面倒な男
時刻は朝九時を過ぎ、ケテルの町は今日の活動を始めたらしい。行き交う人の数も増え、トラックはしばしば徐行しながら北部街区へと向かった。北部街区の門を越え、高級住宅地を抜けて、トラックは北部街区の中心――評議会館へと急ぐ。評議会館の門衛がトラックの姿を捉え、こちらが何か言う前にうやうやしく門を開いた。お、おお、トラック、いつの間にか顔パスになっとる。これも特級厨師の称号の威力だろうか?
【ダウンサイジング】で車体を小さくし、トラックは評議会館の入り口をくぐった。ロビーには受付嬢がおり、トラックを見ると手許のベルをちりんと鳴らした。やはりこちらが何か言う前に、どこからともなく現れた青年がトラックに近付いて来る。
「議長がお待ちです。どうぞこちらへ」
そう言って青年はトラックを先導する。受付嬢は何の反応もなく、彫像のように背筋を伸ばしていた。ぷぉん、とクラクションを鳴らし、トラックは青年の後ろをついて行く。以前に一度来たときはイャートに案内されてきたんだけど、そうじゃなければこんなふうに職員が案内するんだなぁ。職員たちの態度が冷たい感じなのが気になるけど。案内というよりはむしろ監視、という雰囲気だが、おそらくは両方を兼ねているのだろう。
青年の背を追うことしばし、トラックは評議会館の奥にある一角にタイヤを踏み入れる。そこは他の場所と比べて明らかに様子が違った。壁も床も天井も、一段豪華になっているというか、質の良い素材を使っている感じ。トラックがもの珍しそうにクラクションを鳴らす。案内役の青年はわずかにトラックを振り返って言った。
「ここは評議員の方々の部屋。どうかお静かにお願いいたします」
たしなめられてしまった。トラックが小さくクラクションを返す。しかし青年は反応を返すこともなく前を歩く。えーっ、さみしい。反応してちょっとくらい。
「……! ……!!」
奥の方から何か言い争うような声が聞こえる。案内役の青年が眉を寄せた。奥の方から聞こえるということは、結構偉い人かな? 内容までは聞こえないが、声の主は激しく怒っているようだ。机を叩くようなバンッという音も聞こえる。案内役の青年は不快そうな顔を見せたが、特に歩みを止めることはなく、さらに奥へと向かっていく。そして、トラックがある扉の前を通り過ぎようとしたとき――
――ガチャリ
ドアノブを回す音がして、部屋からの一人の男が姿を現わす。トラックが慌ててブレーキを踏んだ。衝突は回避され、出てきた男が一瞬だけ驚いた顔になる。
「……失敬」
ひとことそう言って男はトラックの横を通り過ぎる。なんだろう、格好はごく普通の商人っぽい感じなのに、どこか商人とは印象が違う。……そうか、目だ。その男は感情の感じられない、ひどく冷たい目をしていた。
「待て! 話はまだ――!」
慌てたような声と共に男を追いかけ、今度は年かさの男が部屋から出てくる。あ、このひと確か、見たことある。見事なグレイヘアーの壮年の男――以前に『存在しない部屋』で会った、確か、副議長と呼ばれていた人だ。副議長はトラックの姿に気付いてギョッとした顔をすると、不快そうにぎろりとにらみ、部屋に引っ込んで扉を乱暴に閉めた。にらむことないじゃん。偶然居合わせただけなのに。
