葛藤
夕暮れの街並みをセシリアは衛士隊詰所に向かって歩いていた。えー、実況は変わりましてワタクシ、俺二号がお送りしております。私の声は届いておりますでしょうか? 放送席、放送席?
しかしまあ、意外だったのはセシリアが特に嫌がるふうもなくこちらに来たってことなんだよね。衛士隊詰所に行くってことは、つまり人形師を守るために行くってことで、今までさんざん人形師を嫌っていたセシリアがこちらを選んだのは変な話ではある。てっきりこちらは剣士に任せて、ギルドにいるガトリン一家のボスの護衛に向かうのかと思っていたんだけど。自分からこっちに行くと言ったのはどんな心境の変化なのだろう。単純に衛士隊の戦闘能力を不安視して、癒しの力が必要になると考えたからというだけなのかもしれないが。
日暮れが近付いているからだろう、道行く人々は徐々に少なくなっており、セシリアは帰宅する人たちに逆行する形で歩みを進めている。やがて目の前に、昨夜の襲撃の痕も痛々しい詰所の建物が見えた。最低限の補修は終えているが、昨日の今日では惨状は覆うべくもない、といったところか。幾人かの衛士が詰所の周囲を警戒しており、建物の中にいる気配も増えている気がする。再襲撃への備え、ということなのだろう。
「あ、セシリアさん!」
見張りの若い衛士がセシリアに気付いて声を掛けてきた。どこかしら浮ついた声になっているのは若さゆえだろうか。昨夜に多くの衛士を死の縁から救った美少女に対して衛士隊の反応は好意的だ。微笑みを返して「お邪魔しても?」と尋ねるセシリアを、若い衛士は「どうぞどうぞ」と迎え入れた。
詰所の中では衛士たちがピリピリした雰囲気で待機し、あるいは武器の手入れをし、あるいは配置やシフトを確認している。いつ、どういった形で再襲撃が来るのか、あるいは来ないのか、『わからない』という不安が皆を苛立たせているようだ。衛士に交じって何人かの冒険者の姿も見える。剣士がギルドに依頼した応援だろう。襲撃される、という事態に衛士隊よりは慣れている冒険者たちは比較的落ち着いており、衛士たちの動揺を多少なり和らげることに貢献していた。
イャートは椅子に座って忙しく指示を出している。顔色はあまりよくなっていないが、寝ているわけにもいかないのだろう。本来ならば副長であるリェフがイャートの代役となるはずで、彼がいないことはじわじわと衛士隊の運営に影響を与えている。
「セシリア?」
入って来たセシリアの姿に目を留め、イャートが意外そうに声を上げた。軽く会釈を返し、セシリアはイャートに近付く。
「どうしてここに?」
イャートの声音には戸惑いと共に若干の安堵があった。再襲撃に備える衛士隊にとって癒し手の存在は心強いものだろう。セシリアはその問いに答えず、イャートの耳元に顔を寄せると、声を潜めた。
「……通り魔事件の被害者が姿を消していることをご存知ですか?」
イャートの表情が鋭いものに変わる。
「奥で、話そうか」
詰所の奥、隊長室を示し、やや辛そうにイャートは席を立った。
「すでに気付いていらしたのですね?」
部屋に入るなり、セシリアはイャートにそう言った。椅子に腰かけたイャートは自嘲気味に笑う。
「知ったのはつい最近さ。情けない話だけどね」
通り魔事件の被害者は大半が現役の商人ギルドメンバーであり、事件後は商人ギルドの保護下に置かれている、と聞かされていた。衛士隊は事件の直後に被害者からの聞き取りを行っているが、その後は被害者との連絡を取ってはいなかったらしい。被害者は道を歩いているときに突然、背後または横方向から襲われており、明確な犯人像をほとんど証言できなかった。そんな相手に何度も事情聴取しても収穫はなく、また商人ギルドの保護下にある被害者への接見は商人ギルドの許可が必要になる、という手続き上の煩雑さも手伝って、衛士隊は被害者の状況を追跡していなかった。
「リェフの事で動揺していた。頭が回っていなかったんだろうね。衛士隊長としては無能の極みだな」
大きくため息を吐き、イャートは表情を改める。
「商人ギルドの保護下にあるはずの被害者が姿を消したなら、それはつまり商人ギルド内に敵の内通者がいるということだ。それも、かなりの影響力を持った、幹部クラスである可能性が高い」
