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正体

 人形師の試験場、今はリェフがエバラたちを匿っている地下空間は、かつてトラックが乗り込んだ時とはずいぶんと様子が違っていた。簡易な骨組みに布を被せた、いわばテントの様な構造物がいくつも並んでいて、それぞれに人の気配がする。仮設キャンプ、と言ったら分かり易いだろうか? 最低限、他人の目から逃れて眠ることができるように作られた仮の住まいだ。


「トラックさん?」


 中に入って来たトラックに気付き、エバラが小走りに駆け寄ってくる。レアンもエバラの後ろをついてきていた。トラックの姿を見て安心したのだろう、うれしそうにパタパタと尻尾を振っている。


「どうしてここに?」


 トラックはプァンとエバラの問いに答える。ドラムカンガー7号を見つけて保護したことを伝えたのだろう、エバラはほっとした表情を浮かべた。


「よかったよ。ずっと気掛かりだったんだ」


 エバラはうっすらと浮かべた涙をぬぐった。レアンが急いでテントに駆け込み、手を引いて灰マントの末の弟を連れてくる。トラックが再びプァンとクラクションを鳴らした。どこか元気のなかった末弟の顔が輝くように明るさを取り戻した。


「よかった! よかった!!」


 レアンと両手を繋ぎ、末弟は飛び跳ねて喜びを表した。レアンも楽しそうに笑う。ふたりとも本当にドラムカンガー7号を心配してくれてたんだな。ありがとう。


 ……そういえば、エバラ家に残っていた戦いの痕跡に、血痕みたいなのがあったな。エバラの夫の姿が見えないけど、まさか大ケガとかしてないよね? 生きてるよね? トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ああ、とうなずき、エバラは答えた。


「ウチのダンナが鼻血だしちまってね」


 鼻血かーいっ! それですんだんかーいっ! 無事でよかったわーいっ! レアンたちが騒いでいるのに気付いたのか、エバラの夫と灰マントの次男と三男、そしてニヨがテントから出てきた。おお、みんな無事だった。よかった。

 トラックは安堵のクラクションを返すと、今度は真剣な様子のクラクションを鳴らした。エバラの表情が曇る。


「……リェフは、行っちまったよ。今日で決着がつくと、そう言ってた」


 全て終わったら戻ってくる。もし戻らなければ明日の夜明けを過ぎればここを出ていいと、そう言い残してリェフは出て行ったのだという。そのただならぬ様子に、エバラはひどく不安を覚えたのだと言った。


「まさかとは思うけど、死ぬ気、なんじゃないかって」


 リェフの表情には何か悲壮な決意のようなものが見て取れたのだという。エバラはリェフに、どこへ行くのか、行かないほうがいいと止めたらしいが、リェフは行かなければならないのだとエバラの言葉を聞かなかった。


「何をしようとしているのか、分からないけどさ」


 エバラはトラックを見つめると、


「あの子を、助けてやっておくれ」


 そう言って深く頭を下げた。




 ボスがいる部屋にイャートが駆けつけた時、すでにそこにはセシリアと剣士がいた。セシリアを淡く包んでいた光は消え、髪も栗色に戻っている。剣士ともども顔色は悪く、とても回復したとは言い難い様子だったが、無理を推して、ということなのだろう。ボスは『商人ギルドの幹部を名乗る男』から『現評議会議員を総辞職に追い込むため』の工作を直接依頼された、つまり、獣人売買から始まる一連の事件の黒幕の正体を知っている唯一の人間だ。そしてその黒幕の正体がトランジ商会であれば、クリフォトがケテルに工作を仕掛けてきたことの証人ともなりうる。ボスの証言はケテルの未来を大きく左右しかねないのだ。無理をしてでも話を聞かなければならないと、おそらくセシリアはそう判断し、剣士もそれに同意したのだろう。

 ボスは今、ヘルワーズが眠るベッドの傍らに座り、その寝顔を見つめている。安らぎ、喜び、穏やかさ、後悔――様々な色がその瞳に浮かんでいる。イャートも、セシリアたちも、どこか神聖なものを感じているかのように、ボスに声を掛けられずにいるようだった。立ち入ることのできない、立ち入ってはならない時間の中にボスとヘルワーズはいる。いつかヘルワーズは眠るボスの手を握って後悔と祈りを吐き出したけれど、ボスもまた同じように、ヘルワーズに対して願いと後悔を抱えているのだろうか。


「……ヘルワーズは、ね」


 誰にともなく、ボスはぽつりとつぶやく。


「優しいんだ。強くて、かっこよくて、何でもできるんだよ」


 憧れと誇らしさが声に滲む。しかしそれは、続く後悔の言葉によってかき消された。


「僕が弱くて、役立たずだったから、ヘルワーズは強くなった。強くならなきゃならなかった。でも、本当は、優しいんだ。騙して、陥れて、殺すたびに、心が擦り切れていることを、知っていた。知っていて、甘えていた」


