露顕
宵闇を払う閃光と轟音が衛士隊詰所を揺るがせる。窓は吹き飛び、簡易に補修されていた壁には再び穴が開いた。柱が軋み、天井からは細かい塵や砂がパラパラと降る。イャートが苦々しい顔でぼやいた。
「せっかく補修したのに」
「後で私が直して差し上げます」
厳しい表情のまま外を見据え、セシリアが軽く杖を振った。空中に幾つもの、拳の大きさほどの光が生まれ、周囲を照らす。詰所の中にいた衛士たちがどこかボーっと突っ立っていた。自分が無事であることが信じられない、という顔をしている。衛士たち全員を覆っていた淡い光が粒となって消えた。
「襲撃者を捕らえろ!」
イャートの檄が飛び、衛士たちはハッと表情を引き締め、武器を手に外へと飛び出す。セシリアとイャートもまた崩れた壁から外に出た。待ち構えていたように――というか、待ち構えていたのだろう、無数の矢が降り注いでセシリアたちを出迎える。出鼻をくじかれた衛士隊の面々の足が止まった。セシリアの瞳が翠に輝き、全ての矢が瞬時に燃え尽きる。
「全員無傷とは想定外だ」
商人を装っていた襲撃者のリーダーはそれほどショックを受けてもいない様子でそうつぶやくと、周囲に向かって声を張り上げた。
「魔法使いの女を殺せ! 奴以外は雑魚だ!」
指示に反応して、周りにいた黒装束たちがセシリアに狙いを定めた。その数は三十人、あるいはもっとか。詰所を包囲し、あるいは近隣の建物の屋根から弓を構えている。雑魚と呼ばれ、イャートは苦い表情を浮かべた。衛士隊の戦闘力と黒装束のそれの差を認識しているのだ。味方を鼓舞するようにイャートは腰の剣を抜き、天に掲げる。
「迎え撃て!」
おおっ! と衛士たちが吠えた。黒装束たちが剣を抜き、衛士隊に襲い掛かる。剣の打ち合う音が響き、細く赤い月が妖しく光を放ち――
――戦いが、始まった。
黒装束たちはリーダーの言葉通り、セシリアに攻撃を集中させるつもりらしく、十人ほどを衛士隊の牽制に回し、残りを全てセシリアに差し向けた。人数こそ衛士隊のほうが多いが、戦闘能力という意味では黒装束のほうに分があるようで、黒装束一人に衛士隊二、三人でようやく互角、という有様だった。そもそも衛士隊は捜査が本分なので仕方ないんだけども。衛士隊の中に混ざった冒険者ギルドのメンバーがフォローに回って辛うじて戦線を維持しているが、守勢を強いられているのは間違いなく、打開の糸口も今のところなさそうだ。
一方のセシリアは、二十人の黒装束を相手にしつつ全体を見渡し、衛士隊の面々のサポートまでこなしていた。黒装束の刃が衛士隊の隊士の肩を抉ろうとした瞬間、淡い光が隊士を包み攻撃を弾く。隊士が矢で射抜かれたと思えば次の瞬間には矢傷は消えていた。以前にイーリィが『優秀な癒し手は貴重』と言っていたが、戦いの場にいるとその意味を実感する。負傷兵が瞬時に復帰する、つまり戦力が減らない、ということは、味方の士気を高め敵の戦意を挫くのだ。黒装束たちにしてみれば不死身の敵と戦っているに等しいだろう。覆面で隠した顔からは感情を読み取れないが、どこか焦りの雰囲気が伝わる。
イャートは衛士隊の三人と共にその背にセシリアを庇い、黒装束たちと切り結んでいる。前回の襲撃で怪我をしていたはずだが、そんなことなどなかったかのように黒装束と互角以上に戦っていた。おお、イャート、実は強かったのか。そういえば戦う姿を見たのは初めてだった。黒装束を重い斬撃で押し返したイャートに、油断なく周囲を見渡しながらセシリアが声だけを向ける。
「あまり無理をなさらぬほうが」
「一応、ここでは一番偉い人だからさ。命令だけして何もしないじゃ示しがつかないんだよねぇ」
上司の悲哀ってやつだね、と笑い、イャートは剣を正眼に構える。威圧されたのか対峙していた黒装束が一歩下がった。
「戦力が読みづらいな」
忌々しそうに舌打ちをして、敵のリーダーが懐から再び法玉を取り出した。どんだけ持ってんだ法玉。アレか、手りゅう弾的なイメージなの?
