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諦念

 トラック達は怪我人の手当てや片付けを手伝い、その日は結局詰所で夜を過ごすことになった。なにせまだ人形師はここの地下牢にいるわけで、再襲撃、という可能性も決して低くはないのだ。そもそもイャートがトラック達を呼んだのは、怪我人続出で大きく戦力が減った衛士隊の代わりに人形師を守ってもらうためだったらしい。衛士隊は襲撃犯を撃退するのが精一杯で一人も捕縛できていない。つまり、敵の戦力は全く減っていない。

 責任感なのだろう、起きて指揮を執ろうとするイャートを強引に休ませ、トラック達は寝ずの見張りとなって詰所の前に立ち、周囲を警戒する。まあトラック寝ないからね。徹夜だって問題はない。運転手には連続運転時間と休憩時間の厳しい制限があるけど、ミラは適宜寝ているので大丈夫だ。ミラが運転手ってことでいいならの話だが。そして実はミラもゴーレムだから睡眠要らないのだが。

 長い夜が明け、朝日がケテルの町を照らす。結局その日のうちに再襲撃はなかった。トラックの隣で剣士が大きくあくびをする。徹夜、ご苦労さん。


「すまなかったね。見張りまでさせてしまって」


 詰所から出てきたイャートがトラック達に声を掛ける。昨日は白蝋のようだった顔色はいくぶんマシになっていたものの、セシリアの魔法は失った血まで補ってくれたわけではないのだろう。その声には力がなかった。


「もう引き上げてもらって構わないよ。再襲撃をする気があるなら夜のうちに来ているだろう。隊士の傷も癒してもらったし、今度は油断しないさ」


 イャートの鳶色の目が鋭く遠くを見据える。その瞳は、この屈辱をどう晴らしてくれようか、と語っていた。おお、ちょっとらしくなってきたな。調子出てきた?


――プァン


 トラックが気遣わしげなクラクションを鳴らす。イャートは首を横に振った。


「ここは大丈夫だ。呼びつけておいてすまないが、君たちは副長を頼む」


 イャートが声のトーンを落とす。剣士はうなずきを返し、


「ギルドに信頼できるメンバーを寄越すよう頼んでおく。分かってると思うが――」


と言うと、念を押すようにイャートを見つめた。


「あんたが死んだら意味ないぞ」


 イャートは意外なものを聞いたように目を見開き、苦笑いすると、詰所の扉を振り返った。


「彼女にも礼を言っておいてくれ。彼女も昨夜はほとんど寝ていないはずだ」


 剣士が詰所の扉を開ける。そこにはセシリアが、椅子に座って爆睡していた。おお、お疲れ。セシリアは昨夜ずっと怪我人の世話をしていたのだ。きっと処置がいち段落して気が抜けたんだろうな。

 剣士が呆れたように笑う。トラックは起こさないよう小さなクラクションを鳴らすと、【念動力】で慎重に運び、セシリアを助手席に乗せた。ミラがキャビンの後方にある仮眠スペースからもぞもぞと起き出し、運転席側に座ってセシリアの様子を見ていた。

 トラックがプァンとクラクションを鳴らす。ウィングを上げ、剣士が荷台に乗り込んだ。もう一度クラクションを鳴らし、トラックがゆっくりと発進する。去っていくトラックの背に、イャートはこっそりと頭を下げた。




 剣士とセシリアを宿に運び、トラックは冒険者ギルドに戻って来た。ギルドは昨日のアパート襲撃の影響か、まだどこか落ち着かない雰囲気に包まれている。ギルドメンバーが忙しなく行き交う中、始業して間もなくだというのに、イーリィはカウンターでどこかぼんやりとしていた。トラックが来たことにも気が付いていないようだ。


「あっ……」


 イーリィが何かに気付いたように声を上げる。その声に反応して、カウンターを通り過ぎようとしていた一人の男――イヌカが振り返り、訝しげな視線をイーリィに向けた。呼び掛けるつもりはなかったのだろう、イーリィはバツの悪そうに視線を泳がせると、取り繕おうとするように怒った表情を作った。


