」
とにこやかに応じた。
サバみそに魂をワシ掴まれたゴブリンたちは上機嫌で、酒も進み、代表団を迎えての夕食会は大成功と言っていい結果に終わった。年かさゴブリンはルゼに、二週間後の式典に合わせてケテルを訪問するゴブリンの王にもぜひサバみそを、と頼み、ルゼは「お任せください」と二つ返事で請け負ったようだ。先生の通訳を介してではあるが、ゴブリンたちと評議会議員が和やかに談笑する場面の見られ、ルゼは式典の成功についての手ごたえを感じることができたようだった。
ゴブリン代表団の訪問から一夜が明け、時刻は午後三時を回っている。式典の準備のためにゴブリン代表団はケテルの町を視察中で、トラック達は彼らの護衛兼やじ馬整理係として駆り出されていた。ゴブリンの王が臣下のゴブリンたちを引きつれケテル中を練り歩く、その経路を代表団は決めようとしているらしい。襲撃を警戒して経路は複数策定され、どの経路を採用するかは当日に決まる。どの経路を採用したとしても問題が起きないよう、警備計画は入念に準備されるのだ。
ゴブリン代表団が死角になる物陰や狙撃しやすい建物などをチェックする周りを、冒険者ギルドのAランカーたちと衛士隊の精鋭が囲む。さらにその外側をトラック達が警備し、やじ馬が近付かないよう声掛けや誘導を行っている。あの大剣使いの戦士も護衛として周囲に鋭い視線を送っていた。彼らは言わばSPのような役回りでゴブリン代表団につきっきりの警護をしているため、生活リズムもゴブリンたちに合わせて昼夜逆転しているようだ。皆プロだから疲れた様子は見せないが、戦士の顔は若干青いように見えた。
「あっ!」
やじ馬の中から小さく悲鳴が上がり、地面近くを影が走る。一人の女性が慌てて追いかけようとして、やじ馬整理係のギルドメンバーに制止された。影の正体は一匹の小型犬。犬は人々の足元をちょこまかと走り回り、捕まえようとしたギルドメンバーの手を掻い潜ってゴブリンたちのいる方向に向かった。
「ごめんなさい! 誰か捕まえて!」
飼い主なのだろう女性の上げた声に応えて、犬に一番近い位置にいた大剣使いの戦士が素早く動き、容易く犬を抱え上げる。
「こら、ダメだろう、勝手に走っていったら」
戦士が犬に顔を近づけて叱る。犬は「くぅーん」と鳴いた。緊張していた周囲の空気が弛緩する。犬を受け取りに他のギルドメンバーが戦士に駆け寄った。
戦士は犬を捕獲するためにほんの数歩だけ移動した。戦士は、ゴブリン代表団の周囲を固める護衛の一人だった。護衛は隙間なく周りを囲んでいた。戦士は犬を捕獲するために数歩移動した。ゴブリンたちを守る壁に、数歩分の隙間が空いた。
――ガゥン!!
穏やかだったはずの午後の空気を、一発の銃声が引き裂いた。
トラック無双はサバみそ依存度ナンバーワン小説です。




