奪還
舗装もされていない狭い林道をすさまじい速度で、トラック達はまだ真新しいわだちを追っていた。空は深い藍色に染まり、もうすぐ訪れる夜明けを予言している。その夜明けが温かなものになるか、あるいは冷たく凍えてしまうのか、それはおそらく今からの一時間にかかっている。追いつけるかどうか。追いつけなければ、それはケテルの終わりの始まりになる。
トラックの助手席で、ルルが祈るように手を組んで前方を凝視してる。悪路に跳ね上がる車体を必死に抑えながら、トラックのスピードは百キロを超えていた。木々からせり出す枝が車体をかすめ、サイドミラーが吹き飛んで後方に消える。ヘッドライトのハイビームが浮かび上がらせる視界には、未だ何者の姿もない。森に棲む獣が慌てて逃げ去る気配だけが伝わってくる。
もうすぐ森を出て、林道は街道に繋がる。街道に出ればケテルの領界は目の前だ。獣人たちの運び屋はまともな方法で関所を越えたりはしないだろうが、ケテルの冒険者であるトラックはどんな理由であれ、正式な手続きなしに関所を越えることはできない。そして手続きをして入国したところで、運び屋はもう姿をくらましているだろう。つまりは関所までの間に運び屋を捕まえられなければ万事休すだ。トラックはさらにスピードを上げた。ルルが唇を噛む。
不意に視界が開ける。トラックがバウンドし、大きく縦に揺れた。ついに森を出てしまった。レンガで舗装された街道を、夜明け前の深い闇を切り裂いてヘッドライトが照らす。ルルが大きく目を見開き、身を乗り出して叫んだ。
「いたぞっ!」
二頭の馬に曳かれた荷馬車の姿が闇の中にはっきりと浮かび上がる。荷馬車には覆いが被せられていて中の様子は分からないが、おそらくあの中に連れ去れた獣人たちがいるのだろう。背後からの強い光に、御者は何事かと荷馬車を止めた。トラックは一気に荷馬車を抜き去ると、ギャリギャリと音を立てて旋回し、荷馬車の進路をふさぐ。突然現れたトラックに驚いた馬が大きくいなないて後ろ脚で立ち上がり、輓具を前足で器用に外してトラックと対峙した。ルルが助手席のドアを開けて転がるように飛び出し、御者と馬たちを睨みつける。御者が「ひっ」と悲鳴を上げ、一目散に逃げだした。
「てめぇら、なにモンだ?」
馬の片割れがそう言いながらごそごそと着ぐるみを脱ぐ。もう片方も無言で着ぐるみを脱いでいる。意外に几帳面に着ぐるみを畳んで、二人は何事もなかったように、馬車に括り付けてあった武器を手に取った。一人は青龍刀のような片刃の大剣を鞘から抜き放ち、トラック達を値踏みするように見据える。身長は二メートルくらいある大男だ。そして小太り。そして半裸。そして禿頭。世紀末救世主伝説的ヒャッハー感である。さらにはもう一人も顔といい体格といいヒャッハー感といい、相方とそっくりだ。双子なのだろうか。こっちは鉄の輪で補強された巨大な棍棒を威嚇するように振り回している。ブンっ、と空気を打つ音がした。
……っていうかなんで馬の着ぐるみ着て荷馬車を引っ張ってた? 馬が調達できなかったの? そして御者は何のためにいたの? 俺の無数の疑問に答えることなく、こん棒を持った方がトラック達を見下すように言った。
「オレたちをナカヨシ兄弟と知って邪魔をするのか?」
いや、知らんがな、お前らの兄弟仲なんて。ルルが怒りに燃える瞳で兄弟に告げる。
「お前たちのことなど知るか!」
「な、なんだと!?」
ナカヨシ兄弟が驚愕に目を見開き、一歩後ずさった。なんでショック受けてんだよ! こっちがお前らのことを知っていると、当然のように思ってたの? ナカヨシ兄弟は悔しそうにうつむくと、すぐに顔を上げて怒鳴った。
「ならば今、恐怖と共に魂に刻め! 我が名はナカロノフ! そしてこっちは我が弟、ヨシネン! 人は我らを、畏怖と尊敬と青春の甘酸っぱさを込めてこう呼ぶ!」
兄と弟は互いに顔を見合わせて力強く頷くと、シャキーンとポーズを決めて叫んだ。
「ナカヨシ兄弟と!」
ああ、卓球とかバドミントンとかで、ダブルスのペアの愛称を付ける時に二人の名字の最初の二文字を取ってくっつける、みたいなのがあるけど、こいつらもそういう名付けなんだな。いや、まあ極めてどうでもいいんだけども。おっさんたちの愛称の命名規則なんて興味無いんだけども。
「黙れ! 仲間を返してもらうぞ!」
ルルが腰を落として半身に構える。金の瞳が冷たく光り、両手の爪が鋭く伸びた。ナカヨシ兄弟は「黙れ」と言われたことに更なるショックを受けたらしく、口をあんぐりと開けてルルを凝視していた。だからなんでショックを受けてんだ。もしかして鉄板ネタだったの? でもたぶんそれ、ウケるの身内だけだよ。
