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変節

 衛士隊詰所の周囲にはやじ馬が集まり、皆不安そうに互いの顔を見合っている。詰所の入り口の扉は吹き飛び、壁には焦げたような跡があった。ボスのいたアパートと同じように、おそらく法玉を使ったのだろう。

 やじ馬をかき分けてトラック達は詰所内に入る。慌てた様子で衛士がトラック達を制止したが、


「いいんだ。私が呼んだ」


という声に引き下がった。プァンとトラックが声の主にクラクションを鳴らす。軽く手を挙げてイャートがそれに応えた。


「人形師が襲われたと聞きましたが」


 イャートは椅子に座り、やや前屈みにトラックたちを見ている。セシリアはイャートに近付き、ハッと息を飲んだ。イャートの腹部にはきつく布が巻かれ、布は赤黒く変色している。よく見ると顔色が蝋のように白い。セシリアは慌てて駆け寄り、イャートの腹部に手をかざした。


「私より先に部下を!」


 鋭く叫び、イャートは痛みに顔をしかめた。セシリアは小さく首を横に振る。


「全員、癒します。順番を気にする必要はない」


 セシリアの手から淡い翠の光が溢れ、イャートに流れ込んでいく。辛そうだったイャートの表情が少し緩んだ。光はすべてイャートに吸い込まれて消え、セシリアは厳しい表情で言った。


「他の怪我人はどこに?」


 こちらです、と、イャートの背後にいた部下が声を上げる。どうやら奥の部屋に怪我人を集めているらしい。部下の案内でセシリアは奥の部屋へと消えた。イャートはわずかに苦い笑みを浮かべた。


「……彼女は癒し手だったね」


 そういうつもりで呼んだわけじゃないんだが、と弱々しくつぶやくイャートに、トラックがプァンとクラクションを返す。イャートは「すまない」と深く息を吐いた。


「真昼間から衛士隊の詰所に殴り込みなんて、ちょっと予想外でね。不意を突かれた、というのは言い訳じみてるかな?」


 突然の爆発音と共に詰所が揺れ、動揺しているところに黒装束姿の奴らが押し入ってきたのだとイャートは言った。黒装束は衛士たちに襲い掛かり、鍵を奪って地下へと向かった。地下にあるのは牢獄――人形師がいる地下牢が奴らの狙いだった。


「79号は無事なの!?」


 ミラが身を乗り出してイャートに詰め寄る。イャートはわずかに言葉を詰まらせた。


「……彼女は――」

「ドワーフの小僧を呼べぇっ! 今すぐにだ!!」


 絶叫、と言って差し支えないほどの大きな声がイャートの言葉を遮った。その声は奥の部屋、そのさらに奥から聞こえてくるようだった。奥の部屋がざわめき、バタバタと慌てたような足音、そして制止の声が聞こえる。「小僧を呼べ」と叫びながら、床板を軋ませる重たい歩みが詰所を震えさせている。トラック達は慌てて奥の部屋に向かった。それ(・・)は部屋の中央でセシリアと対峙していた。


「止まりなさい! あなたをここから出すわけにはいかない!」

「黙れ! 私に指図するな!」


 杖を構え、厳しい表情のセシリアをにらみつけているのは、肉体の大半をゴーレム化した一人の男――人形師だった。人形師は鬼気迫る表情を浮かべ、歯を食いしばって一歩を踏み出す。しかしその動作は緩慢で、一歩進むごとに足を止め、荒く息を吐く有様だった。セシリアは人形師をにらみ返しながら、しかし攻撃を躊躇っているようだった。その理由はおそらく、彼が背に負っているもの――胸部より下と右腕を失い、目を閉じている79号のせいだろう。


「79号!」


 ミラが上げた悲鳴のような呼びかけに、79号はわずかに目を開く。


「……こんにちは、ミラ。今日も良いお天気ですね」

「そんなこと言っている場合!?」


 ミラのもっともなツッコミに79号は微笑みを浮かべた。人形師が79号に囁く。


「目を閉じて口を閉ざせ。精霊力の維持に専念しろ」


 人形師の命令を聞いたのか、それとも限界が近いのか、79号は何も言わず目を閉じた。ミラが胸の前でぎゅっと手を握った。トラックがプァンとクラクションを鳴らす。


「……『核』に亀裂が生じている。このままでは『核』に閉じ込めていた精霊力が流出する。その前に修理せねばならんのだ! だからドワーフの小僧を、製作者を呼べと言っている! そんなことも理解できんのか、この愚か者どもが!!」


 人形師は引きずるようにさらに一歩を踏み出す。気圧されたか、対峙するセシリアは一歩下がった。79号の『核』から伸びる導管が床にこすれて嫌な音を立てる。トラックがプァンとクラクションを鳴らし、身を翻した。ジンを迎えに行ったのだろう。トラックの背を目で追い、人形師は力尽きたように膝をついた。自重によって床板が割れる。


