無理をする
徐々に日が傾き始める西部街区をトラックは走る。えー、ただいまの実況はワタクシ、俺一号がお送りしております。俺二号がセシリアを追って衛士隊詰所に、俺三号はギルドに残って剣士の背後を浮遊していますよ。ああ、頭がくらくらするわぁ。右目と左目で全然別の風景を見ているのを想像してみて。何が何だかって感じしない? 俺、いまそんな感じ。気を抜くと平衡感覚もおかしくなりそう。
ほどなくトラックは西部街区の外れ、未開発地区に入る。この辺りは人家もまばらで、正直言って目撃証言は期待できないんだよね。まあ、だからエバラたちは格安で家を借りられたんだけど。この近所に住んでる人を捜して話を聞くしか――あ、そういえば、シェスカさんの家はこの辺りだったな。ちょっと話を聞いてみたら……っていうか、シェスカさんって詐欺事件の被害者だけど、まさか襲撃されたりしてないよね? トランジ商会絡みの事件ではあるけど、被害者を襲撃する意味はないよね? 大丈夫だよね?
――プァン
シェスカさんの家の前で停車し、トラックは呼びかけるようなクラクションを鳴らした。シェスカさんの家は少なくとも外見上は無事だ。争う間もなく誘拐されたとかなければ大丈夫だと思うが……
「トラックさん?」
玄関の扉が開き、驚いた顔のシェスカさんが現れる。助手席のミラがほっとしたような表情を浮かべた。リスギツネも嬉しそうに尻尾を振っている。トラックは再度クラクションを鳴らした。
「え、ええ。特に変わったことはないけれど……何かあったの?」
不安そうにシェスカさんは問い返した。まあ何事かって思うよね。心配させてごめんなさい。トラックは謝罪のクラクションの後、事情を説明するようなクラクションを鳴らした。
「エバラさんが? いえ、気付かなかったわ。ごめんなさい」
り、リアクション薄いな。トラックどういう説明をしたの? まあ馬鹿正直に「謎の組織に襲撃されまして」なんて言わないか。エバラさんたちの姿が見えなくて、くらいの説明に留めているのか。
シェスカさんは申し訳なさそうに頭を下げる。トラックが慌てたようにクラクションを返した。シェスカさんの家とエバラの家はそれほど近いわけではないから、黒装束たちがエバラ家を襲撃したとしても何かに気付くのは無理だろう。
「……トラックさん」
シェスカさんはどこか思いつめたようにうつむき、首から下げたペンダント――正確には銀鎖に通した二つの指輪――を握った。
「ずっと、考えているの。ハル君を犠牲にしてしまった、あの判断は間違いではなかったのかって、ずっと」
ミラが視線を落とし唇を噛む。トラックは無言で佇んでいた。シェスカさんは言葉を続ける。
「私はかつて自分の力を怖れ、封じた。けれど、力が無ければ守れないものがある。力があれば守れるものがある。私たちがあのとき本当にしなければならなかったのは、魔王という偏見と闘い、『あなたはここにいていいのだ』と言い続けることではなかったかって」
後悔を閉じ込めるようにシェスカさんは固く目を瞑った。理不尽に抗うことも、ハルの存在を肯定し続けることも、それ自体は特別な力を必要とするものではない。けれどシェスカさんが言いたいのは、言葉をハルに信じてもらうための裏付けの話なのだろう。ハルが怖れたのは、自分がここにいることでトラック達が不幸になってしまうことだ。トラック達は人々の魔王という偏見に負けてしまうかもしれない、そう思えばこそハルは姿を消したのだ。トラック達はハルに、『ハルと一緒にいても不幸にならない』という確信を与えられなかったのだ。シェスカさんはその原因を自らの力のなさに求めたのだろう。あらゆる理不尽に抗して立ち続ける力が、足りなかったのだと。
「私は、ただ臆病だったのかもしれない」
少しかすれた声でシェスカさんはそうつぶやいた。トラックは返すクラクションを持たない。ハルを守れなかったのはトラックも同じで、ハルの決意に気付かなかったのはトラックの取り返しのつかない過ちだ。トラックもまたハルの信頼を得る力がなかった。
「……ごめんなさいね、引き留めてしまって」
目尻を拭い、シェスカさんは柔らかく笑った。しかしその目は寂しげな光がある。夫の形見を強く握るシェスカさんにぎこちなくクラクションを鳴らし、トラックはその場を後にした。
沈鬱な雰囲気を引きずりながらトラックは再びエバラ家を訪れた。そろそろ日が傾きかけている。エバラ家は朝と変わらずボロボロの状態で、誰の気配もなかった。……実はちょっと逃げていただけで、もうみんな帰ってきている、っていうのを期待したんだけどなぁ。ダメだったなぁ。朝にミラが「私たちだけじゃ皆を助けられない」って言ってギルドに戻ったのに、結局トラックとミラだけで戻ってきてしまった。これからどうすりゃいいんだろ。