いまいち締まらない空気の中、ルルがナカヨシ兄弟の兄に狙いを定め、地面を強く蹴って踊りかか――ろうとして、強い力に阻まれるように動きを止めた。トラックが念動力を発動したのだ。トラックはそのまま、猫の後ろ首を掴んで持ち上げるようにルルを空中に浮かべる。思いもよらぬ横やりに、ルルはトラックを怒鳴った。
「邪魔するな! 離せっ!!」
しかしトラックはルルの怒りを意に介さず、荷台の右側を翼のように跳ね上げ、ルルを中に放り込んでバタンと閉めた。あ、これね、ウィングボディって言ってね、荷台の側面が開くんだ。両側を開くと鳥が翼を広げてるみたいだからウィングボディ。ね、なんかいいでしょ? かっこいいでしょ? ルルは荷台を内側から叩きながら何か言っているが、何と言っているかは分からない。ナカヨシ兄弟が感心したようにトラックを見てニヤリと笑った。
「ケガした女子を戦わせるわけにはいかんと、そういうことか? だとしたら、なかなかだ」
「だが、俺たち兄弟にたった一人で勝てるかな?」
そう言いながら、ナカヨシ兄弟は荷馬車から離れた。戦いに荷馬車を巻き込まないためだろう。トラックもバックして切り返し、ナカヨシ兄弟と正面で向かい合う。ナカヨシ兄弟はニッと笑って武器を構えた。
「なかなかのプレッシャー。図体だけのでくの坊ではなさそうだな」
「だがしかし! 我ら兄弟が揃えばその力は個人の時の五倍、いやさ十倍! 血を分けた兄弟ならではの究極のコンビネーションに勝てるものなどおらぬわ! いくぞ!」
ナカヨシ兄弟は巨体を揺らし、トラックに正面から挑む。トラックは一気にアクセルを踏み込むと、急加速してナカヨシ兄弟に突っ込んだ! しかし!
「甘いわ!」
ナカヨシ兄弟はトラックの目の前で素早く左右に分かれ、突撃をかわした! な、なんとっ! 鏡餅体型のくせに! こいつら、動けるタイプの鏡餅だ! トラックが慌てたようにブレーキをかけ、キキィーという耳障りな音と共に街道にブレーキ痕が刻まれる。ナカヨシ兄弟はトラックの背後で武器を振り上げた! ま、まずい! トラックがやられる!?
「背中がガラ空きだ!」
「喰らえ! 我ら兄弟の絆の力! 今、必殺の――」
と思ったらバックで轢いたーーーっ!
そのままバックして轢いたーーーっ!!
必殺技を繰り出すことも叶わず、セリフも途中で遮られ、ナカヨシ兄弟が宙を舞う。お約束のように「ぐへぇ」と声を上げて。うむ。またぐへぇ仲間が増えてしまったな。へらへらとナカヨシ兄弟にまとわりついていた手加減の文字が、地面に落下した二人の下敷きになってペタンコに潰れた。まあこれで一件落着かな。後は荷馬車の獣人たちを助ければ……
「甘い、と言ったはずだぞ!」
「この程度、我ら兄弟にとってはそよかぜに等しい!」
油断していた俺の耳に、ナカヨシ兄弟の元気な声が聞こえた。え? トラックに突撃されてノーダメージ!? いくら手加減してるからってそりゃ無理でしょうよ? 驚く俺の前にスゥっと半透明の枠が浮かび上がる。ん? これって、スキルの説明のやつ?
『スキル発動!
パッシヴスキル(ユニーク) 【脂肪装甲】
効果:打撃系のダメージを半減する』
こ、これはもしかして、ナカヨシ兄弟がスキルを発動したということか? いや、まあそうだよね。敵だってスキル持ってておかしくないよね。当たり前なんだけど、ちょっとびっくりしたわー。敵がスキル使うの初めて見たからさ。そっかそっか。スキルは誰でも、当たり前に使えるんだな、この世界は。
ナカヨシ兄弟は身軽に起き上がると、自慢げな笑みを浮かべ、武器をトラックに突き付けた。
「なめたマネを。いったい何のつもりだ!」
「手加減などされずとも、貴様の攻撃など――」
台詞の終わりを待たずに轢いたーーーっ!
さらにバックして轢いたーーーっ!!
吹き飛ばされるナカヨシ兄弟。踊る手加減。発動する脂肪装甲。起き上がる二人。
「おい! ちょっと人の話を――」
轢いたーーーっ!
問答無用で轢いたーーーっ!!
「いや、だから――」
轢いたーーーっ!
起き上がると同時に轢いたーーーっ!!
「待っ――」
轢いたーーーっ!
もう起き上がる前に轢いたーーーっ!!
これさ、ずっとトラックはバックで突撃してるんだけどさ、人間で言ったらずっとヒップアタックをし続けてるってことなのかな? 手加減と脂肪装甲のおかげでダメージはゼロなんだろうけど、これ結構な屈辱じゃないだろうか? はっ? まさか、敵の心を折るための作戦、なのか?
