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正義の行く先

 痛いほどの沈黙が部屋を支配している。リェフはじっとルゼを見つめ、ルゼは青ざめた顔でリェフを見つめ返していた。ルゼのその態度は知らなかった事実を知らされたというよりは、敢えて見ないようにしていた真実を突きつけられたときのそれだ。


「どう、いうこと……?」


 なかば呆然とイーリィがつぶやく。その声に呪縛を解かれたようにルゼが叫んだ。


「デタラメを抜かすな! 妻は病で亡くなったのだ! 誰に殺されたわけでもない!」

「聞いたことがあるのではありませんか? 『狩人熱』は病気ではなく、呪いだと」


 ルゼはハッと息を飲んだ。心当たりがある、ということなのだろう。言葉を失ったルゼの代わりにリェフは言葉を続けた。


「当時、この男は評議会議員の末席にいた。ケテルの評議会議員になる条件は極めて単純だ。最も稼ぎ、稼ぎ続けることのできる十人。この男はその地位を失うことを怖れ、当時エルフとの新たな取引で売り上げを急速に拡大していたルゼ議長、あなたに脅威を感じていた。だから呪ったんですよ。自分の保身のためにね」

「違う!」


 目を閉じたまま、グラハムは叫び、激しく首を横に振った。押し当てた刃がその首を浅く切り裂き、リェフは思わずといった様子でグラハムの首と剣の間に隙間を作る。不快そうに顔をしかめ、リェフは冷たい声音で言った。


「何が違う? 何を怖れる? もう何十年も、偽りの生を生きてきたんだろう? 周囲を騙し、隣人のふりをして裏切り続けてきたんだろう? ユリウス・トランジだって偽名なんじゃないか? 『本当』なんてどこにもない空虚なお前に、失うものなんてないだろう?」

「全部お前の妄想だ! でたらめだ! 私はグラハム・ゼラーだ! ケテル評議会副議長だ!!」


 駄々をこねる子供のようにグラハムは叫ぶ。その取り乱しようは工作員という言葉からイメージされるものとは程遠いが、しかし同時にグラハム自身の言葉の信ぴょう性を大きく損ねている。図星を突かれてうろたえている、剣を突きつけられて脅されていることを差し引いても、そう見える態度だった。


「そもそも、お前は何なんだ! 目的は何だ! こんなことをして、お前にいったい何の得があるというのだ!!」


 開き直りとも八つ当たりとも取れる怒りをグラハムは喚く。リェフの瞳に冷たく鋭い光がかすめる。何かを押し殺すような一拍の間の後、リェフは抑えた声で言った。


「……十八年前のことを、憶えているか?」

「十八年、前?」


 思い当たるものがない、というようにグラハムが眉を寄せる。リェフは呻くように言葉を搾りだした。


「十八年前、南東街区でマフィア同士の大規模な抗争が起こった。それを止めようとした男がいたことを、憶えているか?」


 何かに気付いた様子でグラハムは息を飲んだ。怒りを浮かべていたその顔から色が消え、蒼白に変わっていく。


「俺は、その男の息子だ」


 リェフの静かな声が、やけに大きく部屋に響いた。




「……そう、か。お前は、ゼオの息子か」


 動揺し喚いていたのが嘘のように、グラハムはポツリとそうつぶやいた。力が抜けたのか、落下するようにその場に座り込む。リェフはグラハムから手を放して剣を引いた。


「憶えていたのか」


 驚きを含んだ声でリェフは言った。深くうなだれてグラハムは答える。


「……ゼオは、その最期の時に、私を見ていた」


 その目が忘れられなかったのだとグラハムは言った。それは彼がユリウス・トランジであること、つまり工作員であることの告白だった。グラハムは重いものを吐き出すように大きく息を吐いた。