「こちらです」
案内役の青年が一番奥の、そして一番立派な扉の前でトラックを振り返る。青年、トラックが止まってたのに構わず先に行っちゃったんだ。まあ距離があるわけでもない直線の廊下なのだから見失うこともないのだが。慌ててトラックはアクセルを踏み、青年は議長室の扉を開けて頭を下げた。
「来たか」
議長室に入ると、議長であるルゼとコメルがトラックを出迎えた。ルゼはいささか疲れた表情をしており、コメルは若干痩せたようだ。激務が続いているということなのだろうか? トランジ商会の実態は未だ見えず、背後にいるであろうクリフォトの動向もつかめていない。心労は積み重なれど解消することはないんだろうな。
「ギルドマスターから話は聞いているか?」
ルゼの問いにトラックは短いクラクションを返した。小さくうなずき、コメルが口を開く。
「あなたにお願いしたいのは、コルテス・リーガの救出です。コルテスはお嬢様との見合いの件の後、我々が監視下に置いて泳がせていました。トランジ商会から何らかのアクションがあることを期待してね。しかし何の動きもないまま、時間だけが過ぎてしまっていた。昨日までは、ですが」
ルゼが小さくため息を吐き、頭を振る。
「正直、もう監視の意味はないと考えていた。コルテスはほぼ何も知らされていなかったからな。今さら彼を消すメリットもないはずだった。だがコルテスはさらわれた。我々の気付いていない価値があの男にあったということだ」
トラックがプァン? と疑問形のクラクションを鳴らす。コメルは首を横に振った。
「コルテスをさらったのはトランジ商会ではありません。もっとも、犯人がトランジ商会と密かに繋がっている可能性も否定できませんが」
ルゼは鋭い目でトラックを見つめ、コメルの言葉を継いだ。
「コルテスをさらったのは、リェフという青年だ」
プァン!? とトラックは驚きのクラクションを上げた。信じられない、という内心がクラクションに乗って伝わる。ルゼは表情を変えず、コメルは少しだけ目を伏せた。
「コルテスを連れたリェフの姿を複数人が目撃している。少なくともこの件に関してリェフは確実に犯人だ。言い逃れはきかぬ」
むぅ、というようにトラックはカチカチとハザードを焚く。コメルはやや言いづらそうにトラックを見た。
「ケテル評議会は三日後、この事実を衛士隊に通知し、リェフを一連の通り魔事件の犯人として公開捜査に踏み切ります。ご足労頂いたのはそのことを伝えるためなのです」
こ、公開捜査、って、そんなことされたら、もうケテル中にリェフが犯人だと知れ渡ってしまうじゃないの! そうなったら事実はどうあれリェフは犯人ってことになり、後に冤罪だと分かってもその名誉を回復することはできないだろう。ちょっと、ちょっとだけ待ってもらえませんかねぇ? すぐ、もうすぐトラックが解決するから! 第一、コルテスの誘拐と通り魔全然関係ないじゃないのさ! いや、分かってますよ? リェフを犯人ってことにして騒動を収めたいんでしょ? でも、それじゃ真の解決は見られないじゃない! トラックが真犯人見つけてリェフの潔白を証明するから、もうちょっとだけ……あっ、そうか! それで、三日後、か!
