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アディシェスの流儀

 アディシェスの門から少し離れた場所に移動し、トラックとウルスは距離を取って向かい合った。ずっと門の前に居座ると町を訪れる旅人や商人たちの邪魔になるからね。情報や物流を阻害することの損失を、アディシェス伯たちはよく理解しているのだろう。

 ウルスは儀礼用の鎧を脱ぎ、愛用の大剣を携えてトラックをにらみつけている。戦用の鎧を身に着けていないのは、お前如きに鎧は不要、という自負の現れだろうか。イーリィにいいところを見せたい、という気持ちがあるのだとしたら、ちょっと健気だけど。

 兵士たちが円形にトラックとウルスを囲み、草原に簡易な闘技場を作る。決着がつくまでこの輪から出られない、ということなのだろう。空気がピリピリして居心地が悪いんですけど。周囲の刺すような視線をトラックは平気で受け止めている。

 イーリィはアディシェス伯の隣に並び、複雑な表情でウルスとトラックを見ている。せっかく覚悟を決めてここまで来たというのに、話がおかしな方向に行ってしまったことに戸惑いを隠せないようだ。結婚したいわけではない。しかし、彼女の大切な人々を守る力を得るためにこの結婚は必要だ。思わぬインターバルが発生したことによって、責任と本心の間でイーリィは揺れているのかもしれない。


「勝ったもんがイーリィさんば嫁にすっど。そいでよかね?」


 アディシェス伯が固い声で告げる。……え? そんな話だったっけ? イーリィが思わずといった様子で勢いよくアディシェス伯を見た。トラックもプァン? とクラクションを鳴らす。ウルスが侮るような目をトラックに向けた。


「今更怖気づいたか? 自信がないならすぐにここから去るがいい! イーリィ様を幸せにできるのはこのウルスしかおらぬと、そう認めた上でな!」


 いや、そうではなくて、と言いたげにトラックが弱々しいクラクションを鳴らす。イーリィもまた、


「トラさんは勝っても私を嫁にするわけじゃ……」


と遠慮がちにつぶやき、アディシェス伯とウルスを交互に見る。ウルスはイーリィに笑顔を返した。


「ご安心ください! 私は必ず勝ちます!」


 あ、あなたのために、と続けて、ウルスは顔を赤らめた。純情派か。話が通じていないことを悟り、イーリィはぎこちなく微笑んだ。


「口ば達者でん、強かちごとばならんど」


 舞い上がっているウルスに冷水を浴びせるようにアディシェス伯はウルスをにらんだ。ウルスは表情を引き締めてうなずく。場の空気がさらにピリッとしたものに変わり、ざわめいていた周囲の兵士たちが口を閉ざした。ウルスが前に進み出てトラックを見据える。雰囲気に押されるようにトラックも前進し、兵士たちが囲む円の中央でふたりは対峙した。アディシェス伯が右手を上げ――


「はじめっ!」


 掛け声と共に鋭く振り下ろした。様々な問題を脇に置いて、決闘が始まる。




「いくぞ!」


 大剣を振りかぶり、気合の声を上げてウルスがトラックに斬りかかる。トラックは左にハンドルを切り、斬撃をかわしてウルスの脇を通り過ぎた。ウルスの大剣がその剣圧で触れず地面をえぐる。トラックは背後に回るべく大きく旋回し、ウルスを正面に捉えた。一気にアクセルを踏み込み突撃するトラックを、ウルスの振り向きざまに放った横薙ぎの斬撃が襲う!


――ガギンッ!


 斬撃はトラックのキャビンの右側のフレームを痛打し、あろうことかトラックの突撃の軌道を変えた。フレームは歪みフロントガラスにヒビが入る。すげぇ力だな。攻防一体のその一撃は、トラックにダメージを加えつつ突撃もかわした。イーリィが声を上げぬよう口を引き結び、拳を握り締める。スキルウィンドウが揺らめきながら姿を現わした。


『アクティブスキル(ノーマル)【剛力】

 使用すると一定時間筋力が倍になる』


 軌道を変えられたトラックが慌ててブレーキを踏み、地面を削るザリザリという音が響く。更に追撃しようと大剣を翻したウルスに対しトラックはバックして距離を取った。


「特級厨師も名ばかりか?」


 ウルスが不敵な笑みを浮かべ、トラックを挑発した。




 息をするのを忘れていたように、周囲の兵士の誰かが大きく息を吐いた。短い攻防が途切れ、再びトラックとウルスは向かい合う。ふむ、と何かを思案するようにトラックはハザードを焚いた。ウルスは片手で大剣を持ち上げ、その切っ先をトラックに向けた。


