選択
ほぼ抜け殻となって放心するコールをほっぽって、トラックはミラを連れて施療院を後にした。ドラムカンガー7号も同じタイミングで退院し、ジンが付き添ってエバラ家に送り届けることになった。79号も人形師の世話に戻ると言って退院し、それじゃあついでにみんな送るかって感じで、トラックは運転席にジンを、助手席にミラを、ドラムカンガー7号と79号を荷台に乗せて、まずは西部街区の外れ、つまりエバラ家へと向かった。近い方から回っていきましょってことね。
ちなみに迎賓館での出来事の後、トラックはリェフがエバラたちを匿っていた商人の元別邸を訪れ、もう狙われることはないだろうという趣旨の説明をしている。グラハムが工作員だったことが露見した以上、個別の事件の関係者を消す意味はもうないのだ。彼らを消したところでグラハムに聞けばクリフォトの工作の全容は分かるのだから。グラハムが工作員だった、という部分は気軽に口外できないためぼやかしたようだが、その説明を聞いて、日常に戻った者もいれば町を出た者、あるいは保護を求めた者もいた。エバラたちはさっさと家に戻ったが、特に後ろめたいことのある者たちは不安を隠せない様子で、他の都市につてがある者たちはそそくさと町を出た。つてのない者、たとえばコルテス・リーガはよそに出て商売を続けるようなあてはないらしく、商人ギルドを頼ろうとしているようだ。
徐々に人影がまばらになり、風景から人工物が消えていく。西部街区の外れは道の整備も行き届いておらず、トラックはしばしば上下に揺れながらエバラ家を目指した。荷台からドラム缶の転がる音が聞こえる。だいじょうぶかな、ドラムカンガー7号。
ほどなくトラック達の目の前に、西部街区の外れには似つかわしくない大きな家が見えてくる。セシリアが伝説のドワーフたちを召喚して作ったエバラ家は、しかし今は先日の黒装束たちの襲撃で痛々しい姿を晒していた。エバラたちは今、総出で家を補修中らしい。補修したばかりで周りと色が違ってしまった壁の前で腕を組んでいたエバラが、トラックのエンジン音に気付いて振り返った。
「トラックさん!」
エバラの上げた声に反応し、エバラ家の面々が作業を中断して集まってくる。トラックは小走りに駆け寄って来たエバラにプァンとクラクションを鳴らすと、左のウィングを上げた。荷台が窮屈だったのか、伸びをするように両手を挙げてドラムカンガー7号が「ま゛!」とうなる。灰マント四兄弟の末っ子がうれしそうに顔をほころばせ、ドラムカンガー7号の足に抱き着いた。
「戻って来たんだ! よかった!」
ドラムカンガー7号は末っ子をそっと持ち上げて肩に乗せた。ずっと心配していたのだろう、末っ子は少し涙ぐんでいた。喜んでいる末っ子とは対照的に、エバラたち大人組は辛そうな表情を浮かべる。
「……背中は、ダメだったんだね」
ドラムカンガー7号の背についていた二本のドラム缶は、黒装束たちの襲撃を受けた際、本来まだ飛ぶ力のないドラムカンガー7号がエバラたちを抱えて離脱するためにジェットとして使用され、負荷に耐えられずに大きく裂けてしまい、修復不能と判断したジンによって切除されてしまっている。実はミラもセシリアもドラムカンガー7号を直そうとしたのだが、なぜかドラムカンガー7号は頑なにそれを拒んでいた。二人の持つ力――始原の光を使うことによる負担を心配した、だけではなく、どうやらジンに気を遣ったようだ。ジンが下した苦渋の決断を無意味なものにしたくないのだ。どれほど特別な力であろうと、魔法でパパっと直されてしまえばジンの立場がない。
ミラは助手席から外に出てドラムカンガー7号の足元に歩み寄った。ジンはトラックから降りてエバラに頭を下げた。
「……ごめんなさい。僕にもっと知識と技術があれば」
「責めちゃいないよ。一生懸命やってくれたって、知ってる」
頭を上げておくれ、とエバラはジンに促した。信じている、ではなく、知ってる。エバラのその言葉がジンへの強い信頼を伝えている。だからこそなのだろう、悔しさを顔に滲ませてジンは首を横に振った。
「ま゛!」
何も気にすることはない、とでも言うように、ドラムカンガー7号は皆に向かって大きくうなると、両腕で力こぶを作るようなポーズを決めた。重たくなっていた空気が和らぎ、エバラたちの表情も少し明るくなった。ジンが固い表情で、何かを決断したように口を引き結ぶ。ミラはそっとドラムカンガー7号の足に触れ、少しだけうつむいた。
