整理と分割
西部街区の外れ、未開発地区の端にあるエバラの家の前で、トラックは停車している。ミラはトラックから降り、厳しい表情でエバラ家を見つめていた。リスギツネが心配そうにクルルと鳴く。トラックがうめくようなクラクションを鳴らした。
家の扉は破壊され、窓は砕かれて破片が室内に散乱している。壁も一部、爆破されたように崩れ、そこから覗く室内の様子はひどく荒らされていた。エバラ家に隣接するドラムカンガー7号専用格納庫は完全に燃え落ちて無残な姿を晒している。周辺の地面には無数の靴跡が入り乱れ、激しく争った形跡があった。幾つか大きく深い足跡が見えるのはおそらくドラムカンガー7号のものだろう。そして、靴跡に紛れて分かりづらいが、地面には血痕があった。ここで戦いがあり、誰かが傷付いたのだ。そして――エバラ家の人々は一人残らず、姿を消していた。
「ギルドに戻ろう。私たちだけじゃ、皆を助けられない」
感情を押し殺し、ミラが言った。わずかに震える声が内心の動揺を伝える。プァンとクラクションを返し、トラックは助手席側のドアを開いた。リスギツネを抱え、ミラはトラックに乗り込む。焦燥を振り払うようにトラックは強くアクセルを踏んだ。
ギルドに戻ったトラック達を出迎えたのはセシリアと剣士だった。午前中ずっと寝て徹夜明けの疲労も回復したのだろう。なんていうか、そう、MPが全快したようなすっきりした顔をしている。二人はトラック達の様子にただならぬものを感じたのか、険しい表情を作って言った。
「なにがあった?」
トラックがプァンとクラクションを鳴らす。セシリアの顔が青ざめ、剣士は顔をしかめた。
「情報を整理しましょう。私たちが何を為すべきか、正しく見極めなければ」
ミラと剣士がうなずき、トラックが了承のクラクションを鳴らす。トラック達はギルドのロビーの丸机に移動すると、顔を突き合わせ、セシリアがやや抑えた声で口火を切った。
「そもそもの始まりは、トラックさんが引き受けた衛士隊長イャートからの依頼。通り魔事件の犯人として特定されて姿を消した衛士隊副長リェフの保護を頼まれたことでした」
イャートの話によれば、リェフは通り魔事件の現場付近で複数回目撃されており、それにより通り魔事件の犯人とされた。彼は通り魔事件の捜査について単独で動いており、事件当時のアリバイがない。イャートはある時期からリェフに監視を付けたが撒かれてしまい、事件への関与はあるともないとも言えなかった。通り魔事件の捜査が進展しないことに業を煮やした評議会はリェフを容疑者として拘束するよう衛士隊に命じ、まるでそれを察知したかのようにリェフは姿を消した。
――プァン
トラックがクラクションを鳴らす。セシリアは小さくうなずいた。
「ええ。姿を消す前日、リェフはトラックさんの前に現れ、予言めいた言葉を残した」
たとえ世界が壊れても、あんたは皆を守るでしょう?
リェフはそうトラックに告げた。世界が壊れても、ということの意味は分からないが、少なくともリェフは『世界が壊れ』るようなことが起こることを知っている、あるいは『世界を壊』そうとしている、と考えられる。
「リェフは父親の死の真相を追っていた」
ミラが静かに言った。セシリアがうなずく。リェフは十八年前に父親を亡くしており、その死に疑問を持っていた。彼の父、ゼオは、当時すでにマフィアによって支配されていた南東街区に通い、マフィア同士の抗争を終わらせるために尽力していた。しかし結局は抗争に巻き込まれ、凶弾に倒れた。
リェフは通り魔事件の合間に南東街区に赴き、十八年前に父親に何があったのかを調べていたようだ。そこでゼオを撃った犯人が『ユリウス・トランジ』という名のよそ者であったことを知る。ユリウス・トランジは抗争の最中、明らかにゼオを狙って呪銃を撃ち、そして姿を消した。ゼオは流れ弾に当たったわけではなく、明らかに命を奪う意志を持った男に殺されたのだ。
「そこまではおおむね裏が取れてる。で、こっからが推測だが――」
剣士が判明した事実から推測を語る。リェフは十八年前の事件の真相を追う過程で、あるいは通り魔事件を追う過程で、かもしれないが、通り魔事件と十八年前の事件に何か共通するものがあることに気付いたのではないか。そして、これはイャートも言っていたことだが、リェフは衛士隊の身分ではできないことを――父親の復讐を企てているのではないか。ゆえに彼は姿を消し、今もユリウス・トランジの命を奪う機会を虎視眈々と狙っているのではないか。
トラックがプァンとクラクションを挟む。セシリアは同意するようにうなずいた。
「復讐を企てているだけなら、リェフの行動には不可解な点が多い」
失踪前日にトラックに告げた予言めいた言葉は、親の仇を討とうという人間の発言にしては奇妙だ。ユリウス・トランジという人間が今、どこで何をしているのかは分からないが、一個人を殺害することを『世界が壊れる』とは表現しないだろう。
