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未来へ

 空に星が瞬き始めたケテルの町を、トラック達はゆっくりと先生の家に向かって移動する。ガートンは弟と手を繋ぎ、ケテルに来てからのことを話して聞かせてあげているようだ。弟ゴブリンは目を輝かせてガートンの話を聞いている。妻ゴブリンと族長ゴブリンはアネットやレアンと話していて、驚いたことにアネットもレアンも、ある程度ゴブリン語で会話ができているようだ。難しい部分は先生がフォローし、族長ゴブリンたちはガートンの普段の生活をうれしそうに聞いていた。直接ガートンからではなくアネットたちから聞くガートンの姿は、離れて暮らしていた半年という時間を、そして自分たちの息子の確かな成長を、ふたりに実感させているようだった。


「ごぶごぶ!」


 ガートンが両親を振り返り、一軒の家を指さす。それは先生の家で、つまりは目的地に着いたということだ。妻ゴブリンがアネットに「ごぶごぶ」と言い、アネットは照れたようにはにかんだ。レアンがガートンに「またね」と手を振り、アネットがぺこりとお辞儀をして自分たちの家に帰っていく。二人の背を見送りながら、族長ゴブリンたちは目を細めた。


「どうぞ今日はお子さんとゆっくりお過ごしください。明日、他の方々がいらっしゃる時間にお迎えに上がります」


 コメルが族長ゴブリンにそう話しかけ、トラックがプァンと通訳する。族長ゴブリンはコメルとトラックに頭を下げると、先生に案内されて家に入っていった。妻ゴブリンも夫の後に続く。ガートンはまとわりつく弟の頭を撫で、ルーグに軽く手を振ると、トラック達に会釈して家の中に消えた。ルーグは「はぁぁ」と息を吐く。


「急に呼ばれて何かと思ったよ。ああ、緊張した」


 どうやらコメルはトラックと出かける前にガートンに人を遣って、族長ゴブリンを連れてくることを伝えたらしい。それを聞いたガートンはルーグたちを――ケテルで出来た友達の姿を見せたいと考えたのだろう。それがたぶん、自分が大丈夫だと父親に伝える一番分かり易い方法だから。

 ルーグは族長ゴブリンとは初対面ではないんだけど、やっぱり前とは互いに立場が違うから緊張したんだろうか。それとも、ガートンの友達だということを宣言する、ということに緊張したんだろうか。まあでも、族長ゴブリン喜んでたから、緊張した甲斐があったというものだろう。労うようなクラクションをトラックは鳴らす。ルーグは照れたように首を振った。


「苦労なんてしてないよ。本当のことを言っただけだ」

「そうだとしても、君の言葉でガートン君のご両親はずいぶんと安心されていました。ありがとう、ルーグ君」


 コメルが軽く頭を下げる。「やめてよ」と慌てたように手を振り、ルーグはトラックに言った。


「帰ろうぜ。ひとんちの前で話してても迷惑だろ」


 ぶっきらぼうなルーグの口調にコメルは好ましいという様子で笑顔を作った。落ち着かないのだろう、ルーグはトラックの助手席にさっさと乗り込んでしまった。トラックが苦笑気味にクラクションを鳴らす。コメルはうなずき、トラックの運転席側に乗った。




 一夜が明け、ケテルは正式にゴブリンとの新たな関係を築くための式典を開くことを宣言した。町の様子がにわかに浮足立ち、人々は二週間後に向けて動き始める。式典があるということは、その周囲には出店が並び、祭りになる、ということだ。会場周辺の熾烈な場所取りはすでに始まっている。

 式典の開催を受けて、評議会から冒険者ギルドに関係者の護衛と会場警備の依頼が舞い込んできた。あまり事情を分かっていない低ランクの冒険者たちは仕事にありつけて喜んでいたが、マスターを始めとする上位ランカーたちの表情は一様に硬い。副議長だったグラハムの逮捕に伴いケテルに潜入していたと思しき工作員は全て逃げ去ったが、グラハムは「おそらく自分とは別系統で工作員が潜入している」と証言した。それらの、グラハムが把握していない工作員がこの式典を妨害する危険は大いにあるのだ。なぜならクリフォトは『種族浄化』を掲げる国だから。ゴブリンとの友好関係が成立するなんてことは絶対に受け入れないだろうし、ケテルの武力併合を考えているならゴブリンたちがケテル側につくのは都合が悪いと思っているはずだ。


