喝破
「セフィロトの娘が招いてきた幾多の惨禍を、知らぬはずはあるまい?」
人形師の声には傲慢も嘲笑もなく、静かに、淡々とした響きがむしろ否定しがたい重圧を作り出している。セシリアは何も答えられずにいるようだった。
「夥しい血と骸の上に生命の樹は姿を現わす。血塗れの影を負って真白に微笑むのがセフィロトの娘だ。歴史がそれを証明している」
「……違う」
うめくように、か細い声でセシリアは人形師を否定する。
「百年前、セフィロトの娘の捧げた祈りが人と他種族の共生をもたらした」
しかしその震える声は、セシリアの動揺を示すばかりだ。人形師は無感情な目をセシリアに注いでいる。
「その過程で何人が死んだ?」
セシリアは人形師を直視することができずに青白い顔で視線をさ迷わせているようだ。人形師は小さく息を吐き、言葉を続けた。
「このままケテルに留まればどうなるか、お前自身がよく分かっているはずだ。お前に耐えられるのか? この町を、無関係な住人たちを犠牲にすることに。冒険者ギルドを、仲間たちを、犠牲にすることに耐えられるのか? お前は――」
人形師の言葉が凍えるような響きでセシリアを打った。
「――あの男を犠牲にすることができるのか?」
ビクリとセシリアの身体が震える。目を逸らせてきた、考えることを放棄していた事実を突きつけられたように、青ざめた顔がランプの灯りに照らされている。
「……狂気に身を置く覚悟が無ければ進めぬ道だ。全ての関りを絶ち、お前はケテルを去るべきだ」
セシリアは固く目を閉じ、口を引き結ぶ。人形師はじっとその顔を見上げている。やがてセシリアは目を閉じたまま、かすれた声でつぶやいた。
「……すでに多くを犠牲にしてきた。父母を、友を、臣下を、私を信じた人々を、犠牲にして私は生き延びた。燃え落ちる城を背に駆けた闇夜の冷たさを忘れたことはない。命の消える音を振り切って走った、星のない夜のことを」
セシリアは目を開く。瞳の奥に強い怒りと後悔と、義務感とそして、押し殺した何かが浮かんでいる。
「皆が私を生かした。この身に負う『セフィロトの娘』という呪いを希望に変えるために。百年前にケテルを作った、偉大な英雄の意志を未来に繋ぐために。私は皆に報いねばならぬ。たとえ――」
セシリアの右の目から、一粒の涙がこぼれた。
「――誰を、犠牲にしても」
人形師を、いや、過酷な運命を、セシリアはにらみつける。涙は頬を伝い、ぽたりと床に落ちた。人形師はセシリアから視線を外し、天井を仰ぐ。
「……心壊れずに征くには、険しい道であろうよ」
憐れみを含んで、人形師のつぶやきが部屋に広がる。涙を拭い、セシリアは冷淡に答えた。
「あなたに憐れまれる理由はない」
ランプの灯りに浮かび上がるセシリアの影が揺れる。人形師は不快そうに鼻を鳴らした。
地下牢から上に戻って来たセシリアを出迎えたのはどこか戸惑ったような空気だった。日は沈み、藍色の空にわずかな痕跡を残すのみだ。衛士隊員が見守る中、イャートと向かい合っているのはどこか印象の薄い、のっぺりとした顔の商人だった。
「人形師を商人ギルドに引き渡せと?」
イャートの、不信感も顕わな視線にも商人は動じる様子はない。むしろ尊大な態度で商人は答えた。
「襲撃を受けた場所にいつまでも標的を置いておく意味はないでしょう? それではまるで狙ってくださいと言わんばかりだ」
「商人ギルドに人形師を守るだけの武力はない」
イャートもまた商人の要求に応えるつもりはないらしく、互いの視線が冷たく火花を散らしている。商人はその顔に嘲笑を浮かべた。
「衛士隊なら守りきれるのですか? 先日の襲撃の際はずいぶん危うかったようですが」
商人の侮りの目が周囲を見渡す。かろうじて応急処置がされた詰所の建物、どこかしらに手当の跡のある隊員たち、そして立って戦えないほどの傷を負ったイャートの姿。その目は、お前たちに人形師が守れるはずもない、と無言のうちに伝えている。イャートがわずかに目を細めた。
「商人ギルドにはあなたたちの与り知らぬ力があるのですよ。兵も施設も物資も、衛士隊とは比ぶべくもない力がね。失敗が目に見えているあなたたちにお任せするよりも我々が直接守ったほうがよい。合理的に行きましょう。面子にこだわるのは時間の無駄だ」