それに、トラック達の前に姿を現わし、ガトリン一家のボスの襲撃現場に誘導したこともあったが、あれも直接復讐に結び付く話ではない。いや、以前剣士が言った通り、リェフは襲撃側の人間で、偶然トラック達に姿を見られた可能性もなくはないが、彼がトラックたちの尾行に気付かないのは考えづらいし、襲撃犯の中にリェフらしき人間の姿はなかった、と思う。であれば、リェフはトラック達を誘導してボスの襲撃を阻止させた、と考えたいところだ。でもその動機が不明。単に襲撃を阻止したいだけなら普通にトラックに頼めばいいのに、それをしない、あるいはできない事情が分からない。
衛士隊詰所が襲われた件では、当日の朝に何者かが襲撃を知らせる伝言を寄越している。子供を使った伝言、ということだったが、そんなことをわざわざする人間はトラック達の知る限りリェフしか考えられない。全くの第三者からのタレコミというのも考えづらいし、子供を使ったという点でも、直接衛士隊に連絡できないリェフの立場と行動が合致している。リェフは衛士隊に追われる身になっているため、直接警告することができなかった、として矛盾はない。が、そもそもなんでリェフが襲撃計画を知っていたのか、という疑問は残る。リェフが襲撃計画を知る立場にあったとしたら、彼はトランジ商会の関係者である、というのが剣士の見立て、というか、当たってほしくない推測だ。
トラックがさらにプァンとクラクションを鳴らす。剣士が思案顔で言った。
「コルテス・リーガってのは、確かイーリィの見合いのときの関係者だったか?」
トランジ商会が仕立てたゴーストカンパニー、リーガ商会の会頭だったコルテス・リーガはイーリィと息子役の男との見合い話を進めたが、息子役が怖気づいて逃げ出したために代わりにホルスタインを用意して見合いに望み、計画は破たんした。その後商人ギルドの監視下に置かれて泳がされていたのだが、つい先日、何者かによって誘拐されたと評議会議長ルゼからトラックに連絡が来た。コルテスと共に移動するリェフの姿が目撃されており、評議会はコルテスの誘拐犯をリェフと断定している。ただし、このことについては衛士隊や冒険者ギルドには情報が通知されていない。トラックがリェフを助けようとしていることを知ったルゼの計らいにより、情報が止められているのだ。三日後の朝、評議会はその情報を各所に通達し、リェフを指名手配犯として公開する。リェフを助けるために残された時間は、おおよそ六十五時間ほどということになる。
「最後に、イヌカさんからの情報がトラックさんにあったのですよね」
セシリアがトラックに促し、トラックはプァンと答えた。ほんの数時間前にイヌカがもたらしたのは、いくつかの気になる事実。まずは通り魔事件の現場付近で目撃されたのはリェフだけではなく黒装束の怪しい人物もいたことと、その証言が衛士隊や商人ギルドで共有されていないということ。共有されていないということは、情報がどこかで握りつぶされているということ。そのことからイヌカは衛士隊や商人ギルドにトランジ商会の内通者がいるとにらみ、通り魔事件を洗い直そうとして、通り魔事件の被害者が全員、姿を消していることに気が付いた。そして通り魔事件の被害者を改めてリストアップすると、一つの共通点があることに気付く。通り魔事件の被害者は、すべてトランジ商会絡みの事件の関係者だったのだ。
「……そして、エバラさんたちが姿を消した」
ミラがうつむき、少しかすれた声で言った。事件の被害者の共通点、トランジ商会絡みに事件の関係者に合致する人間――灰マント四兄弟を迎え入れたエバラ一家は、何者かの襲撃を受けて姿を消したと思われる。エバラ家の入り口は破壊され、壁は一部崩落し、周囲には争った跡と、血痕があった。それは図らずもイヌカの推測、通り魔事件の被害者の共通点、が正しかったことを示唆している。エバラたちはトランジ商会の刺客に連れ去られた、と考えるのが妥当だろう。
えっと、これで現時点での情報は出そろったかな? 簡単にまとめるね?
リェフは通り魔事件の犯人にされて衛士隊から追われているよ。
リェフは十八年前の父親の死の真相を調べていたよ。
リェフの父ゼオはユリウス・トランジという人物に呪銃で撃たれたよ。
リェフは通り魔事件と十八年前の事件に関連を見つけたっぽいよ。
リェフは復讐を企ててるっぽいけど、それだけでは説明のつかない行動がいっぱいあるよ。
リェフは襲撃の情報に妙に詳しいよ。もしかしたらトランジ商会と繋がってるかも。
コルテス・リーガを誘拐したのはリェフらしいよ。
通り魔事件でリェフ以外に黒装束の人物が目撃されているけど、その目撃証言はもみけされてるっぽいよ。内通者がいるかも。
通り魔事件の被害者はすべて、ケテルで起きたトランジ商会絡みの関係者だよ。
エバラたちが襲撃され、連れ去られたっぽいよ。
剣士が腕を組み、難しい顔で呻いた。
「……手詰まりだな」
情報整理したのに方針決められんかったーーーっ!!