「今ならまだ間に合うぞ。おとなしく負けを認め、発言を撤回せよ。俺とて本来はめでたきはずの今日を血で彩りたくはない」


 これが最後通牒だ、とウルスの目が語っている。イーリィが少し震える声で叫んだ。


「そうよ! トラさん、私は――」


 プァン、とトラックの静かなクラクションがイーリィの声を遮る。イーリィがうつむき、ウルスは怒りに顔を引きつらせた。


「……剣を合わせてなお、俺をまだ『弱い』と抜かすか。ならばもはや語るまい。アディシェスに伝わりし剛剣を以て貴様に引導を渡してやる!」


 ウルスはそう叫ぶと、大剣を両手で握り直し、左足をやや前に出して、剣を持つ右手を耳の辺りまで持ち上げる独特な構えを取った。周囲に殺気が満ち、痛いほどの重圧が広がる。直接殺気を向けられたわけでもない周囲の兵士たちの幾人かが気を失って倒れた。トラックは静かに自らに向けられた殺気を受け止めている。


「きぃえーーーぃっ!!」


 耳を貫くような猿叫と共にウルスは一気に距離を詰め、袈裟懸けに斬りかかった! 迅雷の如き太刀筋をスキルウィンドウが解説する。


『アクティブスキル(SR(スーパーレア))【雲耀】

 回避不能な神速の一の太刀が

 阻む万象を両断する』


 何の小細工もないまっすぐな斬撃を、トラックもまたアクセルを踏み込んで迎撃する。キャビンの天辺で受け止めた刃がまばゆい火花を散らした。フレームがゆがみフロントガラスが砕け散る。斬撃はトラックの突撃の威力に相殺され、鍔迫るように大剣とキャビンが互いを削り合う。


「まだまだ!」


 己を鼓舞する吠え声を上げ、ウルスの両腕の筋肉が盛り上がった。満身の力を込めてウルスがトラックを押し返す。押し返す!? アクセルベタ踏みの大型トラックを!? んな無茶な! たまらずトラックは後ろに下がった。その隙を逃さず、ウルスは踏み込んで追撃の逆袈裟を放った! イーリィが声にならない悲鳴を上げる。そして――


 次の瞬間、ウルスの身体が垂直に宙を舞った。




 ぴろりんっ


 緊張感を削ぐ効果音と共にスキルウィンドウが姿を現わす。


『スキルゲット!

 アクティブスキル(レア)【マチガイル】

 突っ込んでくる敵に対してカウンター気味に放たれる

 サマーソルトキック』


 ウルスが追撃のためにトラックに向けて踏み込んできたその瞬間、トラックの車体は縦方向に回転し、あたかもサマーソルトキックのように下からウルスを蹴り上げ、その身体を真上に撥ね飛ばしたのだ!


 ……無理があるだろーーーっ!! トラックが宙がえりとかありえんだろーーーっ!! いや、まあスキルなんだから『できちゃう』のがこの世界だってことなんだろうけどさ! いくらなんでも節操なさすぎだろ!

 まったく予想していなかったであろう真下からの攻撃をまともに喰らい、まったく無防備な状態で宙に浮いたウルスをトラックは容赦なく【回し蹴り】で追撃する。ウルスの身体が今度は真横に吹き飛んで観客に突っ込んだ。【手加減】が先回りしてウルスを受け止め、観客にもウルスにもダメージはない。ウルスはすぐに体を起こし、忌々しげにトラックをにらむ。立ち上がろうと地面に手を突いたところで、アディシェス伯の鋭い声が飛んだ。


「そこまで!」


 ウルスが信じられぬという顔でアディシェス伯を振り返る。


親父殿(おやっど)! おいはまだ――」


 しかしその言葉はアディシェス伯の視線によって遮られた。アディシェス伯は抑えた声音で告げる。


「手加減ばされとうち気付いとっとやろうが。醜態ば重ぬるだけたい」


 ウルスはアディシェス伯をにらみ、そして悔しそうに唇を噛んでうつむいた。本人が一番わかっているのだろう。トラックに勝てない、ということに。アディシェス伯はトラックに目を向け、神託のように厳かに宣言した。