商人は懐に手を入れると、一枚の羊皮紙を取り出した。突き付けられたそれに目を通したイャートが驚きを顔に示した。そこには評議会議長ルゼの名で人形師を引き渡すよう命じた旨が書かれており、直筆の署名がある。商人は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「議長直々の命令を拒否されますか? これはなかなかの大問題になりますね」
ククク、と意地の悪そうに商人は声を抑えて笑う。イャートは手を差し出して言った。
「改めさせてもらってもいいかな?」
「もちろん」
無駄なことを、と言いたげな様子で商人はイャートに命令書を手渡す。命令書を手に取り、端から端まで舐めるように確認して、イャートはふっと笑った。
「いや、申し訳ない。確かにこれは正式な命令書で間違いない。議長の命令を我々が拒否するなどできるはずもありません。即刻人形師を引き渡しましょう。少しだけお待ちいただけますか?」
周囲の衛士隊員からざわめきが上がる。イャートは振り返り、衛士隊員の一人に目で指示を送った。指示を受けて隊員が地下牢に向かう。人形師を連れてくる、ということなのだろう。周囲の隊員たちは一様に不満を顔に浮かべた。イャートはそれに気付かぬように、にこやかに商人に命令書を返して席を勧める。商人は上機嫌で椅子に座った。イャートも向かい合わせに椅子に座る。隊員たちに白けた空気が広がった。
「それにしても」
世間話のように和やかに、イャートが商人に話しかける。
「どうして今頃になって人形師に興味を? 商人ギルドにとって人形師がコストを割いて守る価値があると、方針を変えた理由がおありですか?」
商人はやや気分を害したように表情を歪めた。
「そのようなことを話す必要はない。詮索は無用に願いましょう」
「まあそう言わずに。こちらも襲撃を一度退けているんだ。結構な怪我人も出している。それを理由も分からず引き渡せじゃ、なかなか、ねぇ?」
イャートの柔和な笑みの奥にあるものを感じ取ったのか、商人がわずかにたじろぐ。取り繕うように咳払いをして、「まあいいだろう」と言い訳めいたつぶやきの後、商人は横柄に口を開いた。
「我々は人形師の持つゴーレム技術に多大な興味を持っている。その技術はケテルに多くの利益をもたらすと考えているのだ。この男をここで失うのは惜しい、ということだ」
なるほど、とイャートは相づちを打つ。納得したと思ったのだろう、商人は大きくうなずいた。穏やかな笑みを浮かべたままのイャートの鳶色の目が光を帯びる。
「しかし、人形師のゴーレム技術が目的ならなぜ今まで人形師を衛士隊に預けていたのですか?」
「それは無論、衛士隊の顔を立てての事だ。犯罪捜査の最中に被疑者を商人ギルドが引き取れば、そちらとしても不快だろう?」
「ご配慮いただいたと」
「その通りだ」
イャートの言葉に商人は淀みなく、むしろ食い気味に答える。それはありがとうございます、と頭を下げ、イャートはさらに言葉を続けた。
「しかし人形師を衛士隊に預けていれば、やがて起訴され裁判になる。裁判で下される判決は間違いなく死刑だ。技術が目的ならそれはずいぶん都合が悪いのでは?」
「もちろん、起訴される前にはこちらに引き取るつもりだった。裁判が始まってはいろいろ面倒だからな」
なるほどなるほど、とイャートは大きくうなずいてみせる。商人はふんっと鼻を鳴らした。その顔にわずかな安堵が浮かぶ。しかしその顔はイャートが口を開いたことで引きつった。
「それは、議長の判断で?」
「当然だ! すべては議長の判断だ!」
商人はこれ以上構っていられないとばかりに声を荒らげて怒鳴った。議長の判断に口を挟むな。おとなしく従え。権威によって口を封じたい意図が滲む。大声に顔をしかめながら、イャートは商人の目を覗き込んだ。
「まるで自由派のようなやり方だ。良識派の議長の言葉とは信じられない」
議長ルゼは商人ギルド内にある『良識派』と呼ばれる派閥の長であり、比較的法を尊重する立場にいて、商売の邪魔になるなら法など無視して良い、という『自由派』とは対立している。商人の男の目がわずかに泳いだ。動揺を隠すように商人は侮蔑を顔に浮かべる。
