長いお別れ
ギルドマスターと入れ替わりに、ルルが若長と、そしてかなり年かさの男の猫人を伴ってトラック達に近付いてきた。ルルに助けられた弱みか、それとも元々そういう関係なのか、若長はルルに妙にヘコヘコしている。ルルは冷たく若長を一瞥すると、ふんっと鼻を鳴らした。そして柔和な笑みを浮かべてトラック達を振り返り、年かさの猫人を紹介した。
「こちらは私たちの村の長だ。礼がしたいというので連れてきた」
「この度は我らをお助けくださり、誠にありがとうございました。どれほど感謝しても足りませぬ」
村長は剣士の前を素通りし、セシリアの手を取って両手でしっかりと握った。セシリアが困惑気味に首を横に振った。
「私たちがせずとも、ギルドが皆様をお助けしたでしょう。過度な感謝は不要です」
「いいえ、たとえそうだとしても、助けてくださったのがあなた方であることに変わりはありませぬ。誰一人欠けることなく無事であったのは、あなた様のおかげじゃ」
村長はセシリアの手を取ったまま、ぶんぶんと上下に振る。じじい、若い女の子の手を握ってたいだけなんじゃないだろうな? セシリアは困ったようにあいまいに笑っている。同じ疑問を抱いたのか、ルルの瞳が剣呑な輝きを帯びた。手の爪を鋭く伸ばし、ルルの手が村長の頭をワシ掴みにする。おー、ささっとるささっとる。
「いだだだだっ!! な、なにすんにゃ!?」
思わずセシリアの手を離し、ルルの手を振り払って村長が叫んだ。ルルは殺意を宿した瞳でにっこりとほほ笑むと、
「早く本題に入れ」
優しい声音でそう言った。村長の顔からスッと血の気が引いていく。村長はギギギと音が聞こえそうな不自然な動きでトラックの方を向くと、腹話術の人形よろしくしゃべりかけた。
「ついては我らの感謝と、そして我々の永遠なる友誼の証として、我が孫娘をトラック殿に嫁がせたい。受けていただけますかな?」
「なっ!?」
村長の突然の提案にセシリアと、そして若長が同時に驚きの声を上げた。若長は寝耳に水という顔で愕然としている。剣士が「孫娘とは?」と村長に聞いた。
「もちろん、ここにおるルルのことでございます」
やや胸を張り、村長がルルを手で示した。きっと自慢の孫なんだろうな。だからこそ、村長は村を危機から救った恩人への返礼に見合うと考えたのだろう。ルルは緊張した面持ちで一歩前に進み出た。村長たちの後ろで、若長が必死に首を横に振り、両腕でバツを作って断ってくれアピールをしている。固まっていたセシリアが大きく息を吸い、にっこりと笑って言った。
「お断りいたします」
「にゃんとぉっ!?」
村長が驚愕に目を見開き、セシリアを見つめた。若長がグッと拳を天に突き上げ、声なき歓声を上げる。ルルがわずかに眉根を寄せ、セシリアに問う。
「なぜあなたが断る? 私たちはトラック殿に話している」
「お断りいたします」
セシリアはピクリとも表情を変えず、同じ言葉を繰り返した。ルルの瞳がスッと細まる。
「あなたはトラック殿の親族か? とてもそうは見えないが」
「お断りいたします」
セシリアの張り付いたような笑顔が、もはやいかなる問答も無用であると主張する。ルルの額に青筋が浮かんだ。セシリアとルルの間に、見えない火花がバチバチと散る。まさに一触即発。いつどちらかの手が出るか、そんな緊張感が破裂寸前まで高まった時――
――プァン
トラックが静かに、しかしよく通る音でクラクションを鳴らした。皆がハッとしたように、一斉にトラックを見る。ルルはサッと頬を朱に染め、恥ずかし気に視線を逸らせる。村長の顔が驚きから徐々に笑顔を形作り、やがて大きな声で笑い始めた。
「惜しい! まっこと惜しい! お前様を我が一族に迎えることができれば、猫人の未来は大きく変わったことであろうにのぅ!」
ひとしきり笑った後、村長は真面目な顔に戻って、トラックを真正面から見据えた。