「おう、ひさしぶりだな」


 ギルドのロビーでトラックがぼーっとしていると、冒険者の一人がそう声を掛けてきた。あーっと、誰だっけ? 見覚えがあるような……あ、確かこの人、以前にガトリン一家のボスの護衛をしていた大剣使いの戦士だ。法玉で窓を爆破して襲撃してきた黒装束を一人で阻止し、ボスを守り切った手練れ。また、ハルが中央広場で人々に囲まれ石を投げられた時に助けてくれたAランカーの一人でもある。いろいろ借りがある相手だ、トラック、とりあえずお礼言っとけ。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。


「いいさ。大したことじゃない」


 戦士はそう言って軽く首を振った。いい奴だな。ナイスガイだ。戦士はわずかに迷うように視線を揺らせると、「あー」とか「うー」とか、言い辛いような、かといって言いたくないわけでもないような、複雑な表情を浮かべる。トラックが不思議そうなクラクションを鳴らすと、戦士は意を決したように息を吐き、表情を改めて言った。


「……俺、な。結婚、するんだ」


 えっ!? そうなの? なんか前に、冒険者稼業じゃ家族を持つのは難しいとか、自分にはできなかったとか、そんなこと言ってなかったっけ? トラックがプァンと問いただすと、戦士はにへっとほおを緩ませた。


「そう、なんだが、な。実は、昔付き合ってた女と、この間、会って」


 戦士はうつむいて、はにかむような笑みを浮かべる。


「……子供が、いたんだ、彼女。俺の子、だったんだ。家族、いたんだよ、俺にも」


 早くに両親を亡くし縁者もなかった戦士は、冒険者になることしか生きる術がなかった。ずっと独りで生きてきて、それでいいと思っていた。冒険者は明日の保証のない、いつ死んでもおかしくない仕事だ。他人との深い関係性など重荷にしかならない。自分の人生というのはそういうものだと、独りで生きて独りで死ぬのだと、そう思っていた。しかし八年前、彼は初めて、人生を共に歩んでいきたいと思う相手に会った。今ではなく未来を、五年後、十年後、もっと先の時間を共有したい。相手もそれを望んでくれた。彼は浮かれ、喜び、そして――ふと、怖くなったのだという。家族を知らない自分が家族を持つことができるのか。明日も生きて帰ることができるのか。自分が死んだら彼女はどうなる? 共に歩むとは、相手の人生の半分を背負うことなのだ。

 彼は逃げた。一方的に別れを告げ、二度と会わないと勝手に決めた。高ランクの仕事を積極的に引き受け、死に急ぐように危険に挑み、運よく乗り越えて、気が付けばAランカーになっていた。きっと彼女はもっと別の、普通の男と結婚して幸せになっているだろう、そう思っていた。しかし最近人づてに、彼女がまだ結婚せずにいることを知った。おまけに子供を育てているとも。Aランカーになった戦士は余るほどの金を持っていて、彼女の生活は苦しいようだった。戦士は八年ぶりに彼女の前に姿を現わし、そこで初めて彼女が育てているのが自分の娘だと――自分に娘がいるのだということを知った。


「感謝してるんだ、あんたに。あんたたちが『家族』やってる姿を見て、冒険者でも、俺みたいなやつでも家族を持っていいんだって、そう勇気をもらったんだ」


 戦士は彼女に謝罪し、もう一度、一緒に生きてほしいと申し出た。彼女は拒絶したが、戦士は諦めずに何度もアタックし、先日ついに承諾を得たのだという。


「今回の式典の警備の仕事な、結構まとまった金になるんだ。これが終わったら、冒険者を引退しようと思ってる。土地を買って農業するか、ケテルらしく商売を始めてみてもいいかもな」


 八年という時間の空白を取り戻したいのだと、戦士は言った。娘はまだ彼を「お父さん」と呼んでくれない。当然だろう、今まで見たこともない男が急に現れて、いきなり父親を名乗られても戸惑うだけだ。だからできるだけ一緒にいたい。「君の幸せを望んでいる」と、伝えたい。


「……変なこと言ってすまなかったな。でも、礼が言いたかったんだ、あんたには」


 一方的に話をしていたことにふと気付いたのだろう、戦士はバツの悪そうに頭を掻いた。気にしていないというようにトラックはクラクションを返す。少しホッとした顔をして、戦士は「それじゃ」と言ってトラックから離れる。トラックは戦士の背にプァンとクラクションを鳴らした。戦士は驚いたように振り向き、