「ふん。議長も商人であることに変わりはない。利益のために法を歪めるのは良識派も同じだ。違うのは線引きの位置だけなのだよ。それが証拠に、ガトリン一家の件では議長の裁定で関係者が咎めを受けなかったではないか」
確かに、と同意してイャートは破顔する。商人も釣られて笑った。商人の言う通り、ルゼは完全に法を順守するわけではなく、必要と感じれば法を踏み越えることもためらわない。必要、という基準が違うだけ、という商人の主張は言い掛かりとは言えない。
はっはっは、とわざとらしい笑い声が響く。そしてイャートは表情を消した。
「で、どうしてお前がそれを知っている?」
問いの意味が分からなかったのだろう、商人が怪訝そうに眉を寄せた。イャートは鋭く商人をにらみ据える。
「確かにガトリン一家の関係者は一律に助命されたが、それが議長裁定だとなぜお前が知っている? 裁定は『存在しない部屋』で行われた。『存在しない部屋』で行われたすべては決して外部に漏らさないのが慣例だ。あの場にいなかったお前が、なぜ議長裁定で助命が為されたことを知っている?」
イャートの視線に怯み、商人は一瞬言葉に詰まる。しかしすぐに怒りを表し、顔を赤くして怒鳴った。
「そのようなことはどうでもよい! 議長の意志はこの命令書に示されている! お前は議長に逆らうのか? 議長の後ろ盾を失って、衛士隊が存続できると思っているのか!」
商人は立ち上がり、命令書をイャートに突き付ける。イャートがバカにしたように口の端を上げた。
「偽造した命令書に議長の意志なんてあるわけないでしょ?」
「に、偽物だと!? いったいどこにそんな証拠がある! あるなら見せてみろ!」
唾を飛ばして商人は叫ぶ。イャートは肩をすくめた。
「署名が違う。議長の筆跡じゃない」
「言いがかりだ! お前は議長の筆跡を判断できるほど日常的に議長の署名を見ているわけではないだろう!」
商人のどこかわざとらしい怒りと、イャートの冷たい無表情が交錯する。後ろに控えて様子を見ていたセシリアが、前に進み出て言った。
「それでは、私が鑑定しましょう」
ギョッとした表情で商人はセシリアを振り向いた。しかしセシリアが若い娘であることを侮ったのか、不快そうに鼻を鳴らしてにらみつける。
「お前に鑑定などできるはずもない。お前は議長の筆跡など知らんだろう!」
ええ、とセシリアは商人の言葉を肯定する。
「しかし、その署名を誰が書いたのかを調べることはできます。私の魔法で」
そう言うと、セシリアは小さく呪文をつぶやき始めた。セシリアの手に光が集まり、それに呼応するように命令書が光り始める。
「い、いくら魔法でも、そんなことができるはずが――」
商人の顔が徐々に焦りの色を帯びる。光は強くなり、やがて羊皮紙全体から放たれていた光が議長の署名部分に集まる。光を宿した署名のインクはまるで生き物のようにうごめき、徐々にその形を変え始めた。
「しばらくすれば、署名はそれを書いた者の名前に変わる。それまで少しお待ちください」
商人は手に持つ羊皮紙を両手で持って凝視する。署名は字の部品、つまり縦線横線、円弧といった文字の構成要素に分解されていく。いったん分解され、再度寄り集まって別の名前になるということだろうか。署名の動きを見ていた商人が、ついに耐え切れなくなったように自ら羊皮紙を引き裂いた。羊皮紙から光が消え、引き裂かれた残骸が床に散らばる。
「語るに落ちたねぇ。自分から偽物だと証明しちゃった」
商人はうつむき、深くため息を吐く。イャートは立ち上がり、商人に手を伸ばした。
「知っていることを全部吐いてもらおうか。素直に吐けば悪いようにはしない」
「しょうがねぇなぁ」
商人の口調の変化に不吉なものを感じたのか、イャートの手が一瞬止まる。商人は素早く懐から何かを取り出して掲げた。それは、法玉――魔法を込めた透明な玉だ。
「全員、死んでもらうか」
法玉がまばゆい光を放つ。商人は手のそれを放り、身を翻した。
「いけない!」
セシリアの叫びと、法玉が巻き起こす凄まじい爆発が、重なった。
えー、今回の実況は、シリアスな雰囲気にボケもツッコミもできなかった俺二号がお送りしました。