「なぜ、動ける? お前は奢侈王に魔力を奪われ続けているはず」


 信じられないものを見る目でセシリアが問う。床を見つめ、ぜぇぜぇと苦しげな息を吐きながら、人形師は答えた。


「私は漫然と魔力を献上するだけの奴隷ではない。奢侈王の力は強大だが、魔法であることに変わりはない。術式を解析すれば対策も見える」


 少々骨が折れたがな、と人形師は鼻を鳴らした。対策、と人形師は言ったが、身体を動かすことも難儀なその姿を見るに、【奢侈王の金鎖】を解くことができた、という意味ではなく、せいぜいが献上する魔力の一部をちょろまかすことができた、という程度の事なのだろう。まあ地獄の六王の筆頭を欺いた、ということ自体、驚嘆すべきことなのかもしれんが。

 セシリアが複雑な表情で人形師を見る。わずかとはいえ【奢侈王の金鎖】の呪縛を逃れた以上、人形師はもはや無害な存在ではない。こいつはドワーフたちから土の精霊力を奪って死の寸前にまで追いやり、ミラをさらってゴーレムに改造した男だ。自らの目的のためなら簡単に人の道を踏み越えるこの男を放置しておけば、どんな方法で誰を傷付けるか予想できない。過去の罪の清算という意味でも、未来の犯罪の予防という意味でも、この男はこの場で処断すべきではないのか――

 しかし今、この男が見せている姿は、過去の彼とは違っているようにも見える。動かぬ手足を無理やり動かしてこの男がしようとしているのは、79号を救うことだ。かつて自ら作ったゴーレムたちを役立たずと罵り、不要と断じたこの男が「79号の制作者を呼べ」と叫ぶ様子はひどく違和感を覚える。人形師は、変わったのだろうか? 自分自身以外に価値を認めなかったこの男が、他者という価値を受け入れ始めているのだろうか?


「あの、木偶の坊は、まだ来ない、のか! 何をしている、役立たずめが!」


 しゃべるのも辛そうに、人形師は途切れ途切れに悪態をつく。気持ちは分かるが、トラックはさっき出て行ったばかりだ。人間が走るよりは早いだろうけど、そんなにすぐに帰って来られるはずも――


――プァン!


 大きなクラクションが鳴り響き、ズン、という重いものが地面に落ちる音が聞こえる。詰所を囲むやじ馬がざわめきを大きくした。あ、あれ? トラック帰ってきた? 何か忘れ物に気付いて途中で帰ってきた、くらいの時間しか経ってませんけど。ハンカチ忘れた?


「79号!」


 年若い叫び声と共に、慌てた様子で少年が詰所に駆け込んでくる。少年――ジンは、扉をくぐってすぐに目に入って来た人形師の姿に足を止めて警戒を示し、そしてその背に負われた79号を見て息を飲んだ。79号の傷は凄惨な戦闘――相手を殺し、壊す意思を色濃く表現している。他者をこれほどまでに蔑ろにできる、できてしまう者が現実に存在することを物語っている。


「早く処置を始めろ! 何のためにここに来た!」


 人形師の叱責で我に返り、ジンは79号に駆け寄ると、人形師の背から降ろしてそっと床に横たえた。細かい部品の欠片がパラパラと床に跳ねる。失われた腹部側から中を覗き込んだジンの顔から血の気が引いた。


「補修で、どうにかできるレベルじゃ……」


 ジンが唇を噛む。79号の『核』には大きな亀裂が入り、一部には穴が開いて光が漏れだしていた。破断面がそれほどズレていないためまだ『核』の機能をかろうじて維持できているようだが、いつ何かの力加減で『核』が割れ砕けてもおかしくない。補修作業で触れることもためらわれるような状態だった。動けずにいるジンに人形師の更なる叱責が飛ぶ。


「お前が作ったものだ。お前にしか直せん。できぬならこれは死ぬぞ。己の無能の対価をこれに払わせるのか。それでもお前はゴーレム技師か!」


 ジンの身体がわずかに震える。79号の『核』は確かにジンが作ったもので、できることなら79号を助けたい思いもあるだろう。しかし実現する方法がない、見つからない。ジンは拳を握り締めた。見かねたか、セシリアがジンの隣に膝をつき、ささやく。


「あるべき姿を私に教えて。そうすれば、直せる」


 弾かれたように顔を上げ、ジンの目に希望が宿った。焦る気持ちを抑えるように深呼吸をして、ジンはセシリアに『核』の構造を説明する。幾つかの質問を交えながら説明を聞き、セシリアは79号に手をかざした。運命に挑むようにセシリアの瞳が翠の光を放ち、手からは真白の光が溢れる。人形師は驚いたように目を見開いた。白光は79号を包み、やがてその『核』に集約されていく。光が晴れた時、79号の『核』の亀裂は、まるで最初からなかったように消えていた。脱力したようにジンが大きく息を吐く。ミラが79号に駆け寄って声を掛ける。


「79号、目を、開けて」


 ヴン――とかすかな駆動音がして、79号はゆっくりと目を開いた。身を起こそうとしたのだろう、左手を動かし、違和感に首を上げて自分の身体の状態を確認した後、79号は顔をミラに向けて言った。