ばいーんと跳ね飛ばされ、起き上がることを繰り返すこと、都合七回。ついにナカヨシ兄弟は、もういい加減疲れたってことなんだろうけども、
「わかった! もうわかった!」
「この辺で勘弁してください!」
地面に正座してトラックに頭を下げた。トラックは旋回して二人を正面に見据えると、プァンとクラクションを鳴らす。ナカヨシ兄弟は顔を上げ、真剣な表情で言った。
「あんたにゃ敵わんってことがよく分かった」
「嘘なんぞつかん。信じてくれ」
古代中国の偉大な軍師は、南蛮の王を七度捕え、七度解放したという。南蛮の王は七度目に解放されたときに完敗を認め、軍師に心服して臣従した。世にこれを七縦七擒という。……うん。ごめん。あんまり関係なかった。うまいこと言おうとして失敗した。忘れて。
トラックはしばらく無反応だったが、やがてプァンと短くクラクションを鳴らした。ナカヨシ兄弟の顔が少し安心したように緩む。
トラックはゆっくりと荷台の右側面を開いた。もうすぐ地の果てに沈む月の光がアルミバンの中に射し込む。ルルは荷台の中で、青い顔をして座り込んでいた。酔ってるっぽいな。まあ、急発進と急停止を繰り返すトラックの荷台にいれば、酔ってやむなし。ルルは這うように荷台から外に出た。青い顔でフラフラと立ち上がり、こめかみに手を当てて首を振る。何度か深呼吸を繰り返し、ようやく落ち着いたのだろう。顔を上げ、ナカヨシ兄弟をキッと睨みつけた。ナカヨシ兄弟の顔に緊張が走る。ルルが鋭い爪を伸ばす。その瞳を、強い殺意の光がかすめた。
――プァン!
ルルを制止するように、トラックが大きく鋭いクラクションを鳴らした。ルルが憎しみの顔をトラックに向ける。
「邪魔を――」
――プァン
ルルの言葉をさえぎり、トラックは再度クラクションを鳴らした。今度は少し抑え気味に、諭すように。ルルは悔しそうにうつむき、唇を噛んだ。
「……言われなくても、分かっている!」
ルルはそう言うとナカヨシ兄弟に背を向け、荷馬車へと走っていった。ナカヨシ兄弟は両の拳を地面につけ、再びトラックに頭を下げた。
「すまん」
トラックは兄弟にやや小さめのクラクションを鳴らした。兄弟は頭を下げたままトラックに応える。
「……今は、恩情に甘えよう。しかし我ら兄弟、忘恩の徒とそしられるは耐えられぬ」
「この恩、いつか必ずお返しする。その時は我らを手足とお使いあれ」
なんか急に発言がかっこいい感じですけど。一本筋の通った侠客みたいな感じになってますけど。そういうのはなんかこう、もっと渋いサムライ系キャラでお願いできませんか? 見た目世紀末的ヒャッハーキャラじゃ似合わないっていうか。この先、トラックがピンチに陥った時にだよ、「今こそ恩を返す時!」とか言ってさっそうと現れたのがこいつらだと、ちょっとガッカリじゃない? 「あ、うん、お前らか」ってなっちゃうじゃない? だってこいつら最初、馬の着ぐるみ着てたからね?
ナカヨシ兄弟はもう一度深く頭を下げると、シュバッと素早い動きで去って行った。やはり身軽。身軽なヒャッハー。トラックは兄弟の後ろ姿を見送ると、ルルを追って荷馬車の場所まで移動した。七回もバックで突撃したから、意外と荷馬車から離れてしまっているのだ。トラックのヘッドライトが荷馬車を照らす。荷馬車の脇で、ルルが呆然と立ち尽くしていた。どうしたんだろう。何かあったのだろうか?
荷馬車の覆いはすでに取り払われ、荷馬車の中が見える。荷馬車の中には折り重なるように七人の獣人が横たわっていた。縄で縛られているわけでも、鎖に繋がれているわけでもない。しかし獣人の誰一人として、自力で荷馬車から起き出しては来ない。ルルの顔が徐々に紅潮し、荷馬車の中の、ひときわ体格の良い、若い男の獣人の襟首をつかむと、無理やりに引っ張り上げて怒鳴った。
「若長が、いったい何をやっているんにゃっ!」
ルルの怒りは、もしかしたらナカヨシ兄弟に向けたものより大きいかもしれない。まあ、それも仕方がないような気がする。何せ、荷馬車の中には、一面に――
「しゅ、しゅまにゅ……ほんのうには、かてにゃかった……」
またたびが敷き詰められていた。
……
しょうもなっ! そんなトラップに引っかかったの!? 村全体が!? 獣人たちはみな、ぽぇーっと幸せそうな顔をしている。ルルは怒りに任せて若長を荷馬車の外に放り投げると、他の獣人たちも次々に投げ飛ばしていった。
空が、わずかに白み始めていた。
ま、まあ、とりあえずみんな無事ってことで、良かった、のか、な?
そしてすべての獣人を投げ飛ばし終えると、ルルは自ら荷馬車にダイブし、ふにゃーんとなったのでした。




