答え合わせ
「動けばこの男の喉にもう一つ口ができるぞ、なんて、陳腐なセリフか」
虚ろな笑いを浮かべてリェフは、グラハムを捕まえたまま壁際に下がる。グラハムが捻りあげられた腕の痛みに呻きながら引きずられていく。イャートは呆然とリェフを見つめた。イーリィは状況がまったく分からないと困惑した表情を浮かべ、ルゼは前に出てイーリィを背に庇いつつ、事態を見極めようとしているのか厳しい顔でリェフを注視している。剣士とセシリアが互いに目配せをして、トラックがかすかにエンジン音を鳴らす。
「そこの三人組、両手を開いて肩より上にあげろ。そしてゆっくり、入り口の扉の前に移動するんだ。特にトラックさん、あんたは何をしでかすか予想がつかないんでね。充分距離を取ってもらう」
機先を制されてセシリアが苦々しい表情を浮かべる。剣士は剣の柄に手を掛けたまま、挑発めいた目をリェフに向けた。
「俺たちは副議長に何の義理もない。まして俺たちはその男が誰か知ってるんだぜ? 殺したいなら殺せばいい。その隙に俺はお前を斬る」
「そうするつもりならもう動いてるはずだろう? 会話している時点であんたの主張には無理がある」
や、やめろと青い顔で叫ぶグラハムを無視して剣士とリェフが視線で切り結ぶ。リェフがわずかにグラハムの首に押し当てている刃を滑らせた。浅く裂かれた皮膚から血が滲み、グラハムが小さく悲鳴を上げる。降参、と言うように剣士は剣から手を放し、両手を軽く肩の位置まで上げた。セシリアもそれにならい、二人はゆっくりと入り口の扉に向かって歩く。トラックは――運転席側の扉と助手席側の扉を両方開いた状態で移動を始めた。
……ああ、うん。そうか。トラックに『手を上げろ』的なことを言うとこうなるのか。まあそうだよね。他にやりようがないもんね。リェフが満足そうにうなずく。イーリィは動くことがためらわれたのか、その場に留まったようだ。
「要求を聞こう」
ルゼが冷静な声でリェフに呼びかける。商人らしい物言いに半ば感心し、半ば呆れたような顔でリェフは答えた。
「簡単なことですよ。俺があなたたちに望む役割は観客だ。ここにいて、聞いてくれればいい。ただそれだけだ」
「こ、このような男の戯言に耳を傾けてはなりません! 議長!」
グラハムが焦ったように声を上げ、リェフにさらに腕をひねられて口を閉じた。ルゼは不可解そうにグラハムを見る。リェフが何を聞かせようとしていて、グラハムは何を隠そうとしているのか、どちらにも心当たりがないのだろう。ただ、衛士隊の副長を務めていた青年の空虚な瞳が、その内容を不吉な予感と共に伝えている。
「やめてくれ、リェフ。お願いだ」
苦しげに絞り出したかすれ声が聞こえ、リェフはイャートに顔を向けた。懇願するようなイャートの瞳にもリェフの表情は変わらない。
「それは、父を殺したのがこの男だと知った上での言葉ですか?」
それは決して大きくも強くもない声だったが、イャートの言葉の続きを遮るには充分だったようだ。イャートは拳を握り、奥歯を強く噛む。リェフはわずかに表情を緩めた。
「隊長。あんたは正しい。あんたは正しさのために正しく振る舞い、正しく道を踏みはずことができる。俺はあんたのそういうところが好きだったし、憧れてもいた」
過去形の言葉にリェフの強い訣別の意志が示されている。エバラが言っていたこと――リェフが死ぬ気なのではないかということが、実感を伴って思い出された。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。一瞬だけ苦笑いを浮かべ、すぐに表情を消すと、リェフは再び議長に視線を向けた。
「では、聞いてもらいましょうか。この男が何者か。この男がいったい何をしてきたのかをね」
グラハムはリェフに捕らえられたまま、蒼白な顔でうつむいている。トラック達三人は扉の前で突っ立っており、扉を外から開こうとすると荷台が当たってしまい、中に入れなくなっていた。おそらくトラックは誰かが入ってきてしまうのを邪魔しているのだろう。今から交わされるであろう会話は、誰にも聞いて欲しい類のものではないから。
「まずは答え合わせを」
もったいぶるようにリェフは皆を見回した。ルゼは、少なくとも見かけ上は冷静にリェフの言葉を待っているようだ。イャートもまた、リェフを刺激しないように口を閉ざしている。イーリィは戸惑ったまま、居心地の悪そうにしながら動けずにいる。
「去年の夏、商人ギルドのギルドメンバーによる獣人売買未遂事件が発生した。事件そのものはトラックさん、あんたが被害を未然に防ぎ、実行犯は逮捕されたが、獣人売買を指南した黒幕がいることがわかった」
そ、そうか。トラックがこの世界に来てからもうすぐ一年が経つのか。時間が経つのが速いわぁ。一年があっという間に過ぎていくわぁ。……ウチの嫁と娘、元気かなぁ。下の子はもう生まれてるよな。生活、大丈夫かなぁ。苦労してるだろうな。ごめん。
「その後、商人ギルドのメンバーによる犯罪が立て続けに起こる。同じ商人ギルドのメンバーの家族を狙った詐欺事件。借金のカタを偽装した人身売買事件。それらも実行犯は商人ギルドのメンバーだったが、獣人売買と同様、黒幕の存在が示唆されていた。捜査の結果浮かび上がったのがヘルワーズという男。奴は南東街区を牛耳るマフィア、ガトリン一家の幹部だった」