「……足跡が、変」
地面を見つめていたミラが、ふとそうつぶやいた。足跡が変って、どういうこと? トラックが疑問形のクラクションを鳴らす。ミラはトラックを振り向いた。
「ドラムカンガー7号の足跡が敷地の外にない。ドラムカンガー7号はどうやってここから移動したの?」
言われてみれば、確かにドラムカンガー7号の大きな足跡は敷地内に留まっており、外に出て行った形跡がない。黒装束に襲われて連れ去られたのであれば自力で歩いて移動しなかっただけかもしれないが、あの重量を台車などで運んだなら車輪の跡は残るだろう。まあ、この世界であれば何らかの、それこそジンゴの『うわばみ』のようなスキルで異空間に吸い込んだ、なんてこともあるかもしれないが、そもそも黒装束がドラムカンガー7号まで連れ去る理由も判然としない。
「飛んだ、のかもしれない」
ミラが空に視線を移した。飛んだ? って、ドラムカンガー7号が? トラックが戸惑い気味にクラクションを鳴らす。
「『その背に負いし二本のドラム缶、赤き炎を宿し、ドラムカンガーは天を翔ける』」
歌を口ずさむようにミラは韻律を付けてそう言った。
「……エルフの里の、古い古い言い伝えよ」
何でだよ! 何でドラムカンガーがエルフの里に伝説として語り継がれてんだよ! ミラはどこか懐かしそうな表情を浮かべる。くそう、俺の疑問に答えるつもりはないらしいな。
「ドラムカンガーは大人になると脱皮してより強い装甲とジェットを身に着けるの。でもドラムカンガー7号は成長が遅くて。性格も穏やかだったから、いつもドラムカンガーパパに怒られていた。『そんなことで敵に勝てるか!』『強くなれ、敵を倒せ!』って」
ごめん、ちょっと待って。ドラムカンガー脱皮すんの!? 成長が遅いって何!? 衝撃の事実が次々に明らかになって思考がついていかない。ドラムカンガーパパってどういう立ち位置のなんなわけ?
「戦いには向かない子なの。でも、誰かの苦しみを見過ごしたりは決してしなかった。エバラさんたちが襲われたのなら、もしかしたらドラムカンガー7号はみんなを乗せて、飛んだのかもしれない」
脱皮していないドラムカンガー7号に飛行能力はない。だが『守る』という意志が、『傷付けさせはしない』という強い想いが、ドラムカンガー7号の飛べぬ翼を羽ばたかせたのかもしれない。あり得ぬ奇跡を起こすのは、ただ強い願いだけ。それがこの世界のルールなのだ。
「少し、無理をするから、後のことはお願い」
ミラはそう言ってトラックに微笑んだ。プォンと戸惑ったクラクションを返したトラックには答えず、「必ずあなたを見つけるよ」とつぶやくと、ミラは意識を集中して呪文を唱え始める。リスギツネが心配そうにミラの足元に身を寄せた。
「火の瞳、風の声、大地の手触り、水の匂い。四元が集めし知の欠片は透明な光の言の葉となり、意図なき歴史を紡ぎゆく」
ミラの立つ地面に複雑な紋様が浮かび上がり、炎と風と砂と水が紋様から溢れ出す。それらは絡まり合いながらミラの周囲をグルグルと回る。リスギツネは怯えることもなくじっとミラを見上げている。
「万象を知る四界の王よ! 我が問いに答え給え! 無限の集積より拾い上げた言の葉を、我に示し給え!」
紋様から溢れた四元の力はやがて分離し、獣の姿となってミラを取り囲んだ。竜の姿の炎の王が、爬虫類特有の縦長の瞳でミラをにらむ。大鷹の姿の風の王が威嚇するように鳴き声を上げた。犀の姿の大地の王が地面を踏みしめる音が響く。大魚の姿の水の王が横たわって苦しげに尻尾でピチピチと地面を叩いている。
『誰に呼ばれたかと来てみれば、穢れし憐れな人形であったか』
炎の王が侮蔑をその顔に浮かべる。ミラの額にじっとりと汗が滲む。
『お前の魂の樹は捻じれ、歪み、腐り枯れて見る影もない』
風の王は嘲笑のように鳴き声を響かせる。圧倒的な精霊力に晒され、ミラは強く奥歯を噛んだ。リスギツネが怒りに毛を逆立たせ、風の王に牙を剥く。
『ハイエルフでもない、しかし意思なき人形となることもできぬ。何者にもなれぬお前が、我らを呼び立てて何を問おうというのだ? どのような答えを得たとて、お前の存在が価値を得ることはない。お前の存在が世界に価値を残すことはない』
大地の王が冷酷に宣告する。ミラの瞳がわずかに揺らぐ。王たちの物言いにトラックが強く憤りのクラクションを鳴らした。ミラは手でトラックを制する。トラックのクラクションが勇気となったのか、ミラの瞳の揺らぎはすぐに消えた。