これも身内の恥をさらすような話なんだけど、と断りを入れ、イャートは首を横に振る。
「……衛士隊自体も、評議会の後ろ盾がなければ成り立たない脆弱な組織でね。評議会議員が商人ギルドのメンバーから選出される以上、商人ギルドの政治的な影響を衛士隊も少なからず受けているんだ。ギルドの派閥の息が掛かっていない衛士隊員は少数派なんだよ」
イャート自身も評議会議長ルゼの影響下にあり、ルゼの意向を無視できないでいる。イャートは決して従順な犬ではないが、口出しを受ければ配慮せざるを得ないし、衛士隊の活動が歪められているのも事実だろう。だからといって衛士隊など不要、ということはなく、ままならない現実を公平公正な法による秩序の構築という理想に少しでも近づけるために、イャートはずいぶんと難しい舵取りを強いられているのかもしれない。
「衛士隊の中にも敵に繋がる者がいる。もう僕たちはそれを前提に動かなければいけなくなっている。無様なことだよ」
手が足りなくて困っちゃうよねぇ、とイャートは愚痴をこぼした。しかしその鳶色の瞳はまだ見ぬ裏切り者を厳しく見つめている。必ずあぶりだして処断する、という強い意志の光のようなものが感じられた。
イャートの言葉に、つまりイャートが身内に裏切り者が潜んでいることを認識していることに満足したのか、セシリアは小さくうなずいてイャートに告げた。
「私の知人が姿を消しました。人形師を狙った者たちがそれに関わっていると、私たちは考えています。人形師の護衛に私を加えていただけませんか? 襲撃犯を捕らえ、手掛かりを得たいのです」
イャートが鋭くセシリアを射抜く。
「その知人とは誰だ? なぜ狙われた?」
セシリアはイャートの疑い
何でだよ! 何でドラムカンガーがエルフの里に伝説として語り継がれてんだよ!
はっ! しまった、俺一号に釣られて全然関係ないツッコミを入れてしまった! 集中しろ、俺は今、分裂しているんだ。あっちのツッコミとこっちのツッコミは分けて考えねば。いや、これホントしんどいわ。気を抜くと他の視点に引きずられる。深呼吸して、仕切り直しね。失礼しました。
セシリアはイャートの疑いの視線を堂々と受け止める。
「私の知人が誰であるのかは問題ではありません。襲撃者を捕らえれば真実は全て明らかになりましょう」
「答えるつもりはない、ということだね?」
イャートが目を細める。不穏な気配が部屋に広がった。エバラ家が失踪したことをイャートに言えば灰マント四兄弟がエバラ家に身を寄せていることがバレる。リェフは見逃してくれたけど、イャートが同じ態度を取ってくれるとは思えない、とセシリアは考えたのだろう。確認のようなイャートの質問にも答えず、セシリアは挑発的に言った。
「私は役に立つと思いますが?」
両者の冷たい視線が交錯し、緊張感が一気に高まる。凍り付きそうな雰囲気の中でわずかな時間が過ぎ、イャートは軽く手を上げて降参の意を示した。
「……分かった。君の実力は昨日見せてもらったし、敵と通じている可能性も低いだろうからね。それに、正直言って申し出を拒めるほどの余裕は僕たちにはない」
やれやれ、と大げさなため息を吐いてイャートは笑った。昨夜セシリアが見せた癒しの力は衛士隊員に強い安心感を与えるだろう。セシリアの知人の正体を探るよりも、衛士隊員の精神的な動揺を抑えることのほうが利益があると、イャートはそう判断したのだ。「ありがとうございます」と頭を下げ、セシリアは少しだけ表情を緩めた。
「人形師に会わせていただけますか? 少し話をしたいのですが」
うなずきを返し、イャートは懐から鍵束を取り出すと、その内のひとつをセシリアに放り投げた。放物線を描いた鍵を手のひらで受け取り、再び礼を言って、セシリアは部屋を辞し地下牢へと向かった。
人形師のいる地下のフロアはジメジメと湿気が多く、なんだか息苦しさを覚える。セシリアは迷わず奥へと進み、一つの牢の前で止まった。牢の中には大きなベッドがあり、そこに人形師は横たわっていた。自力では寝返りも打てないその男はベッドの上で微動だにしない。セシリアは無言のまま牢のカギを開け、中へと足を踏み入れた。人形師が首だけを動かしてセシリアを見上げる。
