装置
「リェフが、エバラさんたちを!?」
ミラが驚きの声を上げる。ドラムカンガー7号は神妙な様子で「ま゛っ」と答えた。たぶん肯定したのだろう。状況が飲み込めないのか、ジンとセテスが首を傾げる。トラックがプァンとクラクションを鳴らした。
えっと、ミラが通訳したりみんなのリアクションから推測した結果をお伝えすると、エバラ家はやはり黒装束たちに襲撃を受けたのだそうだ。狙いはおそらく灰マント四兄弟で、真昼間にいきなり法玉を爆発させる乱暴なやり口で襲ってきたらしい。ドラムカンガー7号は必死に戦い、エバラ家の面々を自分の腹の部分に格納して、そして空に逃れた。
しかしまだ脱皮前のドラムカンガー7号の飛行能力は未熟で、ケテルの外壁を超えて少しの辺りでバランスを崩し、森に突っ込んで動けなくなった。幸いエバラたちに大きなケガもなく、ドラムカンガー7号の腹から出て「これからどうしようか」と話していた時に姿を現わしたのがリェフだった。
「匿う? そう言ったの?」
ミラの言葉にドラムカンガー7号がうなずく。リェフはエバラたちが危険な組織から狙われていることを告げ、とある場所に匿うことを提案したのだそうだ。しかし墜落して動けなくなっていたドラムカンガー7号を運搬する手段はなく、エバラたちはきっと断腸の思いでドラムカンガー7号をその場に残し、リェフについて行った。灰マントの末の弟は泣いて残ると言ったそうだが、ドラムカンガー7号自身が説得してしぶしぶ従ったらしい。ドラムカンガー7号が好きなんだな。ええ子や。
「エバラさんたちは無事なのね」
ミラがほっとしたように表情を緩めた。ドラムカンガー7号に表情はないが、どこか嬉しそうだ。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ドラムカンガー7号はトラックに顔を向け、「ま゛っ」と答えた。
太陽が山の端から顔を覗かせて光が夜を払い、朝の訪れを伝える。トラックはケテルを出て森を進んでいた。ドラムカンガー7号が教えてくれた、エバラたちが匿われている場所――それは、以前人形師が潜伏していた商人の別邸だった。事件後は衛士隊の管理下にあり、捜査が終わった今は事実上放置されていたらしい。あそこには広大な地下室があるから身を隠すには都合がいいということなのだろう。ただリェフがどうしてそんなことを、つまりエバラたちを匿おうとするのか、襲撃のタイミングに合わせたように姿を現わしたのはなぜか、理由は分からない。
整備されていない悪路をトラックは進む。ミラの姿はなく、トラックはひとりで別邸に向かっていた。ミラは同行すると言ったのだがセテスに強硬に反対されたのだ。トラックもセテスに同調し、ミラはしぶしぶ施療院に残った。ジンが熱を出して倒れたこともミラが残った要因だろうか。長時間に渡るドラムカンガー7号の手術は想像以上にジンに負担を与えていたようだった。ケテルに来て以後、ジンの体調は安定していたのだけれど、やっぱり無理をすると駄目なようだ。トラックが慌てて院長を呼ぶ。ミラを諭し、ジンの容体を見守り、ドラムカンガー7号に安静を申し付け、とバタバタしているうちに、気付けば空が白み始めていた。結局トラックが施療院を出たときには、ケテルは朝を迎えていた。
車を揺らせることしばし、トラックの前に見覚えのある建物が見えてきた。かつて人形師が地下にゴーレムの研究施設を構えていた場所。ミラが連れ去られ、ミラをトラックが取り戻した場所だ。周囲は雑草が伸び放題、入り口の扉は吹き飛び、ドラムカンガー7号が灰マント四兄弟を連れて逃げたときに開けた壁の大きな穴もそのままになっている。急速に廃墟化しつつある寂寥感が建物を覆っていた。
トラックは入り口から建物に入――ろうとして、
「……トラック?」
不意に掛けられた声にブレーキを踏んだ。建物の影から一人の男が姿を現わす。それは灰マント四兄弟の長男だった。どうしてここに? と驚きを示す灰マントに、トラックはプァンとクラクションを返した。
「リェフはここにはいない。我々をここに案内した後、またどこかに行ってしまった」
地下へと続く螺旋状の長い坂を下りながら、トラックは灰マントの話を聞いていた。等間隔に配置された段差にトラックの車体が跳ねる。ここは本来ゴーレム研究施設に続く資材搬入路で、段差は資材を乗せた荷車の勢いを殺すために設置されたもののようだ。壁面には魔法の明かりが灯り、トラック達の進む道を照らしている。主が不在となって半年以上が経っても、魔法で作られた仕掛けはきちんと動作しているようだった。
