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覚悟

 木々の緑が心地よい風景の中を、トラックは西部街区に向けて走っていた。中央広場から各街区へと繋がる道の脇にはガイドのように木が植えられており、四季に応じて人々の目を楽しませている。昨夜の雨が木々を潤し、風に揺れる木の葉が心なしかうれしそうにカサカサと音を立てた。


 ケテルはもうすぐ、本格的な夏を迎える。




 アディシェスからケテルに戻ったトラック達はその足で評議会館の議長室に向かい、事の顛末をルゼに報告した。ルゼは驚くでも怒るでもなく、一言「そうか」と言っただけだった。ごめんなさい、と謝るイーリィに、ルゼはわずかなためらいを見せると、気持ちを整理するように息を吐き、そして言った。


「……もうしばらくの間、私のそばにいて、私を支えてくれ」


 イーリィは「はい」とうなずく。なんだかまだぎこちないけれど、以前に比べれば格段に、二人のお互いに対する態度は自然になっていた。十年という空白をこれからこの父娘はちょっとずつ埋めていくのだ。やっぱり今はイーリィが嫁ぐタイミングじゃないってことなんだろう。

 トラックはちょっとだけ申し訳なさそうなクラクションを鳴らした。珍しく殊勝な態度だな。独断で縁談を壊したことを気にしているのだろうか? ルゼの隣に控えていたコメルが首を横に振った。


「あなたを付き添いに選んだ時点で、この結果は予想していました。どうかお気になさいませんよう」


 あ、そうなんだ。まあトラックがイーリィを大人しく送り届けて帰ってくるなんて思えない、といえばそうかもしれない。セシリアの同行をルゼが断ったのもその辺が関係していたのだろうか。もしかしたらルゼは、トラックの判断に運命を委ねたのかもしれない。たとえ結果がどちらになっても受け入れようと、そういう覚悟で。

 必要な報告が終わり、トラック達はギルドに戻った。ルゼもコメルも忙しい身だ。あまり時間を取るわけにもいかないのだろう。やることは山積している。グラハム・ゼラーの処分も未だできていない状態なのだ。

 グラハムは今、衛士隊が密かに身柄を確保し、取り調べをしているようだ。公には病気療養中として発表されており、一部の商人たちから不審がられてはいるものの、表面上は大きな混乱もなく過ごせている。彼は取り調べに対して素直に応じており、それだけにその証言の内容はショッキングなものだった。


「クリフォトはすでに、ケテルが戦の準備を始めていることを知っている」


 グラハムはケテルの副議長であり、クリフォトのスパイでもあったが、その立場を使ってケテルとクリフォトの決定的な対立を回避しようと動いていた、二重スパイのような役回りを演じていた。クリフォトの指示に従う振りをしながら、ケテルの存続という目的のために情報の流れを操作していたらしい。その試みはほんの一年前まではうまくいっていたようだ。だがある日を境に目算は大きく狂った。現評議会議員を総辞職に追い込み、親クリフォト政権を樹立する――その企てがことごとく失敗したことによって。グラハムはクリフォトの信頼を急速に失っていることを肌で感じていたようだ。


「おそらく私とは別系統で工作員が潜入している。彼らはケテルの内情を正確に伝えているだろう」


 グラハム自身はケテルが戦争準備を始めていることをクリフォトに伝えていないそうだ。しかしそれをもってクリフォトに事実が伝わっていないと考えることはもはやできない。イャートが迎賓館でグラハムに詰め寄った時、仲間の工作員はグラハムを助けるのではなく消そうとした。クリフォトにとってグラハムは今やそういう存在ということだ。一度不信感を覚えた相手にケテル工作の全権を任せたままにしておくほど、クリフォトという国家は甘くはない。

 つまり、ケテルが敵対の意志を持っていることはもうクリフォトに知られてしまった、という前提でケテルは動かねばならないのだ。それはクリフォトとケテルの戦争がもはや不可避であるということを意味している。ケテルが敵対の意志を示した以上、クリフォトがそれを容認する、なんてあり得ないだろう。グラハムと共にケテルに潜入していた工作員はすでにその全員が姿を消している。もはやコソコソと謀略を巡らせるフェイズではなく、クリフォトは本気でケテルを武力併合するつもりなのだ。グラハムの言った通りに十万の兵がケテルを囲むことになれば――それに抗する力はケテルには無い。