「……ありがとう」


 素直にそのいかつい顔をほころばせた。




「トラック!」


 戦士の後ろ姿を見送るトラックに、タイミングを見計らったようにマスターが声を掛けてきた。いや、きっとタイミングを見計らっていたのだろう。話が終わるのを待っていてくれたんだな。マスター、ああ見えて意外と細やかな気配りができる人なのだ。


「ちょっと頼みたいことがあってな。いいか?」


 いいよー、みたいな軽いクラクションをトラックが返すと、「内容を聞いてから返事しろよ」とマスターは苦笑いを浮かべた。


「今回の式典、南東街区代表としてノブロに出席してもらいたいと議長から言われてな。だが、正直ノブロが言われて素直に出てくれるとは思えん。お前さん、行ってノブロを説得してもらえねぇか? あいつと関わりの深いお前さんなら、どうにか説得できるだろう」


 おお、ノブロを式典に呼ぶのか。ルゼも結構思い切ったことするなぁ。何のためかはよくわからんけども。トラックが少し悩むようにハザードを焚いた。説得って言われても、ということだろうか。確かにノブロが堅苦しい式典に喜んで出席するとは思えないが。


「それじゃ、頼んだぞ。すまんがよろしく頼む」


 悩むトラックを置いて、マスターはさっさと執務室に入ってしまった。トラックはすでに了承のクラクションを返しているので今更断れないのだろう、プォン、とため息のようなクラクションを鳴らすと、ハンドルを切ってギルドを出た。




 冒険者ギルド南東街区支店は元々南東街区を仕切っていたマフィア、ガトリン一家のアジトを改装したもので、今はノブロたちの拠点として使われている。『風と光の魔術師』の二つ名を持つリフォームの匠セシリアが全面改修したため室内は明るく、機能性と居住性を兼ね備えた見事な仕上がりになっており、昨年のケテル建築オブザイヤーで金賞を受賞したことでちょっとした有名スポットになっていた。もっともノブロたちはそんなことは気にせず、今日も炊き出しやゴミ拾いといった活動に追われているようだった。


「ちくわに貴賎なし! おでんもちくキューもどちらもうまい!」


 ノブロがちくわを掲げ、ロビーに集まった人々に演説している。人々はノブロに唱和し、手のちくわをひとくちかじった。


 ……


 ノブロ、ちくわ教に入信しとる!? 本気だったの!? それはそれで問題あるんじゃない? 南東街区のチャンピオンがちくわ教だと、他の信仰がやりにくくなるんじゃない?


「我々は完全栄養食であるちくわの普及、推進のために、これからも活動してまいります。本日のちくわ料理講習会はこれで終了です。ご参加いただきありがとうございました」


 隣に控えていたヘルワーズがそう言って散会を宣言した。集まった人々は、スタッフに配られたおでんとちくキューの包みを受け取ると、そそくさと建物を出て行く。ちくわ料理講習会、ってことは、ちくわ教とは違うのかな? ただの料理教室? それとも料理教室の皮を被った勧誘だろうか? トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ノブロがトラックの姿に気付いて近寄って来た。


「おお、なんか久しぶり?」


 なんで疑問形だよ。前に会ったの結構前だよ。トラックは再びクラクションを鳴らす。ノブロは苦笑いを浮かべて首を横に振った。


「入信するっつったんだけどよ、断られた」


 ノブロはちくわ教の神父を訪ね、本当に入信すると言ったらしいのだが、神父は「君には君にふさわしいやり方がある」と言って入信を認めなかったそうだ。神父はノブロに、より広く、より多くの人を救ってほしいと頼んだ。そこからこぼれてしまう人たちは自分がフォローするからと。それは役割の違いであり、役割が違えば方法も異なる。ちくわ教はノブロたちに相応しい方法ではないのだ。


「言われてみりゃそうかなって。でも、じゃあ今までと同じでいいのかってよ。悩んじまってたら、ヘルワーズが」


 ノブロは会場の後片付けを差配しているヘルワーズに視線を向けた。ヘルワーズの指示を受けてボスが机を片付けている。おお、ボス、元気になっとる。その表情は明るく、作業を楽しんでいるようだった。


「料理教室って名前なら、自分で作って自分で食っておかしくねぇだろ? ちくわの普及を目的にしたって言えば食材がタダでも不思議じゃねぇ。施しは受けねぇってヤツもそういう形なら参加しやすいんじゃねぇかってな」