「なぜだ――」


 信じられぬというようにルゼがかすれた声でグラハムに声を掛ける。グラハムは小さく首を横に振った。


「……二十年以上も前に、私はケテルに送り込まれた。情報収集、及びケテルにおける工作拠点の確保を主任務として」

「そんなことを聞いているのではない!」


 ルゼの怒声がグラハムの言葉を遮る。グラハムはわずかに肩を震わせた。


「なぜ、妻を呪った!? 私ではなく、妻を!!」


 拳を固く握り、血走った目でルゼはグラハムをにらみつけた。怯えるように目を瞑り、グラハムはかすれた小さな声で答えた。


「……あなたを、殺したくなかった」




 ゼオを殺したことで南東街区は法の秩序を離れた混沌を維持することになり、グラハム――ユリウス・トランジたち工作員はケテルにおける活動拠点の安定的な確保に成功した。誰が何をしようと、誰が死のうとも関心の払われないその場所は、潜伏には非常に都合が良かったというわけだ。そしてユリウスにはゼオを始末し南東街区の情勢をコントロールした手腕を買われ、新たな任務が与えられた。それは『商人として商人ギルドの中枢に潜り込む』こと。グラハム・ゼラーの名を与えられ、当時のセフィロト王国を後ろ盾に彼はケテルの『商人』となった。

 時を同じくして、ケテルでは一人の商人が人々の話題に上り始めていた。ルゼ・バーラハという名のその商人は、『生産者も消費者も幸せになる商い』などという夢物語をしらふで語る愚か者だと人々に嘲笑されながら、しかし着実に売り上げを伸ばしつつあった。ただでさえ少ない資金で行う商売の決して多くない利益を生産者に還元するそのやり方は短期的に見れば明らかに非効率であり、長期的に見ても確実性の乏しい愚行だった。だが、それは『金』という目に見える利益にはつながらなくても、『信用』という目に見えない利益をルゼにもたらしていた。信用は人脈をもたらし、人脈が新たな商機となって、ルゼは少しずつ商売を広げていった。

 セフィロト王国からの膨大な資金を背景に大規模な商いを行うグラハムにとって、ルゼは取るに足らない相手。しかしグラハムはルゼに強く興味を惹かれた。己の才覚と信念によって道を切り開くルゼの姿は、グラハムにとってひどくまぶしく映った。


「……あなたを見ていると、私が『偽物』なのだと、はっきりとわかった」


 損失を出してもセフィロト王国が補填してくれる。金の力によって強引な手段を使い相手を黙らせる。そんな商売は容易く、そして虚しさだけが募った。自分の遥か足元にいるはずのルゼは着実に地歩を固め、必要とされ、周囲を幸福にしている。それなのに、自分の周囲には殺伐とした嘘と謀略しかない。


――きちんと『商売』をしよう。


 いつしかグラハムの胸にそんな思いが芽生えた。彼のようにきちんと、客に、生産者に、商品に向き合い、必要なものを必要としている相手に届けよう。諜報のための隠れ蓑の『商人』ではなく、本当の商人になろう。その思いは徐々に膨らみ、グラハムはセフィロト王国に気取られぬよう細心の注意を払いながら、商売の方法を変えていった。


「方法を変えると、世界が変わった」


 客に礼を言われるようになった。同業者に褒められるようになった。生産者が労ってくれた。慕ってくれる者が現れた。彼が工作員だと知らない人々に囲まれるようになった。それは彼にとって、生まれて初めて手に入れた温かい場所だった。

 グラハムが商売に注力することは結果的に彼の商人ギルド内での地位を向上させ、思惑に合致する限りにおいてセフィロト王国は彼に口出しをしなかった。資金援助を受ける必要もなくなり、商売に励む日々の中で、自分が工作員であることを半ば忘れかけていた時、彼の許にセフィロト王国から一つの指令が届いた。


――ルゼ・バーラハを排除せよ。


 当時、ルゼはウォーヌマの米を武器にエルフとの商取引を拡大しつつあり、評議会議員の椅子にも手が届くのではないかと噂されていた。一方のグラハムはすでに評議会議員の末席におり、このままではルゼにその椅子を奪われてしまう可能性があった。グラハムを商人として送り込んで八年の月日が流れ、やっと評議会に食い込んだ矢先のタイミングでのルゼの台頭を危険視したセフィロト王国は、ルゼの排除――はっきり言えば殺害をグラハムに求めたのだ。