「勝者、特級厨師トラック殿。約束通り、アディシェスはイーリィさんば諦めったい」


 アディシェス伯の言葉に周囲の兵士たちがざわめく。若様が面目を潰されながらアディシェス伯があっさりとそれを容認するかのような態度を取ったことに不満な様子だ。トラックに厳しい視線が注がれる中、


「お待ちください!」


 イーリィはアディシェス伯の前に進み出て膝を折った。


「私はケテルの議長の娘として、アディシェスに嫁ぐためにここに参りました。トラックはケテルの要人、とはいえ、一介の冒険者に過ぎません。彼にケテルの権益を代表する権利はなく、彼が何を言おうともケテルの意志は揺らぎません! どうか、私をウルス様の妻にしてくださいませ!」


 美しいドレスの裾は土にまみれ、イーリィは必死に懇願する。それは背負えぬほどの大きな責務を負い、独りで戦おうとする彼女の痛々しいほどの姿だった。わずかな希望に縋るようにウルスがイーリィを見る。アディシェス伯はじっとイーリィを見つめると、厳しい声音で言った。


「本音ば言わんね」


 え? と思わず声が漏れ、イーリィはアディシェス伯を見上げた。見透かすような瞳でアディシェス伯は言葉を続ける。


「ケテルも、アディシェスも、どうでんよか。あんたの心ば聞かしちくいや」

「わ、私の、心は……」


 イーリィが言い淀み、その瞳が揺れる。立場、状況、そんなものはどうでもいいのだと、まさかアディシェス伯から言われるなど思ってもいなかったのだろう。畳み掛けるようにアディシェス伯は言った。


「おいが聞こごたっとはひとつど。あんたはウルスを、我が息子を愛しがなっと?」


 イーリィは顔をウルスに向けた。ウルスがごくりと唾を飲みこむ。


「わた、し、は……」


 半ば呆然とつぶやくイーリィの目から涙がこぼれる。ウルスはハッと息を飲んだ。


「きっと、あなたを、愛することができない――」


 イーリィはうつむき、両手で顔を覆った。溢れる涙がぽたぽたと落ちてドレスを濡らす。ウルスががっくりと肩を落とした。これ以上ないくらいのフラれっぷりだもんね。落ち込まないでって言うほうが酷だろうな。強く生きろよ、きっとこの先いいひとがいくらでも現れるさ。まだ若いんだから。

 ごめんなさい、と繰り返し泣き続けるイーリィに対し、トラック達と顔を合わせた最初からずっと厳しい顔つきをしていたアディシェス伯が初めて、ニカっと人懐こい笑みを浮かべる。


「そいでよか」


 アディシェス伯はイーリィの肩に軽く手を置き、労わるような口調で言った。


「心ば殺してする結婚に意味などなか。結婚ちゅうとは互いが手ば取り合うて幸せば築っもんたい。よそは知らんばってん、アディシェスではそがん決まっとっど」


 イーリィは両手を降ろし、泣きはらした顔でアディシェス伯を再び見上げた。アディシェス伯はイーリィに手を差し伸べ、地面に膝をついていた彼女を立たせる。イーリィは涙を拭い、「申し訳、ありません」と深く頭を下げた。「よかよか」と朗らかに笑い、アディシェス伯はたった今フラれて傷心の真っただ中にいる息子に近付いた。ウルスが虚ろな瞳で父を見上げる。


「イーリィさんば最初に会うたとき、目ば赤かとに気付いとっとか?」


 アディシェス伯はウルスを表情の読めぬ顔で見下ろす。ああ、イーリィはトラックの中で少し泣いていたもんね。そうか、そのことに気付いて、アディシェス伯はずっと厳しい顔をしていたのか。イーリィを値踏みしていたのではなく、心から望んでここに来たのではないと察していたのだ。だからきっとイーリィがこの縁談を断ることができるように、決闘などという場を作り出したのだろう。ウルスはまるで気付いていなかったと言うように目を見開いた。アディシェス伯はさらに言葉を続ける。


「わいが侮辱じゃちゅうて剣ば抜いた時、イーリィさんは『あなたにお仕えします』ちゅうとぞ。気付いとっとか?」


 ウルスは息を飲み、イーリィを見た。イーリィは気まずそうに目を伏せる。アディシェス伯は大げさにため息を吐いた。


「自分ばっかい舞い上がっせぇ、彼女ん心に気付けんやった。特級厨師が「弱か」ちゆたんな剣ん腕じゃなか。わいん、相手を慮っことんできらん未熟さを「弱か」ちゆたど。そいが分かっちょらん時点で、わいん負けは必然やった」