トラックがプァン、とクラクションを鳴らす。ルゼは大きくうなずいた。
「お前がリェフのために動いていることは知っている。これは評議会の、特級厨師に対する敬意の現れだと考えてほしい。三日後の朝、我々はこの事実を衛士隊に通告する。それまでは何人にも伝えることはない」
つまり、ルゼはトラックに三日だけ時間をくれたのだ。望みのあらば自ら叶えよ。そのための時間をルゼはトラックにくれた。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ふん、と鼻を鳴らし、議長はつまらなさそうに顔をしかめた。
「明後日の夜、評議会主催のパーティがある。それまではケテルを動揺させたくないだけだ」
話は終わりだ、と言い、ルゼは部屋の扉を指し示した。はよ帰れってことね。トラックは再度お礼のクラクションを鳴らすと、切り返してルゼたちに背を向ける。扉の前まで進み、トラックは停車して、言い忘れていた、みたいな感じでプァンとクラクションを鳴らした。ルゼの顔が不快そうに歪む。
「……それはお前の領分ではない。家族の問題に口出しをしないでいただこう」
怒気をはらんだ低い声音のルゼに、トラックは平然とクラクションを返した。ルゼが目が危険な光を宿す。
「何を、するつもりだ?」
トラックはすっとぼけたクラクションを返す。コメルが思わずといった様子で身を乗り出した。
「トラックさん、これは――」
「コメル」
何か言おうとしたコメルをルゼの静かな声が遮った。コメルは言葉を飲み込む。ルゼは表情を消し、淡々と告げた。
「私を、敵に回すつもりかな?」
さあ? と煙に巻くようなあいまいなクラクションを返し、トラックは【念動力】で扉を開けると議長室を出て行った。
「……面倒な男だ」
ルゼは椅子の背に身体を預け、目を閉じる。椅子がギシリと音を立てた。コメルがルゼに向き直り、真剣な表情を向ける。
「しかし、彼はケテルの未来に必要な男です」
コメルの言葉に応えず、ルゼは固く目を閉じたままだった。
議長室を出たトラックは、再び案内役の青年に連れられて入り口まで戻る。トラックが出てくるまでずっと扉の前で待っていたのか。大変だねぇ、青年。そう思うと不愛想な態度も許せる気がするよ。形式的なお辞儀に見送られてトラックは評議会館を出た。
「トラックさん」
人目をはばかるように抑えた声がトラックを呼び止める。トラックがブレーキを踏んだ。小走りにトラックの前に現れたのはコメルだった。
「どうか誤解なさらないでください。旦那様はお嬢様を、本当に大切に思っていらっしゃいます」
コメルはどこか辛そうな表情を浮かべる。トラックはプァン? と疑問形のクラクションを返した。コメルはわずかな逡巡の後、意を決したようにトラックを見つめた。
「私はあなたを、ケテルに欠くべからざる人材だと考えています。だから不要な行き違いはなくしておきたい。旦那様はお怒りになるでしょうが、あなたには真実を知っておいていただきたいと思います」
コメルはトラックに近付くと、さらに声量を抑えて言った。
「……旦那様は、クリフォトとの戦いを視野に入れておられます」
場所を変え、コメルとトラックは北部街区の一角にある公園の隅にいた。すっかり夏の顔をした日差しが降り注ぎ、芝生の上を駆けまわる幼い女の子とそれに目を細める母親の姿が見えた。幸せそうなその様子を見ながら、世間話のようにコメルは言った。
「トランジ商会の背後にクリフォトがいることがはっきりすれば、ケテルは選択を迫られることになります。黙殺して現在の関係を維持するか、積極的に服従するか、相手を非難して干渉を停止するよう迫るか」
黙殺すれば、クリフォトとの関係は当面の間は変わらないだろう。しかしケテルに対する工作は何らかの形で続くだろうし、もしそれが成功してしまえばケテルには親クリフォトの傀儡政権が誕生し、実質的にケテルは自治を失う。黙殺はちょっとした時間稼ぎ以上の意味はなく、そして稼いだ時間で何か対策を講じる当てもない。
積極的に服従の意思を示すことで、形式的にはクリフォトに併呑されながらもある程度の自治を認めさせるよう交渉する、という道もありえぬではない。しかしルゼはその道を否定した。