トラックが来たとき、灰マントは別邸の見張りをしていたらしい。襲撃者がここにも来るかもしれない、そして戦う力があるのは自分しかいない。しかも敵が狙っているのは自分なのだ。責任感にかられ、灰マントは自ら見張りを買って出た。まあ確かに、日常的に命のやり取りをしていそうなあの黒装束たちを相手にエバラたちに戦えとは言えないだろうけど、一人で抱え込むのもよくないよ。長男気質が悪い方に出ていますよ。
トラックがプァンとクラクションを鳴らす。灰マントは軽く目を見開き、そしてホッとしたように表情を緩めた。
「弟に伝えてやってくれ。ずっと心配していたから、きっと喜ぶ」
ああ、ドラムカンガー7号が無事だったよってことを伝えたのか。置いて行くのを泣いて嫌がったって言ってたからなぁ。ぜひ伝えて安心させてあげよう。伝えるのはトラックだけど。
「この場所に集められているのは我々だけではない。他にも相当数の人間がいる。大半は商人風だが、ガラの悪そうな連中も混じっているな」
道すがら、灰マントはこの建物にいる人間のことを教えてくれた。エバラたちがここに案内されたときはすでに大勢の人間がここにいて、エバラたちは最後の客、ということのようだった。集められた人間に特に共通点は見いだせず、リェフがなぜ皆をここに匿っているのかはよくわからないという。ただ、単なる善意、という雰囲気ではなかったのだと、灰マントは眉を寄せた。
「リェフは彼らに何かを聞いて回っていたらしい。真剣、というよりも鬼気迫る様子で、恐ろしかったと言った者もいた」
リェフが鬼気迫る様子で聞くことと言えば、おそらく父親絡みの話に違いない。だとすると、地下の部屋に集められているのは――
「……ここだ」
灰マントがそう言って足を止める。いつの間にかトラック達は終点、巨大で悪趣味な扉の前に立っていた。ここはかつて人形師が自身のゴーレムを戦わせ、データを採取していた試験場だったはずだ。灰マントが扉に手をかけて押し開ける。軋んだ音を立てて扉がゆっくりと開いた。
いつの間には白み始めたケテルの空をイャートは窓から見上げた。剣士、そしてセシリアは今、別室で深い眠りの中にいる。ボス、ヘルワーズ、そして看護師の女性もそれぞれベッドに運ばれていた。
招集していた衛士たちには一部を残して帰宅を許可している。もう再襲撃はない、とイャートは判断したのだ。人形師は敵にとってもはや価値ある存在ではない、というわけではないのかもしれないが、少なくとも優先順位は大きく下がったのだろう。より重要な人物を見つけてしまったから。
「……セフィロトの娘、か」
異形と化した剣士の口から出たその言葉に、イャートは引っかかっているようだった。『セフィロトの娘』という名にイャートは聞き覚えがあるはずだ。人形師を捕縛してその目的を問い質したとき、人形師はこう証言していた。『セフィロトの娘を造るためだ』と。
小さく息を吐き、イャートは立ち上がる。正しい情報を得られなければ正しい判断はできない。地下牢――すなわち人形師のいる場所に向かうイャートの靴音が詰所に響いた。
地下牢の扉を開け、イャートは人形師が寝ているベッドの脇に立った。人形師はイャートを冷淡に見上げている。
「生き残ったようだな」
「おかげさまでね」
おどけた声音に不似合いな冷酷な瞳でイャートは人形師を見下ろす。人形師はふんと鼻を鳴らした。どうやら再襲撃を受けたことをおおよそ察しているらしい。イャートは声のトーンを変えた。
「『セフィロトの娘』とは何だ?」
予想していなかった問いだったのだろう、人形師が軽く眉を寄せた。イャートは言葉を続ける。
「お前は言っていたな。クリフォトの依頼で『セフィロトの娘』を造ろうとしていたと。答えろ。『セフィロトの娘』とは何だ? クリフォトはなぜ『セフィロトの娘』を必要としている?」
「答えてお前は理解できるのか?」
人形師が嘲るように笑った。イャートは表情を変えない。
「理解しなきゃいけないんだ。セシリアは『セフィロトの娘』なんだろう?」
人形師の顔から表情が消える。イャートの声にわずかに力がこもった。
「僕たちは彼女の力で命を繋いだ。だが、そのせいで彼女の力が敵に知られてしまった。敵が退いたのは僕たちが退けたからじゃなく、標的をお前からセシリアに変えたためだ。僕たちは知る必要がある。敵の狙いをね。そうでなければ、守れない」
イャートの真剣な眼差しから人形師は目を逸らし、呆れたように言った。
「『セフィロトの娘』はお前たち凡人の助けなど必要としまい」
「彼女がどれほど力を持っていようと、十六の少女を敵の矢面に立たせる社会などゴミ屑に等しい」