 ただひとつ、ケテルにとって有利な状況があるとすれば、クリフォトの内乱が完全に収束してはいない、ということだろうか。クーデターで先王を殺害した現国王ズォル・ハス・グロールに対しての旧セフィロト王国の貴族たちの反発は強く、その当初から反旗を翻す者が大勢いた。クーデターからおおよそ六年が経ちその大半がクリフォトに膝を折ったとはいえ、未だ頑強に抵抗を続ける者たちもいるのだそうだ。それらを平定するまではクリフォトはケテルを攻めないだろうとグラハムは言った。クリフォト国内の反乱勢力とケテルが協調することは避けたいのだ。

 戦力的にはケテルにクリフォト軍を打ち破る力はないが、政治的にはケテルはクリフォトにとって厄介な存在だ。ケテルは種族融和を象徴する場所たりうる。それは種族浄化を掲げるクリフォトと思想的に真っ向から対立するため、クリフォト内の反乱勢力がクリフォトに対して戦う大義を得ようとしたとき、反クリフォトで諸勢力を糾合する際の旗印として種族融和を、ケテルを担ぐ可能性は大いにある。ケテルは今まで声高に種族融和を掲げてきたわけではないし、反乱勢力も種族浄化という思想に反対して兵を挙げたわけではないが、ケテルを追い詰めることで反乱勢力に『種族融和の大義の許に諸勢力を結集する』可能性に気付かせるのは、クリフォトにとっては愚策だ。


「……おそらく、あと三ヶ月」


 グラハムが伝えてきたタイムリミットは、夏の終わりを示していた。三か月後にはクリフォトは内乱を平定し、その牙をケテルに向けるだろう。それまでにできることをやらねばならない。ルゼは厳しい表情で口を引き結んでいた。




「イーリィさん!」


 冒険者ギルドに戻ったトラック達を出迎えたのは安堵したようなセシリアの声だった。トラックから降りたイーリィにセシリアは抱きつき、「よかった」とつぶやく。目尻にうっすらと光るものが浮かんでいた。


「心配かけて、ごめんなさい」


 謝るイーリィにセシリアは抱きついたままで首を横に振って応える。とても心配していたこと、そして帰ってきたことを喜んでいることが伝わり、イーリィの顔がほころんだ。セシリアの後ろにいた剣士がトラックに近付き、軽くキャビンを拳で叩く。


「ごくろうさん。しかしお前はしょっちゅうボロボロだな」


 ウルスとの決闘でトラックのフロントガラスは砕け、キャビンはへしゃげてかわいそうな外観になっている。いつもならセシリアさんがパパっと直してくれるんだけど、今はそれどころじゃなさそうね。トラックが小さくクラクションを鳴らす。剣士は苦笑して「後で直してくれるだろ」とフォローなんだか適当なんだかわからないセリフを吐いた。


 セシリアに先を越されて複雑そうな表情を見せつつ、ジュイチがギルドカウンターから出てきてイーリィに鼻を寄せた。イーリィは「あなたもごめんね」と言ってジュイチの額を撫でる。ジュイチは「ぶもー」と鳴くと、気持ちのよさそうに目を閉じた。

 ジュイチに限らず、イーリィが戻って来たことはギルドメンバーにとっては朗報だったようだ。イーリィを憎からず思っていた男どもは分かり易く喜んでいて、そうではない者たちもギルドの受付がジュイチになってしまう事態を回避できたことに安堵していた。仕事を依頼しようとギルドに来たら牛が受付にいたとき、平気な顔でそのまま依頼を申し込もうという依頼人はなかなかいないだろうから。皆からそれぞれに「お帰り」などと声を掛けられているイーリィを、少し離れた場所からイヌカが見ていた。イヌカは少しの間イーリィを見つめ、安心したような拍子抜けしたような様子で小さく笑うと、何も言わずにギルドを後にした。




 西部街区に入り、トラックは少しスピードを落として道を進む。西部街区の道は決して路面状態がいいとは言えないうえに、人通りは多い。道を駆ける子供たちに注意しながらトラックは慎重な運転を心がけているようだ。トラックが向かっているのは施療院。トラックはミラを迎えにそこに向かっている。

 過剰な精霊力を身に浴びてシステムダウンを起こしていたミラはセテスによって助けられたのだが、その後『核』の出力がなかなか安定せず、施療院でずっと経過観察を受けていた。元々は四元の力がバランスを保って『核』を巡っていたのだが、今回のことでミラの『核』は大きく変質し、今は真白の光が『核』の中心で輝いている。セテス曰くそれは『始原の光』、すなわちこの世の存在に意味を与えることのできる力、なのだそうだ。いや、そう言われてもよくわからんのだけれども。で、ミラとトラックはしばらく離れることになったのだが、今朝にセシリア経由で施療院から連絡が来て、もう帰宅して構わないとのことだったため、こうして迎えに行っている、というわけだ。