「できる、はずもない。あなたは私の憧れだった」


 グラハムは指令を拒否した。今注目されているルゼを直接的に害するのはリスクが高すぎる。彼を殺せば議員になったばかりの自分が疑われる。そのような形で目立つことになれば、長い年月をかけてケテルに潜入し積み上げてきたものが崩壊しかねない。そう言い訳を並べても納得しないセフィロト王国側に、グラハムが提案したのが『ルゼの妻に呪いをかける』という方法だった。


「妻が病に倒れれば、あなたは商売を諦めて看病に徹すると思った」


 ルゼが家族を何より大切にしていることは、当時の商人の間で広く知られていた。商売を諦めさえすれば、ルゼはグラハムの――セフィロト王国の脅威たり得なくなる。家族の病で商売を諦めるなどという話は珍しいことでもなく、それによってこちらが疑われることはない。グラハムはそうセフィロト王国を説得した。


「あなたがエルフとの取引を中止しさえすれば、すぐにでも呪いを解くつもりだった!」


 妻にかける呪いに『狩人熱』を選んだことが、グラハムの想定を狂わせた。ルゼはエルフとの取引を中止するどころか、むしろそれによって評議会議員の椅子を手に入れ、セフィロト王国の薬草園からリュネーの花を買うことに希望を見出したのだ。ルゼは商売に邁進し、グラハムは呪いを解くきっかけを失い、そして――ルゼは、間に合わなかった。


「申し訳、ない……申し訳ない――!」


 グラハムは涙声で頭を下げる。ルゼは呆然と床に膝をついた。




 ルゼは声もなく、目を見開いてグラハムを見ている。自分の判断は間違っていた――エルフとの取引を諦めれば妻は助かっていたのだという事実に、ひどく打ちひしがれているようだ。たとえその時には知る由もなかったとしても、助けられる可能性があったにも関わらずそれを逃していたと知るのは辛いことだろう。


「懺悔の時間は終わったか?」


 リェフが侮蔑の眼差しでグラハムを見下ろす。


「白々しいことを言う。セフィロト王国が滅びクリフォトに変わっても関係を絶たなかった時点で、お前の意志は明白だ。お前がケテルを蝕み続けてきたことに変わりはない。お前の罪に変わりはない」


 鼻をすすり、グラハムは首を横に振る。


「一地方都市に過ぎないケテルが、本当に国家と戦えると思っているのか? ケテルが動員できる兵の数はせいぜい三千。たとえ異種族の力を結集しても五千に満たん。クリフォトが本気で攻めてくれば、十万の兵が町を囲むことになる。どうあがいても絶対に勝てん」

「それが何か言い訳になるとでも?」


 わずかな苛立ちを顔に示し、リェフは抑えた声音で問う。グラハムは落ち着いた様子で言った。


「わからんか。戦ってはならんのだ。戦えば負ける。負けるとは、何もかもを失うということだ。皆が死に、この地が焦土と化すのだ。それだけは絶対に避けねばならん!」

「だからそれが!」


 強く苛立ちを示し、リェフは手の剣を振った。


「お前の罪に何の関係がある!」


 風を切る音が響き、イャートの顔が強張る。セシリアの瞳がかすかに光を帯び、剣士がわずかに身を沈めた。グラハムは口を閉ざす。リェフは感情を整えるように大きく息を吐いた。


「罪には罰が必要だ。ケテルを欺き、多くのひとびとを殺し、傷付けた罪を、お前は償わなければならない。その命を以て」


 リェフの瞳に絶望に似た虚無が広がる。「よせっ!」というイャートの制止を無視して、リェフは剣を振り上げた。トラックが鋭いクラクションを鳴らし、セシリアの瞳が輝きを増し、剣士が床を蹴って――


「……私は、ケテルを守りたかったのだ」


 グラハムが小さな声でぽつりとつぶやいた。

だって、グラハムは知らなかったのです。

たとえ十万の兵がケテルを囲んでも、きっとトラックが適当に卑怯なスキルを閃いて退けてしまうであろうことを。

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