「『ルルはモノじゃない』。その言葉をお前様から聞くことができてよかった。ワシらはもう一度信じられる。冒険者を、ケテルを、人間を、もう一度信じることができる」
そして村長は居住まいを正し、厳かに告げた。
「今、ここに誓約する。我ら猫人は受けた恩に報い、汝らの永遠なる友として、いついかなるときも汝らの助けとなろう。一朝事有らば必ずや疾く参じ、汝らの爪となり、牙となろう。お忘れ召さるな。我らは常に汝らと共にある」
ルルと若長が右手を左胸に当てて頷く。村長の言葉に応えるように、トラックが再びクラクションを鳴らした。村長たちが目を丸くする。剣士とセシリアは互いに顔を見合わせ、笑って言った。
「確かに」
「友というなら、お互いに」
そしてセシリアは厳かに告げる。
「私たちも誓いましょう。猫人が困難の最中にある時、私たちは必ずその傍らにいると」
ぽかんとしていた村長が、その言葉を聞いて、愉快そうに笑った。
「これほどに愉快な気持ちは久方ぶりじゃ! よき、本当によき出会いじゃ!」
森の中で猫人と人間が笑い合っている。その笑い声は、この事件が正しい意味で解決したことを示していた。
猫人たちはケテルに丁重に迎えられ、豪華な食事をふるまわれ、メディカルチェックを受けて、最高級の宿でもてなしを受けることになった。被害者の心証を、そして猫人全体に対する政治的な影響を慮ってのことだろう。そのことは猫人たちも充分に分かっていて、つまりこれは一種の儀式だということだ。猫人たちはしばらくケテルに留まり、猫人の別の村の有力者が招かれ、最終的には関係者が全員集まって、猫人とケテルのこれまでと何ら変わらない友好を確認する。そこまでやって初めて、この事件は終わるのだ。
村長は「ケテルの厚意に感謝する」と言ってケテルの評議員たちと握手を交わし、ルルもまたケテルの要人たちと面会するなど対応に追われている。村長の孫として、背負う役割も多いのだろう。ドレスアップした姿は最初に会った時の、怒りをみなぎらせてセシリアを睨んでいた少女とは別人のようだった。
トラック達もケテルへと戻り、剣士とセシリアは宿に着くなりベッドに倒れ込んだ。考えれば昨日セイウチ夫人に依頼を聞いてからずっと、動きっぱなしだったのだ。きっと思わぬ重圧を背負っていたのだろう、緊張の糸が切れたように爆睡し、全く起きる気配がない。徹夜だったしね。よく頑張ったよ。ご苦労さん。
で、トラックはどうしているかというと、疲れなど感じていないようにフラフラと町を回っていた。まあ、そもそもトラックが疲れを感じるかどうか分からないんだけれども。なんだかんだですでに夕暮れ時になり、人々は通りを家路へと急いでいる。トラックはゆっくりと、人々の流れに逆らうように進み、やがてケテルの外門に辿り着いた。日暮れと共に外門は閉じる。旅人が駆け込みでケテルに入ろうと早足になる中、一つの人影が門から外へ出ようと歩みを進めていた。トラックはその人影に呼びかけるようにクラクションを鳴らした。
「あら、あなたは……」
人影がトラックを振り返る。そこにいたのは、目立たぬ地味な旅装に身を包んだ、セイウチ夫人だった。セイウチ夫人は穏やかに、そして申し訳なさそうに微笑んだ。
「……あなたには謝らなければね。嘘をついてごめんなさい。そして、ケテルを救ってくれてありがとう」
なんだが雰囲気が違うな。なんかこう、もっと強烈なキャラじゃなかった? トラックがプァンとクラクションを鳴らす。セイウチ夫人は「ああ」と頷いて答えた。
「あのしゃべり方は、セバスチャンに言われて。『冒険者は獣のごとき連中ゆえ、初対面で侮られてはなりませぬ!』なんて言うものだから」
一生懸命練習したのよ、セイウチ夫人はそう言ってふふっと笑った。トラックは再びクラクションを鳴らす。セイウチ夫人は寂しげな顔をして、北部街区の、ウォルラス邸の方向に視線を向けた。
「……夫が、何かよくないことをしているのではないかということは、うすうす感じていたの。だけど私は見ないふりをしていた。恐ろしかったの。日常を失ってしまうことが、恐ろしかった」