「クリフォトは『種族浄化』を国是とする国です。他種族を排斥し、人のみが暮らす国こそが正しいと言ってはばからない。その思想はケテルとは根本的に相容れません。我々は他種族との交流を通した共存こそを尊ぶ」
クリフォトに服従すれば、ケテルは他種族との交流の断絶を求められるだろう。それはケテルの根幹を捨てること。ケテルの先人が培ってきた百年の営為を無駄にすることだ。ケテルの議長として、その道に進むことはできないとルゼは考えたようだ。黙殺は愚策、服従はケテルの存在意義に反する、とすれば、残る道は一つしかない。
「旦那様はクリフォトとの対決を決意なさいました。今、密かに武器や食糧の備蓄を増やしています」
一地方都市に過ぎないケテルがクリフォトと戦って勝てる保証はない。勝機があるとすれば他種族の力を結集することだろう。エルフ、ドワーフ、ゴブリン、そして獣人たち。数は少なくとも個々の戦闘能力は人間に大きく勝る彼らの協力があれば、クリフォトの軍に痛撃を与え、停戦交渉に持ち込む可能性が生まれる。もっとも、それはすべてがうまくいった場合の可能性に過ぎない。歯車が一つ狂えば、あっという間にケテルはクリフォトに呑まれてしまうだろう。
「……今回のお嬢様のご結婚は、万が一のとき、お嬢様の命を守るためのものなのです」
幼い笑い声が聞こえる。女の子が咲いていた花を摘み、笑顔で母親に届けていた。母親は嬉しそうに受け取り、女の子の頭を撫でる。コメルはどこか懐かしそうにそれを見つめた。トラックがプァンと続きを促す。
「お嬢様が嫁ぐアディシェス家はクリフォト北部の領主の中心的存在です。もしケテルがクリフォトと戦い、敗れたとしても、アディシェス家がお嬢様を守るでしょう。アディシェス家の力なしに北部の統治は覚束ない。クリフォト王家がお嬢様の命を要求したとしても、それを撥ね退けるだけの力がアディシェスにはある」
ケテルが敗れれば、その代表たる議長ルゼは処刑される。そしてその累は娘であるイーリィにも及ぶだろう。このままイーリィをケテルに留まらせれば、ケテルの敗北はすなわちイーリィの死だ。ルゼはそれに耐えられなかった。イーリィの命が保証されなければ、クリフォトと戦うという意思を貫くことができないと考えたのだ。でも、それはずいぶん危うい賭けのように思える。クリフォトとケテルが戦うことになったとして、もしイーリィの命を盾に降伏を迫られたら、ルゼはどうするのだろう? トラックがプァンとクラクションを鳴らす。コメルはゆっくりと首を横に振った。
「アディシェスのご子息は、一本気な武人肌の御仁でした。妻とする女性の命を戦の道具にするような方ではない。そう確信したからこそ、旦那様はこの結婚を決めたのです」
イーリィに結婚話を告げたとき、ルゼは『話が盛り上がって』結婚を承諾した、なんて言っていたが、実際には念入りに調査し、周到に準備した上でのことだったのだろう。本人の意思を無視した強引で性急なやり方も、イーリィの生存を保証するという唯一つの目的のためだった。それによって自身が娘に嫌われようが、なじられようが、そんなことはルゼの眼中には無かったのだ。
でもさぁ、なんてーか、もうちょっとうまくやれないもんかね? その事実を知らないイーリィは、ずっと心にモヤモヤしたものを抱えて生きていくことになるんじゃないの? ただでさえお母さんのことでわだかまりがあるというのに。だいいち、イーリィをそこまで心配する人間が、どうして病気の妻をほったらかして商売に励むことができたのよ? 十年前にルゼが妻を少しでも気に掛けていたら、イーリィのルゼに対する感情もここまでこじれはしなかったんじゃないの? キャラがブレてんじゃありませんか? そこんとこどうなのよ、といった風情でトラックはクラクションを鳴らした。
「お嬢様が、あなたにそこまで話されたのですか」
意外そうに目を見開き、コメルがトラックを見つめる。そして寂しそうに目を伏せ、呻くように言った。
「……誤解、なのです。旦那様は奥様を心から愛しておられた。旦那様が奥様を見舞うこともないほどに商売に精を出しておられたのは、奥様を助けるためだったのです」
苦い思いがこみあげたのか、コメルの顔が苦痛にゆがむ。コメルは視線を上げ、遠くを見つめた。
「奥様を蝕んでいた病は、『狩人熱』でした」
な、なんだか話が大きくなってきたけど、これはトラック無双で間違いありませんか?