ドラムカンガー7号を送り届けたトラックは、すぐに来た道を戻り、今度は衛士隊詰所に向かった。79号を人形師の許に送り届けるのだ。ジンは施療院に戻らず、詰所に同行すると言ってそのまま運転席に乗っていた。なんかちょっと思いつめた顔してるなぁ。ドラムカンガー7号のことを気にしてるんだろうな。でも、どうにもならないことってあるんだし、ジンがいなかったらドラムカンガー7号は助からなかったかもしれないんだし、そんなに気に病まないで。元気出して。
衛士隊詰所では衛士たちが忙しく動き回ってた。衛士隊が追っていた通り魔事件は一応の決着を見たが、彼らの仕事は当然それだけではない。治安維持の巡回や住民からの相談対応、日々起こる事件の捜査まで、なかなか休まることのない仕事だ。そして何より、今は密かにグラハムの取り調べが行われており、詰所内の雰囲気はピリピリと張りつめていた。79号とジン、ミラを降ろし、トラックは【ダウンサイジング】して建物に入る。
「おや、いらっしゃい」
詰所の扉をくぐると、ちょうど奥から出てきたイャートが声を掛けてきた。トラックがプァンとクラクションを返し、79号が軽く頭を下げる。イャートはホッとしたように表情を緩めた。
「直ったんだね。よかった。心配していたんだ」
こう見えてイャートは一般人の安全に対して非常に強い責任感を持っているらしく、衛士隊が黒装束たちに襲撃を受けた際に79号が負傷してしまったことを気にしていたようだ。「ご心配をおかけしました」と言う79号にイャートは微笑んで首を横に振った。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。イャートの顔に苦笑いが浮かんだ。
「確かに、彼女が戻ってきてくれると非常に助かる。あの偏屈な男の相手をするのは骨が折れるからね」
人形師は相変わらず地下牢で「私を世話しろ」と喚き放題のようだ。人形師の処分については評議会預かりになっており、その裁定を待たずに死なせるわけにもいかない衛士隊としては対応せざるを得ないらしく、衛士隊士の間で誰が面倒を見るのか、押し付け合いが起きているらしい。そういえばさっきから、周囲の衛士隊士が79号を期待に満ちた目で見つめている。彼らにしてみれば女神の御帰還、ということなのかもしれない。
トラックは今度はややトーンを落としたクラクションを鳴らした。イャートの表情がにわかに曇る。重いものを吐き出すように息を吐き、イャートは目を閉じる。
「……死刑を望むと、そう言っている」
グラハムの命を狙い、それが果たせずに捕まったリェフは今、グラハムとは別にこの詰所で取り調べを受けている。しかし彼は事実関係を全て認めた上で、動機に関してほとんど何も証言していないのだという。彼は取り調べにこう言って、その後口を閉ざした。
「俺は人を殺そうとした。生い立ちがどうであれ、過去に何がありどんな思いを抱えていようとも、その事実は変わらない。正しくあることができ、それを選択しなかった。その責任を俺は取らなければならない。正しい裁きが下ることを望みます」
裁判を経て、法の下に処断されることをリェフは望んでいる。しかし彼の望みとは裏腹に、事態はそれほど単純ではない。トラックがまたクラクションを鳴らす。イャートは目を開け、首を横に振った。
「起訴も裁判も今のところ目途が立たない。副議長の件と密接に関わっているからね。まず副議長の処遇が決まらないと話が進まないのさ」
本心を覆い隠す軽薄な笑みを浮かべ、イャートはトラックに答えた。この話はもう終わり、ということだろう。イャートはトラック以外のメンバーを見渡すと、
「つまらないことを言ったね。人形師のことは、申し訳ないがよろしく頼むよ」
そう言って去っていった。
地下に降り、トラック達は人形師のいる牢に向かった。地下牢担当の衛士が79号を見てわかりやすく顔を輝かせる。救世主が舞い降りた、と言わんばかりの喜びようだ。人形師はよほど嫌われているのだろう。まあ無理もない気がするが。
人形師のいる地下牢の扉を開けると、驚いたことに人形師は上半身を起こして本を読んでいた。【奢侈王の金鎖】に捕らわれて永遠に魔力を吸い取られ続けている人形師は、自らの身体の大半をゴーレム化したことによって首から下がほぼ動かない状態になっているはずだったのだが、もしかして魔法を解除できたのだろうか? 79号が驚きをわざとらしく表現して微笑んだ。
「少しはご自分でご自分の世話ができるようになったのですね。よく頑張ったと褒めて差し上げましょう」
人形師は不快そうに79号をにらむ。
「貴様に褒められるなど虫唾が走る」