人形師は再びイャートを見上げる。イャートはその視線を受け止め、揺らがぬ意志を示した。どこか不快そうに鼻を鳴らし、人形師は目を瞑る。
「……『セフィロトの娘』は、『生命の樹』への入力装置だ」
「入力、装置……?」
聞き慣れぬ言葉にイャートは訝るような声を上げる。人形師はそれに答えず、目を瞑ったまま独り言のように続きを語った。
「『生命の樹』は、神が創世に際し最初に作った、万物を創造する魔道具だと言われている」
原初、世界には神と混沌のみがあったという。神は自らの力を用いて最初に混沌から意味あるものを生成する機械を作った。それが『生命の樹』。あらゆるものを創り、あるいは創り直す力を持つもの。混沌、つまり意味付けを持たぬものを光で照らし、意味を与えることが『創造』であり、統一された概念で行われた一連の『創造』の結果が『創世』であるのだと人形師は言った。
……
……ごめん、意味が、わかりません――! まるでわかりません!! イャートも俺と同じようで、その顔に無数の疑問符を浮かべている。しかし人形師は目を閉じたまま、淡々と話を続ける。詳しい説明をしようなんて気遣いはさらさらないらしい。
「混沌に光を与えることで創造は為される。『生命の樹』は無限の混沌を内に抱え、光が与えられるのを待っている。光、とは、意味だ。神の放つ光とは『それが何者であるか』を照らし出すもの。その光はあらゆる存在がその始まりに与えられるものという意味で『始原の光』と呼ばれる。そしてそれは、本来神にしか持ちえぬ力だ」
おお、なんと、言いましょうか、急速に、眠く……いや、設定説明とか、聞き慣れない言葉がいっぱい出てきて、ほら、脳が拒否するっていうか……
……
……はっ! いかん! 耐えろ俺! なんか重要っぽい設定だぞ! 寝てて聞き逃したとかなったらこの先ちょくちょく話が通じなくなるヤツだぞ! ヘルプウィンドウに『あのときちゃんと説明しましたよ。もしかして寝てました?』とかドヤ顔で言われたいのか!? ここが俺の、正念場だぁ!
「だが、神にしか持ちえぬ力を身に宿す者が、歴史上幾度も世に誕生している。その者たちは『生命の樹』を使って世界を、運命を改変したと言われている。その者たちが常に女性であったことから、人々はその者たちを『生命の樹』に選ばれし乙女、『セフィロトの娘』と呼んだ」
……
「セフィロトの娘の祈りに応えて生命の樹は実を結ぶと伝説は言う。それは、始原の光を生命の樹に与えて世界を改変するという比喩だ。セフィロトの娘が望めば世界は自在に形を変える。それは同時に、セフィロトの娘を操ることができれば、世界を自在に変えられるということでもある。ゆえにセフィロトの娘は常に歴史の惨禍の中心となり、彼女を巡って夥しい血が流されてきた」
……ぐー
「クリフォトが具体的に何をしようとしているのかは知らん。だが、セフィロトの娘を求める者の望みはいつも同じだ。己の望むように世界を改変する事。そのためならいかなる手段も厭わぬだろう。おそらくは、ケテルを滅ぼすことさえ」
し、しまった! 瞬停した! よだれでた! 重要なこと聞き逃した!? 大丈夫!? イャートが血の気の引いた顔で問う。
「……セシリアの身柄を奪うために、クリフォトがケテルに侵攻すると?」
「それだけの価値がセフィロトの娘にはある」
人形師の断言にイャートは言葉を失う。セシリアを誘拐、とかそういう事態は想定したのかもしれないが、国家が一個人を手に入れるために戦争を仕掛ける、なんてことまでは考えていなかったのだろう。クリフォトはもともとケテルの併合を企てて工作を仕掛けていたわけで、セフィロトの娘の出現が事態に拍車をかける可能性が出てきた、というわけだ。つまり、工作など面倒なことをせずに、一気に占領してケテルもセフィロトの娘も手に入れてしまおう、とクリフォトが考えても不思議はないのだ。
「彼女を守ると言うなら、覚悟をしておくことだ。ケテルの全てを、たった一人を守るために危険にさらす覚悟を」
人形師の静かな言葉が地下牢にこだまする。それはある種の圧迫感を伴ってイャートを打った。イャートは何も言うことができず、落ち着かない沈黙が牢内を支配している。その沈黙を破ったのは上階からの慌ただしい足音だった。
「た、隊長!」
「どうした?」
イャートは振り返って走って来た部下を見る。少し息を乱し、部下はイャートに告げた。
「ガトリン一家の元ボスが目を覚ましました!」
ちなみに、視点分割で分離していた俺二号と俺三号は剣士とセシリアが合流したことで統合されたため、現在は二画面中継中です。