 傷心に塩を塗りつけられるように未熟さを突きつけられ、ウルスは言葉もなくうなだれるしかないようだった。アディシェス伯はかっかっか、と笑って言った。


「精進せい未熟もんが! 好っなおなごも幸せにできんばアディシェス男ん名折れたい!」


 もう地面にめり込む勢いでウルスがへこんでいる。アディシェス伯、そろそろ勘弁してあげてくんないかな? あんたの嫡男が立ち直れなくなりますよ?

 アディシェス伯の言葉を聞いて、若様を侮辱されたとの怒りが渦巻いていた周囲の兵士たちの様子が変わった。ああ、そりゃ若様が悪いわ、という、同情の心が一気に冷めた感じが伝わってくる。つまり、アディシェスはそういう(・・・・)土地柄なのだ。心を殺すことを嫌う、そういう人たちが住む場所なのだ。


「こんフラれ男ば気にせんでよか。胸ば張ってケテルに戻りやんせ。あんたは自分の心に従うた。そいがいっばん価値んあっこつじゃ!」


 イーリィを振り返り、アディシェス伯は終わりを宣言するように大きな声で言った。イーリィは無言で深く頭を下げる。その頬を再び涙の粒が伝った。




 再び門の前に移動し、アディシェス伯たちは帰るトラックたちを見送ってくれた。兵士たちはイーリィを労り、「頑張ってね」「幸せにおなりよ」と声を掛けてくれた。ウルスは辛うじて立って歩いている、という感じで、イーリィに声を掛ける力は残っていないようだった。なんか頬がげっそりしている。ちょっと痩せた? 熊のような大男なのに、今は見る影もなく縮こまっているように見える。


「次に会うんは戦場(いくさば)じゃろ」


 イーリィに聞かせぬよう、アディシェス伯はトラックに囁く。


「クーデターば起きた時、おいたちは真っ先にクリフォトに付いた。ないごてか分かっか?」


 トラックは「さあ?」と言うようにクラクションを返した。アディシェス伯は真剣な目でトラックを見つめる。


「ズォル・ハス・グロールちゅう男ん怨讐は本物たい。あん男は本気で種族浄化を成し遂げようとしちょる。そん執念はあらゆっ困難を凌駕すっじゃろ。おいはそう踏んだ」


 その言葉はひどく重苦しい響きを伴ってトラックに届いた。種族浄化――人間以外の存在を認めない過激な排他思想を掲げた一人の男が今、クリフォトという国の玉座にいる。そしてその男の怨讐が、アディシェス伯をして「あらゆる困難を凌駕する」と言わしめるほどに強く、アディシェス伯に膝を折らせるほどに力を持っているのだ。


「よう覚えちょけ。アディシェスは勝つ方に付く」


 そう言ったアディシェス伯の表情はその意図を伝えてくれない。勝つ方に付く、つまりクリフォトとケテルが戦えばケテルは負ける、だからこの縁談が壊れるように誘導してケテルとの関係を絶った? でもそれなら最初から縁談を受けなければ良かったのだし、パーティが中止になったときに破談にしてしまってもよかったはずだ。トラックがカチカチとハザードを焚く。アディシェス伯はそれ以上何も言わず、トラックの傍を離れた。




 アディシェスの人たちに見送られ、トラックはイーリィを乗せてケテルへの道を走る。結局アディシェスの町に入ることもできなかったな。きっと屋敷では歓待の用意もしていただろうに、申し訳ない気持ちになるなぁ。

 イーリィは流れる景色をぼんやりと見つめている。その顔はどこかほっとしたようでもあり、間違ってしまったのではないかと怯えているようでもあった。やがて景色が見慣れた森林地帯に変わった時、イーリィはぽつりと口を開いた。


「……トラさん、私――」


 プァン、とトラックは柔らかなクラクションを返す。


「……うん」


 普段に比べて幼く見える笑顔を浮かべ、イーリィはうなずいた。

その夜、アディシェスの町に奇妙な叫び声が響きました。

「それでも好きだーーーーっ!!」


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[一言] アディシェス伯の底知れぬ大物感( ˘ω˘ )
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