「私に何か言いたいことでもあるの?」


 自分から声を掛けておいて「言いたいことでもあるの」はおかしいはずだが、まあ逆ギレのようなものだろうか? イヌカはわずかに視線を上げて考える素振りを見せると、憎らしげな笑みを浮かべて言った。


「ご結婚の準備は進んでいらっしゃいますか?」


 その意味なく丁寧な口調と発言の内容はイーリィの感情を逆なでしたようだ。彼女は鋭くイヌカをにらみつける。イヌカは軽く肩をすくめると、イーリィに背を向けた。イーリィは慌ててその背に声を掛ける。


「それだけ!?」


 イヌカは再び振り向き、面倒そうに頭を掻いた。


「他にオレが何を言うってんだ」


 興味のなさそうなイヌカの態度はイーリィを落胆させたらしい。鼻にしわを寄せ、「もういいわ」とつぶやいた彼女に、大きくため息を吐いて、イヌカは真意を見透かせるようにその瞳を覗き込んだ。


「勘違いしてるようだから教えてやる。お前は、黙って傷付いた顔してりゃ誰かが助けに来てくれるような、おとぎ話のお姫様じゃあねぇ。誰もお前に代わりに決断してくれりゃしねぇんだよ」


 イーリィの顔がみるみる赤く染まり、激しい怒りでその身体が震える。しかしイヌカは動じた様子もなく、淡々と言葉を続けた。


「助けてほしけりゃ依頼を出しな。そうすりゃ誰かが請け負うだろう。それもできねぇってんなら、大人しく荷物をまとめるこった。貴族の妻って人生も悪いもんじゃないかもしれねぇぞ?」


 言い終わり、イヌカはへらへらと笑った。怒りが限界を超えたのか、イーリィの顔から表情が消える。ゆっくりと右手を持ち上げてイヌカの眉間辺りを指さすと、イーリィは無慈悲な声音で言った。


「やれ、ジュイチ」

「ぶもーっ!」


 イーリィの命を受け、ジュイチがカウンターを飛び越えてさながら解き放たれた矢の如くイヌカに突進する。予想外だったのだろう、イヌカの顔が驚愕に歪んだ。ジュイチの突進をまともにくらい、イヌカは弾き飛ばされて「ぐへぇ」と声を上げた。うーむ、ジュイチは手加減とかしないな。殺る気を示すかのように、ジュイチは「むふー」と息を吐いた。


「なにしやがる!」


 すぐさま起き上がったイヌカは怒ったふうにイーリィをにらんだ。イーリィは鼻を鳴らし、「いい気味だわ」とせせら笑う。両者はしばしにらみ合い――やがてイヌカが視線を逸らせ、「バカバカしい」とつぶやいて去っていった。イーリィは怒ったような、傷付いたような、複雑な表情でイヌカの後ろ姿を目で追っていた。




 イヌカの姿が見えなくなってから、トラックはプァンとイーリィにクラクションを鳴らした。イーリィは初めてトラックに気付いた、というように驚きを示し、そして若干苦笑いを浮かべた。


「見てた、わよね?」


 プォン、とやや申し訳なさそうにトラックはクラクションを返す。イーリィは慌てて首を横に振った。


「みっともないところを見せてしまって、ごめんなさいね」


 普段あまり見せることのない弱々しい態度に、トラックは気遣わしげなクラクションを鳴らした。ジュイチがカウンターに近付いて「ぶもー」と顔を寄せる。イーリィはジュイチの額を撫でながら言った。


「……実感が、湧かないの。冒険者ギルドを離れるってことが、ね」


 十年ほど前に実家を飛び出し、世の事を何も知らないまま押しかけて来た小娘を、冒険者ギルドは受け入れてくれた。その時からここはイーリィの居場所になったのだ。それが、急にギルドを辞めて貴族に嫁げという。十年の歳月をかけて培ってきたものがそれほど簡単に失われてしまう、その実感が得られず、悪い夢でも見ているような心地なのだと、イーリィは目を伏せた。ルゼには身辺の整理をしろと言われているが、何もする気が起きず引き継ぎも荷物の整理もしていないのだそうだ。