敵リーダーはためらいもなくセシリアに向かって法玉を投げつけた。仲間を巻き込もうがお構いなし、敵を倒せばそれでいい、という明確な意思が伝わる。セシリアが不快そうに顔をしかめ、その瞳が翠に光った。
――ゴウッ
セシリアから放たれた風が法玉を絡めとり、空中に縫い留める。法玉に白い光が満ちた。セシリアがトンと杖で地面を打つ。空間ごと圧縮されるように法玉が縮み、ガラスの砕ける音と共にかすかな光を放って消えた。
「そう何度も、同じ手が通じると思わぬがよい」
セシリアの冷たい目が敵リーダーを射抜く。額に汗を浮かべ、敵リーダーは「化け物め」と吐き捨てた。
戦況は膠着し、互いに打開策を見いだせないまま戦いは続く。敵が法玉を投げればセシリアに潰され、降り注ぐ矢はセシリアに吹き散らされ、セシリアへの攻撃はイャートたちに阻まれ、一方で衛士隊側もこれといった攻め手がない。しかし時間の経過と共に、わずかに均衡が崩れ始める。一瞬で癒されるとはいえ、斬られれば痛いし恐怖も感じる。心身の疲労が衛士隊の動きを徐々に鈍らせていた。
――ガキンッ
黒装束の一撃を受けた衛士の一人が剣を落とした。追撃しようとした黒装束が何かに弾かれるようにのけぞる。セシリアが魔法で追撃を阻んだのだ。別の隊士がフォローに入り、剣を落とした隊士が後ろに下がった。
黒装束の蹴りをまともに受けて衛士が後ろに吹き飛ぶ。周囲を巻き込んで衛士は仰向けに倒れた。崩れた隊列に付け込もうと身を乗り出した黒装束の身体が不意に硬直する。セシリアの魔法が黒装束の動きを止めたのだ。硬直は数秒で解けたが、その隙に衛士たちは態勢を立て直していた。
戦いが長引くことで、数的な優位性で覆われていた衛士隊と黒装束の個々の能力の差が顕在化しつつある。衛士たちは犯罪者を捕縛する訓練を積んでいても、敵を殺すための訓練を積んでいるわけではない。敵のリーダーは衛士たちを雑魚だと言ったが、ある意味でそれは正しいのだろう。殺しの専門家からすれば衛士隊は素人同然、ということだ。
セシリアは魔法で衛士隊の劣勢をカバーしているが、その負荷が当初より明らかに大きくなっているのが見て取れた。もはや詠唱無しで発動できる初歩的な魔法しか使う余裕がなくなっている。衛士隊の被害を無視して強力な魔法を使えば、あるいは敵を一掃できるのかもしれないが、彼女の選択肢にそれは登場しないのだろう。トラックは、たぶんその選択をしないだろうから。セシリアの顔に焦りが浮かぶ。背後に退いてじっと戦況を俯瞰していた敵リーダーが、ふと笑った。
「魔法使いはいい! 周囲の雑魚どもを片付けろ!」
セシリアと、そしてイャートがハッと息を飲んだ。セシリアに向かっていた黒装束の一部が衛士隊のほうへと移動し、射手の狙いもセシリアから外れる。かろうじてバランスを保っていた戦況が変わる。衛士隊の隊列の一角が、崩れた。
「くっ!」
小さく呻き、セシリアは杖をかざした。セシリアを牽制しようと黒装束が放った斬撃はイャートに阻まれる。しかしそれは、イャートが釘付けにされて他へのフォローに回れないということでもあった。セシリアの魔法が崩れた隊列の傷口を広げようとしていた敵を阻んだのと同時に、衛士隊の別の一角が崩れた。セシリアが振り返る。敵の射手が射かけた矢が降り注ぐ。対処が間に合わない! 迫る矢を焼き払う間に崩れた一角に押し込まれ、隊列がもはや取り繕うこともできぬほどに崩れた。
おそらく、セシリアたちは戦術を間違えたのだ。セシリアたちがとるべきだったのは、衛士隊が守りを固めて敵を防いでいるうちにセシリアが強力な魔法で敵を一掃することだった。しかしイャートを始めとした衛士隊の認識は『セシリアは癒し手』だった。だから衛士隊は攻め手に回り、セシリアは回復と防御を担った。互いに相手の能力を正確に把握せず、適切な役割分担を見いだせなかった。正しい連携が取れなかったのだ。