 やがてトラックの前に見慣れたプラタナスの看板が見える。施療院の前でプァンとクラクションを鳴らすと、パタパタと足音がしてセシリアが迎えに出てきた。セシリアはトラックより早く施療院に入り、ミラの退院の手続きをしてくれていた。


「どうぞ。ミラが待っていますよ」


 【ダウンサイジング】を発動して施療院の扉を潜り、セシリアの先導でトラックはジンの診療部屋に向かう。ミラはジンとセテスのサポートを受けながらそこで生活していたのだ。そこにはリスギツネもドラムカンガー7号もいたので、たぶん寂しくはなかったんじゃないかな。セシリアも働いているし、トラックも毎日顔を出していたし。

 診療部屋の扉を開けると、待っていたというようにミラが声を掛けてくる。


「トラック、セシリア。ふたりとも、見て」


 ミラの声はどこか切実なものが込められている。部屋にはジン、セテス、ドラムカンガー7号、そして義体装具士のコールがいて、奇妙な緊張感に満ちていた。皆は壁際に置かれたコート掛けのようなものにぶら下げられている79号――衛士隊詰所の襲撃の際に義体が半壊し、胸部から下を失っている――を見ている。79号は静かに目を閉じていおり、セシリアはミラの呼び掛けに複雑な表情を浮かべていた。

 ミラは79号に手をかざし、集中するように目を閉じる。その身体が淡く光を放ち、それは徐々に強さを増していった。真白の光、それはセシリアがミラを助けた光と同じ色をしている。

 ミラが目を開き、79号を見据える。手のひらから光が79号へと流れ込んだ。それは夜空を彩る無数の星々の輝きに似て、79号を満たしていく。やがて光は直視できないほどの強さとなり、部屋全体を真っ白に染め上げた。まぶしくて何も見えない時間が過ぎ、視界が元に戻ったとき、79号は自らの足でそこに立っていた。


「ありがとうございます、ミラ」


 新品同様のクラシックなメイド服姿で79号がミラにお辞儀する。微笑みで応えたミラの身体がぐらりと揺れた。慌ててセシリアが駆け寄ってその身体を支える。少し遅れて反応したセテスが伸ばしかけた手を引っ込め、安堵のため息を吐いた。


「……私、役に立つよ」


 セシリアがハッと目を見開き、後悔を顔に示してうつむく。


「そんなことのために、あなたは、どれほどの呪いを――」


 ミラは首を横に振る。


「この力が呪いなら――呪いでも、一緒だよ、お姉ちゃん。私がいるよ。だから、独りで背負わなくていい」


 セシリアはミラを抱きしめ、固く目を瞑った。ミラはセシリアの背に手を回して労わるようにさする。ミラの足元にいたリスギツネがクルルと鳴いた。セテスが厳かに口を開く。


「これは、ミラ様の覚悟と思ってもらいたい」


 その言葉は重く部屋に響いた。トラックは決意を示すように、短くクラクションを鳴らした。




「ま、待ってくれ!」


 深刻な空気を破ったのは、義体装具士のコールだった。ジンもドラムカンガー7号も、おそらくミラの事情をよく分からないなりに受け止めようと沈黙していたというのに、この男はずっと79号を凝視していて、そして信じられぬと言わんばかりに顔を青くしている。79号が訝しげにコールを見た。コールはわなわなと震えながら掠れる声で言った。


「……どうして、形状が違うんだ?」


 形状が違う? ……そういえば、79号の見た目が、前となんか違うような――


「胸が、平らだ!!」


 血走った目でコールはミラを振り向く。ミラは「ああ」とつぶやき、事も無げに答えた。


「無駄なおうとつがないほうがきれい」


 ばかな、と口を開き、コールはよろけて一歩下がった。セテスがミラに同意するように大きくうなずく。なんでも、エルフはまっすぐに天に向かって伸びる木のような直線を美しいと感じるらしい。エルフにとって胸のふくらみはいわばコブのようなもの、ただの歪みでしかないのだ。うーん、文化の違い。でもでも、豊かなふくらみはこう、豊穣という意味がありましてですね、そんなに嫌がらなくても……あ、興味ない?

 79号は「動きやすくなりました」と喜んでおり、コールの驚愕を共有してくれそうな者はこの場にはいない。「こいつはなにを言っとるんだ」という皆の視線を察し、


「ノォォォーーーーーーーーッッ!!」


 血の涙を流さんばかりのコールの慟哭が施療院に響き渡った。

ロマンはコンプライアンスの前に敗れさる。そんな時代さ。

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