「未練、なのかしらね? この場所への」


 イーリィに額を撫でられ、ジュイチが気持ちよさそうに目を瞑る。トラックは静かに、真剣なクラクションを鳴らした。イーリィは緩慢な動作で顔を上げる。


「私ね、トラさん」


 イーリィの瞳がトラックをぼんやりと見る。その瞳は自虐的で、そして自らを嘲笑しているようだった。


「……ちょっと、疲れちゃった」


 もう何も考えたくないのだと言うように、イーリィは視線を落としてジュイチを撫で続ける。彼女は何に『疲れた』のだろう。押し付けられた運命と戦うことだろうか? 自分の望む未来を描くことだろうか? ……何となくだけど、きっとどちらも違う気がする。

 それきり黙ってしまったイーリィを見つめ、トラックはハザードを焚きながら何か考えているようだった。




「トラック!」


 不意に声を掛けられ、トラックが切り返してギルド入り口に向き直る。そこには厳しい表情のマスターがいた。入り口から入って来たってことは、こんな朝早くから外に出ていたということだろうか? すぐに見つかってよかったぜ、とつぶやき、マスターはトラックに近付いた。イーリィはジュイチを撫でるのを止め、通常業務に戻る。ジュイチが受付カウンターの中に戻った。


「朝早くからすまんが、評議会館の議長室に行ってくれ。議長から直々に、お前さんのご指名だ」


 プァン? とトラックが疑問符付きでクラクションを鳴らす。ルゼが直々にトラックを指名するなんて、いったい何事だろう? マスターの表情から察するにあんまり楽しい話ではなさそうだけど。マスターはトラックの車体をこつんと叩き、やや声のトーンを落とした。


「お前さんが事情を知っているから話が早いってことだろ。依頼の内容は人捜し。正確に言えば、誘拐された商人の救出だ」


 ゆ、誘拐ってまた、穏やかじゃありませんねぇ。ってことは、なに? トラックは今回、交渉人ってこと? いやいや、トラックにそれは無理でしょう。全然似合わないわ。だとしたら、敵に拠点に乗り込んで人質を救出する、みたいな、特殊部隊系? トラックに、隠密行動とかは、ど~うなんでしょ?

 トラックが戸惑うようなクラクションを鳴らす。「そう言ってくれるな」と妙に弱気な発言をして、マスターはさらに声を落とした。


「……さらわれたのはコルテス・リーガ。つまりこいつは、トランジ商会絡みである可能性が高い」


 コルテス・リーガ……って、確か、イーリィの見合い話のときの? トランジ商会に操られて、実体のないリーガ商会を運営していた男。トランジ商会の指示でイーリィと息子の縁談を進めることになったが、息子役の男に逃げられ、商品の中にいた一匹のホルスタインの雄を息子に仕立てて見合いに望んだ、鉄の心臓を持つ男。ジュイチにとっては精肉を免れイーリィとの出会いをくれた恩人ということになるだろうか。確か見合いの時にコメルに拘束され、以後商人ギルドの監視下に置かれていたはずだが……

 トラックもマスターに倣い、周囲に聞こえぬよう小さなクラクションを返す。マスターは小さく首を横に振った。


「詳しい話は議長から直接聞いてくれ。どうも議長はお前さんに直接伝えたいことがあるみてぇでな。俺にはすべてを話しちゃくれなかった」


 マスターにも伝えられない、直接話したいこと、というのはいったい何なのだろう? 想像もつかないが、あまりいい予感はしない。トラックは了承とお礼を兼ねたようなクラクションを鳴らす。マスターは「頼んだぜ」と答えてトラックから離れた。どこか不吉な雰囲気を肌で感じながら、トラックはぶぉんとエンジンを鳴らし、冒険者ギルドを後にした。

コルテス・リーガ、まさかの再登場で、他のキャラも再登場の期待が高まりますね。

セイウチ夫人とセバスチャンとか。

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[一言] セイウチ夫人とセバスチャンすこすこのすこ( ˘ω˘ )
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