 炊き出し、ゴミ拾い、そういう活動を続けても、それを冷笑して遠巻きに見ている者たち――こちらが手を差し出しても振り払う人々にどうやったら届くのか、ノブロは悩んでいた。このちくわ料理講習会はその模索の一つ、ということなのだろう。いろいろ考えているんだな。やっぱりノブロを南東街区のチャンピオンに選んだことは正しかったのだ。トラックの人を見る目は捨てたもんじゃない、ということだな。


「んで? 何の用だ? 顔見に来たってわけじゃねぇよな?」


 おっと鋭い。トラックはちょっと言い難そうにプァンとクラクションを返した。ノブロの顔が嫌そうにゆがむ。


「そんなの、俺が出る意味なくねぇ? えらいさんで勝手にやってくれよ」


 やっぱ嫌がられたか。ノブロはたぶん行動が成果に直結するようなことを好んでいて、ゴミを拾ったら道が綺麗になるとか、炊き出しをすれば腹減ってる人が笑顔になるとか、そういうことに価値を見出すタイプなのだ。だから式典で椅子に座っている暇があったらゴミを拾いたいのだろう。トラックが「だよねー」みたいなクラクションを鳴らす。片付けの差配があらかた終わったヘルワーズが、ボスと一緒にトラックに近付いた。


「どうした? 珍しいな、こちらまで来るなんて」


 ヘルワーズがそう言い、ボスは律義にトラックに頭を下げる。ボスにプァンとクラクションを返すと、トラックはヘルワーズにプァンと状況を説明した。ヘルワーズは顔色を変え、ノブロに詰め寄る。


「出ろ! その式典、絶対に!」


 ヘルワーズの剣幕に驚き、ノブロは気圧されたように「な、なんで?」と返した。ヘルワーズは深呼吸すると、諭すようにゆっくりと言った。


「南東街区がよくなるために必要なのは、何だと思う?」

「そりゃ、もっとみんな安心して、くいっぱぐれねぇようになるとか……」


 ヘルワーズは首を横に振ると、真剣な表情でノブロの目を覗き込んだ。


「必要なのは、自信だ」


 ノブロがわかったようなわからないような顔で首を傾げる。ヘルワーズは言葉を続けた。


「南東街区は落伍者の吹き溜まりだ。まともな人生から弾かれた者たちが生きる場所だ。ここにいる人間は多かれ少なかれ、自分のことを諦めている。どうせ自分なんか、とな。日の当たる道を歩く自信を失っているんだ」


 ヘルワーズはノブロの襟首を掴み、グッと自分に引き寄せた。


「式典に出ろ。南東街区の代表として、胸を張って。その姿は間違いなく、ここの住人に自信を与える。自分たちの代表がケテルの正式な、重要な式典に出席したことを誇るようになる。自らを誇ることができる者は、己を律することができる。甘美な堕落に抗う力をお前は人々に与えるんだ」


 掴んでいた襟首を放し、ヘルワーズは念押しのように言った。


「式典に出ろ。拒否は許さん。勇姿を見せるのはチャンピオンの義務だ、ノブロ」


 チャンピオンの名を出され、ノブロの表情が戸惑いから覚悟を決めた者のそれに変わる。


「むつかしいことはわかんねぇが、それでみんなが喜ぶんなら、出てやろうじゃねぇか」


 やる気になったノブロを見て満足そうにヘルワーズはうなずく。すると、少し離れた場所から他のスタッフからヘルワーズを呼ぶ声が掛かった。ヘルワーズは「すまん」と断りを入れてスタッフのほうに駆けていく。何となくノブロとボス、そしてトラックはヘルワーズの後ろ姿を見つめる。テキパキと指示を出すヘルワーズを見ながら、ノブロはボスに言った。


「お前の兄ちゃん、すげぇな」

「当然でしょ」


 心から嬉しそうに、そしてちょっと生意気な顔をして、ボスは自慢げにそう答えた。

ノブロは「うっし!」と自らの拳を合わせると、不敵な笑みをトラックに向けました。

「一発派手にかましてやんぜ。で、俺は誰と戦えばいいんだ?」

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[一言] >「今回の式典の警備の仕事な、結構まとまった金になるんだ。これが終わったら、冒険者を引退しようと思ってる。土地を買って農業するか、ケテルらしく商売を始めてみてもいいかもな」 フ、フラグじゃな…
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