 ボスはヘルワーズの手を取り、両手で固く握って自らの額に当てる。


「……ごめん。ごめん、なさい、ヘルワーズ――」


 目を閉じ、声を殺してボスは泣いた。涙の雫は頬を伝い、ぽたりとベッドに落ちた。




 トラックはエバラたちと別れ、避難所となった地下試験場を見回ることにしたようだ。以前トラックが人形師と戦ったときにはゴーレムを戦わせるための部屋しか入らなかったのだが、実際には奥にずいぶんと広いスペースがあるらしい。ゴーレムの格納庫やメンテナンス設備など、ゴーレム研究に必要な施設は多岐に渡るのだ。もっとも今は避難所として使うために機材は脇にどかされ、あるいは撤去されている。人形師が見たら怒るだろうな。

 部屋は魔法の灯りで照らされ、地下とは思えないほど明るい。時刻はすでに朝を過ぎているので、避難している人々もテントを出て活動を始めている。といっても外に出るわけにもいかず、身体を動かしたり手近な人に声を掛けたりと、その程度の事なのだが。


「うぉっ!?」


 ゆっくりとした速度で進むトラックに、ぎょっとしたような声が掛かる。声を上げたのは五十絡みの小柄で小太りな男――コルテス・リーガだった。そういえばリェフに誘拐されたって話だったな。ここにいたってことは、こいつもリェフに匿われたってこと?


「あんたは……どこかで見たような……?」


 コルテスが目をすがめてトラックを見る。そうか、イーリィのお見合いの時にトラックは庭からコルテスの姿を見ていたけど、コルテスはトラックに会っていないのか。逃走時にちらっと見たとか、その程度はあったかもしれないけど。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。あっ、と気付いたような声を上げ、コルテスはうなずいた。


「……畜産十一号は元気か?」


 少し聞きづらそうにコルテスはトラックに言った。だいじょうぶだと言うようにトラックがクラクションを返す。コルテスは安堵と、そして苦笑いに近い表情を浮かべた。


「まさかギルドメンバーにするとはなぁ。冒険者ギルドってのは何でもアリだな」


 ……うむ。その点についてはまったく反論できない。未だかつてホルスタインをギルドメンバーに迎えた冒険者ギルドがあっただろうか。自由過ぎるにも程があるわ。トラックが返答に困ったようにハザードを焚いた。


「ところで、どうしてあんたがここに? 命を狙われてるようにも、保護されなきゃならんようにも見えんが」


 トラックはプァンとクラクションを鳴らす。コルテスは小さくうなずいた。


「ここにいるのは全て、あのリェフとかいう若者が連れてきた連中のようだ。詳しい事情は知らんが、皆それなりに後ろ暗いヤツばかりらしいな。顔や態度で分かる」


 人のことは言えんがね、とコルテスは自嘲気味に笑った。彼も元々は借金で首が回らなくなったところをトランジ商会に付け込まれ、ゴーストカンパニーの代表を演じていたのだ。他人をとやかく言える立場ではない、と言えばその通りだが、人生はいつどんなきっかけで転落するか分からないなぁ。本来はコルテスもごく普通の、悪事とは無縁の零細商人だったのだから。トラックが再びクラクションを鳴らす。コルテスは腕を組んで思案顔を作った。


「……あの若造には命を救ってもらった恩義があるからな。協力するのはやぶさかじゃないんだが――正直、俺は事情をよく知らん。自分が狙われた理由もいまいちわかっとらんのだ」


 コルテスによると、道を歩いていたら急に黒装束たちに襲われ、そこを偶然通りかかった――実際には偶然ではないだろうが――リェフに助けられたのだという。敵の撃退後、リェフはコルテスに襲撃者はトランジ商会だと伝え、狙われるような覚えはないかと聞いたらしいが、コルテスには覚えがなかった。コルテスはトランジ商会の指示通りに動いていただけで、重要なことは何一つ知らなかったのだ。そんな人間を、しかも今まで何のアクションもしてこなかったのにこのタイミングで消そうとする意味がコルテスには分らなかった。トラックが残念そうにクラクションを鳴らす。役に立てなかったことが悔しいのか、コルテスは眉間にシワを寄せた。


「俺には心当たりがないが、心当たりがありそうなヤツに心当たりはある」


 リェフはこの場所に迎えた人々に何度も話を聞いていたのだが、ある一人の男には特に、執拗なほどに話をしていたのだそうだ。そして昨夜もその男の部屋を訪ね、部屋から出てきた時、リェフの顔付きは変わっていた。何かを、決意したような顔に。


「リェフがその男から何を聞いたのかは知らんが、話を聞きたいなら案内するぞ。行くか?」


 トラックがプァンと肯定のクラクションを鳴らす。コルテスは「わかった」と言い、トラックを先導してさらに奥へと向かった。




 涙をぬぐい、ボスはセシリアたちを振り返った。


「ヘルワーズを助けてくれたのは、あなたたちだよね? ありがとう」


 ボスは深く頭を下げる。その様子は心からの感謝の気持ちを抱いていることを見る者に伝えている。どこにでもいるような、穏やかな青年。そんな彼がマフィアのボスをやっていたなんて、とても信じられない。