「ハイエルフに戻れずとも、葛藤なき人形になることができずとも、私には心があり、私の心を知るひとたちがいる。私の価値を、王よ、あなた方に証明してもらう必要はない。ハイエルフではない、人形でもない。私は、ミラよ!」
挑むようにミラは王たちをにらみつけた。面白いものを見るように、炎、風、大地の三王がミラを見つめる。今まで黙っていた水の王が口を開いた。
『何でもいいから早くしろ! こちとらエラ呼吸なんだよ!』
三王はじっとりした目で水の王を見下ろした。しかし水の王はそれどころではないらしく、血走った目で三王をにらみ返す。ちょっとだけ地面を叩く尻尾の勢いが衰えていた。何だかいろいろ台無しになった雰囲気を咳払いでごまかし、炎の王はミラに言った。
『何を望む? 何者でもない、ミラとやら』
傲然とミラを見据える炎の王の視線を受け止め、ミラははっきりと望みを口にした。
「ドラムカンガー7号の居場所を教えて」
大きく口を歪め、大地の王が言う。
『ならば、お前が答えを得るに相応しき器であるかを――』
『わかった! おっちゃんがすぐ答えたる! だから帰っていいよね? 答えたら帰っていいよね!?』
大地の王の言葉を必死の様子の水の王が遮った。三王は非難の視線を水の王に送る。風の王が「いや、威厳っていうかさ」とつぶやいた。かまってられっかこっちは命の瀬戸際じゃい、と言わんばかりに水の王は目を剥いている。
『……ああ、うん、そうね。まあ、いいか』
炎の王は大きくため息を吐き、前足の爪をミラに向けた。爪の先から小さな火が生まれる。火は蛍のようにふわふわと漂い、ミラの前まで来ると、小さな輪を描いてその場を周回し始めた。
『その火の導きに従うがいい。望むものに辿り着けよう』
妙に疲れた声で、炎の王は威厳を取り繕うのを止めたのか、柔らかくミラに言った。ミラがほっとした表情を浮かべる。
「ありがとうございます、四元の王よ」
頭を下げたミラに、大地の王がやや気まずそうに言った。
『試練、とはいえ、汝を貶めるは本意ではなかった。謝罪しよう、ミラよ』
ミラが驚きを顔に表す。水の王がふんっと鼻を鳴らした。
『試練など最初から要らぬのよ。汝の存在自体が、試練に打ち勝ったことの証ゆえにな』
照れ隠しだろうか、自らの発言のリアクションを見ずに水の王は姿を消した。風の王が大きく羽ばたく。
『何者でもない、など、誰もが同じよ。誰もが変質を重ねて生を突き進むのだ。世には己が己であることを知る者と知らぬ者がおり、そして汝はそれを知る者だ』
頬を撫でる優しい風と共に風の王は天の彼方に飛び去った。大地の王が厳つい顔に笑みを浮かべる。
『汝の魂の樹は、捻じれても腐れてもおらぬぞ。ただハイエルフたちが求める形と異なるだけに過ぎぬ』
大地の王は沼に沈むように地に沈み込んで消えた。最後に残った炎の王がじっとミラを見つめる。しかしその目には先ほどまであった威圧的な雰囲気はない。
『己を見定めた汝に、我らの祝福を授けよう。四元の加護は常に汝の傍らにある』
炎の王の目にわずかな憐れみが宿った。
『セフィロトの力の欠片を、汝はその身に宿している。しかしそれは汝の未来の光とはなるまい。霊王銀さえセフィロトの力の器には足らぬゆえに。自覚し、御するのだ。我らの加護がその助けとなることを願っている』
炎の王の輪郭が揺らめき、やがて空気に溶けて消えた。辺りに満ちていた強い力の気配が消える。ミラの前には炎の王が残した蛍火がクルクル回りながら浮いている。ミラは大きく息を吐き、トラックを振り返った。
「この火がドラムカンガー7号のところまで連れて行ってくれる、から、あとは、お願い」
そう言って、ミラは意識を失って倒れた。トラックの【念動力】が慌ててミラの身体を支え、地面に激突するのを防ぐ。リスギツネの瞳が青く輝き、ミラの身体を同じ色の光で包んだ。トラックがオロオロしながらミラを助手席に乗せる。どこかに向かおうとアクセルを踏んだトラックを、
――クルル
リスギツネの鳴き声が制止した。トラックがブレーキを踏む。リスギツネはもう一度鳴き、蛍火とトラックを交互に見る。リスギツネはきっとこう言っているのだろう。「ミラの願いを叶えるべきだ」と。
トラックは葛藤するようにハザードを焚く。助手席のミラは目を閉じ、ピクリとも動かない。わずかな沈黙が過ぎ、トラックは意を決したようにクラクションを鳴らした。それを合図に、蛍火がゆっくりと移動を始める。リスギツネは助手席の窓からトラックに飛び乗り、トラックは蛍火を追った。
エルフの里には他にもドラムカンガーに関する言い伝えが多数存在します。
たとえば、脱皮したドラムカンガーの皮を財布に入れておくとお金に困らない、と言われているそうですよ。