しかし、真実と向き合わなければならない日がやってきた。ナールが仔猫の『ミィちゃん』をプレゼントした日。『ミィちゃん』が獣人の仔であることに気付いて、セイウチ夫人は愕然とした。もう事態が抜き差しならないところにまで進んでしまったことに、いやおうなく気付かされてしまったのだ。ナールはもう夫人の言葉に耳を貸さなくなっていた。かといって夫を告発することも、夫人にはできなかった。夫人は悩み、古くからずっと側に仕えてくれていたセバスチャンに相談した。セバスチャンが夫人に提案したのが、『ミィちゃん』を逃がして冒険者ギルドにその捜索を依頼する、という方法だった。
「『ミィちゃん』が獣人の仔だと分かれば、必ずギルドは事態に気付いてくれる。私たちはそう信じるしかなかった」
セバスチャンと夫人はすぐに冒険者ギルドに猫探しを依頼し、そして昨日、トラック達と面会した。トラック達は二人の期待通り事態に気付き、見事に獣人たちを救い出すことに成功した。つまりは夫人たちの思惑の通り、すべては二人の手のひらの上だったのだ。
「あなたは私たちの願いを叶えてくれた。お礼の言葉もありません。ありがとう、トラックさん」
セイウチ夫人はトラックに向き直り、深々と頭を下げた。トラックはもう一度クラクションを鳴らす。セイウチ夫人は頭を上げ、今度は門の外に目を向けた。門の外には二頭立ての馬車があり、セバスチャンが御者と何か話をしている。セイウチ夫人は「これから、か」と呟いた。ギルドでトラック達と会った後すぐに、セバスチャンはナールと夫人の離婚手続きを行ったのだそうだ。すでにナールと夫人は夫婦ではなくなっており、ナールが罪に問われても夫人に累が及ぶことはない。
「とりあえず、セバスチャンの故郷に行こうと思っています。当面はそこでお世話になるつもり。私とセイウチの関係性についての論文で成功するらしいから、そのくらいは許してもらえるでしょう?」
セイウチ夫人はそう言って、いたずらっぽく笑った。御者との交渉を終えたセバスチャンが夫人に近付き、声を掛ける。
「奥様、出発の準備が整いましてございます」
セイウチ夫人は――もう離婚しているから夫人と呼ぶのは間違いかもしれないが――再度トラックを振り返り、優雅な仕草で別れを告げた。
「さようなら、トラックさん。もう会うことはないでしょうけれど、私は生涯、あなた方への感謝を忘れません」
セバスチャンは無言で深くトラックに頭を下げた。セイウチ夫人がトラックに背を向け、馬車に向かって歩き始める。数歩進み、夫人は足を止めた。そして振り返ることのないまま、つぶやくように言った。
「ナールは、夫は商才のない男でした。失敗を繰り返し、挙句の果てに犯罪に手を染めた。でもね、トラックさん。私には、優しい、良い夫だったのよ」
淡々としたその声音からは、セイウチ夫人がどんな思いでそう言ったのかを推し量ることはできなかった。セイウチ夫人はセバスチャンと共に馬車に乗り込み、御者が馬に軽く鞭を入れた。馬車は夕暮れの街道を南へと進み、やがてトラックの視界から消えた。トラックは日が落ちて門が閉まるまで、ずっと馬車が消えた方向を見つめていた。
セイウチ夫人の依頼に端を発した獣人密売事件は、こうして幕を閉じた。関係者にはかん口令が敷かれ、こんな事件は公式には『起きていない』。起きていない事件を解決できるはずもなく、トラック達の功績は事件と共に葬られた。
翌日、冒険者ギルドの入り口付近に、一枚のお知らせが掲示された。お知らせには冒険者の昇格情報が記載されており、そこには素っ気なくこう書かれていた。
トラック Dランクに昇格
トラックは冒険者ギルド史上初めて、一つの依頼も成功させないまま、Dランクへの昇格を果たしたのだった。
きっと誰もが気付いたことでしょう。真実を。このエピソードのヒロインがセイウチ夫人だったということを。