79号は悪態を気にもせず、テキパキと部屋の片づけを始めた。再会の喜びを示すこともなく、それが当然のようにふたりは振る舞っている。そこには余人の入り込む隙のない奇妙な関係性が見えた。79号に興味などないと言うように、人形師はトラック達に目を向ける。そしてミラをじっと見つめると、急に嬉しそうに声を上げた。
「やはり、私の理論は間違っていなかった! ハイエルフを素体にすればセフィロトの娘は造れる!」
興奮のためか、人形師は手に持っていた本を床に落とした。バサリと音が部屋に広がる。ジンが怒りの表情を浮かべた。
「ミラを目の前にして、謝りもしないのか!」
なんだいたのか、という顔で人形師がジンに侮蔑の視線を送る。
「くだらん。なぜ私が実験体に謝る必要がある」
ギリリを奥歯を噛み、ジンは憎しみを込めて人形師をにらみつけた。自らを利用し、ドワーフたちを死の間際まで追い詰めたこの男に対するジンの心情は察するに余りある。さらに挑発するように人形師は言った。
「これは私が造った私の人形だ。そしてこれは今、『始原の光』を身に宿している。実験は成功したのだ。これは――」
――プァン
人形師の言葉を遮り、トラックの静かなクラクションが牢内に響き渡る。室内の気温が一気に下がったように、人形師の顔がわずかに青ざめ、唇が震えた。ジンも気圧されたような顔でトラックを振り返る。ミラがトラックのキャビンにそっと手を当て、首を横に振った。
「だいじょうぶ。何とも思っていないよ」
そうか、と言うようにトラックは短くクラクションを鳴らした。呪縛のような重圧が消え、ジンが我知らず息を吐く。人形師は不快そうに鼻を鳴らしてトラックから目を逸らせると、取り繕うように言った。
「79号のことはご苦労だった。もう帰るがいい。私は貴様らに用はない」
なかなかの言いようだが、トラックはあまり気にしない様子でクラクションを返した。ミラもうなずいたが、ジンはうつむき、迷いと葛藤をその顔に浮かべる。
「何か言いたいことでもあるのか?」
興味のなさそうに人形師が問う。わずかな沈黙の後、ジンは顔を上げ、キッと人形師をにらんで言った。
「……ドラムカンガー7号が、空を飛んだ」
「なに?」
興味を惹かれたのか、人形師の目の色が変わった。ジンは言葉を続ける。
「だが、背中のジェットは裂けて使い物にならなくなった」
「あれはまだ幼体だ。無理に飛べばそうなる」
何が言いたい、と若干イラついた様子で人形師が答えた。激しい拒否感を全身で示しながら、ジンは呻くように言った。
「お前なら、ドラムカンガー7号を直せるのか?」
「当然だ」
人形師の目に自慢げな光が浮かぶ。即答するその自信に、ジンは目を閉じて大きく深呼吸をした。
「……お前は最低の人間だ。僕はお前を許さないし、まして尊敬など絶対にしない。でも、今の僕ではドラムカンガー7号を直せない」
面白いものを見るように人形師はジンを見つめる。目を開き、ジンは挑むように言葉を叩きつけた。
「お前の技術を僕に寄越せ! お前を踏み台にして、僕は僕の望みを叶える!」
「やってみるがいい。それがお前にできるのならな!」
人形師はバカにしたような笑い声をあげた。ジンの燃えるような双眸が哄笑を焼き尽くさんばかりに人形師をにらみすえていた。
ジンを地下牢に残し、トラックとミラは冒険者ギルドに戻った。うーむ、ジンを人形師に預けるような形になったが、それでよかったのだろうか? 79号もいるから滅多なことにはならないと思うが、ちょっと心配ではある。そもそも人形師、普通に犯罪者だもんなぁ。トラック、ちょくちょく様子を見に行こうぜ。
冒険者ギルドに戻ると、受付でいつものように仕事をするイーリィの姿が見えた。隣でジュイチも嬉しそうに働いている。クリフォトの動きとか、この先どうなるかとか、考えれば色々不安はあるんだけど、少し日常を取り戻した気がするわぁ。なんかさ、このままもろもろうやむやになって平和にならないかな? 戦とかさ、いらんよね、そういうの。
「トラックさん!」
ギルドの入り口付近でぼんやり止まっていたトラックに、慌てたような声が掛かる。声の主はぶつかりそうな勢いでトラックの前に駆け寄ると、荒い息を整える間も惜しいという雰囲気で言った。
「つ、ついに、この日が、来ました!」
苦しそうに息を継ぎ、声の主――コメルは興奮した様子で叫ぶ。
「ゴブリンたちとの通商の、正式な調印の日付が、決まりました!」
両手を握り締め、丸顔いっぱいに喜びを表すと、コメルは両の拳を天に突きあげた。
あ、あーあー、そういえばそんな話もあったよね。百話くらい前に。
……
そんなもん誰が覚えとるかぁーーーっ!!