解決の糸口見出せんかったーーーっ!!!
えぇ!? こういうのって、一見関係ないような会話から誰かが何かに気付いて、謎は全て解けた的な展開になるんじゃないの!? 手詰まりってあーた、身も蓋もないこと言ってんじゃないよ! いや、確かに、いろんな情報がバラバラにあってそれらがいまいち繋がらないんだけども。なんかこう決定的なものが欠けてる感があるよね。でもそれを推理で埋めるのが名探偵でしょうが! やっぱりトラックに推理物は無理だったか。『じっちゃんはいつもひとり!』という決め台詞で鮮やかに事件を解決することはできなかったというのか。
「……三手に分かれましょう」
セシリアが思考を整理するように目を閉じ、口を開いた。
「最優先はエバラ家の皆さんの安全の確保です。その場で殺害しなかったということは、何らかの理由で生きて確保したかったのでしょう。すぐに命が脅かされる状況にはないはずです。トラックさんはエバラ家の捜索に向かってください」
ドラムカンガー7号の巨体は隠そうとしても隠しきれるものではない。目撃証言なり運搬の痕跡なりを捜すことはできるはずだ。トラックが了承のクラクションを返す。ミラがセシリアの顔を見つめた。セシリアは小さくうなずきを返した。
「あなたもトラックさんに同行してください。あなたの魔法は捜索に必ず役に立つ」
ミラはほっとしたように表情を緩めた。入れ替わりに剣士が声を上げる。
「俺たちはどうする?」
「エバラ家が襲われたのであれば、ガトリン一家のボスと人形師への再襲撃もあると見るべきでしょう。灰マントの四人よりもボスや人形師の方が、持っている情報量がはるかに多いはず。放置するとは思えません。再襲撃の機を捉え、襲撃犯を捕縛し、情報を吐かせます」
うーむ、結局のところ待ちの姿勢でカウンター狙いしかないってことなのか。セシリアは人形師を守るために衛士隊詰所に行き、剣士はガトリン一家のボスを守るために冒険者ギルドに残る、ということで話がつき、セシリアが立ち上がる。剣士とミラも立ち上がり、トラック達は互いの顔を見渡した。
「行きましょう。何か分かれば速やかに連絡を」
うなずきあい、トラックはクラクションを鳴らして、各々が移動していく。……あ、待って! ちょっと待って! 三手に分かれるってことは、誰についていくか選ばんといかんってこと!? エバラたちのことは気になるからトラックについていくのが正解なんだろうって気もするけど、でもボスや人形師が襲撃されたらそれはそれで気になる。仮に、仮になんだけど、襲撃を受けて、後から実は亡くなったとか聞いたらやりきれないじゃんか。ああ、トラック達の背が遠ざかっていく。どうしよ、誰について行こうか――
『ハァイ♪ 迷えるあなたの救いの女神、ヘルプウィンドウ推参! どんな悩みも原子分解! ぼやぼやしてたら、消滅よ?』
忙しいから帰ってください。
『まあそう言わずに。困ったときのためのヘルプウィンドウですよ? 頼って頼って。頼ってくれないなら、力づくで』
な、なにするつもりだ! 近寄るな!
『ちょぉっと痛いかもしれないけど、我慢してね?』
ヘルプウィンドウの枠が妖しく光る。な、なんだ? この、意識が強制的にはがされていくような感覚――
ぴろりんっ
軽薄な音と共に中空にスキルウィンドウが姿を現わす。半透明なその身体に文字が浮かび上がった。
『スキルゲット!
アクティブスキル(ユニーク) 【視点分割】
複数の場所の出来事を同時に体験することができるようになる』
な、なに!? 俺の身体が分裂した!? っていうか、なにこれ!? 気持ち悪っ! まったく違う三つの光景が同時に頭に入ってくる! 酔う、酔う! くらくらする!
『あなたの視点を三つに分割したよ! これで三手に分かれても大丈夫だね! ちなみに視点を分割すると、分割した数だけの感覚刺激を一つの脳で処理することになるから、やり過ぎると最悪廃人だよ♪ 気を付けてね! それじゃ、お相手はヘルプウィンドウでした! シーユー』
怖いことさらっと言ってんじゃねぇよ! これどうやって戻すんだよ! ああ、もう消えちまいやがったこのヤロウ! だいたい鼻を押さなきゃ出てこないんじゃなかったのか!
ま、まあ、とりあえず三つに増えたから、三人をそれぞれ追うことはできるってことか。どうやって戻るかとかは置いておいて、今は三人を追おう。ええっと、ああ、感覚がつかめん。こっちの身体はトラック追って、こっちはセシリアで――いかん、気を抜くと三つの身体が同じ動きをしてしまう。ほんとに使いこなせんのか、これ?
フラフラとぎこちない動きをしながら、俺は分割された自分自身を必死で操り、三人の後を追った。
ヘルプウィンドウは高度な判断能力を持ち、困ったそぶりを見せようものなら呼んでもないのに出てくるぞ! 気を付けろ!! ヤツは出番を虎視眈々と狙っている!!