「……話を、聞かせてほしい」


 イャートが、慎重に言葉を選んでボスに言った。ボスは微笑んでうなずく。


「ガトリン一家に『仕事』を依頼した相手、のことだね?」


 どうやらボスは、ここがどこなのかも、自分が今どういう立場にいるのかも、理解しているようだ。イャートは一瞬、感心したような表情を浮かべると、すぐに真剣な顔に戻った。


「獣人売買以降、ガトリン一家が関わった犯罪を依頼した、『商人ギルドの幹部を名乗る男』とは誰だ?」


 ボスの顔から微笑みが消え、決意のようなものが現れる。イャートの視線を正面から受け止め、ボスは戦いを挑むように言った。


「答えるのは構わない。だけど一つ条件がある。それを飲んでくれれば知っていることを全て話そう」

「条件?」


 イャートが警戒を顔に示した。ボスはイャートから視線を外さない。


「ヘルワーズの命を保障して欲しい。彼は僕の命令に従っただけだ。ガトリン一家のボスとして、全ての責任は僕にある」


 思いつめたボスの表情と対照的に、イャートの顔から警戒の色が消える。そっか、ボスは評議会がガトリン一家全員を助命したことなんて知らないもんね。弛緩した空気に違和感を覚えたのか、ボスが怪訝そうに眉を寄せた。


「それについては安心してくれていい。ヘルワーズも、ガトリン一家の構成員も、あなた自身も、命を取られることはない。ガトリン一家全員の助命は、非公式だが評議会で議決されている」

「ほ、ほんとに?」


 一世一代の決意が空振りに終わり、ボスは目をぱちぱちとしている。まあそりゃそうだろう。通常なら間違いなく死刑になるような案件なのに、それがまったくの不問に付されたなんて普通想像の範囲外だ。「間違いない」と断言するイャートを信じたか、ボスは大きく安堵の息を吐いた。そして息を吸い、姿勢を正すと、はっきりとした口ぶりで言った。


「僕に仕事を依頼したのは、ユリウス・トランジという男だ」




「……ここだ」


 一つの扉の前でコルテスは立ち止まった。元々は小さな物置、あるいは収納庫といったところだろうか。あまり人が生活することを想定されていない部屋、という感じがする。


「ここにいる男と、リェフはしばしば話をしていた。いや……そんな穏やかなものじゃないな。リェフは、ここにいる男を尋問していた」


 コルテスの歯切れの悪い物言いが、『尋問』の内容を想像させる。つまり、言葉を濁してしまうようなことをしていた、ということだ。もしかしたら拷問まがいのやり方をしていたのかもしれない、というのは――考え過ぎだと思いたいところだ。念を押すように「開けるぞ」と宣言し、コルテスは扉を開く。悲鳴のような音を立てて扉が開いた。

 部屋は、想像通りに狭い、おそらく二畳ほどのスペースの物置だった。灯りもつけず、部屋の隅に置かれた木製の椅子の上に、一人の男が膝を抱えて座っている。外から入ってくる光に怯えているかのように、その瞳は恐怖に揺れていた。トラックが戸惑い気味にクラクションを鳴らす。男は「ひっ」と喉の奥で悲鳴を上げ、両腕で頭を庇った。


「もう勘弁してくれ! 俺はもう足を洗ったんだ! 十年以上も前のことを、いまさら――!」


 男の言葉の意味が分からないのだろう、コルテスが戸惑いを現わした。トラックはプァンとクラクションを鳴らす。ビクリと男の身体が跳ねる。


「やったのはユリウスだ! ユリウス・トランジだ! 俺は悪くない! 俺は命じられたことをやっただけだ!!」


 会話が成立しない状況にトラックがハザードを焚く。男は耳を塞ぎ、首を激しく横に振った。


「知らない! 知らない!! 本人に聞いてくれ! 俺は本当に、何も知らないんだ!」




「ちょっと待ってくれ! 『商人ギルドの幹部を名乗る男』は、ユリウス・トランジなのか!? と、いうことは――」


 イャートが唾を飲みこみ、少しかすれた声で確認する。


「――ユリウス・トランジは今、商人ギルドに在籍しているのか!?」


 イャートの問いにボスははっきりとうなずいた。




「本人に聞けったってなぁ」


 埒があかない、という風情で、半ば投げやりにコルテスは言った。


「その、ユリウスってヤツは、今どこにいるんだ?」


 椅子の上で膝を折り曲げたその身体をさらに縮めて、男は真っ青な顔で叫ぶ。


「あいつは、あの男は、今――」




 ボスはゆっくりとその口を開く。


「あの男は、今――」




『――グラハム・ゼラーを名乗り、評議会副議長をしている』

「グ、グラハム……」


トラックは激しい衝撃と共に思わずつぶやきました。

「……って、誰だっけ?」

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[一言] トラックがシャァベッタァァァァァァァ!!
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