「こんにちは、ミラ。今日も良いお天気ですね」

「それ、さっきも聞いた」


 呆れた顔でミラが笑う。79号もつられて笑った。張りつめていた空気が弛緩する。安堵が部屋に広がる中、人形師だけがじっとセシリアを見つめる。


「……そうか。セフィロトの娘――」


 人形師の小さなつぶやきは、ほとんど誰にも聞かれることもなく流れて消えた。




 79号はジンのいる施療院でメンテナンスを受けることになり、トラックの荷台に運び込まれてジンと共に去っていった。『核』が直ったとはいえ、漏出した精霊力は無視できるものではないらしく、「セテスさんに連絡して診てもらいます」とジンは言っていた。これは長期入院かなぁ。そもそもコールに義体を直してもらわないといけないし。

 ああ、ちなみにトラックがジンを連れて異様に早く戻ってきた理由は、空を飛んだからだった。そういえばトラック空飛べるんだよね、スキルで。普段、特に荷物の配送なんかの時には空飛ばないから思い出さなかったんだけど。どうして普段は飛ばないんだろう。邪道だと思ってるのかな? トラックが空飛ぶの。

 トラックがジンと79号を送っている間、セシリアは衛士隊の怪我人の治療を、剣士は詰所の片付けを手伝っていた。ミラは79号に付き添ってトラックと一緒にいる。79号の無事が確保されて気が抜けたのか、人形師はそのまま床に倒れ込み、まったく動かなくなった。動かなくなったのだが口はよく動くようで、


「私を運べ、衛士ども。79号がいない今、私の世話はお前たちの仕事だ」


と言ってひんしゅくを買っていた。衛士たちはしばらく人形師を無視していたのだが、「ほれ運べ、今運べ」とうるさい声にへきえきしたのか、やがて数人の有志が人形師の手足を持ち、面倒そうに地下牢に運んでいった。




「彼女は無事だったんだね」


 トラックがミラと共に戻ってきて、イャートはホッとした顔でそう言った。なんでも79号はいち早く襲撃に反応し、文字通り自らを盾にして人形師や衛士たちを守ったのだそうだ。79号が稼いだ時間で衛士隊は反撃の態勢を整え、なんとか黒装束を撃退することができた。


「彼女がいなければ死者が出ていた。何と礼を言っていいか分からないよ」


 弱々しくそう言い、イャートはうなだれた。79号はイャートにとっては一般人だ。本来ならば衛士隊が保護すべき相手なのに、逆に彼女に守られてしまった、そのことに責任を感じているようだった。


「襲撃犯の目星は?」


 剣士がイャートに問う。イャートは首を横に振ると、深いため息を吐いた。


「……実は今朝、襲撃を知らせる密告があった。それで衛士を増員していたんだ。おかげでなんとかしのぐことができた」


 トラックがプァンとクラクションを鳴らす。イャートは力なく笑った。


「そう、信じたいけどね。子供を使った伝言だったし、副長が関わった形跡はない。今日の襲撃の前後に副長の姿を目撃したという話も今のところ入っていない」


 トラックは密告をリェフが手配したと思ったのだろうか? でも、密告がリェフの仕業なら、リェフは事前に襲撃を知っていたことになるわけで、どうしてそんなことを知っているのか、という話になる。ガトリン一家のボスのときと同様、リェフは襲撃犯の動向に詳しすぎる。そのことをいったいどう解釈すればいいのか、答えが見えない。


「ついさっき、ギルドに保護されていたガトリン一家のボスが襲撃を受けた」


 剣士の言葉にイャートの顔が厳しくなった。顔を上げ、イャートは剣士に続きを促す。


「……今朝、俺たちは南東街区でリェフらしき人影を見た。俺たちはそれを追い、南東街区を出た辺りで見失ったんだが、その直後に襲撃は起きた」


 イャートは思案げに眉を寄せた。


「副長が君たちの尾行をまくことができないなんてありえない。まして、尾行に気付かないなんてことはね。だから君たちが追っていたのが本当に副長なら、君たちを誘導したんだろう」

「何のために?」


 剣士は冷淡に問い返す。イャートは自虐的な笑みを浮かべた。


「……襲撃を阻止してもらうため、っていうのは、私の願望だな」


 襲撃を阻止したいなら、どうして本人が自分でやらないのか。あるいは姿を見せて協力を求めないのか。保身のため? 衛士隊は確かにリェフを通り魔事件の犯人として追っているが、冒険者ギルドにはリェフを拘束する理由も権限もない。トラック達に協力を求める分にはそんな回りくどい方法を取る必要がないはずだ。それができないのであれば、リェフは『襲撃を阻止する』こと以外の目的を持っていて、それを果たすためにトラック達を利用しているのかもしれない。そして、その目的が復讐なら、リェフはユリウス・トランジの殺害に向けて着実に歩みを進めているのかもしれない。


「……どこで、何をしている、副長――」


 苦しげにうめき、イャートは祈るように目を閉じた。

「思い上がるな、などという台詞はせめてご自分で身を起こせるようになってから言ってはいかがですか?」

79号にそう言われた人形師は、悔しくて悔しくて、寝る間も惜しんで奢侈王の魔法の解析をするようになったそうですよ。

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[一言] 79号の罵倒たすかる( ˘ω˘ )
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