衛士隊の間に動揺が一気に広がる。目の前の敵を押し戻し、イャートは隊列を崩されたほうに目を向けた。黒装束の刃が隊士を襲い、切り裂く。セシリアが癒しの光を放とうとしたとき、別の場所で悲鳴が上がった。再び矢が衛士隊に降り注ぐ。セシリアの動揺を表すように、迎撃に失敗した幾つかの矢が衛士を貫いた。禍々しい赤月の光に照らされ、血の匂いと死の気配が広がる。敵リーダーが叫んだ。
「今だ、やれ!」
イャートが何かに気付き、セシリアの腕を掴んで引き寄せて身体を入れ替えた。イャートの腹部を冷たい刃が貫く。その剣はセシリアの背後――今までセシリアを守って戦っていたはずの衛士が握っていた。
衛士隊に内通者がいる可能性を、イヌカは指摘していた。隊内に敵に繋がる者がいる前提で動かねばならないとイャートは言っていた。その認識は正しかった。そして敵は、その内通者というカードを今、このタイミングで切ったのだ。
「イャートさん!」
セシリアの悲鳴が響く。口から血を溢れさせ、イャートが崩れるように膝をついた。あちこちで断末魔のような声が上がる。命の音が、消えていく。
「終わりだ」
敵リーダーの宣告が、奇妙なほどはっきりと聞こえる。命を刈り取る凶刃がセシリアに迫った。イャートの目から光が失われ、セシリアが目を見開き――
――光が、爆発した。
セシリアの身体から、真白の光が溢れる。その光は闇を引き裂き、赤月の光さえ吹き散らして、世界を全き白に染め上げていく。影が消えうせ、あらゆる輪郭が認識できない、白く塗りつぶされた世界の真ん中に、セシリアだけがはっきりとその存在を示し、中空に浮かんでいた。栗色の髪は太陽を思わせる金に変わり、身長と同じほどまで伸びている。瞳は翠の光を湛え、神の如く世界を睥睨していた。白光は徐々に薄れ、やがて世界は形を取り戻す。セシリアが見下ろすその光景は――何も失っていなかった。
黒装束たちは弾き飛ばされたように衛士隊からは遠ざけられ、一か所にまとめられている。衛士隊もまた一か所に集められており、両者を分かつようにセシリアが中間の位置に浮かんでいた。イャートが小さく呻き声を上げ、ゆっくりと目を開く。剣に貫かれたはずの腹部には傷どころか血の跡すらない。それは他の衛士たちも同じで、剣で斬られた者、矢で貫かれた者、誰もが自分が生きていることを信じられぬように互いに顔を見合わせている。それどころか法玉によって破壊されたはずの詰所まで、破壊されたことが嘘であるかのように完全に、元の姿に戻っていた。誰もが、何が起こったのかを理解できないでいるようだった。
「ひ、ひぃっ!」
恐怖に引きつった顔で、敵の射手がセシリアに向かって矢を放った。矢は正確にセシリアの心臓に向かって飛び、セシリアまであと一メートルほどの距離に近付いた瞬間、七色の光の粒になって散った。セシリアの目が射手を捉える。射手は声もなく座り込んだ。
「退くぞ」
敵リーダーがセシリアを見つめたまま周囲に言った。部下が戸惑ったように反論する。
「しかし、人形師は――」
「人形師なんぞもうどうでもいい。もっと大物がいたんだよ。これを報告するほうがはるかに重要だ」
熱に浮かされたような高揚を瞳に湛えて敵リーダーはつぶやく。
「……ついに見つけたぞ。セフィロトの娘――!」
懐から法玉を取り出し、敵リーダーは地面に叩きつけた。黒装束たちを淡い青が包む。転移魔法の光に包まれ、黒装束たちは姿を消した。
敵の撤退と同時に、セシリアは地面に降り立った。イャートがセシリアに駆け寄る。安堵したように微笑み、そしてセシリアは意識を失った。倒れそうになるセシリアをイャートが慌てて支える。
「……この、力は、なんだ? 君は、いったい――」
イャートが呆然とセシリアの顔を覗き込む。赤月が照らす衛士隊詰所前の広場は、まるで戦いなど起らなかったとでも言うように、何の痕跡も示さぬ姿を浮かび上がらせていた。
とある喫茶店での、一組の男女の会話。
「ボケのないトラック無双なんて、コーヒーの入っていないクリープみたいなものだわ!」
「ま、待ってくれ! そんな理由で僕たちは別れなきゃいけないのかい!?」)