リェフが語る内容に今のところ新しい情報はなく、聞いている面々の表情にも変化はない。ただグラハムだけが小さく震えていた。皆がもう知っていることを敢えて言うのは、おそらくグラハムを精神的に追い詰めるためだろう。いつ秘密が明かされるのか、その瞬間を先延ばしにして、じわじわと心を苛んでいるのだ。虚ろなリェフの瞳の奥に強い怒りと憤りがある。
「ガトリン一家が糸を引いていたそれらの事件は、偶然か運命か、すべてトラックさん、あんたが阻止している。業を煮やしたガトリン一家はルーグという少年を冒険者ギルドに送り込み、トラックさんの暗殺を謀った。しかしそのことであんたの怒りを買い、ガトリン一家は壊滅することになった。ヘルワーズは逮捕され、我々にこう証言した。『獣人売買以降、ガトリン一家が起こした事件はすべて、評議会議員を総辞職に追い込むために起こしたことだ。商人ギルドの幹部を名乗る男の依頼で』」
「何が言いたい?」
ルゼが静かにリェフに問いかける。グラハムはじっとりと汗をかいており、この話の流れでリェフが何を言おうとしているのかルゼが推測できないということはないだろう。ルゼが問うているのはたぶん、なぜこんな手段で、今、このメンバーにそれを言うのか、その意図なのだ。しかしリェフは問いに答えず、淡々と話を進める。
「そちらにいるイーリィさんに見合いの話があったそうですね。ここ数年で急速に大きくなったコルテス・リーガが率いるリーガ商会、その御曹司との見合い。しかし実際に現れたのはホルスタインだったとか」
リェフがおかしそうに笑い、イーリィがムッとした表情を浮かべた。ルゼは特に表情を動かさず、意図を探るような目をリェフに注ぐ。
「リーガ商会は実際にはゴーストカンパニーで、コルテスも命じられて商会の会頭を演じていただけだった。コルテスの背後にいたのがトランジ商会を名乗る正体不明の組織。コルテスの証言で関係先が一斉に捜索されたが、そこはすでにもぬけの殻だった。その手際の良さから、トランジ商会は商人ギルドの内部、それもかなり地位の高い人間との繋がりが疑われた。そしてそれは、ガトリン一家に犯罪を依頼した『商人ギルドの幹部を名乗る男』の実在を、つまり商人ギルドの内部に評議会議員を総辞職に追い込むことを企てる者がいることを想像させた」
「わ、私は関係ない。関係ない!」
耐えきれなくなったのか、グラハムが急に大声を上げた。リェフは顔をしかめ、力づくでグラハムを抑え込む。痛みに呻くグラハムに何の関心も払う様子のないまま、リェフはさらに話を続けた。
「ハイエルフの王女がさらわれ、ゴーレムに改造されるという痛ましい事件が起きた。王女を改造した人形師はケテルにほど近い森にある商人の別邸の地下でゴーレムの製造実験を繰り返していたようだ。衛士隊の調査で浮かんだその場所に乗り込んで王女を取り戻したのはトラックさん、あんただったな」
リェフはトラックに顔を向けた。プァン、と短くトラックはクラクションを返す。リェフは小さく首を振る。
「捕らえた人形師の証言で、人形師にゴーレムを造らせていたのはクリフォト王国だということが判明した。人形師の一味にトランジ商会の関係者がいたことから、トランジ商会はクリフォトと繋がっている――いや、そもそもクリフォトが送り込んだ工作員なのではないかという疑いが浮上した」
リェフは乾いた笑いを浮かべ、皆を見渡した。
「さて、これらの事件。実行犯は捕まったが、それに指示を出した者は捕まっていない。商人ギルドの幹部を名乗る男、トランジ商会を束ねる男、クリフォトの工作員。それらの条件に合致する人間の正体や如何に?」
わざとらしい物言いに不快そうに鼻を鳴らし、ルゼはリェフを鋭くにらんだ。
「証拠は? 今までの話は状況証拠としてもまったく不十分だ。グラハムが評議会議員の総辞職を企てる理由がどこにある? 偽の商会をでっちあげて私の娘を嫁がせようとした理由は? 彼が工作員だというのがお前の妄想ではないと証明するものを示せ」
「この男の名前、グラハム・ゼラーは偽名だ。少なくとも十八年前、この男はユリウス・トランジを名乗って南東街区にいた。トランジ、なんて姓はこのケテルではほとんど存在しない。クリフォトの王都周辺では珍しくないそうですがね」
リェフが示した『証拠』を、ルゼは首を横に振って否定する。
「名前など何の証にもならぬ。他の土地からケテルに流れ着き、名を変えて人生をやり直そうとする者は珍しくない。過去がどうあれ、商人としての才覚だけが意味を持つ。ケテルはそういう場所だ」
『証拠』が効果を発揮しなかったことは、リェフに動揺を与えるには至らなかったようだ。リェフは軽く眉を寄せた程度で、その様子に大きな変化はない。
「議長はこの男を信じると?」
「信じる信じないの話ではないが、信じているかと問われれば、信じている。彼とは信条こそ異なるが、十年近く評議会議員として共に働いてきた。彼がケテルの発展に尽くしてきたことは私がよく知っている」
ルゼの言葉にグラハムは目を見開き、いたたまれぬというように視線を落とした。リェフの目に憐れむような色が浮かぶ。
「……あなたの奥方を殺したのがこの男だと言っても、同じことが言えますか?」
リェフのその言葉は、静かに、ひどく冷え冷えと部屋に広がる。グラハムが固く目を閉じ、イーリィが意味を理解しかねたように顔をしかめ、そしてルゼの表情が、凍りついた。
「あ、間違えた。あなたのプリンを食べたのがこの男だと言っても、同じことが言えますか?」
「グラハム! 貴様ぁ!!」