「何の用だ、翡翠の魔女よ。いや――セフィロトの娘、と呼んだ方がよいか?」
セシリアは一瞬表情を動かし、すぐに無表情に戻った。どこか興味のなさそうに人形師は言葉を続ける。
「三年ほど前、クリフォトの地方都市カイツールで奇妙な噂が広がった。まだ子供と言っていい歳の冒険者がとある山村を救ったと」
かつて英雄によって封印されていた邪竜が目覚め、カイツールにほど近い山村が最初の生贄に選ばれた。邪竜はその口から毒の息を吐き、森を腐らせ、水を汚染し、人々に疫病を流行らせたという。しかし冒険者ギルドから派遣されていた一組の男女が邪竜を滅ぼし、森と水を浄化し、疫病を癒した。山村は何も失わずに事態は収束した。まるですべては夢であったと言うように。
「その冒険者はギルドに『魔物は飛竜であり、すでに討伐済みだ』と報告し、邪竜の復活は尾ひれの付いた噂だと笑われて終わった。しかし山村の住民たちは自分たちを救った子供に尊崇に近い感情を以て感謝を捧げ、『翡翠の瞳の聖女様』と呼んでいるそうだ。その事実が滑稽な噂に奇妙な迫真性を与え、人々に広がり、面白おかしくゆがめられ、やがてその子供は『翡翠の魔女』と呼ばれるようになった」
反応を探るように人形師はセシリアをじっと見つめている。対するセシリアは無表情を貫いていた。人形師が小さく鼻を鳴らす。
「お前がセフィロトの娘であったというなら合点がいく。邪竜の毒を無害化することも、邪竜そのものの存在を消すことも、セフィロトの娘には容易かろう」
翡翠の魔女はしばらくカイツールで活動していたが、その名の広がりを厭うようにやがて姿を消したのだという。セシリアは無言。人形師はセシリアから視線を外して天井を見つめた。
「クリフォトが私にセフィロトの娘を作らせようとした意味が分かった。『生命の樹』がこの地上に再び現れる時が、間近に迫っているのだな。我々は歴史の転換点にいる、ということだ」
言葉の字面とは裏腹に、人形師の声には感情が乗せられていない。セシリアもまた人形師の言葉には答えず、
「――私はあなたがミラにしたことを忘れてはいない。ドワーフたちにしたことを、忘れてはいない」
凍えるような声音で人形師を見下ろした。人形師はセシリアに視線を向ける。
「私を殺しに来たのか?」
言葉に誘われるように、セシリアの視線に殺気が滲んだ。禁忌に踏み込んだこの男を許してはならないという、ある種の義務感がその顔に浮かぶ。ぐっと奥歯を噛みしめ、セシリアは深く息を吐く。殺気が、和らいだ。
「……あなたは79号を救おうとした。あなたは、変わったのですか?」
くだらない、と言わんばかりに人形師は顔をゆがませる。
「お優しいことだ。だが人間は簡単には変わらぬ。私はゴーレムの研究以外に何の興味もない。命にも、道徳にもだ」
セシリアは激しい憎悪を乗せて人形師をにらみつけた。内心を見透かすように人形師は嘲笑を浮かべる。セシリアは目を閉じ、自分自身に言い聞かせるように言った。
「79号はあなたを助けた。その意志は、尊重されなければならない」
感情を、殺意を押し込めるようにセシリアは口を引き結ぶ。その姿はどこか、殺さない理由を探しているように見える。生かしてはおけない、殺したくない、その葛藤の妥協点がこの言い訳じみた言葉のような気がする。そして、これはただの推測なのだが、殺したくないというその理由はたぶん――トラックと同じ道を歩くため、なんじゃないだろうか。
人形師が嘲笑を収め、無表情にセシリアを見る。
「……これは、衷心からの警告だ」
ひどく抑えた声音に、今までにない真剣な雰囲気が宿る。セシリアは怪訝そうな表情を浮かべた。人形師はゆっくりと、諭すように言った。
「お前はケテルを離れるべきだ。独りで、今すぐに」
不吉な未来を告げる預言者のような人形師の言葉が、波紋のように室内に広がる。セシリアの顔から血の気が引き、その手がわずかに震えた。
「トラック無双からセシリアさんが退場したら、誰がヒロインになるんですか? シェスカさん?」
「うーん、イヌカかな?」




